機動戦士ガンダムUC101 エピソード・オブ・アンジェロ   作:なゆ太

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明けましておめでとうございます。また更新間隔があいてしまいました。気がつくと3ヶ月も経っていて恐ろしいです。


転機

「いいからさっさとやるんだ、反逆罪で銃殺されたいのか。っていうのが、いま流行語になってるそうですよ。」

「なんだそれは?」

 エメットの唐突な発言に意味が分からず、アンジェロが不審な声で問い返したのは、「アストライアの戦い」から5日が経った頃だった。戦闘レポートの作成、上層部への報告、連絡会議と嵐のような日々がようやくひと段落し、仕事の合間に雑談する余裕が生まれていた。

「ご存知ないのですか?戦いの最中に市長が参謀総長に言った言葉です。俺たちが敵艦隊を攻撃して、少佐が増援を要請した時、参謀総長は状況確認を優先して兵を動かそうとしなかったそうです。そこで市長が増援を命じ、反対する参謀総長に激しい剣幕で迫ったそうです。『いいからさっさとやるんだ、反逆罪で銃殺されたいのか』って。それで勝機を掴めたわけですから、市長の株もうなぎ上りですよ。」

「それは…初耳だ。ここ数日、忙しくて殆どニュースを見る時間が無かったからな。」

 ユイミンがそんなことを言っていたとは、ついぞ知らなかった。驚きながら少し言い訳がましく言うと、エメットは私用の携帯端末でコロニーネットの動画ニュースを見せる。

「再現映像だそうです。何億回も再生されてるんですよ。」

 そう言われて見た動画の中では、前線からの報告で状況を正確に把握し、優柔不断な将軍を叱り飛ばしてリーダーシップを発揮する「市長」の姿が映っている。自分の知っている彼の姿との乖離に一瞬戸惑いながらも、脚色もあるのだろうと思い直す。動画の中では描かれていないが、ユイミンが素早く決断したのは報告したのが自分だったからだろう。それにしても、あの人に参謀総長を叱り飛ばす気迫が有ったとは、少々意外ではあるが。

「あの、少佐。聞きにくいことを伺ってもよろしいですか。」

 苦笑しながら動画を見ているアンジェロに、エメットが恐る恐るといった様子で尋ねる。無言で頷くと、エメットは少し視線を逸らしながら言う。

「市長が決断したのって、やっぱり…少佐が市長の側近だからなんですかね。」

「あの戦いの後、私は一度も市長と話していないからな、分からん。だがまあ…他の可能性が想像出来ないのも確かだ。」

 アンジェロの素直な本音に、エメットは困ったような顔で呟く。

「やっぱりそうですか。それが分かると、何て言うか…市長があんまり神格化されるのも、違和感がありますね。」

「私も同感だ。」

 肩をすくめてそう言ってから、そろそろあの人と会わないとな、と思い出す。左腕の端末は、あと数日で「期限」が来てしまう。

 

 翌日、アンジェロは久々にユイミンの私邸を訪ねていた。優雅で開放的な南国風の邸宅に入ると、プールサイドに置かれたテーブルに鳥籠のようなものが置かれているのが見える。

「ケータリングでアフタヌーンティーセットを頼んでみたんだ。一緒に食べよう。」

 ユイミンは上機嫌にそう言うと、ティーバッグを幾つか見比べながら「なにがいい?」と尋ねる。飾らない姿は変わっていないなと思って、アンジェロは内心微かに安堵する。

「では、ウバを頂きましょう。」

「いいね、僕もそうしよう。」

 ユイミンはそう言うと、手早く二杯の紅茶を淹れる。公的な地位からしてもルオ家での立場からしてもアンジェロがすべきことなのだろうが、ユイミンはそういうことに無頓着で、アンジェロもそれに慣れてしまっていた。

「こんなにゆっくり出来るのは久しぶりだよ。官邸では役人と軍人とマスコミの連合軍に追い立てられてね。」

「よくマスコミに見つからずにここまで来れましたね。」

「官邸のスタッフに業者が使う地下通路を教えてもらってね。映画みたいで興奮したよ。」

 ユイミンはそう言って少し子供っぽく笑ってから、スコーンにクロテッドクリームとはちみつをたっぷり塗って口に運ぶ。

「世間では色々と話題になっているそうですね。少し不思議な感じもします、中立主義のサイド6が軍事的勝利にここまで熱狂しているのは。」

「軍事的勝利は麻薬だよ。最新の世論調査で、僕の支持率は7割を超えたそうだ。開戦前は3割も無かったのにね。世論は本当に移り気だ。」

 シニカルな口調でそう言ったユイミンにどう応えていいか分からず、無言で紅茶をすすると、ユイミンは口調を改めて続ける。

「それと真逆なことがサイド2で起こっていてね。向こうの政権は凄まじい批判を浴びてるそうだよ。市長が変わる可能性もあるらしい。次の市長の最有力候補は、穏健派だってさ。」

「戦争終結の見通しが立つ、ということでしょうか。」

「そうだね。この戦争が終われば、フォン・ブラウン議定書の協議も再開出来るかも。そうなれば嬉しいけど。」

「そこまで議定書に思い入れがおありでしたか。」

 アンジェロの率直な言葉に、ユイミンは苦笑混じりに答える。

「別に僕は人気取りのためにポーズでスペースノイドの権利擁護を唱えてるわけじゃないよ。自分達のことは自分達で決めたいという要求は、真っ当なものだと思ってるだけさ。」

 ユイミンの言葉は力まず淡々としたもので、それがかえって真実味を感じさせる。この人は本当に、本心から、スペースノイドの自治を願っているのだ。それを理解して、アンジェロは形容し難い大きな感情に襲われる。

 アンジェロにとって、「大佐」の後にユイミンに仕えることになったのは、押しつけられた命令に過ぎなかった。けれどその二人が、やり方は違うとはいえ、同じものを目指しているとは。それが運命なのか偶然なのかは分からない。しかし幸運であることは、疑う余地がなかった。

「ユイミン様。私に出来ることがあれば、何でも仰って下さい。」

 唐突に出た言葉に、ユイミンはびっくりした顔をしてから、少し困ったように答える。

「ありがとう。アンジェロにそう言ってもらえると、心強い。何かあったら、また相談させて貰うよ。」

 そう言った顔は笑っていたが、どことなく不安げで、自分の言葉が何か気に障ったのだろうかと戸惑う。だがユイミンは別のことに話題を転じてしまい、結局聞きそびれたままになってしまった。

 

 ユイミンの私邸でそんなやりとりをしてから数日間、サイド6を取り巻く情勢は激動を続けていた。

 サイド2では戦争継続を主張する一派が力を増し、講和への望みが薄れた一方、連邦議会ではサイド6と関係の深い議員の動きが活発になり、調停に向けて使節団を派遣することが決まった。前線では双方の哨戒部隊による遭遇戦が頻発していたが、互いに大部隊を動員する余力はなく、市民生活は次第に日常を取り戻していた。

 奇妙な膠着状態が続く中、アンジェロの元には意外な男から連絡が来ていた。ティターンズの残党云々の情報をもたらすきっかけとなった後、連絡を絶っていた「ビネガー」からである。

 会合場所に指定されたのは、前回と同じく繁華街のありふれた酒場だった。赤と金が多用された派手な内装、ランタンに格子模様、龍を象った彫刻。スペースノイドのアンジェロからすれば物珍しい、中華風の雰囲気の店。賑わっている様子を見ると、人気のある店のようだ。味はともあれ、騒がしい雰囲気は内密の話をするには都合が良かった。

「よう、色男。待ち合わせ時間ぴったりとは、律儀だな。」

 声のした方を振り向くと、ピネガーが不敵な笑みを浮かべている。嫌らしい笑い方だと思いながら、対面に座る。

「あんたの主人の株は、すっかりうなぎ上りじゃないか。少しは感謝して貰いたいものだな。」

「勝手な言い分だな。我々をいいように使っておいて。」

 苦々しい気分で言うが、その程度ではこの男は眉一つ動かさないようだ。

「まあ、何はともあれ、サイド6の勝利を祝って乾杯といこうじゃないか。ビールでいいか?」

 好きにしろ、と投げやりに答えると、ビネガーはビールと共に聞いたことがない料理を幾つか注文する。アンジェロもユイミンの側近となってから中華料理を食べる機会は少なくなかったが、どうやら地球の文化は自分が思っていたよりずっと複雑で多様で奥深いらしい。

「んじゃ、乾杯!」

 テーブルに運ばれた酒杯を重ねてから、ビネガーは豪快に酒を飲む。あっという間に一杯目を飲み干し、二杯目を注文する。アンジェロもつられて二杯目を頼みながら、酔わせてどうする気だ、と内心では警戒する。幸い、アンジェロは酒の強さには自信があった。

「それで?そろそろ本題に入ったらどうだ。私が酔って口が軽くなるのを期待しているなら、無駄だぞ。」

 三杯飲んだところで、冷静な口調で言うと、ビネガーは相変わらずへらへら笑ったまま答える。

「俺はただ、お忙しい少佐どのにたまには酒でも楽しんで欲しかっただけさ。だがまあ、そうだな、あんたも忙しいだろうし、本題に入ろう。」

 ビネガーはそう言うと、顔を近づける。酒臭い息に思わず顔をしかめながらも、言葉を聞き漏らさないよう耳をすませる。

「あんた、サイド3に行く気はないか。」

 ビネガーの言葉に、少し酔いの回った頭にほろ苦い思いがよぎる。十年近く訪れていない自分の故郷。だがもちろん、この男は自分に帰郷をさせたいわけではないだろう。

「共和国軍の関係者とでも会わせる気か?私はその方面には殆どツテはないぞ。」

 大佐ならともかく、という言葉を飲み込んで答えると、ビネガーはにやっと笑って言う。

「いや。あんたにはとびきりのツテがあるだろう。…ミネバ・ラオ・ザビとバナージ・リンクス。」

 予想外の二人の名前に、アンジェロは虚を衝かれて一瞬絶句する。半ば封印していた5年前の記憶と共に、栗色の髪の少女、そしてダークブラウンの髪の少年の、穏やかだが意思の強い瞳が脳裏に浮かぶ。自分の過去の最も醜く、隠しておきたい部分を覗かれたという記憶に、吐き気に似た感情を抱きながらも、何とかそれを取り繕う。

「…私はあの二人とは対立する関係だった。一時は手を結んだこともあったが、最後は戦った。今更、会って何をしろと?」

「今のあんたの立場は五年前とは全く違う。あんたはサイド6市長の密使として会いに行くんだ。紛争解決の糸口を探るためにな。」

「話が見えないな。サイド2は反ジオン感情が強い。ミネバ様が交渉の仲介役になるとは思えない。」

「サイド2はそうだろう。だが連邦政府は違う。あの方は連邦政府を動かす情報か、あるいは少なくともその端緒を握っているらしい。」

「どこかで聞いたような話だ。」

 半ば呆れ、半ば驚きながらアンジェロは呟く。まるで「ラプラスの箱」ではないか。そういった情報の存在をユイミンと冗談半分に話したことはあったが、まさか本当にこんな話を持ちかけられるとは。

「まあ、そう言いなさんな。貧乏コロニーのサイド2に味方する連邦の要人が妙に多いことは、あんただって気付いてるだろう。もしその秘密が分かれば、何かと有利になる。」

「それは、そうだが…。仮にミネバ様が何か情報を持っているとして、私が密使として適任とは思えない。さっきも言ったが、私は五年前に彼らと戦ったんだぞ。」

「だが、一度は手を結んでもいる。少なくとも、互いに多少は人となりが分かっているわけだ。昔から、見知らぬ他人より知っている悪魔の方がまし、と言うだろう。」

「それにしても、もっと他に適任がいるだろう。」

「いないからあんたに相談している。考えてみろ、ミネバ様はラプラス宣言であんな派手な演説をぶちかましたんだ。連邦の当局だって血眼になって探してる。それでもいまだに行方知れずだ。あの方に会って話を聞くには、子飼いの組織の信用を得なきゃならん。あんたもよく知ってるガランシェールだよ。」

 その船の名を聞いて、スベロア・ジンネマンの迫力のある睨み顔を思い出し、僅かに背筋に悪寒が走る。あの男の信用を得るなど、出来るはずがない。

「まあ、そんな顔をするな。ラプラス紛争で袖付きが壊滅し、あの連中と面識のある奴はほとんど死んじまった。奇跡的に生き残ったあんたは、今のところ我々が知ってる唯一の顔見知りだ。」

 袖付きは元々小所帯だったし、ラプラス紛争の最後に旗艦のレウルーラが沈められてしまった。それでも多少は残党がいたようだが、その連中もジオン共和国にいいように使われて壊滅したらしい。だからミネバ達と面識がある人間が少ないというのは理解できるが、しかし…

「やはり私が適任とは思えない。お前は知らないだろうが、私はガランシェールのクルー、特にジンネマンとは確執があった。彼らが私を信用するとは思えない。」

「ジンネマンが用心深い男なのは、俺達だってよく知ってる。だからあんたが行けば絶対確実だとは考えてない。だが、今のところあんたが一番可能性が高いと判断している。」

「万一そうだったとして、なぜ私をミネバ様に会わせたがる?お前達に何の利益があるというんだ。」

「詳しくは言えんが、俺たちの組織としては、この紛争でサイド6に勝って欲しいのさ。だからサイド6に有利になる情報を集めてる。」

 一体どこの組織か気になるが、この男の口を割らせることは出来そうになかった。ジンネマンと同種の、手強い男だ。

「お前達の利益になることは分かった。だが、私にどんな利益がある?」

 皮肉っぽく問い返すと、ビネガーは懐から電子ペーパーを取り出し広げてみせる。そこにはユイミンに耳打ちするアンジェロの写真が写っていた。

「とあるメディアが数日前に出す予定だった暴露記事だ。あんたと市長の関係、あんたの素性に関する噂、色々載ってる。ルオ家が事前に察知して止めたがね。そういうことが出来るのも、市長に人気と力があるうちだけだ。サイド6が負けても同じ芸当が出来ると思うか?」

 ビネガーの言葉に、思わず黙り込む。むしろ今までこういう記事が出なかった方が不思議だ。市長になったユイミンは、これまでとは比較にならない注目に晒される。側近と見られている自分にも、その関心は及ぶ。サイド6が負けてユイミンが力を失えば、メディアはここぞとばかりに袋叩きを始め、自分の正体も露見するだろう。

「ここまで来たら一蓮托生か…。」

 思わずそう呟いてから、大事なことに気付く。自分には命を縛る「腕輪」がある。これがある限り、長期間の渡航は出来ない。それにユイミンの密使というのも、本人の了承は得ていないのだ。

「お前の話について、ユイミン様に話してみよう。あの方の返答次第だ。」

 やや中途半端な気持ちでそう答える。行くべきだという使命感のような感情と、行きたくないという本音が胸の中で交錯する。アンジェロの内心を知ってた知らずが、男はしたり顔で答えた。

「ルオ・ユイミンは聡い男だ。この提案の意義をきっと分かってくれるさ。」

 

 ユイミンの元を訪れたのは、翌日の深夜だった。官邸の執務室で、疲れ顔のユイミンに話の要点を説明する。黙って怪しげな男と会っていたことを咎められるかもと思ったが、ユイミンはその点には特に触れず、黙って最後まで説明を聞き終えてから、悩ましげな声で言う。

「ミネバ様と接触か。確かに、あの方なら何か糸口を掴んでいる可能性はあるけど。もし露見したら、我々はいよいよジオン残党と共謀したと見られる。リスクが大きいね。」

「私もそう思います。それに、どんな情報を持っているか、そもそも会えるかも分からないというのは、筋が悪い話のように思えます。」

「おや、話を持ってきたアンジェロ自身も行きたくなさそうだ。」

 からかうような口調で言われ、そんなに露骨だったかと思わず恥じる。本音を言えば、アンジェロは行きたくなかった。ジンネマンもそうだが、バナージに対しても恐怖に近い感情がある。あんな恐ろしい、人間離れした能力を見せられては、無理からぬ話だろう。

「気乗りしないことは事実です。同じジオン残党と言っても、私が属していた袖付きの親衛隊とガランシェールは確執がありました。ガランシェールの長だったジンネマンは食えない男ですし、バナージは、その…」

 思わず口籠ると、ユイミンが労るように言う。

「まあ、気持ちはわかるよ。人間にとって内心の自由は最も尊いものだ。そこにずかずかと踏み込んで、人は分かり合える、人の革新、ニュータイプだと言われてもね。」

 その言葉に無言で首肯する。だがそんなアンジェロの姿を見ながら、ユイミンは悩ましげに続ける。

「とはいえ、この提案は魅力的だよ。現状の打開には、情報が不可欠だ。いつまでも睨み合いは続けられない。」

「世論は戦争継続に傾いています。それほど急ぐ必要はないのでは?」

「サイド6の市長としてはね。でもルオ家からは、早く紛争を解決するよう催促が来てる。こんな状況ではビジネスも停滞するからね。いつまでも打開策を示せなければ、本家がどう出るやら。」

 ルオ家はサイド6に副市長としてユイミンを送り込むほど絶大な影響力を持つ。ユイミンが邪魔になれば、メディアや議会を動員して追い出しにかかるだろう。今度こそ、自分の素性も暴露されるかもしれない。

「なるほど。我々はルオ家とも戦っているわけですね。」

「前門の虎、後門の狼というやつさ。嬉しくないことにね。」

 そう言ったユイミンの顔には、穏やかな笑顔の裏に苦悩が見える。一つの戦いに勝ったからと言って、何とか生き延びたというだけで、自分達を取り巻く状況は大して好転していないらしい。

「必要であれば、サイド3に行きます。この際、私の個人的感情は些末な問題です。」

 感情を抑えた声でそう言うと、ユイミンはしばし黙って考え込んでから、縋るような声で訊ねる。

「連邦議会が仲介してる停戦交渉、短期間でまとまると思うかい?」

「私には何とも言えませんが…サイド2に同調する議員も少なくないことを思えば、長引くのではないか、とは思います。」

「まあ、そうだろうね。多くの議員は日和見だ。紛争の長期化を望む、アナハイムの息がかかった議員もいる…。」

 ユイミンはそう言って天を仰いでから、まだ迷いの残る声で言う。

「現状、こちらの外交努力は上手く行ってない。ミネバ様とのコンタクトは、この状況を変えられるかもしれない。リスクはあるけど、この提案に乗ってみたい。」

 ユイミンの言葉に分かりましたと言って頷きながら、再びミネバとバナージ、そしてジンネマンの顔が脳裏に浮かぶ。大佐がいない状況で、あの眼力を正面から受け止められるのか、不安が無いと言えば嘘になる。かつての自分には若さゆえの勢いと親衛隊長としての虚勢があったが、今の自分にはそのどちらも無いのだ。

「気乗りしない顔だね。シンギュラリティ・ワンはそれほど恐ろしいかい?」

「それもありますが…」

 規格外であるバナージはともあれ、ベテランとはいえ普通の人間に過ぎないジンネマンを恐れていると言うのは、どことなく悔しい感じがする。そんな下らないことを考えていると、大事なことを言い忘れていたことを思い出す。

「ところでユイミン様。もしサイド3に行くなら、その…。この腕輪が障害になるのですが。」

「ああ…外して欲しいってこと?」

 ユイミンの直球の言葉に、思わずどきりとする。忘れがちだが、この人はいつでも自分を殺せるのだ。

「必ずしも外す必要はありませんが、少なくとも今の設定のままでは、サイド3までの往復は厳しいかと。」

 言い訳がましく言葉を連ねながら、ユイミンの前でこんなに緊張したのはいつぶりだろうかという疑問が脳裏をよぎる。そんなアンジェロの様子を見て、ユイミンはくすりと笑ってから言う。

「外す必要はないよ。」

 その言葉は特に意外ではなかった。腕輪の設定は簡単に変更出来るはずだ。便利な手綱をそう簡単に手放すはずがない。そう考えたアンジェロの耳に、全く想定外の言葉が飛び込んでくる。

「だってその腕輪には、毒なんて入ってないんだからね。」

 予想もしなかった一言を聞いて、アンジェロは一瞬頭が真っ白になり、よろめきそうになる。深呼吸してから、何とか思いついた可能性を口にする。

「最初からブラフだったということですか?」

「いいや、最初に付けられた時は確かに毒が入っていたよ。毒を抜くよう指示したのは、2ヶ月くらい経ってからかな。」

「なぜそんなことを?」

 騙されていたという怒りより、ユイミンの不可解な行動への疑問の方が圧倒的に大きく、わけが分からないという気持ちのまま問いを重ねる。

「毒で脅して言うことを聞かせるなんて、酷いやり方だと思ったからね。」

「ではなぜ、腕輪は外さず、本当のことも話して下さらなかったんです?」

 段々と憤りを感じながら問うと、ユイミンは弱々しい笑みとともに答える。

「アンジェロのことを手放したくなかったんだ。身勝手だと分かってはいるけど、商会の中で他に頼れる人もいなかったから。」

 そう言われて、おぼろげながらもユイミンの心理が理解できるようになってくる。自ら望んだものではないとはいえ、ルオ家の中での競争に加わった以上、常に命の危険と隣り合わせの生活となる。そんな人間が身近に信頼できる人間を置きたい気持ちは分からなくはない。しかし…

「失礼を承知で言わせて頂ければ、あなたの行動は大変偽善的です。私をこの腕輪で脅しておきながら、自分だけ真実を知って罪の意識から逃れる。騙されて五年従ってきた私はとんだピエロだ。」

 多少の怒りを込めてそう言うと、ユイミンは申し訳なさそうな、微かに怯えたような顔で、君の言う通りだよ、と言って項垂れる。これではまるでこちらが悪いようだ。思わず嘆息すると、息と共に怒りも吐き出されてしまったようだった。

「…とはいえ、あなたは理不尽な命令で私を苦しめるようなことはしなかった。そのことに免じて、これ以上は責めません。今更言って、どうなるものでもない。」

 それを聞いて露骨に安堵した表情を見せるユイミンを見て、政治家としてはまだまだだなと思いながら、言葉を続ける。

「それに私は、ユイミン様に期待もしています。スペースノイドの権利擁護への思い、覚悟のほどはともあれ、全て嘘ではないでしょう。ですから、あなたが必要だと言うなら、サイド3でもどこでも行きましょう。」

 アンジェロの言葉を聞いたユイミンは、呟くような声でありがとうと言ってから、表情の選択に困ったような顔を見せる。

「腕輪を外そう。ちょっと待っていて。」

 そう言って、懐に忍ばせた端末を操作すると、カチッという音と共に腕輪が外れる。外れた腕輪を見ながら、本当に自由の身になったのだと実感する。

「5年近く身に付けていたものが外れるのは、少々変な気分ですね。」

 素直な感想を口にしてから、壁の時計を見て、もうじき日付が変わることに気付く。

「私はそろそろ失礼します。サイド3行きについては、また進展があり次第ご報告しましょう。」

「よろしく頼むよ。僕に出来ることがあったら何でも言って欲しい。」

 恐縮した様子で言うユイミンの様子に内心で苦笑して立ち去りかけてから、ふと思いついたことを口にする。

「もしこの腕輪がフェイクと知った私が逆上して襲い掛かったら、どうするつもりだったんです?」

 意地の悪い質問に、ユイミンは一瞬びくりとしてから、困ったような顔で答える。

「それは考えてなかったな。アンジェロがジオン残党に戻ると言われたら困るとは思ってたけど。…でも、そうだね。君に締め殺されても、僕は文句を言えないね。」

「全くです。私の寛大さに感謝して欲しいものです。…それと、あなたのこれまでの振る舞いにも。ではユイミン様、お休みなさい。」

 

 翌日、指定された電話番号に連絡すると、ビネガーからすぐに返事が来た。一週間後、サイド3のコロニーの一つにある、とある公園。そこで「ガランシェール」から派遣されたクルーの一人と接触しろ、ということだった。




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