機動戦士ガンダムUC101 エピソード・オブ・アンジェロ 作:なゆ太
成り行きでスパイ紛いの行為をやることになり、最初の関門…ユイミンに件のクラブに会員として招待してもらう…は難なく突破できた。ユイミンは唐突な頼みごとに当然驚いたが、決してご迷惑はかけません、というアンジェロの言葉を聞いて、少し複雑そうな顔で「君にも色々考えがあるだろうからね」とだけ言って、了解してくれた。そしてサイド6市長の招待の効果は抜群で、クラブからは殆ど間髪入れずに入会を歓迎する旨の連絡が入った。
当日、「クラブ・アルゼンティーナ」には軍服で赴いた。ラフな格好では学生にすら見えるアンジェロもこの格好なら将校であると一目で分かるし、その分かりやすさは接触相手の安心と油断を誘う一助にもなるだろう、というのがビネガーの助言だった。
店に入ると、よく教育された受付のボーイは一目でアンジェロの顔を見分け、中に案内する。仄暗い店内には、ざっと見回しただけでもサイド6の政官財の貴顕が何人も目についた。なるほど、重力に魂を惹かれた老人どもが、こんな場所でこそこそと密談しているわけだ。ビームライフルの一撃でこいつらをまとめて焼き払ったら、サイド6も少しは息がしやすくなるだろうに。元「袖付き」らしい過激なことを内心で考えながら、キャメロン参事官を見つけ出し、近くの適当な席に腰掛けてそれとなく様子を伺う。
ステージの上では、ちょうど一人の女性シンガーが出てきたところだった。エヴィータ、待ってたよ、という歓声が上がる。ビネガーの話だと、キャメロン参事官のお目当ては彼女らしい。なるほど、さっきまでつまらなそうに酒を煽っていた参事官が、いまは陶然とした顔でステージを見つめている。
エヴィータは数曲歌ってから、幾つかのテーブルを回り馴染みの客に挨拶する。参事官ともしばし言葉を交わしてから、次のテーブルに移ろうとしたところでアンジェロと目が合い、この場に似つかわしくない若い美男子の姿に一瞬驚いた顔を見せてから、軽く会釈して別の客の元に行く。ステージがひと段落し、客同士が歓談しているのを見て、アンジェロは静かに立ち上がって参事官のテーブルに歩み寄った。
「こんばんは、キャメロン参事官。」
「君は、確かルオ家の…」
精一杯の愛想笑いを浮かべながら声をかけたアンジェロに、参事官は思わずそう口走ってから、慌てて言い直す。
「いや、失礼、フェレーロ少佐だったかな。ここで君のような若者を見かけるとは、驚いたな。」
「ユイミン様から、少しはこういった場に慣れるよう言われまして。」
そう言って誤魔化すと、参事官は一応納得した顔を見せながらも、少し警戒を滲ませた声で言う。
「なるほど。ところで、君とはどこかで会ったことがあったかな。」
なぜ声をかけられたのかと、疑心を抱いている様子の参事官に、安心させるように言う。
「いえ、今日が初めてです。実は参事官どのが彼女のファンだと、先ほど聞きまして。私も先ほどの歌に魅了されたので、良ければお話出来ればと。」
「おや、エヴィータの歌が気に入ったかね。見事だろう、あの透き通るような美しい歌声。彼女が歌うと、それだけで世界が色づいて見えるだろう。あの感覚が忘れられなくて、私もついつい通ってしまうんだ。」
さっきまでと打って変わって饒舌な参事官の様子に内心驚きながらも、笑顔のまま頷いてみせる。それに気を良くしたのか、エヴィータの過去の演目のことを上機嫌に話す参事官の言葉を熱心に聴くフリをして、しばらく会話に付き合う。しばしそうして話を聞いてから、適当なタイミングで礼を言って立ち上がる。今日はあくまで顔見せ。面識を持ち、何度か接触し、まずはこちらを信用させる…それがビネガーから出された宿題だった。
ひとまずはやるべきことが出来たなと思って、いささか疲労を感じながら店を出ようとしたところで、出口近くのテーブルがざわついている。どうやら客の一人がエヴィータをしつこく誘っているようだ。そのしつこい客の顔は見覚えがあり、確かサイド6警察庁の副長官の一人だった。
なるほど、困った客の対応には慣れている店のスタッフも、相手が警察の高官ではやりにくいわけだ。そう思いながらエヴィータを見ると、客の手前何とか笑顔を取り繕いながらも、どうやら本気で困っているらしい様子が見て取れた。僅かな逡巡の後、アンジェロは足早に騒動の渦中に歩み寄り、二人の間にすっと入る。
「失礼、彼女は私と先約がありまして。」
突然割って入ったアンジェロに二人とも驚いた顔を見せるが、先に反応したのは副長官だった。
「なんだ貴様、ワシを誰だと思って…」
そこまで言ったところで、副長官の付き人の一人が慌てて耳元で囁き、一瞬で顔色が変わる。副長官は要領を得ないことをもごもごと呟いてから、逃げるようにその場を立ち去る。その場に残されたアンジェロとエヴィータには、店中の視線が集まる。
「少し外に出ましょうか。」
なんだかつい最近も似たようなことがあったな、と思いながら、エヴィータの手を取って店の外に出て、人気のない路地裏に逃げ込む。一息ついたところで、少し癖のある高い声が耳に響いた。
「あなたが新市長のお気に入りのフェレーロ少佐?本当に綺麗な顔をしてるのね。」
エヴィータのやや無遠慮な物言いに微かに苦笑しながら向き直る。アンジェロより一回り年上に見える歌姫は、素直な驚きを浮かべながら、あけすけな問いをぶつけてくる。
「あなたみたいな若くて綺麗な男の子があの店に来てるだけでも驚きだけど、あのタイミングであんなこと言うなんて、一体どういう風の吹きまわし?」
「さあ、どうでしょう。」
アンジェロはそう言って言葉を濁す。それは不誠実さや駆け引きではなく、自分でもよく分からなかったからだ。なぜ咄嗟にあんな行動に出たのか。参事官のお気に入りの彼女に恩を売れば有利になるという計算を無意識にしたのか、単なる気まぐれか。あるいは…あるいは、かつて夜の世界に身を落とした者として、彼女の苦境に何か感じるものがあったのか。そんな内心の葛藤を見て取ったのか、エヴィータは追求の手を緩めて言う。
「まあいいわ、助けられたのは事実だものね。お礼を言わせてもらうわ、ありがとう。私はそろそろ戻るけど、またいつでも来て頂戴。」
「はい、また是非寄らせて頂きます。」
アンジェロが慌ててそう言うと、エヴィータは笑顔で頷いてから店に戻っていった。
「またお会いしましたね、参事官どの。」
「おや、少佐、奇遇だな。それとも、彼女が目当てかね。」
「はい、すっかり虜になってしまって。」
偶然の再開を装ってそう言うアンジェロに、参事官も素直な笑みを見せる。だいぶ警戒は緩んできたようだ。前回から3日後、エヴィータが出演する日を狙って、アンジェロは再びクラブに顔を出していた。
歌が終わり、しばらく話したところで、参事官が知人を見つけて席を外す。一人になって手持ち無沙汰になり、ウィスキーグラスを呷っていると、聞き覚えのある魅力的な声が、少し悪戯っぽい調子でアンジェロに話しかけてくる。
「こんばんは、少佐。この前はありがとう。またお会いできて嬉しいわ。」
顔を上げると、ステージが終わったばかりの、少し上気した顔のエヴィータが妖艶な笑みを浮かべながら立っていた。
「隣、よろしいかしら。」
「もちろんです、どうぞ。」
アンジェロが頷くと、エヴィータは参事官が座っていた席の隣に腰を下ろす。
「さっき、見てたわよ。あの気難しいキャメロン参事官が気を許すなんて、どんな魔法を使ったのかしら。」
「あなたの素敵な歌のおかげですよ。あなたの虜になった者同士、楽しくお話させて頂いているだけです。」
「うそばっかり、本当は私の歌なんてちっとも興味がないくせに、悪い人。」
「そんなことは…」
「隠しても分かるわ。綺麗な顔で澄ましていても、あなたの瞳の奥にいる猛獣が見える。ルオ家の御曹司の側近と言っても、単なるお飾りの親衛隊じゃないみたいね。」
エヴィータはそう言ってから、不思議そうな表情を浮かべて続ける。
「でも不思議ね。あなたからは、なぜか私と同じ匂いもするわ。夜の世界の、艶やかだけれど爛れた、そんな匂いが…。」
その言葉に、アンジェロは戦場でも感じたことのないようなひやりとした緊張感を覚える。女性の勘というのは恐ろしいものだ。
「ごめんなさい、おかしなこと言ってるわね。忘れて頂戴。」
「…おかしくはありません。私も今でこそ少佐という立場にいますが、人に言えない過去があります。」
口をついて出た言葉は、アンジェロ自身も驚くような、隠したいはずの過去の告白だった。初対面に近い相手に、なぜこんなことをするっと話しているのか、自分でも分からない。だが人は時に、他人に近い関係の相手にこそ、自らの抱える悩みや秘めた過去を話せるのかもしれない。
「そうなの、そう…。辛かったわね…。」
唐突な告白に動揺を隠せない様子のエヴィータは、打って変わって口下手になる。
「それでも、私は幸運です。こんな私に手を差し伸べてくれる方に二人も出会えたのですから。」
「そのうちの一人が新市長、と思って良いのかしら。」
無言で頷いてから、ようやく筋の通った話が出来るようになる。
「その二人の思いに応えるために、そして私自身が生きるために、いまここにいます。私がなすべきことのために、あなたに協力して欲しいんです。」
唐突に始まった告白は、思いがけずこんな言葉に辿り着く。真剣な目でそう告げるアンジェロを見て、エヴィータは一瞬だけ迷いを見せてから、困ったような笑みを浮かべて言う。
「悲しいお話が、いつの間にかそういう話にすり替わるのね。やっぱり貴方も軍のエリートさんってことかしら。」
呆れたような、どこか突き放したような色合いを帯びた反応に思わず焦るが、そんなアンジェロの顔を見ながらエヴィータはくすりと笑って言う。
「…でもいいわ、この間のお礼もまだだものね、私に出来ることならやりましょう。」
その言葉に思わず安堵するアンジェロだが、エヴィータの次の言葉に再びどきりとさせられる。
「それで、さしずめ参事官から機密情報でも引き出すつもりかしら。」
お見通しだったか、と内心で舌を巻く。こういった場所は諜報活動の舞台として好んで使われる。あるいは、こういうことに巻き込まれるのも、初めてではないのかもしれない。
「さすがですね。キャメロン参事官は他サイドの動向にお詳しい。サイド2の動向について少しでもお話を聞きたいと思っています。」
今や協力者、共犯者となったエヴィータに、素直に目的を明かすと、納得した顔で頷く。
「ああ、フォン・ブラウン襲撃事件の関係で随分と険悪な関係になってるらしいわね。」
「はい。連邦議会の強硬派を焚き付けているらしいです。今後の出方を探れれば、サイド6を守ることに繋がります。」
「なるほど、愛国的行為ってわけね。」
エヴィータは些か皮肉っぽい調子でそう答える。愛国や独立という大義を掲げて終わらぬ戦いを繰り返す男の論理を見透かしているのだろう。複雑な経歴を持つアンジェロにはその気持ちも理解出来たが、今はこの立場で生きるしかない。静かに頭を下げて、お願いしますと頼むと、返ってきたのは吹っ切れたような声だった。
「まあ、いいでしょう。私にとっても、ここが戦場になったら、他に行くあてもないもの。私たちの利益は一致してるみたい。」
「そのようですね。」
控えめな笑顔で頷くと、エヴィータは周囲の様子をちら、と伺いながら言う。
「キャメロン参事官は、責任感が強くて口の固い人よ。普通の方法では絶対に口を割らないでしょう。でもね、お酒が入ると、一気に口が軽くなるの。だから普段はお店では飲まないんだけど、まあ、そこは私に任せて頂戴。」
頼もしい言葉に頷いたアンジェロの視界の端に、参事官が戻ってくるのが見える。
「おかえりなさい、参事官。いま、ちょうどエヴィータが席に来て下さったんですよ。」
「そのようだね。エヴィータ、君が新参の客の元に寄るなんて、珍しいじゃないか。やっぱり君でも美男子には弱いと見えるね。」
「だって、気難し屋のキャメロン参事官が、こんな若くてハンサムな軍人さんと楽しくお話してるんですもの。興味がわくのも当然じゃないかしら。」
軽口を叩きあう様子を見ると、二人は歌手とその客という関係とはいえ、それなりに親密なようだ。
「フェレーロ少佐は若いが、教養もあるし、話していて飽きないよ。これでフォン・ブラウンではジオン残党相手に新市長を守って獅子奮迅したというのだから、まさに文武両道だな。」
恐縮です、と言って頭を下げながら、アンジェロは内心苦笑する。エヴィータは自分の汚れた過去を僅かな時間で見抜いたというのに、参事官は何の疑いも抱いていないようだ。ユイミンに連れられてオペラやコンサートに何度も行き、それなりに知識も蓄えたとはいえ、アンジェロは生粋の上流階級とは程遠い。もっとも、エヴィータの勘が特別鋭いだけで、常人に同じことを期待するのは酷かもしれないが。
「あらあら、すっかり若いお友達のことが気に入ったみたいね。ねぇ、せっかくだから、久々にシャンパンでも開けない?たまには賑やかに飲みましょうよ。」
「いや、うん、まあ…」
言葉を濁す参事官相手に、エヴィータは上目遣いで困ったような声音で言う。
「他のお客さんの手前、シャンパンの一本も頼まないと、あまり長居できないのよ。大丈夫よ、少佐が沢山飲んでくださるわ。ね?」
「軍隊というのは、酒に強くないとやっていけませんからね。」
精一杯の朗らかな笑顔と冗談めかした口調で答える。実際これは嘘ではなかった。貧乏で禁欲的だった袖付きはともかく、連邦軍の伝統と悪弊を受け継ぐサイド6警備隊は駐屯地の中に巨大な酒保があり、いつも非番の兵達で賑わっている。最初は飲酒と縁が薄かったアンジェロも、ハロルドと付き合うようになってからは、大酒飲みの彼のおかげで随分と「鍛えられ」た。
「グリーン中佐のおかげで私もかなり強くなりました。それから、参謀本部のレンツ少将も本当にお強いですね。そうそう、ユイミン様はあまり強くない割に、深酒をしたがる悪癖があって、私は何度か介抱したことがあります。今は公務で忙しいですから、なかなか飲めないと不満を零してらっしゃいましたよ。」
何気ない思い出話のようだが、アンジェロなりに計算した会話である。キャメロン参事官は愚鈍な人物ではないが、連邦政府という巨大で硬直的な官僚機構で20年以上働き、権威主義的な価値観に骨の髄まで染まっている。こういう人物は、ほとんど無意識的に、肩書きで他人を判断してしまう。少佐という階級と制服はもちろん有効だが、そのアンジェロの口からより高位の人物との親交を伺わせれば、警戒も自然と緩むはずという考えである。
袖付きにいた頃のアンジェロは「愚かで盲目的な」連邦の役人や軍人を軽蔑しきっていたし、今でも内心ではそういう反骨心は残っている。他方でルオ家やサイド6警備隊という大きな組織で長く過ごすうちに、少しずつではあるが組織の論理に染まりつつあることも自覚していて、彼らの気持ちを理解出来るところもあるのが微妙なところだった。全く、強固な信念や高潔な理想などというのは夢想家のたわごとで、現実や時間の風雪に晒されるとあっという間に朽ちてしまうものなのだ。
「まあ、そうだな、たまには一口くらい、いいかもしれないな。一本頼めるかな。」
アンジェロのささやかな計算がどこまで有効だったのかは分からないが、参事官は意外とあっさりと折れる。ありがとうございます、と邪心の欠片も無さそうな笑顔で答えながらボーイにシャンパンを頼むエヴィータを見て、女性とは怖いものだとアンジェロは内心で戦慄した。
最初は慎重にちびちびと飲んでいたキャメロン参事官だが、勧められるままに二杯目を飲み干したあたりから、杯を乾かす時間が短くなっていく。と同時に、謹厳だった参事官の表情も、明らかに緩んだものになっていく。
5、6杯は飲んだ頃だろうか。無害な世間話に興じていたアンジェロに、エヴィータがそれとなく視線で合図する。そろそろ頃合いだ、ということだろう。出来るだけさりげなさを装いながら、話題を転じる。
「そういえば、フォン・ブラウン襲撃事件の関係で、サイド2からは随分と色々な要求が来ているそうですね。ユイミン様は議会と外務局の板挟みでげんなりしていましたよ。」
「だろうね。幾らサイド6の前市長が逮捕されたからといっても、サイド2の要求はいささか過大だよ。明らかにコロニー独自の裁量を超えた要求をしている。それを黙認してる連邦政府にも困ったものだが。」
「全くです。私などにはあまり関係はありませんが、外務局や駐留連邦軍の連中は随分と仕事が増えているようですね。」
敢えて他人事のように、あまり興味なさげにそう言ったアンジェロに、参事官は一瞬躊躇ってから小声で言う。
「少佐、悪いことは言わんから、しばらくは大人しくしていた方がいいぞ。もしここに恋人でもいるなら、しばらく月にでも行かせた方がいい。」
「なぜです?」
「調査団が来るだろう。」
サイド2が真相究明のためにサイド6に調査団を派遣するという話は、確かに聞いていた。しかし、ユイミンから聞いたサイド6の自治権停止の可能性などという話に比べると、それほど重大でもない話に思えたので、参事官の口からその件が出たのは意外だった。
「サイド2行政府の官僚や研究者が何十人か来る程度でしょう?大したことはないと思いますが…。」
情報を引き出すためというより、純粋に疑問を感じてそう言うと、参事官は周囲をちらちらと眺めながら囁くようにして言う。
「調査団の護衛を名目に、サイド2駐留軍と警備隊が同行する。数千、あるいは1万を超える数だ。」
想定外の情報に、アンジェロは思わず絶句する。それだけの兵力なら、首都の枢要部を管理、いや、占領することも可能だ。
「一種の保障占領というわけですか。しかし、どんな理由があるにせよ、コロニーが独断で他のコロニーを占拠するなど…。」
一年戦争を知らない世代のアンジェロからすれば、およそ現実味が感じられない。
「各サイドの警備隊増強は、連邦政府の想定を超えるペースで進んでいる。連邦の法体系は、こういった事態を想定していない。中央の政府や議会が手をこまねいているうちに、既成事実を作り上げようと言う魂胆だろう。」
一年戦争の凄まじい戦災とその後も打ち続く内乱や紛争で、連邦の財政は破綻寸前といっていい状態だった。このためジオン共和国の自治権返上が目前となり、ジオン残党もほぼ掃討された数年前から、連邦軍は大規模な軍縮に乗り出していた。解雇された元軍人の受け皿として、そして低下した治安維持能力の穴埋めとして、各サイドは急速に独自の警備隊を増強した。その統制方法について連邦議会の議論が遅々として進まない、その間隙を縫う行動と言われれば、なるほどあり得ない話ではない。
「しかし、サイド6にも駐留軍や警備隊がいます。みすみす不法占拠を見過ごすでしょうか。」
「サイド6駐留軍が積極的に制止するはずもないだろう。そして向こうはサイド2駐留軍の一部が義勇軍という体で前面に出てくる。サイド6警備隊に連邦軍と矛を交える覚悟があるかね。」
そう言われて、アンジェロは再び言葉を失う。ルウム戦役で大打撃を受けたサイド2はいまだに再建途上で、駐留軍と警備隊の関係は緊密だ。対して一年戦争以来の中立サイドであるサイド6では駐留軍と警備隊の関係はよく言っても疎遠であり、しばしば険悪だった。サイド6は地球圏で最も豊かな経済力を持ち、その警備隊は大規模で装備も充実していたから、しばしば駐留軍の任務はサイド6を守ることより、むしろ牽制することにあると言われていた。
そんな関係であるから、駐留軍が体を張ってサイド6を守るとは到底考えられない。そして、幾らサイド6警備隊が他サイドと比べて強大な組織であるとはいえ、連邦軍の艦艇やモビルスーツ相手に砲門を開く覚悟などあろうはずもない…。
「我々警備隊としては、些か肩身が狭い思いをすることになりますね。」
「君らは駐屯地に引きこもっていれば良いだろうが…。」
参事官は随分と引っかかる物言いをする。そういえばさっきは、恋人がいるならよそに逃せと言っていた。連邦軍兵士の残虐さを身にしみて知っているアンジェロにとってさえ、過剰反応に思える言葉だった。
「あまり素行の良くない部隊が混じっているのですか?」
もしやと思って尋ねると、参事官は苦々しげな顔で頷く。
「素行が悪いなんてものじゃない。連邦軍の面汚しどもだ。」
そう言われても、候補が沢山ありすぎて見当がつかない。実際のところ、連邦軍という巨大組織は、毎月のように醜態を晒していた。困惑顔のアンジェロに、参事官は吐き捨てるように言う。
「あの忌々しい地球至上主義者ども…ティターンズの残党だよ。」
「なっ…。」
今日三度目の絶句は、最大の衝撃と恐怖をもたらすものだった。全スペースノイドの恐怖と憎悪の対象、30バンチ事件を引き起こした邪悪な地球至上主義の権化、ティターンズ。その響きは、グリプス戦役時にまだ幼かったアンジェロの感情にさえ、巨大な衝撃を引き起こすものだった。
「あり得ません、ティターンズはグリプス戦役で壊滅したはずです!!」
思わず声を荒げかけたアンジェロを制止しながら、参事官はゆっくりと説明する。
「幹部連中は確かにそうだ。だが当時、ティターンズは連邦軍でも最大の派閥の一つだった。その構成員やシンパの全員が死んだわけもないだろう。グリプス戦役後、軍上層部は元ティターンズの連中を厄介払いした。辺境の基地、そして各サイドの警備隊。サイド2警備隊には、元ティターンズの連中がごろごろしている。そいつらが、占領者としてサイド6に乗り込んでくるわけだ。どうなると思うかね。」
「恐ろしい…ことになると思います。」
過去の恐怖がフラッシュバックしそうになるのを必死で押さえながら、何とか冷静な声でそれだけ言う。悪名高いティターンズの残党による占領。平和で豊かなサイド6の日常は、一瞬で軍靴に踏み潰されてしまうだろう。
はやる気持ちを抑えてしばらく参事官との話を続けるが、さすがにそれ以上の目ぼしい情報は得られないようだった。適当なところで会話を切り上げて、ユイミンに報告しようと席を立つ。
「ご協力ありがとうございました。お陰で大変貴重な情報が得られました。正直言って、あまり聞きたくない情報でしたが。」
「本当に、大変なことになったわね。少佐は新市長と親しいのでしょう?あの方はルオ家の一員、きっとどうにか出来るはずよ。どうかくれぐれも、よろしくね。この街を守って下さいな。」
「微力を尽くします。」
店の出入り口の前まで見送りに来たエヴィータに、協力の礼を言うと、そんなことを頼まれてしまう。名ばかりの市長と、鎖で繋がれたその従者にとっては、それはあまりにも過大な要求であった。
内心の無力感を何とか隠しながら、店を辞そうとするアンジェロの視界の端で、キャメロン参事官が席を立つのが見えた。その足取りは予想外にしっかりしたもので、さっきまで酔った勢いで機密情報をぺらぺらと話してした人物とは思えない。そのことに微かな違和感を覚えながらも、さっき聞いた情報のあまりの衝撃に心を奪われて、深く考える余裕はなかった。もう一度短く礼を言うと、アンジェロは急いで店を出て、市長官邸への道を急いだ。
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