――幕間の物語
アーカスト家の四男、末の弟グレイは生まれつき病弱であった。
ほとんど毎日をベッドの上で過ごし、体調が優れた日だけ車椅子(アルガラント王国内で発明王と呼ばれている人物の発明)に乗せられて外に出ることが許されているという状態だった。
あれは二年前の夏のこと――
その弟が突如難病を患ったのである。医者を呼び集めようとアーカスト伯は動いたが、残念ながら領地こそ与えられていたが財力は低く、爵位など飾り同然の家であり、高名な医者なぞ呼べるはずもなかった。
それでも片手に数えられるだけの医者を呼べたのは僥倖であった。
だがその難病相手に一人を除いて匙を投げて逃げ帰り、残った一人も原因を見つけ出すに至らなかった。
そのことをグラムベルが知ったのは夏季休暇で戻ってきた時で、弟は酷く衰弱してしまっていた。
当然家族とは口論になった。なぜ報せようとしなかったのかと家族や使用人たちに詰問した。
だが、この問いに答えたのはアーカスト伯ただ一人であった。
――貴様は既に魔術師という生き物になる道を選んだ。万が一にもお前が外法でグレイを救おうと試みたならばアーカスト家が取り潰しになることは目に見えている……息子一人の命も大事だが、私にはこの領を守るという使命もある。
当然、口論になった。息子も救えない者が領民全てを守れるものか、と噛み付いたのだ。
その後、激しい口論の末、グラムベルは追い出されてしまった。
悔しかった。自分は魔術師としての素養を見出されたが、その力で弟を救うなと言う。今この時弟すら救えないならば、なぜ自分がこの才を得たというのか。悔しすぎて涙が出た。
悲しかった。父はどうやら息子である自分を外法の徒であると考えているらしい。魔術師とはそれだけの存在ではないのだと訴えかけたところで父は認めようともしなかった。
結果、館を追い出され、弟を救えなくなって途方に暮れて、涙に塗れる魔術師の姿があった。
グラムベルはあまりの無様さに笑いそうになり――
『楽しく生きなきゃ損ですよぅ?だから泣くのはやめましょうよぅ』
――そんな時に手を差し伸べてきたのが、リディア・ラプターという行商人だったのだ。
リントヴルム帝国は千年前に起きたという魔術災害『魔女狩りの魔女』による混乱の中で生まれた対聖教国レジスタンス達を始祖とする国であり、そのレジスタンスのリーダー、ヴェルグ・ヨルムンガントが初代皇帝として君臨することとなった国である。
しかし、数多の魔術戦争が行われた結果、竜脈――マナが流れる大地の血管。霊脈、レイラインとも呼ばれる――に多大な影響を及ぼし、国の中で領土中央の帝都を基点に四方それぞれが独自の環境を持つようになったとされている。
四方の一つ、西部地域は様々な鉱物が排出される鉱山地帯となっており、西部都市ザーパトには鍛冶師が多く集まる他、鋳造したインゴットを生成、輸出していることでも知られている。
しかし、採掘環境の劣悪さなどから来る低寿命や、採掘の際に流れ出た金属が河川に垂れ流しになっていたことで起きていた中毒症状の存在が医療技術が一般に普及し始めたここ数年の間に明らかになり、帝国議会で騒ぎになっている土地でもあった。
とはいえ、帝国にとっての国家資金の実に4割はこの土地で取れた良質な貴金属であり、鉱山事業を止める訳にもいかず、今も鉱山夫達が坑道に入ってつるはしを振るっていることだろう。
グラムベルとフィリップはひょんなことから再会してしまった旧知の少女、リディア・ラプターとその連れの少女と共に南部都市ユークへと荷馬車に揺られながら街道沿いに南下しているところだった。
「顔を合わせるのは1年振りかラプター」
「火の秘薬とフソウの霊山の神樹の枝を下ろして以来ですねぇ。あ、在庫はありますけど買います?」
「今は手持ちが無い。また今度にしてもらおうか」
りょうかいです~、とリディアは間延びした声で返事をし、その上で再会してからというもの、一切彼女と言葉を交わそうとしないフィリップに声を掛けた。
「あ、フィリップ君もどうです?今ならイロドーツ産のハーブを取り揃えてますよ~」
「……」
「え~、無視しないで下さいよ~」
「ラプター、そこまでにしておけ。奴は正義の魔女に通報しなければならない立場だ。そこを無理を言って見逃してもらっていることを忘れるな」
は~い。とリディアはどこか気の抜けそうになる間延びした声で応えた。連れの少女がおずおずと訊ねた。
「あ、あの、お師匠様とはどのような……」
「私はあの女に借りがある」
「あの女に借りを作るとか正気か!?」
フィリップが驚きの声を上げた。
無理も無かった。
――リディア・ラプター。
千年ほど前に起きた大規模魔術災害『魔女狩りの魔女』を封じたリンテイル魔女連合の開祖たる七大罪と七美徳の名を冠した十四人の魔女――その中の一人である強欲の魔女シープ・ラプターの子孫の一人。
そして『虚飾の魔女』の渾名を与えられた
詐欺師に借りを作る――この意味を理解していないグラムベルではない。事実、彼の工房を彼女の隠れ家の一つとしてこれまで提供してきたのだ。
フィリップの言に、失礼ですね~とリディアは不機嫌顔で告げた。
「グラムベルさんのぉ、弟さんのために、ちょぉっとした秘薬を融通してあげたんですよぅ」
「……秘薬?」
「マテリアル製エリクシルの粗悪品だ」
「……すまん、どこから突っ込めば良いんだ?」
フィリップの困惑も当然のことだった。
エリクシル、エリクサー、エリクシール――呼び方こそ様々だが、その精製には
つまりそれがあるということはマテリアル一族は既に――
と、そこでリディアが割り込んで補足した。
「あ、マテリアル製の霊薬なのは保証しますけど本物のエリクシルかどうかは眉唾物ですよぅ?なんせマテリアル直通の品じゃないですからぁ」
「……つまりあれか?グラムベル、お前、霊薬をエリクシルじゃないってわかっててとんでもない額を支払ったのか?」
「良質な霊薬というのは間違っていなかったからな。家族を助けるのに比べたら安い買い物だったとも」
フィリップの言葉にグラムベルはそう返した。
そうだ、家族を失うのに比べたら安いモノだった。借金の一部を工房を貸し出すことで帳消しにしてもらったという裏話は墓場にまで持って行く秘密である。
「あとは
「……いや、その病が気になってな。治ったのなら、良い」
フィリップの歯切れの悪い返事が少し気になったが、リディアが口を挟んだ。
「流石に品が品だったので契約を交わしましたけどぉ、霊薬の効能が無いパチモンだったらまずかったですからねぇ~。弟さんが元気になってくれてよかったよかった」
「ああ……どうせなら今度顔を見に行ってやってくれ。あいつも喜ぶ」
「あ、それなら4ヶ月ほど前に拝見しましたよぉ?カルセルの綿敷物を買い込んだ帰りにメイドに扮して紛れこんで会いに行ったら大層お喜びになられていましたよぅ?」
そんなことを言いながらリディアはうふふ~と笑い、連れの少女は目を輝かせていた。
――おそらくこの女を善人と勘違いしているらしいが、それは違う。
リディア・ラプターという女は我欲に忠実であり、その我欲の善悪を区別することなく行動する女だ。
そうで無ければ、弟を助けることなど出来なかったのだから。
――では、そんな彼女が連れているこの少女は何者なのか。
赤茶色の髪を肩口まで伸ばした青い瞳の愛らしい少女。歳はおそらく10歳かそこらか。フィリップのマスク姿に萎縮しているようで、常にリディアの袖をつまんでいた。あれぐらいの年齢であれば未知の物に恐怖も感じるか。
だが先ほどのなりふり構わない様子を見るに思い立ったらそのまま突撃していく危うさもありそうだ。人違いだったり、悪いことを考える人間だったらどうなっていたことやら。
グラムベルは少女に声を掛けた。
「話を聞こうか小娘。名前は?」
「ノインです賢者さま。ノイン・リントヴルム・ヨルムンガントと言います」
「ヨルムンガント?待て、その名は確か――」
フィリップの発言をグラムベルが制した。
ヨルムンガントとは皇帝家の直系筋の苗字である。嘘か真かは置いておき、グラムベルは応えた。
「――私はグラムベル・アーカストという。賢者ではなく伝承師だ」
「でん、しょうし?」
どうやらノインは魔術師の区別がつかないらしい。
――魔術によって発展した世界でこそあるが、その実魔術は血と才能に左右される技術でもある。そのため全ての人間が魔術師の知識を持ち合わせている訳ではない。
つまり、ノインのように魔術を使うのであればそれは全て魔術師であるという認識でしかないのだ。例外は医者や癒し手と呼ばれる者たちぐらいだろう。
そこをリディアが捕捉する。
「世界各地の伝承を集めて根源への道を見つけよーっていう魔術師さんのことですよぉ?ノインちゃんが読んでた本の中にはその伝承師さんが書いた物語もありましたねぇ」
「つまり物書きをする魔術師さんなのです?」
「……今はそれで構わん」
目を輝かせるノインを見て、グラムベルは苦々しく思いつつも許容した。
伝承師の中でも作家として活動する者は多い。彼の師であるロー・アンクもまたそうした活動もして資金を得ている伝承師だ。
だが、彼らの本分は伝承や怪奇譚などを研究し、根源へと至る道を模索することにある。その上で社会に適応するのに適した職が作家や吟遊詩人といった物語を扱う役職だった、というだけのこと。
――とはいえ最終的にその本分を忘れ、物書きや吟遊詩人となって暮らしている先達を知るだけにグラムベル自身思うところがあった、という話である。
「で、ノイン、貴様の事情を聞かせてもらおうか」
「はい、実は――」
ノインは語り始めた。
自分は外の世界を知らずに育ってきたことで外の世界に憧れていたこと。
そんなある日、リディアが外へと連れ出してくれたこと。
その際に自分に尽くしてくれていた侍女を影武者として残したこと。
それから半年。世界を周って見て来たこと。
そして、影武者を任せていた侍女からの定期連絡が途絶えたこと。
それで大慌てでこのリントヴルムにまで戻ってきたこと。
グラムベルのことは従兄弟から聞いていて、思わずすがり付いてしまったこと。
グラムベルには侍女を助け出すために知恵を貸してほしい――
そう言って、ノインはおずおずとグラムベルを見上げた。
グラムベルは淡々と問う。
「定期連絡が来なくなったのはいつの話だ?」
「い、今から1ヶ月前です……その頃はイロドーツにいました」
「リディア、貴様の雇い主はなぜノインを連れ出させた」
「ただの気まぐれですよぅ?」
ダウト、とフィリップが一人ごちた。
虚飾の魔女に相手にその言葉が真実かどうかを判別することすら難しい。信用するだけ無駄である――グラムベルはその上で問うたのだが、彼は彼で渋い顔をして見せた。
「……情報が足りんな、ノイン。貴様が想定する最悪の状況はなんだ」
「え、えっと……わ、私の家出がばれて、イルム――あ!私の侍女をしてくれてるお姉さんが、その、酷い目に遭っている事……です」
「……そうか」
グラムベルは酷く渋い顔でリディアを見た。お前が撒いた種なのだからこのおめでたい頭のお嬢さんにそれぐらい先に伝えておけ、と。目で訴えた。
リディアは首を傾げた。アイコンタクト失敗。そもそも目で訴えてわかる訳もないのだが。
「……それで?情報はあるのだろう?情報交換だキリキリ吐け」
「それぇ情報交換する人の台詞じゃあないですねぇ。残念ながらありませんよぅ」
そう言って手をひらひらと振ったリディアだったが、ノインが口を開いた。
「……リディアさんが
「ちょっとノインさん!」
ノインはそっぽを向いた。そもそもグラムベルに助けを乞うたのはノインである。師であっても、今は助っ人の側に回るのは自明の理だったか。
リディアは今なら高値で売れる情報だったのに、と残念がっていた。さすが商人である
フィリップは呆れたとばかりに溜め息を零し――グラムベルは真剣な顔で懐に手をやった。
「盾、か……もっと詳しく話せ。こちらの情報と引き換えだ」
彼女は顔を顰めつつもグラムベルが懐から人銀札を取り出して握らせるといそいそと懐にしまい、話し始めた。
「……帝国の象徴たる三つの武具についてご存知ですか?」
これにはフィリップがマスク越しにくぐもった声で応えた。
「確か国旗に描かれていたな。剣と鎧に盾、だったか?」
「その通りだ。自我を持つ魔剣アンフィス、絶大な力を与える魔鎧シュターカ、絶対の守りを誇る魔大盾シュバルベ。皇帝のみが扱うことを許された呪いの武具たちだ。これらのうち魔大盾シュバルベのみ戦乱期の中で紛失している。その時のことを残した記録書には『幼き死神は涙ながらに死した帝を持ち上げるとその場から持ち去ろうとした。これを皇子が止めるべく追いかけ帝の亡骸を持ち帰るも、そこには帝を護りし盾は無かった』とある。これが約三百年前の記録だな」
グラムベルの答えにリディアは流石ですね。と言って更に続けた。
「実はここ一週間の間に
帝国の象徴のレプリカ。グラムベルは顔を強張らせた。
魔大盾が紛失して以後、歴史の中で時折そうしたレプリカの存在は帝国の歴史に度々登場していた。
例えば、帝国の転覆を企んだ男が自らを皇帝の血族と偽り、魔大盾を掲げて反乱を起こした事件。
下手人は戦場の中で死に、その真偽を確かめるべく皇帝が手にするも、その盾は形も残さず塵と成り果てたという。
例えば、皇帝から金を騙し取ろうと画策した詐欺師がレプリカを謙譲した事件。
皇帝が盾に触れようとした途端、魔剣アンフィスが目覚め、盾は偽物であることを告げた。詐欺師が『剣に目利きが出来るものか』と嘲笑うと、アンフィスは怒りを顕わにし、剣が一人でに動き出して詐欺師を血祭りに上げたという。
このように皇帝家と切っても切れない物なのである。
グラムベルはそう言って説明を締めくくると、フィリップが問うた。
「待て、なぜレプリカだとわかるんだ?グラムベルの話どおりなら三百年は経っている代物じゃないか。その中に本物が混じっていてもおかしくないだろう?それにその伝承を聞く限り偽物である、と鑑定している様子も無いしな」
「それはそうなんですけどぉ……そういえば妙ですねぇ?」
フィリップの言葉にリディアも首を傾げた。
――確かにグラムベルの話した伝承ではどちらも本当に偽物かどうかわからないという穴が存在する。そのため伝承師たちの間では「このどちらかが実は本物だったのではないか」という説が一時期持ち上がったぐらいだ。
これに答えたのはノインだった。
「初代皇帝リントヴルム大帝閣下はその血によってかの三帝具を屈服させました。リントヴルムの皇族にはその血が受け継がれています。彼らが触れるだけでもそれが本物かどうかすぐにわかる……と私は聞いてます」
「なるほど、魔術による契約の一種か」
物との縁を作る魔術は当たり前のように存在する。グラムベルの触媒との縁を作るのもその一つだ。だが、アーティファクトと子々孫々で契約を施すとなるとどのような大魔術だったのかまでは全くわからない。
「……盾の事件に対して帝国議会はどう動いたかわかるか?」
「それがまったく別の案件に掛かりきりになってるみたいですよぅ?例えば鉱山事業の労働環境の見直しや国境警備隊の起こした不祥事とか。誰かが全部買収してるみたいなんですけどそれ以上深いことはまだ調査中ですねぇ」
「そうか……」
思案する。リディアの言葉の真偽は気にするだけ無駄だ。今のグラムベルには裏を取る手段が何一つ存在しない。
それにリディアは詐欺師でもあるが同時に商人だ。代価のある情報に嘘を混ぜ込むことは無い、と信用する他ないのだ。ならばその情報を信じた上で現状の情報を纏めていく他ないだろう。
「グラムベルさんからも情報を降ろしてもらえますぅ?」
「……」
そしてグラムベルの番になるのだが――全員に共有するべきか、と悩むこともある。ラニウスのことはいい、だが皇帝陛下のことをノインに聞かれるのは大問題だ。
何せ
――であれば彼女の名前が事実なのだとしたら、何もかも投げ打って父親の一大事に駆けつけようとするのではないか?
それは非常にまずい。グラムベルの想定する最悪の事態であったならば尚更だ。
故に選択肢は一つ。
「……リディア」
後ろの二人に見えないように、彼女の手を握る。これで伝わってくれ、と願って。
応えは――
「……なるほどぉ~」
そうグラムベルだけに聞こえる小さな声で言うとにやりと笑みを浮かべて彼女もまたしっかりと握り返して頷いた。
グラムベルは横目で同乗する二人を見る――どうやら気付かれていないらしい。
「
「今回はちょっと小言を言い合っている感じですねぇ……シナリオ的には金を払ったのだからそちらも金を払え、みたいな具合です。貸し一つですよぉ?」
それは重畳、とグラムベルは話を続けた。
「ラニウス・ゼレムがディーワ魔術学園に来た。用件はアルカトリ・クライスタとの決闘。帝国側はラニウスを動かしてでもアルカトリを手に入れなければならない理由があった」
「それは一体なんなんです?」
「現皇帝、【海龍帝】ケートスが何者かの手によって昏睡状態にある。オレはそれを解決の手助けをするためにラニウスに呼ばれたんだ」
「……ちょっと待ってくださいよぉ。それ、本当なんです?」
リディアの声が心なしか震えていた。もしかしたら自分が思っていた以上の大事になっていることに焦りを覚えたのかもしれない。
「オレ自身、その情報の真偽の確認も兼ねていてな。罠である可能性もあるが……ラニウスという男自身は権謀術数が出来るような
「……まぁ、真偽はどうあれノインちゃんには話せませんよねぇ」
そんなことを言いつつ、彼女は横目でノインを見た。
ノインとの付き合いは彼女の方が長い。何せノインを弟子としていたのだから。
――変なことを教えていなければいいのだが。そんな一抹の不安を覚えつつ、グラムベルは言う。
「それに彼女が本物かどうかすらオレには判断できない。そもそも現皇帝のご子息はカイル皇子殿下とマリア皇女殿下
「……私の言葉を信頼できるかわかりませんけどぉ、あの子は正真正銘、現皇帝の娘ですよぅ。その事件と今回の件に関係があるのかなんてわかりませんけどぅ」
「今の話を聞いて無関係だと思うのか?」
「事実を暴いて見なくちゃ何もわからないじゃないですかぁ」
一理ある、とグラムベルは頷いた。
「でも良いですねぇ、皇帝家に借りが作れそうです」
「今回の件、最終的にリントヴルム城に向かうことは変わりない。ノインの件がややこしくなければ良いがな」
「……協力しましょう?今回の件、どちらも皇帝家に関わる案件ですしぃ」
グラムベルは溜め息を零す、それに関しては同意だが、彼女に貸しを多く作るのは後が怖い。だが、それしか手が無いのも事実だった。
リディアの手を離し、ノインに声をかけた。
「悪いがノイン、ユークまで送り届けた後しばらく私達と共に居ろ。貴様の問題も片付けてやる」
「た、助けてくれるのですか!?」
「そこの女には恩があると言っただろう?恩を仇で返すのはオレの理念に反する」
「わ~、助かりますぅ」
リディアはニコニコと笑っていたが、その腹の内は読めそうに無い。
そもそも虚飾の魔女に腹の探り合いを挑むこと自体が無謀というものか。
「やれやれ、どうしてこうも厄介事に巻き込まれるのやら……」
「そういう星の下に生まれてきたんじゃないですかねぇ――
厄介事を持ってきた元凶が何を言ってるんだド阿呆、と思いっきり頬を抓ってやった。
荷馬車はゆっくりと、街道を進んでいく。
◇◇◇
南部都市ユークに到着したのはそれから四日後のことであった。
ユークは現在の帝国にとっての流通の中心地であり、海路を用いた交易が盛んに行われている都市である。
現皇帝、ケートス・リントヴルム・ヨルムンガンドは皇帝へと就任すると、造船技術の発展に力を入れ、大陸西にある海洋国家マリングロウズ及びアルガラント王国が国交を独占していた極東の島国フソウとの交易の先駆けとなった都市である。
この海路国交拡大事業において成功を収めたことでケートスは『海龍帝』と渾名されることとなった。
――その裏でユークの交易の大半を取り仕切る『アルスタール商会』の頑張りがあったことは想像に難くない。
その影響か、ユークの中でも商会のお膝元であるアルスタール
「ラプター、彼女をユークには連れて来てなかったのか?」
「彼女を連れ出してすぐにアルガラントで商談がありましてぇ、そのまま周ってたのですよぅ……ん~おいしぃ~」
リディアは答えながら何やら紙袋から小さな粒を取り出しては口に放り込んでいた。
フィリップが「うげ」とマスク越しに呻いた。
「それはブルベか?」
「そうですよぅ~。こっちでも売ってたのは珍しいので買いこんできちゃいました~。あ、フィリップ君もどうです?」
「……それは苦手なんだ」
「ああ、そうでしたか~。好き嫌い別れますよねぇ~。あ、グラムベルさんはどうです?」
「……金は後で払うから不当な金額をふっかけるなよ?」
まいどぉ、とリディアは何粒かまとめてグラムベルに握らせるとまた一粒取り出して口に放り込んで「おいひぃ~」と言っていた。
それに倣って色とりどりの粒の一つを選んで口に入れる。ぶにぶにとした弾力と、染み出す甘みとほんのりとした苦味を少し味わう。そして一思いに噛み潰すと柑橘類の香りと甘みのあるエキスが口の中に溢れ、後味にぶにりとした食感とほんの少しの苦味が残った。
「む、実入りの物も混じっていたか。実入りは塩茹でにした方が美味しいのだが……」
「あ、グラムベルさんは塩茹で派でしたかぁ?私は素茹ででも好きですよぉ」
「お前たちはよく食えるな……」
そんな二人のやり取りを見てフィリップはマスク越しに呻いた。
――この四日でフィリップもこうして日常会話をする程度にはなった。
フィリップからすればリンテイルで犯罪を行った少女だ。苦手意識もあったに違いない。
が、リディアという少女は悪戯好きである。
突然姿を消しては膝裏を突いてきたり、一見すると鼠にしか見えない玩具で驚かしてきたりと、この道中で子供っぽい悪戯を何遍を仕掛けられ、童女のように笑う彼女の姿に毒気が抜かれたらしい。
――なお、ノインから「子供ですね~」なんて冷めた眼で見られた時は真っ赤になって追いかけっこをしていたのは一昨日のことだったか。
当初は警戒心を顕わにしていたフィリップも、なんだかんだ楽しそうに笑っている彼女に一定の気は許したようだった。
「グラムベルさん。ブルベってなんなんです?」
そして赤い頭巾を被ったノインがそのように問いかけてきた。
彼女ともなんだかんだ会話をすることが増えた。
彼女は学があった上に、様々な書物を読んで過ごしていたのだという。そのため夜になると伝承の語り聞かせをするのがグラムベルの役割となっていて、ノインは物語を聞いては目を輝かせていた。
もちろん、これで夜更かしをしようものならフィリップに手刀を叩き込まれるのもセット。お陰でフィリップは今も怖がられていてしょんぼりとしていた。
そんな紆余曲折を経て、グラムベルは彼女に受け入れられたらしい。こうして疑問をなんの抵抗も無く彼に問うようになった。
だが、今回はそこにフィリップが待ったを掛けた。
「ノイン。悪いことは言わない。
「え?え?」
困惑するノインだったが、何やら悩む仕草を見せたグラムベルも少しの間を置いて同意した。
「ふむ……確かにノインには少々刺激が強いか」
「そういえばリントヴルムには無い文化ですからねぇ~。まぁ、私は食べますけどぉ」
ひょい、と口に粒を放り込んでリディアは故郷の味に頬を緩めた。フィリップは呆れたように溜め息を零し、グラムベルは黙して語らず、三人はすたすたと歩いていく。
「き、気になります!」
それがノインの好奇心に火を着けてしまい、三人は質問攻めを受けるのだが、三人は苦笑いしつつ一切語らず、しかもリディアの巧い話の誘導で興味を他に移されてしまうのだった。
――遠い未来、ブルベのことを調べたノインが後悔することになるのだが、それはまた余談である。
そんなノインの追及を余所に、リディアはグラムベルに問いかけた。
「それでグラムベルさん、行き先は?」
「アルスタール商会だ」
◇◇◇
アルスタール商会の支配人に話しかけ、老師の紹介状を手渡し、会頭にお目通りを願うと、支配人はそれを手に店の奥へと入って行き、数分後にグラムベル――だけでなくどういう訳かフィリップとリディア、そしてノインまでもが会頭の部屋に通された。
扉を開けた瞬間、四人は一人の将を見た。
灰色の髪に若干垂れ目ぎみの緑色の瞳。程よく筋肉がついた身体に仕立ての良い衣服を纏っているどこか優しげな中年の男性――なのだが、その身に纏う覇気は商家の主というよりも軍を率いる将を二人に思い浮かばせたのだ。
なるほど、とグラムベルは納得した。『海竜帝』の偉業を裏で支えた人物に挙げられる一人というのは与太話かと思っていたのだが、その考えを改めるに足る邂逅だった。
「この度は我がアルスタール商会をご利用いただき、ありがとうございます。私が会頭のレイモンド・ラドクリフです。以後お見知りおきを」
Tips
・リントヴルム帝国
国の領土の四方で大きく土地の性質が変わっている。
西は鉱山地帯。土に関連した異能者が生まれやすい。
南は海に面し、湿地が多数見られる。水に関連した異能者が生まれやすい。
東は森林や平原が広がっている。風に関連した異能者が生まれやすい。
北は活火山の密集する山脈地帯。火に関連した異能者が生まれやすい。
これらは全ておよそ千年前の領土拡大の際に幾度と無く起きた魔術戦争の影響から竜脈が変化し、このような環境を形成したとされている。
実は純粋な魔術師よりも異能者の方が生まれやすい土地となってしまった。
【裏Tips】
元々の設定は四方でそれぞれの方位の環境ごとに対応した元素の力を扱う魔術師が多いという程度だったのですが、それだけだと特色が薄いと判断。
元々あった異能者を受け入れ領土を拡大していったという話から異能者の多い国(代わりに魔術師は少ない国)としてこちらで設定しました。
純粋な魔術師が少ない分、魔術研究の分野は民間利用の方向こそ並ですがそれ以上の魔術研究(根源云々など)は遅れています。
更に言うと竜脈云々も新たに加えられた物です。
・竜脈
自然にある魔力。すなわちマナの流れる土地の霊的な血管。霊脈、レイラインとも。
その土地に息づく生命にも影響を与えている存在であり、魔術師にとって血統についで重要視されてきた。リントヴルムではこの竜脈の影響から異能者となる者が多い。
【裏Tips】
魔術関係と言えばこれだよね!という個人的に好きなワードの一つ。何やら風水とかにも関係する物だけど実はさほど詳しくないのよね。なんでこんな作品書いてるんだお前とか言ってはいけない。
・ヴェルグ・ヨルムンガント
千年ほど前に活動していたレジスタンスのリーダー。後のリントヴルム帝国初代皇帝。当時の大陸東側の大部分を掌握していたマルカス聖教国による支配に反発しレジスタンスを立ち上げ、後の帝国の象徴たる三つのアーティファクト、剣、鎧、盾を身に纏い戦乱の世を駆け仲間達と共に帝国をの礎を築き上げた。
それぞれのアーティファクトは全て曰くつきの代物だったが、彼の持つなんらかの異能で調伏して見せたのだというが真偽は不明のままだ。
彼の赤髪は後の皇帝一族に受け継がれ、リントヴルムの赤と呼ばれる。
【裏Tips】
こちらで準備したオリジナルキャラ。名前の由来はシグルスが退治した竜ファブニールが元々はドヴェルグ(いわゆるドワーフの別の呼び方)という話だったのでそこから名前に出来そうなヴェルグを拝借しました。
ちなみにヨルムンガントの苗字はリントヴルム帝国を考案してくれた方から頂いた物です。
・リディアの悪行
リンテイルの大魔女が一人『色欲の魔女』が管理する異界『欲望街』のカジノにて異能を用いて大金を騙し取って逃亡している。
その被害額は竜金札(日本円にして一億に相当)にも上った。
・弟に飲ませた霊薬
一言に霊薬、と言うが、魔術の系統ごとにアプローチが変わってくる。
錬金術で生み出される霊薬は、作り変えることに特化している。
魂に変化を与え、魂の変化が肉体に影響を及ぼす――いわば飲む魔術である。
そのため効果は劇的であるが、同時に魂そのものを弄くるという特性上副作用がとても怖い代物でもある。
グラムベルは弟に真偽こそ不明だがマテリアル製のエリクシルを用いて「病を払う」という指向性を与えた。その結果、彼の弟は病知らずの身体となったが……病を一切受け付けない人を果たして人と呼べるのか。
そしてもう一つ、魔術――特に錬金術には等価交換という思想が存在するのだが……その代価は果たして誰が払うのか。
これは余談だが、実はこの一件以降グラムベルは実家に帰っていない。 彼の弟、グレイの出した手紙だけがグラムベルを家族と繋げている物である。
【裏Tips】
リディアちゃんがグラムベルの弟を助けた、という設定はリディアちゃんが投稿された際の台詞の中にグラムベルの弟の存在が示唆されていたのでこちらで色々と作った物です。
その上でこの火種設定である。風呂敷が畳めなくなる可能性もあるけどそこは生暖かい目で見守ってくださいませ。
・南部都市ユーク
リントヴルム内で帝都に並び重要視されている都市。帝国は国境の大半を敵国たるエルヴズュンデと接しているために国外との通商の安全を確保するのが難しいという難題を抱えていた。
しかもリントヴルム南部の海は沖に出ると波の荒い大陸有数の難所であり、それまでの造船技術では航路を用いるという手段は難しかったのである。
だが、当代の皇帝ケートスは「今の船でダメならこの荒海すら踏破する船を作ればいい」という逆転の発想で以ってこの難題を解決。
海をも制した竜(皇帝をリントヴルムでは竜と呼ぶこともある)として『海竜帝』の名で民衆に親しまれるようになった。
――その偉業の裏に、現在南部都市の流通の大半を取り仕切るアルスタール商会やある組織の関与が疑われているのだが、真相は闇の中である。
【裏Tips】
ここらへんの設定は投稿者の皆様の設定を私なりにすり合わせて作った物になります。
こういうすり合わせから設定を作るのって楽しいんですよね……ああでもないこうでもない、ってやってる時間って本当に良い。
※これより下は閲覧注意。不快に感じる可能性あり。
ブルベの詳細が一部反転させてあります。閲覧するかは自己責任で。
・ブルベ
リンテイル原産の果物を食べる大型の「蛾の卵」をゆでた物。
蛾の食べた果実によって味が変わる
少しクセがあり好みが分かれるおやつ。保存性も高く、物好きな旅人は携行食としていることも。
実入りとはつまり
【裏Tips】
リディアちゃんの投稿者様原案のご当地食!度肝を抜かれましたが、同時に魔女っぽい!と思い採用。食感等はこちらでの想像です。実入りはこちらで勝手に作りました。考案してくれた方ごめんなさい。
私は食用でも虫は食べれる気がしない……
ちなみにこの手の物は現実同様の珍味扱いですが、リンテイル魔女連合では割とメジャーなのかも?なんて思ってたり。
ほら、ここ最近出たゲームの主人公である某伝説の運び屋さんも食ってるし!(汗)