情景は思い浮かぶのにそれを表現する文章が降りてこないとまったく書けないのよね……
「本日はここまで、解散」
「「「ありがとうございました!」」」
異能科――異能の研究と研鑽の果てに根源や真理への到達を目指す魔術学科――での異能制御訓練も終わり、異能科科長、ジェームス・マーナティの号令を受けて今日の授業は終わった。
生徒達が思い思いの場所へと散り散りになっていく中、アルカトリ・クライスタはこちらへと歩み寄る二人の少女たちの姿を見つけた。
片や、白髪に若干水色味を帯びた白眼の、どこか妖精を思わせる浮世離れした美少女。
片や、栗色のショートカットをハーフアップに纏めた勝気な雰囲気の少女。
前者は親友のフィー・レ・ラー。
そして後者の少女はフィーの友人として
紹介してもらった時はビクビクと震え、フェイを怖がっていたのだが、フィーにより言葉巧みに説得されたり、フェイの趣味と実益を兼ねた星占いの話に興味が出て占ってもらったり、三人で遊びに行ったり、と交流を続けて僅か一週間――
「おーい、アルカー!買い物いくよー!」
「うん!いこいこ!」
――メチャクチャちょろいアルカトリの姿があった。
騙すつもりなど毛頭無いが、フェイ本人から心配されてしまったのは言うまでもないだろう。打ち解けるまで長く掛かると思っていたフィーに至っては頭を抱えていた。
あの話し合いから早くも一週間、今日は秋に開催される学園内の催し『仮面舞踏会』で着るドレスの採寸や生地選びに市外に出ることになっている。
アルカトリは二人に近づいて、そのまま校門に向かって歩いていく。
そんな彼女達を様々な視線が追いかけていた。
あれから、一週間。変化は酷く迅速だった。それこそ、アルカトリの今まではなんだったのかわからなくなるほどに。
まず、国外への声明の発表だが、
――星詠機関
占術により世界各地で起きうる事件を占い、その結果を組織内で共有し、もしも起きてしまった場合への対策を行っていく自然災害から魔術災害、大規模な事件に介入することを許された国に縛られない組織だ。
その発足は最後の戦乱期を終えた『牙城の里ラングル』との国交開通が行われた時にまで遡るという。
挑戦者は発表から今日まで一人として訪れず、
なぜなら『星詠機関』が
それだけの影響力をその組織は持ち合わせていたのだ。
なぜ、自治区の議会に通してないの?と、老師に直談判しに行ったのだが、謝罪とともに深々と頭を下げられ、こうする以外に手は無かった言われてしまった。
――アルカトリは納得できなかった。自分のこれまでの努力をあざ笑われたような気分だった。
そして、肝心の
◇◇◇
アルカトリの不戦声明が発表された日の夜のことだ。
『アルカトリ、大事無いか!?』
突然、エコーが掛かったような男の声が響いた。
そこはアルカトリが普段使っている寮の一室だった。ここ、ディーワ魔術学園の寮は男女に分かれた上で個人部屋となっており、アルカトリの他には誰もいないはずの部屋に男の声があるのは異常事態である。
故に身構えたアルカトリはその声のした先に目を向けると、床に――
「え?黒い、犬?」
――の頭のような何かが転がっていた。
ホラー映画のワンシーンを思わせる光景である。
その犬が本物の生首であったならアルカトリは悲鳴を上げて取り乱していたことだろう。
しかし、それが魔力によって形作られていれば誰かの放った使い魔であることは想像に容易い。
それが、自分を
「ご主人…様?」
『――だから、その呼び方はやめろと――』
その物言いは、間違いなく、自身を敗北させた男のものだった。
涙をはらはらと零しながら、アルカトリは訴えた。
「あ、ああ――グラムベルさん!なんで、なんでこんなことになってるの!?私、こんなの……」
客観的に見れば、闘い続ける日々に比べればマシかもしれない。
それでも、アルカトリは皆から怖がられたかった訳ではなかった。皆から畏れられたかった訳ではなかった。そうならないように見世物のように闘い続けていたのに――
「望んで…なんか……」
『――いや、すまない、呼び方のことなど今はどうでも良いな。話は既にこちらにまで届いている。おそらく、昨日の段階で自治区の議会を通すことが出来ないと悟ったのだろう。はっきり言って想定外だ――』
犬の頭が語るには、学園長の立場は学園内のことであればその全てに最終決定権を与えられているのだという。ゆえにアルカトリという学徒に関する問題でも例外ではなかった、と言う。
「だったらなんで……」
『正確なことはわからん。老師の内弟子たるオレがお前を下し、命令権を手にしたことで老師に権力が集まるという危機感を抱いたのかもしれんが……これだから政は――』
それは確かに頭の痛い話だろう。
だが、犬の口から漏れる言葉を、アルカトリは何一つ聞いていなかった。そんなことを言われても、それが何故、怪物を見るような視線が向けられるような結果になるのか。考えたくも無い。それに、聞きたいことはまだあるのだ。
「グラムベルさん……今日、あなたの工房に行きました」
予想外だったのか、それとも気まずいと感じたのか、犬の頭は沈黙した。アルカトリは言葉を待った
癇癪を起こすのは、しっかり話を聞いてからでもおかしくない、そう思っていたからだ。
たっぷり間を空けて、ようやく、犬の口が動いた。
『……来たのか』
「はい」
『そうか――わかっているとは思うが、今オレは学園を離れている。』
「……はい」
『……貴様に挑んだラニウス・ゼレムという男はオレの友人でな、奴の依頼を引き受け、陸路で帝国に向かっていたところだった』
「……はい」
『――逃げた、とお前は思うか?』
「……はい」
『……そうか』
声はどこか寂しげだったが、アルカトリには、その理由はわからないし、わかりたくもなかった。
「なんで、逃げたんですか?」
『逃げたつもりは無い』
「……老師と話していた別件とはなんだったんです?」
『老師には、オレが留守にしている間、貴様を守るように頼んでいた』
なるほど、なるほど――そう言われて納得できる人間が一体どれだけ居るというのか?
「それがなんで化け物扱いになるんですか!ようやく助かるんだって思ってたのに!」
『……』
「こうなるくらいなら見世物のように戦っていた方が良かった!化け物扱いされない、ただ強いだけの魔術師の方がよかった!」
『アルカトリ』
「あなたも……
『
ピタリ、と口が閉じた。
誓約による強制だ。唇をこじ開けようと手を唇に掛けたが、びくともしない――悔しかった。悔しくて、悔しくて歯を食いしばった。聞きたくも無くて耳を塞ごうとしてもダメだった。逃げることすらできない。
『貴様の言う
あなたのことを信頼できる――そう感じていた自分はよほどの阿呆らしい。
涙が出てきた。
自分がこの人をご主人様、と呼ぶのは単なる嫌がらせであるが、それでも、悪い人だとは思っていなかったのだ。
『だが、オレとて貴様の所有者になってしまった責は担えばなるまい……ゆえに
誓約による命令。嫌だ、命令なんて、嫌――
『お前が信頼できる者を集めろ』
――はい?
「え?あの……え?」
『とにかく伝を増やせ。どのような力を持っていようが一人でやれることなどたかが知れている……オレからの紹介では信じられまい。であれば、お前自身で見つける他になかろう?』
命令の内容は実に、実に当たり前で、拍子抜けしてしまった。これが、命令?
『――友すら居ないのであれば……家族……いや、お前の家族は平民だったか……ええい!誰か居ないのか!』
「と、友達なら一人ぐらいちゃんといますよ!」
『む?友を突き放してきた、と聞いていたのだが』
「いや、そこは色々ありまして……」
『……まぁいい、ならばそこから縁を少しでも広めろ。人脈はそれだけでも力だ。たとえ貴様が人付き合いを苦手としていたとしても、その事実は変わらん。そういう意味ではオレが貴様に勝ったのは人脈の力である、といっても過言では無かろうよ』
「は、はぁ……」
そういうものなのだろうか、とアルカトリは思う。人脈が力、というのはわかるが、人は我が身が可愛いものだ。いざとなれば見捨てる者が居ないとも限らないではないか――
だが、これは誓約による命令だ。拒否権はどこにも無い。
「わかり、ました」
『よろしい……オレが戻り次第確認す――』
その言葉の途中で、犬の頭が崩れていって――
「ってあ!文句!もっと文句を言わせてくださいよ!あ、こら!待て!勝手に帰――」
――そのまま消えて、見えなくなってしまったのだった。
◇◇◇
この命令がまさか、元々ちょろいアルカトリと組み合わさって信頼した相手への依存度を高めたなど、誰が予想しただろうか。
アルカトリにはそんな自覚が無く、グラムベルにもそのような意図は無かったのだから救えない話である。
「アルカ、ぼんやりしてどうしたの?」
「――ん、ああ、まぁ、ちょっとね」
フィーにそう言われて、ようやく自分が今、カフェテラスに来ていることに気が付いた。ショートケーキ(どちらかといえば日本にあるようなやわらかい物)を一口、食べた後でフォークを咥えたまま物思いにふけてしまっていたのだ。
ドレスの採寸と生地選びはすでに終わった。自分は黄色の生地をフェイは海色の生地をフィーは灰色の生地を選んだ。ちなみに仮面舞踏会で黒と白のドレスは選ばれない。というのも黒は男性の物と定められており、白の生地はそれとは別に理由があって使えないのだ。
「あ、もしかして例の
ニヤニヤ、と意地の悪い笑みを浮かべるフェイだったが、残念ながら自分とあの人はそういう関係ではない。
「ん?まぁ、そんなとこ」
興味なし、とばかりにそっけなく返すと、フェイはがっかりしたようだった。
「……なんか思ってたのと違う反応だなぁ」
「仕方ないよ、アルカだもん」
「それもそっか……」
「ちょっと待って、なんか不本意な理由で納得されてない?」
すると二人は顔を見合わせてから苦笑いを零した。
「いや、だって、これまでそういうこと考える余裕無かったでしょ?」
「うちのクラスじゃ戦闘狂だとかアマゾネスなんて呼ばれてたね」
「誰が戦闘民族だ!」
アマゾネス、というのは伝承において語られる女性のみで構成された戦闘民族だ。世界的知名度を誇る大英雄ガルトリウスは若い頃にその中の一人を気に入り、手傷を負いながらも誰一人殺すことなく無力化してそのアマゾネスを妃として迎えいれたとか。
不服だ。不服である。
グルル、と唸るアルカをフィーはどおどお、と宥める中、フェイは話を切り出す。
「まぁ、それぐらいアルカは悪目立ちしすぎてたってことだよ」
「グルルゥぅ……うう、そんなに目立ってたの?」
そりゃあね、と言って、フェイは続けた。
「今のご時勢じゃ決闘なんて決闘科に行くような奴等でもなきゃやらないことだよ。決闘科に居るわけでもないのにあんなことをしてたら嫌でもね。私もこうして関わるまで戦闘中毒かなんかだと思ってたからね」
「好きで闘ってたわけじゃないのに……」
「事情を何一つ説明しないアルカが悪い……学園側に相談するとか無かったの?」
フィーの言葉に、アルカトリは口を閉ざした。
相談なんて、できるはずがなかった。だってあそこは――
アルカトリが言葉を閉ざし――ものの数秒でフェイが割り込んだ。
「ま、『魔術も時は戻せない』ってね――それよりも学校内じゃアルカを打ち倒した
「……そうなの?教えてくれる?」
もちろん、とフェイは答えた。元々そのつもりだったらしい。
何やらウェストポーチを引っ張り出すと、そこから
「え?何その四次元ポケット」
「よじ――何ソレ?」
「気にしなくて良いよフェイ。たまによくわからない名称で呼んだりしてるけど害は無いから」
ちょっと言い方どうにかならないの?とフィーを見たが素知らぬ顔だった。解せぬ。
そこで簡単に原理を説明してもらうと、極小規模の異界化を引き起こし、その中だけ結構な容量の物品を収納できるようにした試作品らしい。ただし、しまえはするが取り出すのに苦労するので改良が必要なのだとか。
「それじゃ、本題だけど、グラムベル・アーカスト、19歳。出身はアルガラント王国の辺境、カルセルで、実家はカルセルを治めてるアーカスト家、その三男。専攻は伝承科だけど、あちこちの講義に出没してるかと思ったら、外出してたり、かと思えば自分の工房に引きこもったりと精力的に活動してる……けど――」
フェイは言葉を切ってアルカトリとフィーを見た。
――魔術を扱う才能は3流もいいところ、だなんて言われてたみたいなんだよね。
アルカトリは息を呑み、フィーは目を閉じた。
その姿を、別の席から金縁メガネ越しに観察されていることに終ぞ気付くことはなかった――
◇◇◇
――時はグラムベルとアルカトリの使い魔越しの交信の終わりまで遡る。
「ぐ―――――ごぼっ」
ぎちり、と体の内側から嫌な音がした。口から鮮血を吐き出し、体が血の海に沈む。
目は光を写さず、息も絶え絶え。体中の穴と言う穴から血を噴出し、腕や足には数多くの裂傷が垣間見れる。体の内側もボロボロになっているだろう。
誰が見ても重傷、それどころか致命傷を負っているように見えるこの惨事。だが
魔術学園はその存在自体が魔術的要塞である。単なる結社の工房などとは比べ物にならない守りが布かれているのだ。その学徒達を守る寮もまた例外ではない。そこに無理を押して使い魔を送り込み――その霊体の大半を削り取られた返しの風をその身に受けていたのだ。
対策はしていた。事前に学園の結界の形式から抜け道を把握し、そのためだけになけなしの触媒を総動員した。
していて、なお、このザマだった。
夢見の少女ならば構造さえわかれば問題なく到達できただろう。
業突く張りで悪戯好きな商人娘であれば結界すらも騙して見せたはずだ。
性格の悪い陰陽師ならば覗き見感覚で世界中どこにでも行けるのかもしれない。
――だから自分は凡俗なのだ、とグラムベルは血を吐きながら、才無き身を呪った。
最後まで、アルカトリにこのことを悟らせずに喋りきれたのは正に奇跡だった。言葉を送り出すだけで血が喉を競り上がり、内臓がめくり返るような激痛に耐え抜き、今必要なことは全て伝えた。
あとは自身が生き残ることに注力しなければならない。
「――――」
だが、思った以上に状態はまずかった。声すら出せない。
グラムベルが使用する魔術系統【混沌魔術】は古典と近代のまったく違う魔術を組み合わせた物であり、その中には近代魔術におけるルール『詠唱を解とする』ことも含まれている。
ゆえに、出来るのは今残る触媒とのパスを無理矢理こじ開けてか細い糸を辿り、癒しの力を引き出し、生きる、という願望で以って命を繋ぎとめる。
魔術は魔術師の意志を色濃く反映する。
救う気の無い奇跡は奇跡になりえず、殺すつもりのない魔術は蟻一匹すら殺せなくなる。生きる意志無き魔術師を生き残らせることも出来ない。
故に、死にはしない。しないが――傷口を塞ぐのにどれほどの時間を要するのか。
あの暑苦しい来訪者は居ない。あの男は先に行かせた。だから今この場には自分しかいない――この調子だと、旅は2ヶ月では済まなくなりそうだ。
そんなことを思いながら、意識が遠退いて――
◇◇◇
「――これは……酷い有様ですね」
掘っ立て小屋に足を踏み入れた女は惨状を見渡し、しかし表情を一切変えることはなかった。
どこにでもいそうな旅の女だった。それこそどこにいたとしても誰一人として目を向けないような。言葉を交わしても、少し時間が経てば忘れてしまうような、唯一個性と呼べる金縁メガネも彼女に存在感を与えてはいない――どこまでも凡庸であるという異質さを、女は持ち合わせていた。
「この汚染具合は……魔術の失敗、いえ、魔術を返された、といったところですね。仮宿にしたかったのですが、こんな荒地の掘っ立て小屋に若い魔術師の工房があるとは……それにしては血と魔術の痕跡が新しすぎますね?私と同じでここを仮宿にしようとして、先ほどまで魔術を行使していた、といったところでしょうか?」
血の海に沈む男を観察する。
歳は10代後半から20代前半。着ている白のインバネスコートは血に染まっている。土気色になっている肌色はよくよく見てみると元々浅黒かったようだ。
女のメガネ越しに見える黒目は怜悧に細められ、一つ一つを見逃すまいとしているようだった。
「この出血量、生きていても長くは……おや?」
そうして、女はインバネスの下――彼の体中に刻まれた
「これは……魔法、陣?いえ、刻印ですか」
女は訝しんだ。
――刻印
力ある文字、文章、図形の単一で効果を発揮する触媒のことを指し示す。ルーン魔術やそれに準する魔術系統で多く使われる物だ。作成難易度は低いが、その分扱える魔力量も少なく、単一では規模の小さい魔術にしか使えない代物でもある。
魔法陣はそれらを規則的に組み合わせることで魔術に指向性を与える魔術の触媒の一種である。
どちらも大抵は紙や物に刻み込む物だが、男のように体に直接刻み込むことも珍しいとはいえ、無いわけでは無い。
しかし男のそれは、色々と異常だった。
「ルーンにヘリオース経典の一節、古代アルガラント文字に…これは極東の漢字でしょうか?近代魔術の簡略式まで……系統の種類といい、刻み込んだ数といい、ここまで節操なしなのは初めて見ます」
本来、魔術師一人で複数の系統を扱うとしても、多くて二つが精々で、それ以上となると互いの触媒が干渉しあって制御が難しくなるのだ。
その上、肉体に刻印を刻む、という作業は苦痛が伴う。体に触媒を植えつけるのだから当然。故に普通の魔術師は刻んだとしても片手の指の数も刻んでいれば多い方である。
故に女は一度、それを魔法陣と見間違えたのだ。
肉体に定着させること自体は一週間もあれば問題ないが、それを体中に施すとなれば――
「拷問、としては中々のものでしょうね。このご時勢では流行りませんが」
そう言って、女は倒れ伏す男の体に手を当てて、目を閉じた。
1秒、2秒、3秒、4秒、5秒――目を開いた。
「【
近代魔術――基本的に触媒を用いず魔法式の構築、及び演算と
詠唱からして元素式。生命を象徴する第二元素の概念を抽出。そこにある国にて信仰される女神の思想を組み込むことで強度を補強する。
「今から他の仮宿を見つけ出すのも大変ですし、死体と一夜を過ごす趣味はありませんから特別に助けてあげましょう。私がある程度治せばあとは刻印が勝手にどうにかしてくれそうですからね」
その効果は、しっかりと現れた。
女が触れた胸元から波紋が広がっていくように出血が止まり、傷口が塞がり、血が洗い流されたかのように消えていく。
時折、男の体に刻まれた刻印が邪魔をしてきたが、いなし、かわし、術を四肢の末端に至るまで波及させていった――
――グラムベルが目を覚ますと掘っ立て小屋の窓から朝日が差していた。
どうやら、生き残ったらしい――これは僥倖だ、と体を起こそうとしたところで違和感に気が付いた。
痛みが無いどころか、簡単に起き上がれてしまった。
どういうことだ、と周囲を見渡すと血の痕すら無くなってしまっていて即座に察した。
誰かに、助けられたのだ、と。
「おや、お目覚めですか?」
ふと、声を掛けられ、そちらを向く――金縁メガネに旅装の女が居た。おそらく20代後半か。
どこにでもいるような女性だった。唯一の個性である金縁メガネも彼女の印象を変えるには至らないほどに――だが、グラムベルは違和感を覚えなかった。
「あなたは?」
「私はファデザルート、魔術師です。呪われたアーティファクトの伝承を集めて大陸を旅しています」
魔術師と聞き、そうだろうな、と思った。どれだけ血を流していたのかすらわからないが、その汚れを流し清めることができる者など魔術師しかいない。
彼女にどれだけの時間が経ったのか尋ねると、二晩過ぎただけだと言った。予想以上に早かったが――言い換えればその間世話をしてくれていたということだ。
「……見ず知らずの私の助けていただき感謝します」
「『旅は道連れ世は情け」とは、根無し草の旅ガラスには必要な信条ですから」
なんてことの無いように女は言う。
グラムベルは表情を変えることなく、言った。
「それは立派な信条だ。私自身伝承師を目指す身。いつか世界を巡ることを思えば見習うべきかもしれませんね」
ファデザルートは笑った。
「いえいえ、ああは言いましたが、実は私としても到着した時間が時間でしたのでここ以外の仮宿を見つけるのが面倒だっただけなのですよ。とはいえ一度助けた以上は最後まで責任を持ちたいものでしょう?」
確かに人として間違っていない考えだ。清らかで、無欲で、無垢な考え。それはまるで神の遣いが如き清廉さだ。
「……なるほど、だとすれば私があなたに救われたのは神の御心があったということですね」
その返しが意外だったのか、ファデザルートは一度目を丸くして、そして笑った。
「アハハハハ!なるほど、神の御心ですか!では私はさながら『神の御遣い』といったところでしょうね!」
「ええ、信仰心を授からぬ者ですが、それでも今回のことはそう思わざるをえませんね」
「ふふふ、なるほどなるほど……では、また縁があれば会えるかもしれませんね」
そう言ってまとめてあった荷物を持つと掘っ立て小屋の出入り口に向かった。
グラムベルも見送るために立ち上がる――足元が少しふらついた。
「ひとまず傷口は塞ぎましたが、体力は回復してませんからもうしばらく休んでから出てくださいね」
「……そのようですね。肝に銘じます……本当に助かりました。この恩は忘れません」
ファデザルートは微笑み――そのまま出て行った。
しばらくグラムベルは彼女の出て行った掘っ立て小屋の出入り口を見つめて、何も無いことを悟ると、仰向けに倒れて、
「……ハァァァァァ」
深く、深く溜め息を吐いた。
本当に嫌な話だ。根無し草の旅ガラス? ああ、あの旅装は確かに手馴れているのだろう。仮宿を探すのが面倒だった?そこもおそらくその通りだろう。
だが、それだけでは無いだろう。それだけで終わるならば魔術師ではないのだ。
――懐から、粉を取り出し、周囲に撒いた。
「【暴け、暴け、足跡はここに。探せ、探せ、探せ、探せ】」
何も、起きない。舌打ちを打った。
「【繰り返す――暴け、暴け、足跡はここに。探せ、探せ、探せ、探せ】」
何も起きない。顔を顰めた。
「【手繰れ、手繰れ、手繰れ、手繰れ、世界はここに。我は俯瞰する者なり】」
――そこでようやく、光が零れた。
粉が霞へと変わり青く光る。
その様を観察する。目を見開き、息をすることすら忘れてソレを観察する――たっぷり五分ほど確認して
「……やはりか」
深い溜め息とともに言葉を漏らした。
水の元素反応。触媒の反応は無いので近代魔術。水の元素は生命を象徴するモノゆえに肉体を治すために用いることに適している。血を洗い流すという意味でも問題はないだろう。
だが、そこにかすかな神性が残されていた。
水の神性として伝わる神格は多いが、近代魔術で、このような荒地であっても影響力の強いとなるとただ一柱。
「エルブズュンデ神国からわざわざここまで来るか――やれやれ嫌な縁だ」
そんなことを思いつつ、目を瞑って……そのまま眠りに落ちたのだった。