「はぁ……」
アルカトリは重々しい溜め息を零した。
買い物の翌日。今は昼休みで、クラス内でも目立ちたがり屋で知られる奇術師が催した中庭での
友人達は近代魔術科の方で用事があるらしく、お昼を一人で過ごすことになったので、前から見ていた彼の奇術ショーを見ながらの昼食にしようと思い立ったのである。
できることなら観客の中に混ざって食べたいのだが、今の自分の立場を思うとその気も失せた。あの目立ちたがり屋のことだ。
去年は一度それで串刺し脱出のマジックをやらされたのだが、なんの打ち合わせも無しに始められ悲鳴を上げまくったのは今でも覚えている。
さて、魔術という物理法則を無視した分野で発展している世界で手品、などと思うかもしれないが、この世界は
そもそも、あちらの世界が凄過ぎるのだ。遠くの場所の映像を世界各地で共有できる装置や、劇を記録し、いつでも見たいときに見ることができる記録媒体などこちらの世界では存在の片鱗すら見せない技術がわんさかある。残念ながら、その作り方なんぞアルカトリにはわからないので再現のし様が無いのだが。
そういう訳で、娯楽の少ないこの世界では、彼の
その自信を裏付けるように、
手品は騙しの技術だ。
魔術による演出も華やかだ。火が舞い、水が煌く。暗幕代わりに闇が用いられているあたり、かなり器用な魔術師だ。
流石に
――魔術を扱う才能は3流もいいところ、だなんて言われてたみたいなんだよね。
昨日、フェイから齎された我が主、グラムベル・アーカストの情報にはまだ続きがあった。
上級生によると、グラムベルは一度に触媒に込められる魔力量が少ない所為で、一般的な魔術師に比べて触媒をより多く浪費しなければならないらしい。故に、40万の触媒――フェイいわく、中堅魔術結社の触媒倉庫並み――を使い潰した、と聞いて納得した、という声もあったのだという。
だが、それでもなお理解の範疇を超えた術式速度に千を容易く超え、万の触媒を完全に掌握する魔力制御を発揮していることには未だ疑問が残っているらしく、それこそがアルカトリ・クライスタに勝利した鍵である、と考えられているとのこと。
これを『どのような詐術を用いたのか』と言われていたのだそうだ。
ちなみに人物としての評価は、
『傲慢』『態度がデカイ』『表情が変わらなくて怖い』『話したこと無い』『基本的にぼっち』『学長の七光』
といった不名誉な物から、
『面倒見は悪くない』『ただ人付き合いが苦手なだけなんだよ』『うちの常連さんです』『なんだかんだ頼りになるよ?』『あの人の知識や見識の広さ、向上心の高さは見習いたい物だ』『自慢の弟子じゃ』
といった物まで――なんか老師やら学校の購買の看板娘も含まれていたが――
察するに人との関係の構築は苦手なようだが、身内にはとても甘い、もとい優しい人物であるようだ。
寮の中に使い魔をわざわざ送ってきてくれたのも身内扱いがあったからなのだろうか?
いやいや、と
――アルカトリ、大事無いか!?
そう結論付けようとして、しかし、耳朶に甦る、あの切羽詰った声がその結論を否定しようと襲い掛かってきて、頭を抑えた。
――アルカトリが黄昏ていたのは、別に3流の魔術師に自分が敗北したことでも、今もなお怪物扱いしてくる学徒達のことではなく、主人と次会った時、どう向き合ったものかと悩んでいたのである。
今になって思えば触媒も少ない中で使い魔を寄越してまでこちらの心配をしてくれていた相手を責め立てたのだ。
あの男の性格を考えると素直に謝れば何個か皮肉を言った上で許してくれそうだが、本当にそれで良いのかわからない。
それに、ずっと考えていた。
最初から老師と共謀して自分をこの状況に追い込むのが目的だったとしたら、と。
だが、いくら疑ってもグラムベル・アーカストという人間からは自分を貶めようという裏が感じられなかったのだ。
むしろ、今の状況を迷惑がっていた。あれが本心でなければ相当な曲者である。
「どうしたらいいんだろ……」
――そう、独り言を零した時だった。
「恋の悩みセンサーに感ありぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
反射的にアルカトリは異能を行使した。
これまで幾度となく決闘を繰り返して来たことによって培われた経験は、いつ、いかなる時であっても流麗な魔術行使を可能とする。
練り上げられ、圧縮される空気の玉。それが踊りかかってきた人物に差し向けられ――
パァァン!
――爆ぜて。突風を撒き散らし、襲撃者を吹き飛ばす。
「へぶぇ!」
「……ってあああ!だだだだ大丈夫!?」
やってしまった、と慌てて吹き飛ばしてしまった人物の下に走り寄る。
相手は、すごく小柄で可愛らしい少女だった。体の起伏も無く、10才ぐらいと見間違えそうになるほどに、顔立ちも少々幼く見える。
羽織っているローブや、この学園内に居ることを考えると15歳ぐらいだろうか?
桃色のところどころ癖のある髪が特徴的な少女だった。
「うぉぉ……千年の恋も冷めちゃうような、きつい一撃ィ……暴力系ヒロインは好みが別れるゥ……」
……なんか、思ったより余裕そうだった。痛がっていたが怪我をしている様子も無い。誰が暴力ヒロインだって?
――魔術を直に叩き込んだはずだが、なぜ無傷なのか。首を傾げたが、それより先にやることがあった。
「ご、ごめんね。突然のことで慌てちゃって……」
「い、いえ、私も久しぶりのことで舞い上がってました、ごめんなさい」
謝罪して助け起こすと、少女はローブに付いた砂埃をパタパタと払ってから頭を下げた。
やはり小柄だ。自分より頭一つ分は小さい。
「えっと、私はアルカトリ・クライスタ。あなたは?」
「私はリーン。リーン・イレフューレン!よろしく!――ん?アルカトリ、クライスタ?」
「どこかで聞いたような」と首を傾げる少女に、苦笑いを零した。
決闘での敗北や、星詠機関の介入と、ここ最近話題に事欠かないアルカトリだが、無関心な人にはその程度の知名度らしい。アルカトリ・クライスタ目当てで話しかけてきたわけではない、という事実にアルカトリは安心した。
リーンはしばらく唸っていたが、とうとう思い出せなかったのか「まぁいいや」と切り上げると、そのままアルカトリに詰め寄った。
「それでそれで?あなたはどんな恋の悩みがあるの!?」
「恋の悩み?」
そんなの無いけど。と答えると、「いやいやいやいや」とリーンは大仰な身振りで応じた。
「恋の悩みレーダーが反応したからここに来たんだよ?恥ずかしいからって言い訳し無くったっていいじゃない!」
なんだそのなんの捻りも無い
「そもそもそんな相手居ないんだけど……」
「ええー、ほんとにござるかぁー?」
イラッ、としたが我慢。なぜか雅な姿の侍の姿が脳裏を過ぎった……おそらくあちらの世界の知識なのだろうが……なんだこの無駄知識?
「本当だよ?」
「本当に?」
「本当の本当に」
「本当の本当の本当に?」
「本当の本当の本当の本当に」
「本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本――」
ガリッ、という生理的不快感のする音と共にリーンが口元を押さえて悶絶していた。
舌か、頬か……どちらにしろ想像するだけで痛い。
……ざまぁ、なんて思っていない。決して、思っていない。
「【世ヲ形作ルハ我ガ手ナリテ】」
マナを掌握、水の元素より癒しの概念を抽出。薄く、青い光が手を包み込んだ。悶絶する彼女の頬に手を当てて、目を閉じる。
イメージ。
苦痛を和らげ、傷口を塞ぐ――そんな曖昧な
リーンは痛みが一気に無くなったことに目を丸くして驚いていたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ありがとう!――じゃ、話を戻すけど」
「戻さなくて良いよもう……」
うんざりというアルカトリの意見は聞き入れられなかった。
リーンは言う。
「何に悩んでたの?私の恋の悩みレーダーによると殿方、それもあなたに近しい相手のことでの悩みだと思うんだけど、不安に迷い……その人を信じていいかわからなくなってるってところかな?」
「どうかな?」と、どや顔で聞いてくる少女にアルカトリは戦慄を覚えた。ドンピシャである。
うわこのようじょこわい――ちなみにリーンは一つ下の16歳なのだが、アルカトリは知る由も無かった。
「……まぁ、恋絡みではないけど、そんな感じ」
「ふふふ、うんうん、それで、その人はどんな人なの?」
なんだか、暖かい目でこっちを見てくるリーン。まだ勘違いを正せて無い様な気がするのだが。
「……その人とはまだ数回しか顔を合わせてないんだけど、愛想は悪いし、皮肉も言われた――けど、私のことで色々と手助けしてくれたり心配してくれる人。多分、悪い人じゃない、とは思う」
――あ、恋愛的な意味合いはないからね?と念押ししたが、わかってるわかってる、とニコニコ顔で言われてしまった。本当にわかってるのかなぁ、と不安になりつつ、話を続けた。
「だから、信頼できる、とは思うんだ。あの人みたいな感じはしな――」
「あの人?」
しまった、と思いながら咳払いした。
「それはそれとして……今回、彼の伝で先生にも手助けしてもらったんだけど、それが予想外の事になってて、私、そのことで彼に当たっちゃったんだ。だから、その、顔を合わせにくいってのもあってさ」
「うんうん、そっか……あなたは、どうしたいの?」
どうしたいか。
そう言われて、答えに窮した。
どうすれば良いのか、で悩んでいて、どうしたいのか、は全く考えていなかったのだ。
「――」
自分はどうしたいのか。
そこに思いを馳せて――予鈴が鳴ってしまった。気が付けばマジックショーも終わって、撤収している所だった。
リーンは少し残念そうにしていたが、こちらを見る時の眼差しはとても暖かな物で
「――答えが見つかったら教えてね?魔術は
「……うん、わかった。じゃあね。リーン」
そう言葉を交わすと二人は別々の方向――午後からの専門科目ごとの塔へと足を向けた。リーンは北側に、アルカトリは南側に。
ちょっと変な子だったけど、悪い子じゃなかったな。なんて思いながら――グラムベルの命令を思い出した。
そんな
「リーン!――」
アルカトリの声にリーンは振り返った。
――私と友達になってくれる?
答えは、笑顔だった。
余談だが、翌日、話しかけた相手が年上で、しかも
◇◇◇
「……」
グラムベルはどうしたものか、と悩んだ。
何事も無ければあと2日で中央山脈に辿り着くだろう場所。そこで行き倒れになった青年を見つけてしまったのである。
うつ伏せになって倒れる背には獣の皮で作られた外套を羽織り、所々に毛皮の装飾が付いた青い軽鎧は中々の品と見受けられた。
装飾からして寒さへの対策が必要な北方からの旅人だったのだろうが……国交を結んでいる北方の国は北の南国(誤字にあらず)たるイロドーツぐらいのもので、それ以外では過酷な寒冷地で生きる少数の民族が散らばっているぐらいで、彼もその一人なのだろう。
グラムベルは悩む。助けようにも水も食料も限られていてギリギリであることは否めない。中央山脈の麓にある街にまで辿り着けば良いが、下手をすれば時間が掛かり、食料と水、特に水が足りなくなってしまう可能性が高かった。
それに、助けたとしてもその後はどうなるかわからない。相手が真っ当な人物であれば良いが、もしも賊の類であった場合、こちらが危機的状況に陥りかねない。
工房の触媒は互いに紐付けることが難しい代物ばかりで魔術を行使するのもままならない。
手持ちの触媒は極々最低限の物だけで、護身用の短剣も身なりからして本職の戦士相手ではどうしようもないだろう。
ゆえに、ここは見捨てるのが一番の安全策だ。幸い青年は意識を失っているように見受けられる。見捨てたことを知られることは無い。
「……恨むな、とは言わん、オレとてやることがある」
そう言って歩き去ろうとして――先日出会った金縁メガネの女を思い出した。
魔術の失敗で死に掛けた自分を助け、更には『旅は道連れ世は情けが根無し草の旅ガラスが持つべき信条である』と言ったあの女性――
「……」
魔術師にとって縁とは良くも悪くも切り離せない物である。縁は巡り巡って因果を形作るもの。
あの時の助けがあったからこそこの場に居合わせたのだとすれば――
「ええい!本当に嫌な縁だ!」
踵を返して青年を仰向けに転がした。どうにか息はあるが、唇がかさかさになっている。長時間水分を口にしていなかった、ということなのだろう。元は綺麗だっただろう金髪もくすんでしまっていて、汚れ放題だ。
その割には筋肉が落ちていないことが気に掛かったが、それも今は些事と割り切った。
水筒を取り出し水を布に含ませて口元に当てる。
「やれることはしてやる……」
「…あり……と」
「黙っていろ」
意識があったのか、と驚く反面、言葉を発することもままならないことに舌打ちを零した。
グラムベルはフィールドワークを重ねたこともあり、体力には自信はあるが、力自慢という訳ではない。故に鎧を纏うこの青年を運ぶのは無茶がある。かといって自分で動ける状態ではあるまい。
鎧を外すか――否、構造がさっぱりだ。
故に一人では彼は運べない。ここは荒地帯に作られた古い道だ。かつての開拓時代には多くの開拓者が利用し、開拓街の発展に併せて行商人や旅人が使っていたこの道も、戦乱期の終息やマリングロウズとの国交樹立や新たな陸路の開発などにより、整備が行き届かなくなり、この道を使うのは極僅かとなっていた。
見渡す限りに人影は無く、整備者や旅人、行商人などのために用意されていた掘っ立て小屋が少し先にポツンとあるだけだ。
――いや、よくよく目を凝らすと遠くに人が見えた。
白い外套に黒い被り物らしき物。手に持つ荷物は少々大きい。しかも、徐々にだが、こちらに近づいているようだ。
これは助かった、と思い、大声で呼び掛けた。
「そこの人!こっちに来て手伝ってくれ!人が倒れている!」
その言葉は、どうやら聞こえたらしい。その人物が走り寄ってきた――それによりその人物の特徴的な服装を認識できるようになる。
グラムベルはあまりにも出来すぎた出会いに苦笑いを零したのだった。
顔を覆うのは特徴的な被り物で、アルカトリならばその仮面を
手に持っていた手で運ぶ箱のことは工具箱、なんて呼んでいたかもしれない。
そしてグラムベルをして出来すぎた出会い、と感じさせたのはその人物が纏っていた外套――清潔さを象徴する白一色の外套。
それが指し示すのは一つ。
「急患か、見せてみろ」
医者の存在に他ならなかった。
◇◇◇
――リントヴルム城。
リントヴルム帝国首都であるリントヴルムの中央部ににある広大な丘陵の上にリントヴルム皇帝が座する城塞、リントヴルム城は存在する
広大な敷地と敵からの侵攻を阻むように設計された白亜の城は、同時に難攻不落の魔術城としても知られており、ここを出入りできる者は皇族関係者以外には特別な許可を受けた者たちだけである。
その上で数千人規模の近衛隊が城塞内外を当番制で守護しており、攻め入るならば数倍どころか数十~数百倍の兵力があっても足りない、とされている。
その正門前に常駐する兵士達の前に炎を纏った翼が降り立った。
その男に一度警戒を深めた兵士達だったが、その姿を確認するとすぐさま敬礼で以ってその人物を迎え入れた。
「ラニウス殿下!お待ちしておりました!」
「うむ、今日もご苦労」
ラニウス・
帝位継承権六位の現皇帝の甥にあたる男が、その日、帝国への帰還を果たした。
「宰相閣下はどちらにおられるか、わかるか?」
「はっ、宰相閣下は執務室にて政務に当たっておられるかと」
「わかった。急ぎの用があるのでな。頑張ってくれ」
兵達が揃って敬礼する姿を横目に、ラニウスは大股で歩いていく。
リントヴルム帝国宰相、スマウグ・ナーガは、二十歳で宰相として現皇帝に抜擢された才女である。
その抜擢理由は純然たる実力だったのだが――あまりにも若すぎる女性を抜擢するには浅すぎる、とされ、一時は皇帝殿下の隠し子や妾なのではと揶揄されていたが、政に関して敏腕を発揮し、今では陰口を叩く者こそあれど、その才は認められることとなった女傑である。
その女傑は今――書類の山を相手に死闘を演じていた。
机の上を埋め尽くす重要書類の数々と、左手に不気味な色の煙を上げる霊薬――宮廷魔術師の一人に作らせた不眠不休の呑み薬――を。右手に羽ペンを握り、目にも止まらない速度でその全てを処理していく。
――なお、彼女の美貌も今では隈に侵食された目元やらぼさぼさになった髪の毛やらで台無しになっていたが、そのことを指摘する人物はここにはいない。
そもそも、執務室には彼女一人であり、それを手伝う者の姿は影も形も無かったのである。彼女は宮廷魔術師に対し、分身薬、なんて代物は作れないだろうか、と尋ねた結果、そんなもの作れる魔女はこの国には居ませんよ、と返され、泣く泣く独力で処理している次第であった。
そんな彼女の元に、ラニウスは訪れたのだった。
「宰相殿……すまない。かの少女を手にすること叶わず、おめおめと帰ってきてしまった……」
そう言って頭を下げたラニウスを、スマウグは
「いいえ、ラニウス殿下、頭をお上げください……こちらにもかの少女が
「陛下――伯父上の容態は、どうなのだ?」
顔を伏せつつ、そう訊ねたラニウスに、宰相は淡々と、事実のみを話した。
――半月前から変わらず、眠り続けております。