この物語の構想が深海双子棲姫初登場のイベント時点なので、もしかすると実際の艦これイベントとは時系列が食い違ってしまうかもしれません。予めご了承ください。
「……敵影を見ず。予定通り、物資の搬入を始めるよ」
それは、既に味方の制海権・制空権下にある海域での輸送任務。軽巡「那珂」を旗艦に、多量の物資を積んだ駆逐艦「睦月」「如月」「望月」「朝潮」と補給艦「速吸」の六隻で編成された輸送艦隊は、実体艦隊の輸送艦を囲むように、輪形陣で航行中だった。
「相変わらず穏やかな海ですね。・・・・・・バカンスみたい」
繰り返し砂浜に寄せるさざ波が薄いベージュの砂浜に被さり、きめ細かい砂粒同士を擦らせる。涼しい風と暖かな日光、そして天然の背景曲に包まれて、艦娘たちは〝ザ・スロット〟を南東方面へ進んでいた。
南国の海は澄んだトパーズの色を輝かせ、晴れ晴れとした青空を煌々と反射している。
「はあーっ、良い天気だぜ頑なによぉ」
もしもこの光景を大型クルーズ船のデッキから眺めていたら、もう少し違った感情を抱いていただろうと、実体艦隊の乗組員たちは考えた。任務遂行と無事生還、二つの心配事に頭を悩ませ、とても外の風景に対しては感傷的でいずにはいられなかった。乗組員がデッキ上で不満を漏らす中、片や艦長も艦の外を茫然と見つめていた。
「俺の娘くらいの少女たちに守られての任務だなんて、時代も変わるものだな」
輸送艦の操舵室から双眼鏡で艦娘を観察しながら、壮年の艦長が嘆息した。
「まあ、前回も敵は出現しませんでしたし。今回も平気っすよ」
楽観的な乗組員と、心配性の艦長。悲喜こもごもな感情を載せて、輸送艦はソロモン諸島を目指す。
「ちょっとー! 油断禁物、輸送任務は帰港するまでが輸送任務なの!」
那珂の戒めに、輸送艦の乗組員たちが咄嗟に直立不動の姿勢をとり、艦長も僅かに肩をすぼめた。
「こちら輸送艦「さつま」、引き続き緊張感を以て航海にあたります、以上」
実体艦隊は、文字通り通常サイズの艦船のことを指す。艦娘たちとは違い、大きな船体は敵の格好の的に成りうる。かつて海軍は実体艦体を保有し大海原を航海していたが、深海棲艦の登場により軍艦の小型化が求められた。結果生まれたのが艦娘であり、実体艦体はその役目を終えた。
ところが、艦船の大きさを小型化したことにより、同時に運べる輸送量が激減。依然として輸送作戦には実体艦体の同行が不可欠だった。
輸送艦「さつま」は一等輸送艦であり、つい最近軍役に徴用された民間の船だった。
「軽巡洋艦「那珂」。佐世保お気に入りの秘書艦で、艦級は一等海佐。例え少女でも、バックには天下の海軍省様だ、厄介だ……」
この心配性の「さつま」艦長の名を、
「何度見てもここは島だらけだ。だからこそ、輸送ルートは絶対に維持しなくてはならない」
四方を海に囲まれた島にとって、海上輸送路の確保は重要だ。兵站の手配が絶え間なく続くことで、初めてその島は戦略的価値を持つといって良いだろう。かつて極東の島国は、無責任な根性論を盾に兵站を軽視し、その後の敗戦に至る序曲を南方の島々で奏でた。だからこそ、自然体では孤立している島に戦略的価値を付与し、補強し、快適な環境に整備することが大局的見地からなおのこと求められる。その重要な任務を担うのが、輸送艦隊だ。島から島へ物資を輸送するにあたって、考えられる敵の対抗策が通商破壊戦だ。輸送艦隊がその危険に最も多く晒されるのが、物資を陸に揚げるとき。沖合に停泊する輸送艦を沈めるのは容易く、しかも沈めさえすれば搭載物資は使い物にならなくなる。攻守の関係では圧倒的に攻撃側が優位、だからこそ敵が近づく前に防衛側が索敵で敵を察知することこそ肝要、平穏な海だからこそ、より一層の警戒が必要なのだ。特に、
『異常なし、異常なし』
那珂がカタパルトから発射した零式水上偵察機が、物資揚陸地点の索敵を終えて帰還した。搭乗していた妖精パイロットが、那珂の耳元で帰還報告を行った。
「了解、ありがと。……それじゃみんな、予定通り入港するよ!」
那珂率いる輸送艦隊は、航路を港へと入るルートに切り替えた。まるで水たまりから顔を覗かせているような中小様々な島嶼群を縫って、一行は島影に消えた。複数本の白い航跡は、まっすぐ〝ガウ島〟へと引かれていく。
「聞いたことない場所ですけど、ここが基地になるんですか?」
駆逐艦「睦月」は、鬱蒼と生い茂る熱帯林の島を見つめながらそう呟いた。
「ここは悪名高き《
輸送艦さつまを沖合いに停泊させて、ひとまず那珂は駆逐艦と速吸を上陸させた。辺りを警戒しつつ、睦月の言葉に応えた那珂のトーンはいつもより低めだ。
「んー、それでもここはー、静かな海ですよー。もうひと月はこの周辺で深海棲艦を見ていないですし・・・」
続いて上陸した睦月は、ドラム缶を下ろしつつ呟いた。それを聞いた「如月」も、「確かに不自然な程静かだよねえ」と続けた。
「そ・れ・で・も! 想定外を無くすのが那珂ちゃん戦隊なんだから」
とは言いつつ、那珂もこの島の平穏さには裏があるのではないかと勘ぐるほど、島の雰囲気が不自然に感じていた。周りの海が荒れているからこそ、より一層この島が異常に思えてくるのだ。
ここで補足すると、ガウ島とはサンタ=イサベル島の北西に位置する島である。島全体が熱帯林に覆われていて、港といっても現地住民が利用するような木の桟橋程度である。
「那珂さーん、こっちの荷物もお願いしまーす」
砂浜でせっせとドラム缶を運ぶ補給艦「速吸」が、汗を滴らせながら大きく手を振った。
「速吸ちゃーん、それは朝潮ちゃんにお願い。そっちは私が搬入するから」
「はい!」
我ながら周囲の状況が見えるようになったものだ、と那珂は感心した。
「A地点、物資集積完了です!」
駆逐艦「朝潮」の報告に、那珂は労をねぎらった上で物資揚陸に手間取っているB地点担当班の援護に回るよう指示した。
「ふう・・・・・・」
一息ついて、那珂は改めて駆逐艦と補給艦の状況をチェックした。損害艦は一隻としていない。みんな傷一つ負わない、今のところ輸送作戦は完全勝利の内に終えようとしている。
「こちらさつま、揚陸物資をまとめて大発動艇に積載した。牽引を頼む」
「こちら睦月、了解しました」
「こちら如月、了解です」
実体艦体が入湾できない地形のため、実際の揚陸作業は艦娘によって行われる。那珂は、この揚陸作業時こそ一番目を光らせている。攻守両面において不利を被る実体艦体が静止しているこの瞬間こそ、深海棲艦にとって格好の攻撃のチャンスであるからだ。
「こちら睦月、無事大発をB地点に揚陸させました。過不足なしです」
睦月の入電に、那珂はホッとして胸を撫で下ろした。
「うん、ありがと。引き続き周辺への警戒を怠らずに、睦月ちゃんたちは島で物資を選別してて」
「はい!」
この輸送作戦は那珂にとって四回目だった。数をこなすほど、自らのやるべき事や、誰かにやってもらう事の判別がついてきて、三回目では上陸と撤収が素早く行えるようになった。
「うわあ!」
突然あがる悲鳴に、一瞬気の緩んでいた那珂も反射的に硬直した。
「どうしたの!?」
しかし視線の先には、尻餅をついている睦月と、その足下を悠々自適に闊歩するヤドカリの列があった。
「ごめんなさい、急いで運びまーす!」
ひとまずの無事を確認して落ち着きを取り戻すと同時に、那珂の心中には「このままじゃ危ない」という危機感も訪れた。
何もない、何も起こらない。みんなが無事に帰れる重要任務。不安定な平和が続いていることに、那珂はある意味恐怖を抱いていた。もし、突然敵機による空爆があったら、もし揚陸途中に魚雷攻撃があったらーー。
「きっと、反応できない。さっきみたいに、体が重くなって、声のする方を振り向くときには部隊は・・・・・・!」
じわりと滲む冷や汗を拭って、那珂は無理矢理いつものアイドルスマイルをつくった。
「おーわり、完了完了!」
元気ハツラツな駆逐艦たちの笑い声に引き戻された那珂は、数回咳払いをした後に人差し指をたてた。
「うんうん、ありがとね。今回も日が暮れる前には物資の搬入作業は終わりそうだね。この後はショートランド泊地で一泊するからねー」
作業を続ける駆逐艦達も、それを聞いて「任務は終わった」と実感しただろう。今回も何もなかった、しかしその認識が状況判断に大きな狂いを生じさせることは言うまでもない。那珂の抱く不安は、着実に艦娘たちの心を浸食している。誰も気がつかない内に、戦意が削がれているーー!
「ねえ如月ちゃん。ショートランドついたら、報償で吹雪ちゃんと夕立ちゃんにお土産買って送ろうよ!」
「良いわね、せっかくの南洋諸島、楽しまないとねー」
ソロモン方面は依然として深海棲艦の巣窟だ。その見解は大本営も依然持ち続けている。しかし、ここ最近はその周囲でも大きな変化は見られていない。先だって、中央の海軍省直属の偵察隊とレーダー施設設置部隊がサボ島に上陸したが、敵の抵抗はなかったという。
敵がいないことこそ異常だ、まさしく異常そのものだ、と大本営の統合参謀官はそう口走った。居並ぶ軍政家(海軍省が執政するようになった時代において、海軍政治を補助する民選軍任の国会議員)たちが、ソロモン海域での勝利を確信する中で、ただ一人統合参謀官のみが周辺海域の異常事態を主張した。傍らに、ある駆逐艦の運命を継承した艦娘を従える統合参謀官の意見具申は、結局のところ見送られてしまった。
「ちなみにサボ島に新設する港湾施設と、現地部隊を統括・司令できる施設の建設のために、今あたし達がこんな思いして物資を運んでいるんだぞ」
「あ、もっちぃ」
「望月だ、せめて伸ばせ」
「なぜ説明口調なんでしょー」
砂浜に吸い込まれるように座った望月は・・・・・・いかにも眠そうだ、疲れ切った右手でベルトをほどき、艤装を無造作に外し捨てると、二人を招くようにちょいちょいと左手を動かしてみせた。
「いつまで続くんだ、この仕事」
「それは……」
睦月にも如月にも、その問いに答えられるほどの情報を仕入れていない。一方で多くの艦娘たちが、数多の情報を噂として鎮守府中に流布しているのは確かで、中には現実味のない嘘も混じっている。しかし誰もそれを咎めはしないし、かといって公式に正しい情報を表に出すわけでもない。いってみれば「言いたい奴には言わせておけ」を地で行っている。
「"あらゆる戦争を終わらせる戦争"。司令部はそれを考えているのかもな」
前述の統合参謀官の意見具申は、海軍省では却下された。しかし、ソロモン海域での作戦は依然進行中である。中には作戦を中止すべきだという声もあったにも関わらず、輸送作戦はついに四回目の実行を迎えていた。
「なるほどー? そのための攻勢、そのための準備。睦月ちゃんはどう思う?」
睦月は、戦闘そのものを忌避しているのではなかった。むしろ、誰かのために戦う、何かを守るための闘争ならば、艦娘としての宿命だとすら考えていた。しかし、その戦いが終わりのない破壊と建設のサイクルであると思い知ったとき、果たして今日と同様に艦娘としての務めを果たせるかと言われると、睦月にははっきりとした自信がもてなかった。
「もっちぃの考えも分かるよ。その時々に何をすればいいとか、何をするべきかということは分かるけど、一度身を一歩引いて周りを見たとき、実は同じ事をぐるぐると無為にし続けているだけって考えちゃって」
「……確かに、今までは同じところをぐるぐると、それこそ何某のしっぽを追いかけていて、捕まえたと思ったら自分のでしたってことが多かったけどね」
睦月のはっとした顔を覗くように、輸送艦隊旗艦・那珂は体を傾けながら言った。
「でも安心して。私たちが今していることは、ロールケーキの渦巻きを解いているようなこと。確かにぐるぐると同じ事をしているかもしれないけど、真実への距離は着実に縮まっている、やがて円環は完全な直線になる」
「那珂さんは聞いているのですか? この輸送作戦が成す戦略的意義を」
如月の質問に、那珂は「はは」とこぼした。いわく「聞いていない」そうだ。
「でも、私には分かる。川内姉のあの表情は、何か動くっていう目をしていたから」
睦月も如月も、那珂のいうことを信じるしかなかった。少なくとも、現場で働く艦娘にとって、真実とは目の前にある現実のみだった。それを指揮する立場から「何かが動く」といわれれば、そうなんだ、としか理解できないし、上の見解と別の考えを持つことは許されない。
「さ、行こう。搬入が終わったみたい」
睦月、如月も那珂の後を追って港へ向かった。それを見つめていた望月は、自分も立ち上がってついて行くべきなのだが、座ったまま那珂の背中を見つめた。望月の思考に、那珂の言葉が引っかかった。
「・・・・・・巻いた存在を示唆していたのか? まさか」
放り捨てた艤装を拾いつつ、段々小さくなりつつある那珂の姿を見つめた。果たして神の手が存在するなら、因果の層は幾ら重ねられているのやら。
「うあぁ、めんどくせー。早くショートランド行って寝るぅ」
那珂率いる同輸送艦隊はその後輸送拠点を出発、同日フタフタマルマルにショートランド泊地に到達した。内地・横須賀の司令長官から電報が届いたのはそれから程なくのことだった。
「発、横須賀鎮守府。宛、ショートランド泊地。目下遂行中の輸送作戦について、新たなる指示を加える」
ショートランド泊地の現地司令部施設に軽巡洋艦「大淀」が詰めている。同席する戦艦「金剛」「比叡」は、すでに解読が終わった電報を片手に、大淀の通信解析の様子を見守っていた。
「輸送作戦は今回で四度目、いずれも何の問題もなく順調に作業が進んでいるけど・・・・・・」
比叡は、大淀の表情変化の機微を捉えながら、内なる心に増幅していく不安を抑えきれないでいた。
「でも、物資を搬入している拠点の周辺海域は私たちの制海圏内デース。むしろそれが当然じゃ?」
首を傾げながら答える金剛にとって、比叡が何を心配しているのかなど、到底知りうる訳もなかった。しかしそれは何も金剛だけに限った話ではなく、誰から見ても今回の輸送作戦に抜けているものはなかったし、いずれの作戦も搬入作業は順当に進んでいるように見えていた。完全かつ隙のない輸送作戦、大本営も今回の作戦立案に対しては十分な検証を踏まえた上で書類に判を押していた。
「でも、お姉さま。内地がいうには【サボ島】に前線基地を建設したいんですよね? いつかは、今の拠点から最前線に物資を移動させて、それを足がかりに終わりのない戦いを終わらせる突破口を切り開くって」
丸められた海図を広げて、比叡は手に持っていた羽ペンでサボ島に丸をつけた。赤い線が丸い島を取り囲み、そこから引かれた線がガダルカナル島に終着した。
「それが……?」
金剛の抱いた疑問も当然のことで、大本営の指示するままに作戦行動をとれば、自ずと目標は鉄底海峡の平定に繋がる。比叡の心配も、さすがに気が早すぎるのではないか、と金剛は考えた。
「いえ、違うんです。その、心配なのは・・・・・・意識的な問題です。こうまでぬるま湯に浸かっていると・・・・・・、いざ本番のときにやけどしてしまいます」
冷めた湯飲みを揺らしながら、比叡は金剛の困惑した表情を眺めている。
比叡自身も、自らの心配性な心持ちを些か大げさではないかとは感じていた。しかし、大事な他の艦娘たちに何かあれば、それは作戦の失敗を意味するし、その責任は当然現場責任者である比叡や金剛、そして大淀が負うことになる。最悪撃沈という事態を招けば、正規空母「加賀」の示した《輪廻》が発生し、いずれ自分たちに砲塔が向けられることになってしまう。
「ちょっと、何か隠してるデース?」
「いえ、とんでもないですよ、お姉さま。全て成るように成るんです」
比叡の微笑みに、金剛も表情を緩ませて応えた。「ならオールライト、ね」
全てが杞憂に終わりますように、内心比叡はそう念じながらお茶を飲み干した。
「大淀さんもなかなかに長い通信を相手しているみたいですし、私たちはしばらくお休みですね」
大淀は相変わらず通信機とにらめっこを続けている。傍らでは補助役として妖精たちも暗号解読に努めていたが、それでも作業量は多いようだ。
「確かにいざサボ島に出撃となると、今の輸送艦隊に加えて機動部隊も護衛として付かないといけないデスネ」
サボ島は、鉄底海峡の西からの入り口に位置する島だ。海峡を挟んだ向かい側の島こそ、ガダルカナル島であり、かつては《餓島》とも呼ばれていた。制海権を失った海を疾駆して強行に物資輸送を行おうとした幾多の艦船が、餓島の手前で沈んでいった。この沈んだ海峡ーー鉄底海峡ーーでは、これまで凶暴な深海棲艦の出現が幾度も確認されていた。今回のサボ島攻略作戦は、これまで以上の大規模な作戦と実働動態の貫徹が求められるはずだった。
小分けされている煎餅を手に取りながら、通信機と格闘している大淀をまじまじと見ているうちに、二人に睡魔が襲ってきた。適度な石油ストーブの暖かみと周囲の静けさによって、些細な眠気が増幅されていく。
「きましたっ! 詳細を把握!」
ガタンッ、と激しく音を立てて席を立った大淀は、殴り書きした紙をおもむろに二人のいる机の前に広げてみせた。
「金剛さん、比叡さん。大本営より入電です! 新規作戦計画が提示されました、明日同案件について作戦会議を開きたいと思います」
「お任せしますよ、後は那珂さん達が帰ってくるのを待つだけですし」
「予定通りだったらそろそろデース。お迎えにいきますかね」
入港の汽笛が響き、次第に港が騒がしくなってきた。司令部の扉を開けて、金剛と比叡はひと足先に那珂の元へ向かった。
「今回も被害なしネ。よかったよかった」
上陸して談笑する駆逐艦達をみて、ホッとする金剛。比叡も、そんな金剛を見て胸をなで下ろした。全ては、自分の杞憂に終わればいい、と。
「那珂率いる輸送艦隊、無事物資を某拠点に搬入し、帰投しました」
ショートランド分隊の分隊長である金剛に敬礼をしつつ、那珂は作戦終了の報告をした。
「お疲れさま那珂さん。輸送作戦は終わって、次の作戦に移らなきゃ、だけど」
比叡の声掛けに、那珂は苦笑いしながらも「承知しています」と応えた。
「比叡、今はとりあえずお疲れさまをいうのデス」
「ごめんなさい、お姉さま」
「いえ、お気遣いはいらないんですよ! 確かに駆逐艦の子達は疲れてますけど……、次といってもしばらく先のことでしょうし」
金剛は一瞬、那珂の言葉の後を紡ごうとしてやめた。それを察した比叡も、那珂の肩に手を置いて頷いてみせた。
「それでは、私はみんなの所に戻ります」
「お疲れさま」
再び敬礼して、那珂は艤装を片づけ始めている駆逐艦達の元へ駆けていった。
「……お姉さま」
「大淀さんが何を受信したのか。明日にならないと分からないけど、私たちが勝手に物を言っては駄目デス」
金剛の言葉に比叡はゆっくり頷いた。
「あのー、すいませーん」
今度はうってかわって気の抜けた男の声に、金剛も比叡も意表を突かれたように表情を緩ませた。
「は、はい?」
「あっ、輸送艦さつまの艦長、塚原です。業務証明書を先方に提出しなければいけないので、責任者のサインを頂きたいんですが」
文書行政という時と場を弁えない形式主義に比叡は苦笑したが、金剛はそういった通常業務も任務の内だとして、塚原から手渡されたペンでサインをほどこした。
「あっ、金剛一等海佐でありましたか。これは失礼しました」
「なら、誰だと思ってたのかしら」
「てっきり港湾作業員かと」
悪びれもせずにそう嘯く塚原に、比叡は驚愕して言い放った。
「この姿を見て港湾作業員ですって?」
「やめなさい、比叡。……ここは初めてデスカ?」
「はい、前回は作戦終了後トラックへ回航しましたので。では、こちらありがとうございます」
金剛から返された書類一式を片手に、塚原は疲れた様子で簡易宿泊棟に消えていった。
「無理もないネ。私たちと違い、彼らは傍観者に過ぎない。言葉は悪いケド、生かすも殺すも私たち次第なのですカラ」
「それでも、それでもです」
比叡は何も、自らが敬愛する金剛を低く見られたからモヤモヤしている訳ではなかった。……いや、全くそうだと言われれば嘘になるのだが、比叡の関心事は別にあった。
「あの目、何か知っているような目をしていました」
「目、ですって?」
『どんな場所にでも、目には言葉がある』という英国詩人の名文句があるが、金剛はそれこそ『アイズオンリー』だと比叡をからかった。
「あの人、たぶん普通の民間人ではないはずです。きっと、たぶん……」
比叡の様子を見かねて、金剛はそっと比叡の頭に手をのせた。
「お、お姉さま」
「ちょっと頭を冷やすのデス。疲れているのは比叡の方では?」
金剛の言葉に、比叡は言葉にできない温もりを感じ取った。頭に添えられた片手を両手で抱き締めて、比叡は微笑んだ。
その夜の風はいつもよりも涼しかった。二人が司令部に戻ると、大淀が通信機を前にして眠りに落ちていた。
「私は毛布を取ってくるデース。さすがに暖かいとはいえ風邪を引くからネー」
「じゃあお姉さまが戻るまで私待ってます。お茶でも入れておきますから」
「オールライト、それじゃ、行ってくるね」
パタン、と扉が閉まり、部屋にいるのは意識のない大淀を除いて比叡のみとなった。頭の隅に追いやっていた懸念が再び比叡の思考を埋めていく。
あまりにも静かすぎるソロモン方面海域。過去の無念さ・虚しさが累重し、悲しみの重心点となった同海域において、深海棲艦の活動が小規模というのは考えられない。輸送作戦がその近くで行われていたというのに、襲撃してくることはおろか、周辺海域にすら深海棲艦は目撃されなかった。おかげで順調に作戦は進行し、次いで本格的な揚陸作戦が始まる。
順調にいくだろうか? 今までと同じく、何の障害もなく、何の抵抗もなく。
「戻ったネー、比叡、どう?」
「ああ、お湯沸かしているから少し待ってください、えっと」
「……比叡、落ち着くの。それはコーヒー」
あわてる比叡が手に持っていたのはコーヒー豆の入った瓶だった。「あれれ?」
「比叡、一体どうしたっていうの? 明日の会議まで、一旦忘れるのが一番デス」
「お姉さま……」
比叡の代わりに金剛が急須に茶葉を入れ、沸かしたお湯を注ぐ。湯飲みを洗い直して机に置くと、比叡を手招いて椅子に座らせた。
「休もう、比叡。続きは明日、いいネ?」
「はーい、お姉さま。お姉さまにこう何回も言われてしまったら、しょうがないですね」
湯飲みに注がれたお茶を飲みつつ、比叡は壁に掛かった時計をみた。「早く寝ないと……」
「遅寝早起きは勘弁ネ」
翌日、金剛の号令の下、司令部棟の隣に建てられた講堂にショートランド赴任の艦娘達が集められた。
「なーんだー? 昨日帰ってきたばっかりなのに、人使い荒いぞー」
「もっちぃ静かに!」
睦月の制止で言葉を発することをやめた望月だったが、不満げな表情で正面舞台を睨んだ。まだ誰もきていないが、舞台の傍らでは那珂と大淀が談笑をしていた。
「驚いたな……」
さつま艦長塚原の姿も同じく講堂にあった。パイプ椅子に腰を据えて、さつま乗組員たちは塚原に続いて講堂脇に一列で待機していた。
「私たちはいつ帰れるんです、艦長」
「如何ともしがたい。徴用されてしまった今、我々も軍の一員だからな」
さつまが帰国できるか否かは、これから発表される指針に掛かっている。なおのこと塚原は発表内容に神経を尖らせていた。
「…………」
「如月ちゃん……?」
一方の艦娘たち。微笑しながら口をパクパクさせる如月と、それをみた望月が意図をくみ取って同じく口をパクパクさせていた。
「二人とも何を……」
「さっき睦月ちゃんが静かにって言ったでしょ? だから、「無言の抗議」」
如月の答えに、睦月はハッとして「そっか」と答えた。ついで口を閉じて、また開けた。
「そうそう、パクパク」
「パクパクね」
「パクパクだね」
三人のやり取りを遠くで見つめる艦娘がいる。講堂の片隅で、待機している他の艦娘を眺めている艦娘。白露型駆逐艦八番艦「山風」は、落ち着き払った様子で周囲を見渡していた。
「多いし……、どこここ……」
途端、講堂前方横の扉が大きな音を立てて開けられた。「大変!」
「どうかされましたか、隊長」
大淀の問いかけに、金剛は焦った表情を隠さないまま頷いた。
「ちょうど集まっているわね、説明するわ。といっても、当初予定していた話ではないけれど……」
苦笑しながら、比叡は大淀に同意を求めた。それをみた大淀も、事態を察して壇上にあがると、マイクをスタンドから外して金剛に渡した。
「あー、えっと。出撃命令が下ったの、直ちに迎撃部隊を編成して、敵を迎え撃って欲しいのネー」
「迎撃? 向こうから来たんですか」
陽炎型駆逐艦二番艦「不知火」の疑問に、すぐさま解が与えられた。
「場所は物資搬入拠点〝ガウ島〟、敵は軽巡クラスの水雷戦隊デース」
その言葉に、安堵の空気が漂った。それを察した比叡がすかさず「任務にかわりはありません」と窘める。
「部隊の構成メンバーを指名しマース。今回は、敵艦隊の難度がそれほど高くないというブイン航空隊による偵察結果に基づいてこちらも水雷戦隊で行きマース!」
「もともとここにはなぜか駆逐艦が多い」
「そうだね、もっちぃも私たちも転属されたばっかりだし」
「旗艦、大淀! 随伴艦五名、順に睦月、如月、望月、不知火、嵐!」
ざわつく空気、その中でも山風だけは一人片隅でまるで対岸の火事を見るようにして座り込んだ。
「指名された艦は直ちに工廠に向かってください」
「仕方ないよ、簡単に終わりそうだし、行こう」
睦月と如月は、手を繋ぎながら退室。望月も後を追うように去っていく。一方不知火は解せない様子で金剛に話しかけた。
「あの……、嵐は今確か内地所属のはずですが。もしかして来ているのですか?」
「はて……? 嵐って書いてあるケド」
「あっ、お姉さま。これ、二文字ではないですか? 山、風」
「オーマイゴッド! 山風、山風ー!」
部屋の片隅でうずくまる艦娘。心の中で「何かの間違いだ、実は嵐だったんだ」と念じているのかもしれない。腕を組んで頭を埋め、徐々に丸まっていくその体は僅かに震えている。それは恐怖なのか、それとも武者震いなのか。
「あー、あ・ら・しー!」
「や・ま・か・ぜーっ!」
彼女に物怖じはなかった。勢い余って大声を上げるのは、彼女にはたまによくあることだという。
「ああ、山風。はやく工廠に向かってクダサーイ?」
「う、は……はい」
とぼとぼと扉を開けて出て行く山風の背中を見て、比叡は「心配なようで、大丈夫そうですね」と言い、金剛は「なぜ彼女を」と怪訝そうにこぼした。
「なぜ、というのは」
大淀がそう尋ねると、金剛は首を振って「なんでもないネー」とだけ答えた。
「は、はい。それでは、行って参ります」
「ご武運を、よろしくお願いします」
その後、水雷戦隊は抜錨、一路ソロモン海へ向けて出航した。
「ここにきて敵の抵抗ネ。けれどそれも小規模」
「はい。私の考え過ぎだったようですね」
司令部棟に戻って息をつく二人。金剛は手にした名簿を机に置いて、重力に身を委ねつつソファにもたれ掛かった。
「そういえばお姉さま? その名簿はどこから送られてきたのですか」
「確か内地ね。けど横須賀ではなく、佐世保だったネ」
「……お姉さま。山風は、その過去において南方・ラバウル方面への出撃経験がありません。そして山風の転属は先月」
「私には考えが深すぎてわからないデース。でも、気になりマース」
「如月は転属命令を受けた睦月にくっついて来たのでこの際考慮しませんが・・・」
数時間後、大淀率いる水雷戦隊はコロンバンガラ島沖を南東方面に向けて進行していた。
「……異常はないです。みなさん、気をつけてください」
大淀を先頭に、迎撃部隊は輪形陣を維持しながら警戒を強めていた。
「ソナー反応なし。潜水艦の心配もないよー」
望月の通信に、山風が「いなくていいし」と呟く。
「ねえ如月ちゃん! この前吹雪ちゃんがね、醤油と間違ってソースを目玉焼きにかけてたのっ」
「でも本当は吹雪ちゃんはソース派だった、でしょ?」
「あ、覚えてるんだー!」
他愛のない話を交えながら、艦隊は徐々に物資搬入拠点〝ガウ島〟に近づいていく。
「電探に反応あり、だぞ。……っ、これって」
遠方の空に揺らめく黒い影。まとまって見えた影は、やがて揺らめき始め、ついには細かい点に分裂しながら急速に接近を開始した。
「て、敵機来襲! 総員対空射撃用意!」
各自の高角砲が一斉に作動し、前方に銃口を指向させた。
「望月さん、泊地と連絡!」
大淀の緊迫した語調に、望月もあたふたしながら打電を開始した。
「報告の通りなら水雷戦隊規模のはず……? ブインが見間違う訳が」
大淀の疑念を片づける時間もなく、敵空襲の第一波が到達した。
「敵機直上、急降下!」
不知火の警告に、大淀は右腕を水平に振り下ろした。
「散開っ、各員回避行動!」
水平線を荒々しく分断する爆弾の衝撃。激しい水柱を縫って、艦娘たちは俄然進み続ける。
「やってやる、やってやる……!」
山風のやる気はさておき、望月の通信を傍受した金剛は「ただちに帰還」を命じた。
「大淀さん! 隊長から帰還命令が出ました」
望月の報告、しかし大淀は首を横に振って拒否した。
「いいえ、このまま進みます! みなさん、ついてきてください」
「え、えぇー」
そうこうするうちに、敵の第二波攻撃がやってきた。
「おそらく敵機の母艦は軽空母級、しかも遠くありません。ここはこれを撃滅し、ついで物資搬入拠点の偵察と威嚇行動を取るべきです。至急応援を!」
大淀の訴えに、金剛はしばらく返事を返せなかったが、比叡の疑念もあってかついに決断を下す。
「わかったわ、応援の機動艦隊を向かわせる。だから、沈んじゃノー、よ」
「了解しました、それでは」
通信を終えた大淀は、近づく敵機を撃墜しながら号令を発した。
「これより私たちは敵の軽空母を叩きに行きます! 当初の目的と比較して任務完遂は困難になりましたが、叶わぬ目的、願いではありません。いけます、やれます」
しばしの沈黙の後、睦月と如月が力強く頷いた。
「この不知火、やるからには徹底的にやります」
「や、やるよ……、うん」
後の「サボ島強襲揚陸作戦」の序章、その除幕。《スロット遭遇戦》はかくして幕を開けたのだった。
東京都千代田区霞ヶ関。かつて日本国の立法府が置かれていた国会議事堂は、今や軍政家の集う集会所と化していた。その議事堂の裏手にある首相官邸は、《海軍省附属内務省》と名を変え、日本海軍が列島を統治する要地となっていた。
「南方方面での作戦経過を報告してくれ」
執務室で革製の椅子に深く座る男の名を
「予定通り輸送作戦は完遂へ向けて推移しています。ラッセル攻略は時間の問題です」
黒いスーツにセーラー服を着用する艦娘は、巨瀬の問いかけに極めて事務的に応答した。巨瀬に促されて書類を手渡すと、巨瀬と対面する形で執務机に着座した。
「そうか。深海棲艦が功を急いで攻撃などせねばよいのだが。まあ、結局は敵の動向なんぞ制御できないということなのだが」
「しかし提督」
「分かってる。
締め切ったブラインドに指を差し込み、僅かに開いた隙間から外を覗き込んだ。
「今の状態は決して正常ではない。はやくこの戦いを終わらせて、霞ヶ関に雑踏と騒音の日常を取り戻す」
「提督の、仰る通りに」
「良い子だね……初月」
列島は、海軍の統治下にあった。戦時体制が長引き、経済は停滞した。深海棲艦によるシーレーンの分断により、各国の生存圏が狭められ、大陸は大いなる孤島と化し、海軍力を持たない島国は大いなる棺桶と化した。やがて世界は小さくなり、《狭小世界》と呼ばれるに至った。非人類である深海棲艦に敗れた人類は、それぞれが隔離されたブロック圏の中でのみ生存を許された。しかし、日本とドイツは断裂されたシーレーンを回復し、孤立したブロック圏を接続することを志向した。艦娘計画は、打つ手なしと思われていた深海棲艦に対してシルバーブレッド足る存在になっていった。
「諦めてはいけないのだよ」
巨瀬の不敵な笑みに、初月は自分の全てを委ねた。新たな作戦指示書にサインを記入して、初月はニッコリと微笑んだのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。如何でしたでしょうか?
果たして大淀たちは無事に攻撃を切り抜けられるのか、また比叡の心配は杞憂に終わるのか、異常なほど静かなソロモン海域は平和状態への一歩なのか?
更新は1週間程度を予定しています。次回もよろしくお願いします!
誤字脱字等ありましたら、教えて下さると幸いです。また、ご意見ご感想もお気軽に送ってくださるとありがたいです。
それでは、スキマニウムでした。