空の魔法使い   作:ほしな まつり

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寝ても寝ても眠い時はある、第十九話


空の魔法使い・19

『転移の泉』のほとりでピクニックシートを広げた日から『影濃天(えいこくてん)』を更に意識するようになったからか、じわじわと長くなっていく夜空の時間と同調したようにアスナ自身の体調にも変化が起きていた。

キリトにおいては予想通り一日の生活もどんどん夜を中心とした物になっており、同居を始めた頃と比べると家を出る時間はより早く、帰宅はより遅くなっている。少し前なら帰ってきた時の挨拶も弱々しくはあったがちゃんと笑顔だったのに、今では扉を開けた瞬間、出迎えに立っているアスナへ覆いかぶさるように倒れ込む始末だ。

それでもアスナに肩を借りながらベッドに辿り着くまでにどうにか自分で着替えはしてくれるので毎日ちゃんと柔らかな睡眠を得ているが、もし彼女が居なかったら戸口近くの床に崩れ落ちたまま寝落ちしていたかもしれない。

就寝時間が遅くなったので当然起床時間もズレてきて、ここ最近ではアスナが用意する食事はブランチではなく、少し遅めのランチになっている。それをどこか空元気に見える様子で平らげた後、うっかりするとアスナが気付かないうちにキリトはイスに座ったまま舟をこいでいるのだ。

それを見たアスナがさすがに「一体、今までどうしてたのっ」と何に怒っているのか自分でもよく分からないままキリトにぶつけると、キリトは目を擦りながら「アスナがいてくれると安心して気が緩むんだよなぁ」と納得していいのかわからない答えを力の無いくたくたの笑顔で返してくる。

これでは本当にここから、キリトから離れられなくなってしまう……自分だって立派な『空の魔法使い』になりたいのに、というアスナの葛藤を表している固い拳に気付いたわけでもないだろうが、そこにキリトが言葉を付け足した。

 

「『影濃天』が過ぎれば大丈夫だから」

 

その言葉はアスナにとって、ほっ、と出来る言葉のはずなのに、なぜかチクリ、と心が痛む。

ただアスナが気付いた自身の変化は自分も眠気がキリトに引っ張られるように長くなっている事で、それも『影濃天』の影響なのかしら?、と少し不安なのだが、こんな状態のキリトに相談するのは気が引けて内にしまいこんだままだ。ここまでキリトと生活のリズムが同期してしまうのは一緒に暮らしているからなのか……キリトの方はアスナが自分に合わせてくれていると思っているようだが、それだけの理由で午睡まで付き合うはずがないとは思い至らないのだろう。

自分の魔法が分からない上に原因不明の眠気とアスナは少々困惑気味で、少し前にユージオに連れて行ってもらった城の図書館も頼れないので、ここはキリトに倣い『影濃天』が終わるまで一旦棚上げを決めこんでいる。

《浮遊城アインクラッド》の図書室……そこは確かに圧巻と言うべき蔵書の数だったのだが、手近にあった本を抜き取りその表紙を見たアスナはあまりの落胆で膝から崩れ落ちそうな感覚を味わった。

字が……読めないのだ。

文字が書いてあるのは分かるのに、内容が感じ取れない。

開かない自分の目をその時ほど恨んだことはなかった。

泣き出す一歩手前のような表情に同伴していたユージオが慌てて理由を聞いてきたので、素直に打ち明けると優しい彼は自分が読んで聞かせる、と申し出てくれたのだが、さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないと丁重に辞退した。

もちろん城から帰ってきて本が読めないと報告した時のキリトも一瞬ポカンとした後、かなり頑張った声で「オレが代わりに読もうか?」と言ってくれたが、ちょっと悪戯心が湧いて「ホントに読んでくれるの?」とアスナが首を傾げれば、今度はキリトも「うーん」と首を傾げ「……一冊くらいなら」と難しい顔で返してきたので「やっぱり、いい」と、こちらも断ったのだ。

きっと自分の魔法が使える『空の魔法使い』になればこの目も開くだろう、と根拠はないけれど確信めいた予感はあって、その為には藁にもすがりたい気分なのに、ヒントになるかもしれない図書室が利用出来ないのは開かない目のせいで……と、城から戻ってきてから日に何度も繰り返している堂々巡りは肩にかかってきたくすぐったい重みで停止する。

続いて聞こえてくるキリトの寝息。

今日も昼食を食べ終わった後、アスナが片付けをしているほんの僅かな間は長椅子に座りちゃんと目を開けていたはずのキリトだが、いざ彼女が隣に座るとすぐに頭を預けて眠り込んでしまうのである。

以前は食卓の椅子に座ったままゆらゆらと頭を振り動かしていたから、だったら寝室に行ったら?、とベッドまで連れて行くと当たり前のようにアスナを抱き込んでくるので「これはダメっ」と色んな意味でキリトの腕から逃れてリビングに戻ってきてみると出現してのがこの長椅子だった。

アスナもキリトほどではないが日中でもなんとなく眠気にまとわりつかれているので、昼食後にベッドに入ってキリトの腕の中に収まってしまうと自分も完全に熟睡しかねないのだ。万が一寝過ごして、キリトが一人で暮らしていた時のようにユージオが起こしにやって来たら、と思うと二人で仲良く一つのベッドで眠っているのを絶対に知られたくないのはキリトも同じらしく、それ以降、夜の時間まではリビングの長椅子で過ごすことになっている。

『夜空の魔法使い』の時間が終わって家のベッドでアスナを抱きしめて眠り、魔法力がそこそこ回復した所で起きてアスナの作ってくれた料理を食べる。それからまたアスナにもたれかかったまま空が自分の時間になるまで微睡むというアスナづくしが日常となってしまっているキリトだが、逆を言えばアスナも同様なのだ。

それが証拠に長椅子で身体を斜めにしているキリトの黒髪の上には栗色の髪が重なっていて、二人は手を繋いだまま互いに支え合うようにして『影濃天』を意識しつつ夜まで眠りの時を過ごしているのである。

 

 

 

 

 

そして『影濃天』の日……この大事な日に限って、と言うべきか、この日を迎えるまでに魔法力の行使がひどすぎて回復が十分に追いつかなかったせいなのか、長椅子に座っていたアスナは水中からゆっくり丁寧に引き上げられるような穏やかな覚醒ではなく、無理矢理引っ張り上げられたような感覚にビクッと肩を揺らし、同時に窓の外の色に気づいて顔を強張らせた。

 

「キリトくんっ、起きてっ」

 

ただならぬ大声にいつもなら一番最初にうにゃうにゃと口から動く『夜空の魔法使い』が、何も言わずにパチッと目を開く。

 

「やばっ」

 

既に外は夜を待ちくたびれたような暗い赤一色に染まっていて、きっと気の弱い『茜空の魔法使い』は半泣きになっていることだろう。

 

「ごめんねっ、私もすっかり寝入っちゃってたっ」

 

素早く長椅子から立ち上がったキリトは黒い指ぬきグローブをひったくるように掴んだが、背中に掛けられた罪悪感で一杯の声にその勢いを一旦殺して振り向き、アスナの顔を見てから、ふっ、と笑いその頭を撫でた。

 

「気にしなくていいよ」

「…うん」

 

そう言われても落ち込んだ気持ちはそう簡単に浮上しないが、今は少しでも早くキリトの身支度を調えなくては、とアスナも急いでキリトの黒いコートを手に取り彼の背に回る。コートを羽織らせてもらいながらキリトは背後のアスナに殊更真剣な顔を向けた。

 

「わかってると思うけど、今夜は『影濃天』だから。絶対にこの家から出るなよ」

 

普段の時もキリトにしては珍しいと思えるほどしつこくアスナに夜空の時間の外出を禁じているのだが、今夜は特に、という事らしい。素直に頷いたアスナが戸口までキリトを見送る。

 

「キリトくんも気をつけてね」

「ああ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

送り出すために振ろうと持ち上げたアスナの片手を見つめる濃黒の瞳の奥にある躊躇いは何を意味しているのか、ドキンッと跳ねた心臓に驚いている間に、キリトは伸ばした自分の手で重ねるように軽く触れながらもう一度「行ってくる」と今度は笑顔で告げれば互いの気持ちを交感するようにキラキラとアスナの魔法力が二人の手を包み込んでいた。




お読みいただき、有り難うございました。
やっと『影濃天』の日になりました。
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