空の魔法使い   作:ほしな まつり

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質の良い睡眠って大事だよね、の第四話


空の魔法使い・4

空を『暁天の魔法使い』に渡し終えたキリトはいつものように疲れ切った身体を引きずってどうにか自分の家まで辿り着いた。足取りも意識さえも覚束ない状態だったが、帰巣本能とでも言うのだろうか、身体は休息を求めて霞んだ視界のままでも目指す場所は毎日変わらない。

キリトのこんな姿は『暁天の魔法使い』さえ知らない事だ。

『茜空の魔法使い』から引き継ぐ時もそうだが、天空を司る魔法使い同士、直接のやりとりは必要ない為ここ最近はユージオ以外の二人の魔法使い達の顔は見ていないが、特に『暁天の魔法使い』特有の気取った口調は苦手でも、毎日、きちんと朝を迎えられるのは彼のお陰だと、ほんの少しだけ感謝のような気持ちが湧く。

今日もいつも通りキリトの魔法力が弱まってくる頃に合わせて目覚めてくれたのだろう、朝陽が少しずつ夜空を明るくしていくのを感じながら自分の家の扉を開けたキリトは薄暗いリビングを突っ切る途中でお決まりになっている行動を始めた。

まずは黒のロングコートを脱いで椅子の背にかける。

次いで指ぬきグローブをはずしテーブルめがけて放る。

意識は朦朧としているが毎日繰り返している動作は寝ていても出来る気がする程、身体に染みついていた。

寝室のドアを開けてすぐにベッドへとダイブしたい欲望をなんとか堪えて、一旦腰掛け、靴を脱ぐ。感覚さえ覚束なくなっている足先を更に解放させる為、靴下を脱ぎ終えると徐に立ち上がり上下黒の衣類を取っ払って、確かこの辺りにあるはず、とシーツの上に片手だけを滑らせて寝間着を掴んだ。

後はこれを着てベッドに倒れ込むだけだ。

こうなればゴールは間近、と最後の力を振り絞って手早く着替えをすませ、頭からベッドに突っ込む。

ぼふっ、と僅かにベッドが跳ねたのとキリトが意識を手放し始めたのは同時だった。

ゆっくり、ゆっくり、まるで夕陽が沈むように穏やかな速度で眠りの世界へと落ちていく。

だからさっき手に取った寝間着がきちんと畳まれていた事やリビングのテーブルが片付いていた事など気づくはずもなく、もぞっ、と身じろぐと、すぐ隣に温かくて柔らかい何かがあって、それを無意識に抱きしめてしまったのも致し方ない事だったのだ……。

 

 

 

 

 

アスナは自分が眠りから覚めた事を実感する前に身動きが取れない感覚に狼狽えた。

昨日は陽が沈む直前にキリトを送り出し、それから室内の掃除を始めのだ。家主であるキリトに初めて招き入れられた時は随分と物の少ない部屋だと思ったからまともな掃除道具があるのかと心配だったが、部屋の片隅にはホウキやバケツが思いっきり存在を主張して居座っていた。ついでに隣の寝室も恐る恐る覗いてみたのだが、本当に今まで一人で暮らしていたのかしら?、と首を傾げたくなるほど彼の雰囲気にはそぐわない大きめのベッドがひとつあって……けれど、その上にあったのは脱ぎ捨てられた寝間着が一組だけで、それでやっぱり一人でこのベッドを使っていたのだと、なぜか少し安心した。

そうして一晩かけて家の中の掃除と片付けを終わらせたアスナは、ぽふんっ、とベッドに座り「キリトくん、まだかな」と呟いて、こてんっ、と横になったのである。

そのままシーツに溶けてしまうように眠りに付いたアスナは開かない瞼のまま既に夜が明けて相当の時間が経っている事を感じる前に自分の身体を縛り付けている物を感じ取って「ひぅっ」と息を飲み込んだ。幸い、と言うべきか、両腕は自由に動かせたので、そろりそろり、と胴回りあたりに指先を伸ばす。

触れればすぐにそれは人の腕なのだとわかり、そう気付けば冷静さが戻って来て自分の背中や後ろの首筋に吹きかけられている、スー、スー、と静かな寝息も耳に届いてきた。

一気に脱力したアスナは「はぁっ」と肩の力を抜いて、ちゃんと帰って来てくれた家主の存在に安堵した後、自分が背後から抱きしめられている状態に、えっ!?、と気づき、再び紅く狼狽えると同時に飛び出すはずだった叫び声を寸前で、はむっ、と口を閉じる事で押し込め、自分を落ち着かせる。

ドキドキドキ、とやけに心臓の鼓動が大きく、早く感じて、この振動が巻き付いている腕から伝わって彼を起こしてしまうのでは、と心配になるくらいだ。

けれどそんなアスナの心配をよそに相変わらずキリトの寝息は規則正しく後ろから聞こえてきて、意識すればするほど恥ずかしさと心地よさと少しのくすぐったさが密着している背中から全身に広がっていく。

キリトの事でアスナが知っている事と言えば『夜空の魔法使い』である事と日常生活がちょっとズボラな人である事くらいだ。

あとは、この「浮遊城アインクラッド」に顕現した自分を一番最初に見つけてくれた人で、意識のなかった自分を城まで運んでくれた人でもある。それから城長に共同生活を言い渡されて困惑したくせに、自分が不安そうにすれば渋々了承してしまう、気の優しい人。

出会ってほんのわずかな時間しか共有していない相手なのに、これほど一緒にいる事が嬉しくなってしまうのはなぜかしら?、とアスナは内心で首を傾げ、それからやっぱり内心でプルプルと首を横に振った。

きっと今考えても答えは出ない。

それなら、今やるべき事は自分の指先が触れている冷え切った手を温めてあげる事だろう。

さっきから全く体勢を変えず泥のように眠っているキリトが『夜空の魔法使い』として何をしているのかは分からないが、疲労困憊で魔法力がほとんど残っていないのは体温の下がっている身体と、回復しきっていないカサついた手でわかる。こんな生活を毎日続けていたのかと思うと「ほんとに、もう……」と溜め息をひとつ落としたアスナはゆっくり、慎重にキリトの腕の中から抜け出したのだった。

 

 

 

 

 

コトコトコト……とトロみのある液体が更に柔らかく煮込まれていく音と、それに伴って寝室に流れ込んでくる匂いにキリトは耳と鼻をぴくっ、と動かした……いや、実際にはそこまで器用に動いてはいなかったかもしれないが、とにかくその外的刺激で目が覚めたのだ。

友の呆れ声でもなく、ゆっさゆっさと無遠慮に身体を揺すられるでもなく、寝ている事が勿体ないとさえ感じさせてくれるその音と匂いにふんわりと目覚めるのはなんと気分の良いことだろう、と寝起きが悪い自覚を持つ自分がすんなりと眠りから抜け出すなんてこの城にやって来て初めての経験だな、と思いながらキリトは身を起こした。

どうやらこの目覚まし代わりの音と匂いは隣のリビングから漂ってきているらしい。

と、そこまでを感知してからリビングに誰かがいる事と、昨日から同居人がいる事を同時に思い出して、一瞬でパッチリ、シッカリと目が覚めたキリトは慌ててベッドから飛び出し、隣室へと繋がっている扉をバタンッ、と乱暴に開いた。

 

「アスナ!?」

「おはよう、キリトくん……あ、おはよう、って変?、もうお昼すぎだもんね」

 

鍋の中身をかき混ぜながらキリトへと振り返ったアスナは目を閉じたままの笑顔で挨拶を済ませてから少し眉根を寄せ「でもお家の中で、こんにちは、って言うのもちょっと違うような……」と考え込んでいる。

 

「へ?、昼すぎ?」

 

当のキリトは挨拶すら返さずに鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くしていた。

 

「そう、私もちょっと前に目が覚めたの。キリトくん、いつもは今頃起きるの?」

「……ソウ、ダナ」

 

思わずカタカナ語になってしまったのは、間違っても『茜空の魔法使い』も中盤の頃に心優しい友に叩き起こされているとは言わない方がいい、と野生の…いや、魔法使いの勘が告げたせいだ。それにしても、と今度はキリトまでもが眉間に皺を寄せた。いつもなら使い果たした魔法力を回復させる為にまだまだ睡眠を必要とするはずのなに今日に限って既に気分はスッキリとして魔法力も随分回復しており、そのお陰ですり切れた皮膚や身体の痛みも殆ど残っていない。

 

「なんだかすごく気持ちよく眠れた気がするんだよなぁ」

 

理由が分からず首を傾げるキリトは、こちらを向いていたアスナがなぜか顔を背け、早口で「ごはんにするから着替えてきてっ」と投げつけてきたので、無条件に「はいっ」とこたえ、再び寝室へ飛び込んだので気付かなかったのだ、彼女の耳がほんのり染まっていたことに。




お読みいただき、有り難うございました。
キリト、最高の抱き枕ゲットの回でした(笑)

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