寝室に引き返したキリトは改めてさっきまで自分が寝ていたベッドを目にして「ええーっ」と大声を上げた。それを聞きつけたアスナもすぐに「どうしたのっ!?」と慌てて駆け寄ってくる。
「ベッド……ベッドが……」
「ベッドがどうかしたの?、私、昨夜は床掃除をしただけでベッドは特に触ってないわよ」
「ベッドが…でっかく、なってる……」
「え?」
アスナまでもが信じられないキリトの言葉に仰天の声をあげた。ベッドが勝手に大きくなるなんてあるのだろうか?、と考えてみたが、ずっと使い続けていたキリトが大きさを間違えるとも思えない。それに自分がこのベッドを前にした時、一人で使うには随分と大きめだなと感じたのを思い出して「どういう事?」と混乱を口にすると、隣では先に事態を理解したらしいキリトが「はぁぁっっ」と溜め息なのか声なのかわからない音を吐き出した。
「二つに増えると思ってたのに……」
「それ、どういう意味?」
「だからアスナの同居が決まって城の魔法が発動した結果、ベッドの数じゃなくて大きさが変化したっていう……」
「お城の魔法?」
「『浮遊城アインクラッド』に住む為の魔法だよ」
「?」
「さっきアスナは床掃除をした、って言ってたけど、元々この家に掃除用具なんて揃ってなかったんだ」
「えぇっ?」
信じられない、と綺麗な顔全体で表現しているアスナの、存在しない視線から逃れるようにキリトは彼女を見ない方向に顔を動かして小さくもごもごと「オレは住むのに掃除ってあまり気にしないし……」と言うと「アスナが掃除をしたい、って思ったから掃除用具が現れたのさ」と説明を戻す。
「そんな事ってあるの?」
「ああ、だって城が地面ごと空に浮いてるんだぞ。それこそ魔法の力だし……ちなみにオレは今まで料理らしい料理なんて作った事がない」
「ええぇぇっっ、だっ、だって、お鍋やフライパンも、それに食器だってちゃんと揃ってたし……あの使いやすいキッチンスペースも?」
「アスナ、料理作るの好きなんだな」
あわあわと薄桃色の唇を忙しなく動かしているアスナの表情が可笑しくてキリトは優しく微笑んだ。
「ベッドの大きさに合わせて寝室も広くなったみたいだし、リビングの方もアスナが願えばもっと物が増えると思う」
「そ、そうなんだ……魔法って不思議」
振り返って顔全体をリビングに巡らせていたアスナだったが「あっ」とスープの存在を思い出し、煮込んでいる鍋の前へと駆け戻っていく。それから「帰って来た時は全然気付かなかったなぁ」と頭をポリポリ掻きながら未だベッドを眺めているキリトにくるり、と振り返り、ついでに手にしていたお玉もくるり、と振った。
「とにかく着替えてっ」
「ふぇーい」
寝室に消えたキリトを確認してから、ふと部屋の隅に鎮座してるバケツやモップに顔を向ける。確かに、使い込まれた、と言うよりはどう見ても新品だったそれらを見て、なんだか楽しくなってしまったアスナは「ふふっ」と笑ってから料理をよそうために食器を並べたのだった。
「はーっ、うまい。こんなちゃんとした食事、久しぶりだな」
「いままではどうしてたの?」
半日ほどですっかり聞き慣れてしまった呆れ声が向かいから飛んでくる。それを気にする事なくスープ皿を空にしたキリトは探るような上目遣いで「アスナ、もう一杯分、ある?」とお伺いを立てた。
手足の冷え切っていたキリトに温かなスープは大正解だったらしい。我ながら優しい味に仕上がった事に満足していたアスナだったが、おかわりを求められれば作り手としてはこれ程嬉しい事はなく、少し照れくさくて唇がむずむずと自然に動いてしまったがそれでも差し出されたスープ皿を無言で受け取る。食卓に置いてある鍋の蓋を持ち上げれば二人の間に白い湯気が立った。
湯気の向こうで嬉しそうに鍋の中を覗き込もうとしているのを感じたアスナはスープを注ぎながら「キリトくん」と名を呼んでもう一度「だ、か、ら、今までは?」と一文字一文字の圧を強くする。
「食事かぁ、そうだな……水瓶の水はいつもあるから喉渇いたなー、って思った時はそれ飲んだり……」
「それ、食事って言わないわよ」
「ちょっと違う物飲みたいなぁ、って時はあそこの棚に置いてある瓶を振れば城の魔法でジュースやお茶が飲めたし」
「……飲み物以外でっ」
「時々ユージオが果物を持って来てくれたり、ああ、アリスがサンドイッチを作って来てくれた事もあったな」
「……要するにキリトくんは自分でお料理はしないのね」
「だって魔法使いは地上の人間達と違って、腹、減らないだろ?」
「それはそうだけど……でも、おいしい、って感じる気持ちは持ってるでしょう?」
「魔法力の回復になるからなぁ。寝るか食べるかで回復するから、両方を取り入れてる魔法使いは多いけど、オレは寝て回復させる方が得意って言うか……」
「それって単にお料理が面倒なだけじゃないっ」
アスナはぷくり、と頬を膨らませた。とは言えキリトが魔法力の回復を睡眠だけに頼っていたのは事実だろうがそれだけではない予感がしている。少し前、自分が目覚めた時のキリトの様子を思い起こせば、日中に起きて料理をするほど体調が戻らない日もあるのでは?、と疑ってしまうのは仕方がなかった。
「ねぇ、キリトくん。昨晩(ゆうべ)の『夜空の魔法使い』のお仕事、いつもより大変だったの?」
自身の魔法が何かもわからないアスナはキリトが使う魔法の具体的な内容までは知る由もない。けれど二杯目のスープを頬張っていたキリトは何でもなさそうに首を横に振り「んーんーぅ」と否定の音を閉じた口の中から響かせた。
「別に、いつも通りだったけど?」
スープを飲み込んでから告げられた言葉にアスナは唖然として食事の手を止める。真偽を確かめるように、じっ、と正面の真っ黒な瞳を見えない目で覗き込んでみるが、そこに誤魔化しの色は混じっておらず、どちらかと言えば、なんでそんな質問?、と素朴な疑問で丸くアスナを見つめ返していた。逆にたじろいだのはアスナだ。今の言葉が本当ならキリトは毎日魔法力が枯渇するまで自身を酷使し、意識すら定かではない状態で空を引き渡した後、次に夜空の時間となるまで死んだように眠って使い果たした魔法力を回復させていた事になる。
「空の魔法使い」なら当たり前の生活なのかしら?、と、自分の感覚では到底納得出来ないアスナだったが、この城にやって来て一日しか経っていないんだから安直に意見を言うべきじゃないわよね、と判断してとりあえず手にしていたパンをちぎり、口に入れた。
「そう言えばこのパン、カゴに入ってたからお皿に全部載せちゃったけど、食べきったら次はどうすればいいの?」
少し堅めの黒褐色のパンだったがカリッとしている表面はスープに浸せば味を吸い込んで柔らかくなり、中心部はそのまま口に含んでよく噛むとほんのりとした甘さがにじみ出てくる。さっきからキリトが手と口を休む事なく動かしている為、皿に盛ってあったパンの数はみるみるうちに減っていった。
「このスープに合うパン、って、アスナ、考えただろ?」
「え?、そうかな……」
単にスープが出来たから他にも何か、と思って、ふと目に付いたカゴの蓋を開けてみただけなのだが、そう言われてみると無意識に、あとパンがあるといいな、と思ったかもしれない、と最終的には「うん、そうね」とキリトの問いに首肯する。
「もし、今、パンが足らなくて、オレがもっと食べたいなぁ、って思ってカゴの蓋を開ければ、そこにはこれと同じパンがあるよ」
「えっ!?、ホントに??」
「でも今はこれで十分。アスナ、食事の支度してくれて助かった」
「別に…これくらい。私も食べたかったし……」
キリトの冷えきった手足を何とかしてあげたいと思ったのが最初だったが、料理がしたい、何か食べたい、と思ったのも事実で、その自分の欲求に「あれ?」と首を傾げた。
「なんで私、お料理できるんだろう?……それに魔法が使えないのに眠くなったり、食事がしたいって思ったり……」
睡眠や食事が魔法力の回復の為の行為と言うなら、魔法が使えないアスナには必要のない物だ。しかしその疑問に答えるどころか更に謎を深くさせたのはキリトの言葉だった。
「夜に顕現した、って事自体、特殊だしな」
「そうっ、それっ。その時の私ってどんなだった?」
「全然覚えてないのか?」
こくり、と素直に頷くアスナを見て、キリトはとりあえず残っていたスープをズズッ、と飲み干した。
お読みいただき、有り難うございました。
ま、魔法って便利ー(魔法使いにとっても、書き手にとっても)
ベッドの個数よりサイズを調整する「城の魔法」とは
友達になれる気がする(笑)