食事の後片付けを終わらせた二人は先刻と同じように向かい合わせでテーブルについた。
各々の目の前には丸みを帯びた素焼きのマグカップが置かれていて、キリトは昨日までなかったその食器の存在と、更にカップが持つ風合いが洗練された鋭利な美しさより温かみを感じる形や手触りにアスナの好みを感じ、ついでにかなり前にユージオから貰いっぱなしだった茶葉はこんな香りがしたんだなぁ、という初体験とが全部混じり合って行き着いた「ほほう」という一つの短い感嘆詞を口から吐き出す。
「……何が、ほほう、なのよ」
どうやら食後のお茶を出したアスナとしては理解の範疇を超えた感想だったらしい。疑問、と言うよりは、呆れ要素の濃い声にキリトは手元を見つめながら答えた。
「このカップがさ、なんとなくアスナらしいなと思って」
「と言うことは、このカップも?」
「うん、初めて見た」
キリトの言葉に今度こそ疑問が勝る。
「このカップが私の願いを反映してるなら、なんでベッドは数じゃなくて大きさが変わったのかしら」
「まあ、オレも軽く予想してた程度だし」
「だったら今から強くお願いすればベッドは二つになるの?」
「それはどうかなぁ。城の魔法って言っても願い事を全部叶えてくれるわけじゃないから……」
明確な規則性はないのだと知ったアスナは華奢なおとがいに人差し指を当てて考え込んだ。
キリトの言葉を借りれば城の魔法と言うのはこの浮遊城アインクラッドに住む為に必要な物を出してくれるのだ。だったらアスナがキリトと一緒のベッドではここで暮らしていけない、と本気で思えばベッドが二つになるのではないだろうか?……と思ってはみたが、今日、自分が目覚めた時の状態を思い起こせばすぐに頬の赤みが蘇るけれど、だからと言ってベッドを別にしたいという感情はわき上がってこない。
それよりも自分が居る事で少しでも安らかな寝顔になって欲しいと思ってしまう気持ちを認めてしまえばベッドに関してこれ以上悩む必要はないわけで、アスナは「ま、いいわ」とその問題を終わらせた。
「それで、私がこのお城にやって来た時の話だけど」
「じゃあ、まずは一般的って言うか、この城にいるオレ以外の魔法使いが顕現した時の話をするか」
そう言ってカップの中身で喉を潤してからを「まず最初に」と、話し始めたキリトをアスナは背筋を真っ直ぐに伸ばして真剣な表情で耳を傾ける。少し緊張気味なその様子に思わず口元を緩めたキリトだったが、何も言わずに話を進めた。
「普通はどんな魔法使いでもこの城に顕れるのは昼間なんだ。あと顕現する場所も『転移の泉』って決まってる、って言うか、外からこの城への出入り口はそこしかないから当たり前なんだけど」
「外から?」
「そう。地上にいる魔法使い達がやって来たりするんだ」
「あ、それで『転移』なのね」
ひとつの疑問が解消したせいか、アスナの表情から緊張が僅かに抜ける。
この城以外に存在する魔法使い達に関しては話が広がりすぎるので、キリトは『転移の泉』に焦点を戻した。
「魔法使いなら誰でも利用できるから泉に人が現れる事自体は何も特別じゃない。けど、この城の新たな住人になる魔法使いの場合は城長のヒースクリフがその出現を察知して迎えに行くんだ」
「でも、私の時は夜だったから?」
「いや、少し待っていれば来たと思う。オレがアスナを城に運んだ時も城長はすぐに出てきたし身なりもちゃんとしてた。何よりオレが顕現した時だって迎えに来たし」
「でも、ここの魔法使いさん達ってキリトくん以外の人は夜は出歩かないんじゃないの?」
「ああ、夜に城長に会ったのは顕現した時だけだな。あの人は……なんか、特別なんだと思う。だいたい『城の魔法使い』のヒースクリフが夜に魔法が使えなかったら、この城は毎晩地表に落下してる事になるだろ」
「そっか……」
昨日、アスナが城で目覚めた時に城長であるヒースクリフから受けた説明によれば、彼は気象を司る「空の魔法使い」とは一線を画しており、アインクラッドが浮遊城である為の魔法使いなのだそうだ。
「え?!、でも……そうしたら、城長さん、一日中起きてるってことに……」
「そう、それそれ」
すぐに魔法使いの特性から疑問を抱くアスナの理解力にキリトは感心しながらもにやり、と笑む。
「このアインクラッドの七不思議のひとつになってる」
「えーっ」
「でも、寝ぼけてるヒースクリフなんて見た事ないし、直接聞いても答えてくれないからこれはもう謎のままでいいか、って、みんな諦めてるんだよなぁ」
考えても尋ねても答えが出ない疑問をいつまでも抱えているほど魔法使い達は暇ではないようだ。
「とにかく、後はアスナの状況とあまり変わらない。基本的なことをヒースクリフが説明して、城にいる魔法使い達に紹介して、生活をする上でサポートが必要なようならオレ達みたいに元から居る魔法使いと一緒に住んだり、住む家を隣同士にしたり」
「子供やお年寄りの場合が殆どだって聞いたけど」
「そうだな。でも子供であっても老人であっても魔法使いならすぐに自分の魔法は使いこなせるようになるし一人暮らしにも慣れてサポートの必要もなくなるんだけど……」
「私は自分の魔法がわからないわけよね」
瞼が持ち上がらない事での支障は今のところさしてないが、魔法が使えない魔法使いはかなり肩身が狭い。
「あっ……もしかして…………」
急に不安に駆られたような声でアスナの綺麗な眉にギュッと力が籠もった。
「私……魔法使いじゃない、とか……」
「それはない」
「ホント?」
見えないはずの瞳が不安げに揺れるのを感じたキリトは無意識に目の前にある彼女の手に自分の手を被せる。
「アスナにはちゃんと魔力がある。昨日、少しだけど感じたんだ。アスナの手から金色の砂粒みたいな光がキラキラとオレの中に流れ込んできた。感情が高ぶったりすると無意識に魔力が漏れ出るのは魔法使いの証拠だし、それに……」
「それに?」
続きを強請る声に従って言いそうになった言葉をキリトは「んぐっ」と飲み込んだ。
自分に向けられたアスナの魔力が今まで見たこともないほど綺麗で輝いていた、なんて言った後、自分はどんな顔をすればいいのかわからない。実際、言ったとしてもその時の自分の顔を彼女が見る事はないのだが……感覚でわかる、ってどんな感じなんだろうなぁ、と今更ながらキリトはアスナの閉じられたままの目を見つめた。
「そ、そんなに見ないでよ」
「へ?…………あ、そういうのもわかるんだ」
「キリトくんが分かりやすすぎるんでしょっ……と、とにかくっ、私はちゃんと魔法使いってことで、でも、どうやったら自分の魔法が何なのかわかるのしら」
「基本、今現在不在になってる魔法使いが新しく顕れるんだけどなぁ」
「それはどんな魔法使い?」
聞かれてキリトは昨日ユージオが口にした魔法使いの名をそのまま告げる。
「『五月雨(さみだれ)の魔法使い』と、あとは……『淡雪の魔法使い』、だったかな?」
「私がそのどっちかって可能性は……」
「ないな」
ハッキリとした断言にアスナは疑うことなくその可能性を捨てて考え込んだ。
「じゃあ、今のところ私は自分の魔法がわからない魔法使いなわけだけど、その場合、キリトくんはいつまで私のサポート役をしてくれるの?」
「それは……」
じっ、と返事を待つアスナから逃げるように視線を逸らしてからキリトはポツリと、けれど意志の強さを思わせる芯のある声で答える。
「アスナが……オレを必要としなくなるまで、だな」
お読みいただき、有り難うございました。
『城の魔法使い』はキリトがアスナを連れてくるのをわかってて
城から出ずに待っていた(楽をした)ようです。