予想外に真剣な声で返されたアスナはその瞳が開いていれば、ぱちくり、と音がしそうな程瞼を開閉させただろうくらいに眉を跳ねかせ驚きを表してから、軽く「ぶっ」と噴き出した。
「なっ、なんだよぅ」
一気に気の抜けた声の後、キリトが非難がましく唇を尖らせる。
「だ、だって……」
楽しそうに肩を揺らしながら言葉の途切れているアスナの真意がわからず、彼女に伝わるように、じいいっ、とその綺麗な尊容を睨み付けると、「こほんっ」とわざとらしく咳払いをしたアスナは僅かに口角を上げた。
「このお家のお掃除をしたのは?」
「…アスナさんデス」
「さっきのご飯を作ったのは?」
「それもアスナさん…デス」
「どちらかと言うと私がキリトくんのサポートをしてるみたいなんだけど?」
「うぐぅっ」
唸り声しか出てこないキリトは悔しまぎれに「オレは別に部屋が掃除されてなくても平気だし、ご飯がなくても寝てればいいんだっ」という強がりが一瞬脳裏をよぎったが、ちらり、と視線を巡らせば日中の明るい室内が隅々まできちんとしている気持ちよさとさっきのスープの温かさが思い出されて意地っ張りの自分を蹴飛ばした。
「なら、なんでそんな事、聞くんだよ」
「サポートしてくれる期間が決まってるのかと思ったのよ」
「あ、そーゆー……」
今度こそ互いが自覚できるほど見つめ合ってから同時に笑顔になった二人だったが、先に笑いを引っ込めたのはアスナだ。自分の手の上にあるキリトの手を更に覆うようにしてもう片方の手を被せる。
「キリトくんの手が、あったかくなってくれて、よかった」
「オレの……手?」
「自分で気付いてないの?、今日、私が起きた時、キリトくんの手、すっごく冷たかったんだから。いくら城長さんが決めた事とは言えいきなりお家に押しかけちゃったし……少しでもキリトくんの役に立てればいいな、って。それがいつまでなのか、ちょっと気になっただけ」
「あー……うん、有り難う、アスナ…………確かに、これじゃあオレの方がアスナに助けられてばっかりだな」
夜明けの時は手足の感覚さえ覚束ないのが当たり前のキリトはあらためて今、アスナの手に挟まれている自分の手の温かさが自分の心にまで届いている事に気づく。
けれどアスナはキリトの言葉に首を横に振った。
「違うよ。キリトくんが私を見つけてくれたから」
「でも、それは偶然で、本来はヒースクリフのはずだったし……」
「言ったでしょ、覚えてるって……お城まで連れて行ってもらった時、すごく、すごく、安心できたの。このお家もそう。私はキリトくんと一緒にこのお家で暮らす事ができて、すっごく幸せ」
「オ……オレと一緒にいて……幸せ、だなんて言う魔法使い……」
「キリトくん?」
いつの間にか両手で包んでいるキリトの手が微かに震えている。
俯いて黙ってしまったキリトの様子を見て、何かおかしな事を言ったかしら?、と慌てたアスナがもう一度キリトの名を呼ぶと、キリトはゆるゆると顔を上げた。少し苦しげに見えるキリトの笑顔は理由も分からずにアスナを不安にさせる。
「アスナはさ……もっと色んな魔法使い達と関わるべきだ。たくさんの人達と一緒の方が魔法力だって発揮できると思うし……」
「…………キリトくん……なんで……」
そんな顔でそんな事を言うの?、と問いたかったけれど、きっと今その理由を聞いても答えてくれないとわかってしまったアスナは開いていた唇をゆっくりと閉じた。それからキリトの震えを無理矢理抑え込むのではなく、収まるまで寄り添うと伝わるように優しく握る。
すると繋がっている手からキラキラとしたアスナの魔法力が湧きだし、キリトの心を潤していった。
「あ、アスナ…今、アスナの手から魔法力が……」
「えっ?、どこっ?、どれっ?」
「へ?……自分でわからないのか?」
キリトに指摘された途端、自分の手を閉じた瞼の前まで持ち上げて表裏を交互にクルクルと回していたアスナだったが、どうやっても何も感じ取れないのだろう、肩と眉がへにょへにょ、と力を無くす。
「うっ……わかんない……」
「そ、そっか……うん、まぁ、そういう事も、ある……のかも、だしな」
「大丈夫、きっと、そのうちわかるようになるさ」と励ましてくれるキリトが随分と嘘くさい笑顔で最後に「多分」と付け加えてから、そっと小声で「アスナが野分きの魔法使いや篠突く雨の魔法使いじゃなくてよかった……」と呟いている。
それを耳ざとく聞きつけたアスナはぴっ、と眉毛を復活させて「そうだっ」と声を弾ませた。
「私には分からなくてもキリトくんにはわかるんでしょ?、私の魔法力」
「まぁ、そうだな」
「なら、そこから私が何の魔法使いなのか、わからない?」
「えーっ」
そんな無茶苦茶な……と出かかった言葉は、可愛らしい顔のまま意外なほど真剣な声を正面から受け止めてしまい口に出来なかった。キリトだってわかるものなら教えてやりたいが、如何せん空の魔法使いは気象現象の数だけ存在が可能なのだ。しかも普通は無意識でも魔法力が溢れた時は大なり小なりその魔法が発動するはずなのだが、そっと周囲に目をやっても室内は何の変化も見られない。
もしも彼女が『野分きの魔法使い』や『篠突く雨の魔法使い』ならば部屋の中は矢のような突風か吹き荒れたか、鋭い雨粒が床に突き刺さっていただろう。
「悪いけど、アスナ…オレには無理だよ」
「…そっかぁ」
わかりやすい程に意気消沈したアスナだったがそれでも諦めきれないと、上目遣いで僅かなヒントを欲してくる。
「そういう事に詳しい魔法使いってやっぱり城長さん?」
「んー…どうかな。ヒースクリフは城のシステムには詳しいんだけど、ここに住む個々の魔法使い達にはあまり興味がないっぽい」
他の魔法使いと交流がない事に関しては自分も同じようなものだけど、と考えたキリトはある存在を思い出し、握り拳でもう片方の手の平をポンッと軽く叩いた。
「あ、そうだ。城の中に図書室がある」
「図書室?」
「ああ……と言ってもオレは行ったことないんだけど、ユージオが言ってたんだ」
「ユージオ…くん?」
「オレと同じ天空を司る『青空の魔法使い』さ」
友の名を口に出したすぐ後、躊躇うような妙に間の空いた叩扉の音が控えめに「コン……コン」と室内に響く。『夜空の魔法使い』の家の扉を丁寧にノックする魔法使いなんて一人しか思い当たらないキリトはそれでも「いつもは寝室まで勝手に入ってくるのになぁ」と少し可笑しそうに目を細めてから友を出迎える為に立ち上がったのだった。
「お邪魔…します」……普段から物腰の優しい青年だが、ことキリトに関してはかなり容赦ない言動が常の『青空の魔法使い』は開かれた扉からよそ行きの言葉を述べながら足を踏み入れ、真っ直ぐ先のテーブルに腰掛けているアスナに気付いて頭を下げる。聞き慣れない丁寧な言葉遣いに扉を開けたキリトが思わず肩を揺らすと、決まりが悪そうにユージオは小さく「キリトっ」と小声で叱咤した。
二人のやり取りで互いの信頼性を感じたアスナが、カタッ、と立ち上がる。
慌てて押しとどめようと両手を動かしたユージオに声を発する間も与えず、アスナは迷いのない足取りで彼の目の前まで歩み出た。
「こんにちは、『青空の魔法使い』さん」
お読みいただき、有り難うございました。
果たしてアスナは何の魔法使いなのか……?