幕末土佐の快男児(1)
「あの白髪頭! わしを裏切ったな!!」
叫び声と何かを蹴り飛ばす音で、立香は目を覚ました。
壺が割れる音と荒い息。
おそるおそる、瞼を開ける。まず最初に、金箔の臥間が目に飛び込んできた。次に割れた壺の破片。そして、その次に眼に入ったのは……
「ん? なんじゃ。起きちょったか」
不満顔の岡田以蔵が見えた。
黒いマフラーに顔を埋めながら、むすっとこちらを睨んでくる。
「……ここは?」
「二条第じゃ。そうじゃのう……おんしに分かりやすく言えば、この時代の二条城のことや」
立香は修学旅行で訪れた世界遺産を思い出す。
つまり、自分が訪れた二条城は豊臣時代に造られたのではなかったのかーと頭の片隅で考えながら、どうして、岡田以蔵が怒り狂っているのか考える。
「裏切られたとか言ってたけど……」
「黙っちょき! わしは出かけてくる」
岡田以蔵は鼻息荒く、部屋から出て行った。
一人になった部屋で、立香は状況を確認した。
まず、両手を縛られている。足は自由だが、悲しいかな。床に座る体勢で柱に縄で括り付けられていた。これでは足が動かせても、手は柱の後ろだし、まるで意味がない。駄目もとで、もぞもぞと手首を動かしてみるが、まったくもってビクともしなかった。
「……はぁ……もっと、エミヤにしっかり習っておくべきだった……」
立香は大きくため息をついた。
カルデアには古今東西多種多様な英雄たちが集っている。一芸に秀でた英雄も多く、立香は自分の護身と、いざという時に戦う術を求めて、何人かの英雄に教えを乞うていた。
その中でも未来から召喚された英雄――エミヤからは、簡単な魔術と護身術を習っていた。
エミヤ曰く
『いかなる戦場においても、君は絶対に生き残らないといけない。そのためには、縄抜けくらいは覚えておいても損はないと思うがね』
と言いながら、縄抜けのやり方を教えてもらった。
これが、なかなか上手くいかず、縄を解くまでに数時間もかかってしまった。
「しかも、あの時より硬い」
自力で脱出するのは、ほぼほぼ不可能だ。
がっくり頭を下げたが、落ち込んでいても始まらない。少しでも、周囲の状況を確認し、逃げ出す術や今回の事件に関する情報を見つけなければ――!!
立香はそう心に決め、横から部屋を眺めようとしたとき、ふと、隣に白い布が見えた。ほつれが目立ち、ぼろぼろと穴が開いている布には、とても見覚えがある。
「もしかして……山姥切さん?」
立香がおそるおそる尋ねてみると、ゆったりとこちらを振り返る。
「……藤丸だったか? 無事だったんだな」
「無事というか、捕まっているというか……って、山姥切さんはどうしてここに?」
「……見ればわかるだろ」
山姥切は不機嫌そうに俯いた。
立香は一瞬首をひねったが、すぐに納得する。彼の腰にも縄が巻き付いていた。立香同様、柱に括りつけられている。どうやら、彼も岡田以蔵に捕まっているらしい。立香の視線が縄に向けられたことに気付いたのだろう。山姥切の声は、さらに一段階下がった。
「どうせ、俺は写しだ」
「いや、写しは関係ないと思いますよ?」
「ところで、加州は……いや、お前だけ捕らえられたのか」
「清光のことですから、無事だとは思いますけど……」
立香の言葉がしぼんでいく。
山姥切は何も話しださない。
ただ、しんと静まり返った時だけが流れていく。合戦の音も、侍女が歩く音も、鳥の鳴き声すら聞こえない。異様なまでに静まり返っていた。生活音がまるでないというだけで、不安が圧しかかってくる。
これほどまでに人の気配がしないというのは不気味である。
歴史遡行軍にせよ、北条氏政にせよ、その背後にいる魔神柱にせよ、一体何を考えているのか。
「……駄目だ。まったく分からない」
だいたい、人がいなければ政治はできない。
二郎の話だと、遡行軍が京の都に残された人々に、なにか教えを広めているとのことだったが、活気もなければ生命力の欠片も感じない場所が首都なんて、立香には全く理解できなかった。
「それに、以蔵さんはどうして……?」
立香が目覚めたのは、彼が暴れていたからだ。
確か、誰かに裏切られたと叫んでいた気がする。
「以蔵? ああ、黒い襟巻の男か」
「山姥切さん、何か知っているの?」
「……いや、知らない。ただ、同田貫のような襟巻だったから覚えていただけだ」
「どう、たぬき?」
「質実剛健を掲げる刀剣男士だ。実戦刀であることに誇りを抱き、兄弟と常日頃から鍛錬に明け暮れている」
「ベオウルフや李書文先生みたいな感じの人かな? って、あれ?」
立香は喉に小骨が刺さったような感覚に陥った。
なんだか、変なところがあった気がする。
「どうした?」
「いや、どこか間違っていた気が……」
「なんじゃ、仲良うしゃべっちゅーな? ええ御身分やの」
はっと顔を上げると、ちょうど岡田以蔵が戻ってきたところだった。
深緑色の羽織に灰色の袴。そして、黒いマフラーで顔を隠し……
「あぁ!! それだ!!」
立香は叫んでしまった。
パズルのピースが、ぴたりと嵌ったような感覚が電流のように奔る。岡田以蔵はいきなり叫ばれ、少し動揺したのだろう。半歩後ろに引き、眼を丸くしている。
「な、なんじゃ?」
「以蔵さん! いつもの臙脂色のマフラーはどうしたの?」
「はぁ? 前からこの襟巻や」
「いや、違う。絶対に違う!」
立香は断定する。
これは、日本号という刀に英霊 後藤又兵衛を押し込んだように、同田貫という刀に岡田以蔵の霊基を無理やり押し込んだのだろうか。いや、それにしては、あまりにも外見が岡田以蔵だ。外見も、話し方も、裏切られて怒り出す性格も、立香のよく知る岡田以蔵そのものである。
違うところは唯一つ、マフラーの色だ。
「マフラーだけ、オルタ化したの?」
「しちょらん!さっきから、何を馬鹿たことを……おんしゃ、頭は大丈夫か?」
敵のはずなのに、岡田以蔵が気遣ってくる。
立香は唸った。自分の記憶にある以蔵と違う箇所が、どうしても気になって仕方がない。立香が頭を悩ませていると、岡田以蔵はいつものへらっとした上から目線の表情に戻った。
「まあええ。ここで生かしちょけば、仲間が助けに来るろう。その時は、おんしらを人質に取り、手も足も出ん状況にしちゃる。自分たちのせいで仲間が苦しむのを、せいぜい楽しむとええ」
「……好きにしろ。どうせ、俺は写しだ。誰も助けに来ない」
「山姥切さん……」
山姥切の纏う空気が、さらに降下する。
「はぁ? 助けに来ん? そがな馬鹿な?
やったら、何のために浚うたのか分からんなるろ?」
「え? 北条氏政に喜んでもらうためじゃなかったの?」
立香が指摘すると、うぐっと以蔵は言葉に詰まった。
「うぐっ、そ、それはええ!
あの白髪頭が
『カルデアのマスターを殺さなかった点は良かったですけど、わざわざ浚ってくる必要は……。
一人一人、彼女の周囲からサーヴァントと刀剣男士を引きはがす計画が台無しです。
あなたは命令があるまで、二条第で大人しく控えてください。え? 理由? それはもちろん、彼女たちを助けに来たサーヴァントを返り討ちにするためです。
だから、絶対に外に出ないでくださいね。いいですか、絶対ですよ!』
と、ぬかしおって!
わしは、そがな計画は聞かされちょらん! だいたい最初は、わしのことを頼りにしちょると言ってたじゃが!」
岡田以蔵はだんだんとイライラして来たのだろう。
言葉の節々から怒りの色が滲みだしてきている。
サーヴァント 岡田以蔵。
彼は人から馬鹿にされたり、裏切られたり、笑われることが大っ嫌いだ。その地雷を踏み抜いた白髪頭なる者を許すことが出来ないのだろう。きっと、同じ陣営にいなかったら、問答無用で斬り捨てていたに違いない。
「わしこそが、北条氏政様の一の家来、人斬り以蔵じゃったのに! あの、天草四郎時貞め!!」
「白髪頭って、天草四郎のことだったんだ……」
以蔵の話を聞いているだけで、天草四郎の渋い表情が脳裏に浮かんでくるようだ。
彼の話しぶりを聞いていると、よほど信頼されていないのが分かる。
「以蔵さん、仕事はしっかりやるのにね」
「『仕事は』は余計や!
とにかく、おまんらは大人しくせえ。逃げ出たら絶対に許さん! まあ、絶対に逃げられんがな」
そう言うと、岡田以蔵は再び部屋の外へ行ってしまった。
もしかしたら、二条第の見回りに出かけたのかもしれない。与えられた仕事は完璧にこなす。粗雑に見えるが、そういうところはかなりマメな人である。
こうして部屋には、立香と山姥切だけが残された。
ずっしりと、重たい沈黙が部屋に流れる。立香は耐えきれなくなり、山姥切に話しかけることにした。
「あの……山姥切さん?」
「なんだ? 写しの俺に話しかけても、面白いことなどないぞ」
卑屈っぽい回答に、立香は苦笑いをしてしまう。
「私、山姥切さんが偽物かどうか、気にしたことなんて一度もないよ」
「……それは、お前が刀剣について詳しくないからだ」
「確かに詳しくないけど……だけど、……ほら、ノッブが言ってたじゃん。『山姥切国広は堀川国広の最高傑作』だって!
偽物とか、よく分からないけど、最高傑作なんだから、胸を張ればいいんじゃないかな?」
「なん、だと?」
山姥切の青い瞳が、少し驚いたように見開かれた。
「それに、あなたは私のことを助けてくれた。
本物か偽物か、そんなこと関係ない。
右も左も分からなかった私を助けてくれたのは、あなた……山姥切国広だよ」
今度こそ、上手く伝わるように、言葉を選びながら正直に思っていることを伝えた。
偽物か本物かどうか、正直なところどうでもいい。
肝心なのは、今、自分の目の前にいる山姥切国広が、自分の命を救ってくれた恩人であるということだ。
「前にも言ったけど、山姥切国広さん。助けてくれてありがとう」
「――ッ!」
白い布越しでも、山姥切の顔が赤らめていくことが分かった。
「ほー、おんしゃ、なかなかええこと言うのう!」
そんな声と共に、天井から誰かが降ってくる。
土佐弁に警戒し、身を固くしたが、すぐにそんな必要はなかったと悟る。
「なんや? 清光はおらんのか?」
「おまえは――!?」
山姥切が目を見開く。
そこにいたのは、太陽のような人だった。
朝陽の昇る様にも似た、眩しい笑顔を浮かべ、刀を携えた快男児が堂々と佇んでいた。
「『かるであ』の『ますたー』か? んじゃ、自己紹介せんとな。
わしは陸奥守吉行。坂本龍馬の刀で、審神者に顕現された刀剣男士ぜよ!」