「いくら増えようとも同じこと」
牛若丸の表情は変わらない。
言葉通り、1人増えても2人増えても、天才である彼女には些事なことなのだろう。いや、むしろ彼女にとっては嬉しい誤算だったようだ。彼女は口の端をにたりと上げ、
「いえ、むしろ好都合。氏政様に捧げる首が増えました」
と呟くやすぐに、最も近くにいた長谷部に切りかかる。
「……なるほど。これが噂に聞いていた洗脳と言う奴か」
長谷部は牛若丸の攻撃を受け止めながら、藤色の眼を細めた。
「はせべさん! かみかざりをとれば、もとのよしつねこうにもどります!」
今剣が遡行軍を戦いながら叫ぶ。
長谷部は今剣の声を聞くと、素早く目を奔らせた。
「なるほど。あの黒い羽根飾りか!」
長谷部はそのまま刀に力を入れ、鍔迫り合いに持っていこうとする。だが、その前に牛若丸は長谷部の刀を打ち弾き、彼から距離をとった。おそらく、本人の中に「髪飾りを盗られてはいけない」と刷り込まれているのかもしれない。
牛若丸が距離を完全にとるまえに、長谷部は橋を蹴り飛ばす。瞬く間に牛若丸と肉薄し、その手を彼女の頭に伸ばそうとした。
「っ、遅い!」
だが、牛若丸が一歩上手だ。
彼女の刀が、長谷部の腕を切り飛ばそうとする。彼は辛うじて刀で防御することができたが、その手は彼女の頭から離れてしまう。
「長谷部殿、避けろ!」
岩融が跳びはね、上から牛若丸を狙う。長谷部が伏せるとの同時に、彼の頭上で薙刀が振るわれた。牛若丸はたんっと軽快な音を立てながら跳び、橋の桟に飛び乗ろうとする。彼女が桟に足がつくか、着かないかのところで、岩融が彼女を撫で切ろうとした。
「どおりゃああ!」
彼は確実に牛若丸へ損傷を与えたと思ったのだろう。尖った歯を見せつけるように、にやりと笑った。が、その顔がすぐさま驚きのものへと変わる。
「この程度ですか?」
牛若丸は薙刀の上に佇んでいた。
世辞にも広いとは言えぬ刀身に両足をつけ、得意げに笑っている。そのまま牛若丸は、ほぼゼロ距離から岩融の首を狙う。岩融は得物を勢いよく振るうことで彼女を落とそうとしたが、八艘飛びの逸話を持つ英雄がその程度で落ちるはずもない。牛若丸に首を刈られる直前、彼は身体を屈める。頭巾が一閃され、橙色の髪が露になった。
「圧し斬る!」
そんな彼の巨体に隠れていた存在が、奇襲のような攻撃を仕掛ける。
牛若丸は再び狙いを岩融から長谷部に変更した。牛若丸は攻め込む気を窺うように、長谷部の攻撃をのらりくらりと躱し続ける。長谷部の額に汗が浮かび始める。
「分かっているでしょう。私と貴方の実力の差が」
牛若丸は嘲笑う。
立香は心が苦しくなった。いつもの牛若丸は、あんな笑い方をしない。たとえ、敵相手でも一定の敬意をもって相手をしている。敵の力量を嘲笑うなんてことは、絶対にしない。
あの黒い髪飾りは、洗脳能力だけではなく、一時的に英霊を反転させ、オルタ化させる力でも秘めているのだろうか。
岡田以蔵の時は気づかなかったが、牛若丸の様子を見ていると、そんな仮説を抱いてしまう。
「さあ、これで終わりです」
牛若丸は力強く踏み込んだ。
長谷部が防ごうと刀を前に出すが、彼女が振り下ろした刀によって生じた風圧によって吹き飛ばされてしまう。岩融が彼を受け止め、大事には至らなかったが、彼女との間にかなりの距離が開いてしまった。
「さあ、次はどうします? 2人同時に来ますか? それとも、後ろでこそこそ遡行軍を倒している今剣と協力してかかってきます? ええ、もちろん、カルデアのマスター殿もサーヴァントを召喚していいですよ。
私は全員、倒せます。なにしろ、天才ですから」
牛若丸は自分で言っていて面白いのか、くすくす笑った。
「私たちは実現するのです。裏切りも妬みも苦しみもない、極楽浄土を!!」
「……それは不可能でございます」
割り込んできた声に、牛若丸は笑いを止めた。
彼女は真顔になると、長谷部と岩融の遥か後方に現れた男を睨み付ける。
「悪性のない極楽浄土。それは確かに素晴らしいことでしょう。
ですが、この時代を潰してまでやる必要はございません」
身体中から水を滴らせながら、100以上の武器を背負った男はゆっくりと五条大橋に歩き始めた。
「現代に生きる者にのみ、極楽浄土を夢見ながら苦行を重ねる資格があるのです。
この時代も、我らも過ぎ去りし遺物。そこに手出しをしてはならないと、貴方なら分かるはずです」
「弁慶さん!!」
立香が彼の名を呼ぶと、男は口の端を緩めた。
「マスター殿、遅れて御免」
「いまさら三文役者が加わったところで、何ができるというのだ」
牛若丸は吐き捨てるように言ったが、弁慶は平然と微笑んでいる。
立香は嫌な予感がした。
脳裏に横切るのは、バビロニアでの光景。
ティアマトの眷族に成り下がった牛若丸を止めるため、弁慶は……そこまで思い浮かべた時、立香は叫んでいた。
「弁慶さん、いけない!!」
「はっはっは。マスター殿、どうかご安心ください。我が主の不始末は拙僧にお任せあれ!!」
弁慶は長谷部たちの辺りまで到達すると、急激に魔力を高めて突進する。
牛若丸はさして興味なさげに、彼を刀で突き刺した。
「また臆病風に吹かれて、逃げておれば見逃してやったのに。あっけない最期だったな」
「……いえ、そうでもありませんぞ」
弁慶の顔から微笑みは消えていない。
むしろ、彼女の両肩をがっちりつかみ、放さないようにしていた。
「ええい、なにをする! 離れんか!」
「離れませんぞ。拙僧はもう逃げないと誓いましたので。
さあ、マスター殿、今剣殿。お逃げくださいませ。
……義経様。長らくの不在、申し訳ありませんでした。共に、真の極楽浄土へと参りましょう。
西方浄土にて我らが業を焼き尽くす――ッ!!!」
弁慶は高らかに叫んだ。
あたり一帯が一段階薄暗くなるのと引き換えに、弁慶の背後が煌びやかに輝き始める。その輝きは円となり、やがて曼荼羅へと形を変えた。
これが、武蔵坊弁慶であり続けようとする仙人の宝具――……
「五百羅漢補陀落渡海!」
曼荼羅の中から遊行聖の大行列を呼び出される。
彼らは浄土を目指し、棺桶のような舟に封じ込められ、流される即身成仏の行である「補陀落渡海」に旅に出る者たちだ。
それはさながら日本や中国、またはインド古来から伝わる絵図のようで、西洋絵画とは異なる幻想的な光景だった。
呼び出された行列は、その場にいるすべてを進行方向へと押し流す。
そのため、その場にいる者は抵抗に失敗するたびに、強制的に移動させられ、最終的には浄土へ連れて行かれ成仏する。
五条大橋を埋め尽くしていた遡行軍たちは、為す術もなく押し流されていく。
牛若丸は抵抗しているのか、流れが遅い。だが、確実に、緩やかに弁慶と一緒に流され始めていた。
「駄目だ。このままだと……」
牛若丸はもちろん、弁慶まで流されてしまう。
二人とも消滅し、この地には再び現れない。カルデアに戻り、再召喚すれば良いのかもしれないが、それは違う気がした。2人とも自分のサーヴァントなのに、こんなところで自死するのを見逃せない。
だけど、どうすればいいのか、立香には分からない。
「……よしつねこう……」
傍らの今剣が苦しそうに呟く。
立香は口を開きかけたが、一度、堅く結んだ。
一つだけ、思い浮かんだ案がある。しかし、それを口にしていいのだろうか。だが、悩んでいる時間はない。
「今剣君、アレに触れないで牛若丸のところまで走れる?」
立香は尋ねた。
少し、声が険しくなっていた。
今剣はぱちくりと瞬くと、牛若丸にそっくりな表情で頷いた。
「ええ、できますよ。ぼくは、よしつねこうのまもりがたなですから!!」
今剣は得意げに答えると、走り始めた。
素早く橋の桟に飛び乗ると、そのまま腕より細い桟を駆け始める。途中、金色に包まれた行列とぶつかりそうになったが、そこは身軽にかわし、牛若丸たちの傍近くの桟まで到達する。
「よしつねこう、べんけいさん、いま、おたすけします!!」
今剣は軽やかに跳んだ。
「ばびゅーんと!!」
今剣は宙を舞いながら、牛若丸の髪留めを盗る。
そのまま彼は向こう側の桟に飛び降りた。今剣の手に握られた髪留めは、みるみる間に色を失い、本来の狸の尻尾柄へと戻っていく。
「……う、ううん……はっ、なにをしている、放せ、この馬鹿者!!」
「……ははは、どうやら、正気に戻られたようですな」
弁慶は軽やかに笑いながら、宝具の発動を取りやめる。
遡行軍たちは楽園浄土へと流されたが、牛若丸と弁慶だけが残っている。牛若丸はすぐに刀を引き抜くと、弁慶はよたよたと後ろに下がった。
「ありがとう、今剣君!」
「このくらい、おやすいごようです!!」
今剣はえへんと胸を張ったが、すぐに心配そうな顔で弁慶を見た。
弁慶の腹からは、とくとくと血が流れ出ている。
「弁慶さん、じっとして」
立香はすぐに彼の腹に手を当て、回復魔術を唱えた。
「マスター殿、心配なさらずとも結構。なにしろ、私は頑丈なことが取り柄ですので」
「嘘をつくな。お前は逃げることが取り柄だろう」
牛若丸はいつものように彼へ毒を吐いてはいたが、少し表情は暗かった。
「……何が起きたのかは分かった。まったく……私を見捨てて、宝具を発動すればよいものを……」
「義経公だけ逝かせるわけにはいきませんからな。拙僧、義経様に最期までお供するつもりでございますので」
「……馬鹿者が」
牛若丸は囁くように言葉を漏らすと、今度は立香の前で膝をついた。
「主殿、申し訳ございませんでした。私は……どうやら、主殿に剣を向けてしまった様子。いかなる罰もお受けしましょう」
「い、いや、罰なんて……元に戻って良かった」
立香はずっと堅かった表情を緩めた。
牛若丸は次に今剣に目を向ける。彼の手には、彼女の髪飾りが握られていた。
「ありがとうございます、今剣」
「いえ、ぼくはよしつねこうのまもりがたな。よしつねこうを、わるいものからまもるのは、とうぜんです!」
牛若丸は先ほどとは質の異なる朗らかな笑みを浮かべると、今剣の頭を撫でた。今剣も幸せそうに微笑んでいる。それを終えると、牛若丸は長谷部と岩融に目を向ける。
「貴方たちにもご迷惑をおかけしてしまったようですね。申し訳ございません」
「いや、俺は主命を果たしたまでのこと」
「元に戻って良かったと喜ぶべきことよ」
長谷部は動かなかったが、岩融が歩き始める。
岩融は治療中の弁慶の傍まで歩み寄ると、静かに彼を見下した。
「……安宅の関の話を知っておるよな?」
「……ええ、無論存じておりますぞ」
「常陸坊海尊という男がいてな。その男が弁慶だったら、安宅の関は越えられなかったと思っていた。死を恐れ逃げた臆病者は、勧進帳を読み上げる度胸も義経公を叩く勇気もないだろうと」
岩融は静かに話し始める。
弁慶は渋い顔で口を挟むこともなく、彼の言葉を聞いていた。
「だがまあ、その男にも勇気や度胸が宿っている。海尊も義経公や弁慶のことを強く思い、関を越えることが出来るだろうと、俺は感じた」
「……」
「ということを、なぜか今の戦いで思っただけだ。
一時はどうなることかと思ったが、無事で良かったぞ、弁慶殿!!」
岩融は最後、真剣な表情を崩して、楽しそうな笑顔を浮かべた。
「……岩融殿、拙僧は……」
「がっはっは。お主は武蔵坊弁慶!背負った薙刀は三条宗近の鍛刀した岩融!
聚楽第の怪異を解決するまでの期間だが、よろしく頼むぞ!!」
岩融は高らかに笑った。
言われてみれば、岩融の持つ薙刀と弁慶の背負った薙刀は同じものに見える。
海尊が弁慶として召喚された故に、彼の薙刀を持っているのかもしれない。
弁慶は堅く結ばれた口元を緩め、岩融のように笑った。
「はっはは、さすがは岩融。弁慶の薙刀よ! うむ、拙僧も改めてよろしくお願いします」
「はっはっは、堅苦しいぞ、弁慶殿!」
五条大橋に愉快な笑い声が木霊する。
立香も肩の力が抜けたような気がするが、その心を引き締めるように、牛若丸が声をかけてきた。
「主殿。こやつが回復するまでの間に、戦況について伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「うん、説明するけど、その前に……牛若丸、別れてからなにがあったのか教えてくれる?」
立香が尋ねると、牛若丸はまっすぐこちらを見据えながら話し始めた。
「巴殿との戦いで、私は離脱しました。
主殿にも無事に戻ってきてくれと言われていましたので、川に飛び込んでやり過ごそうとしたのです」
「うん。私も巴御前から聞いた。牛若丸が川に落ちたって」
「その後、私は川から上がったところで襲撃にあいました。遡行軍を引きつれた天草殿と呂布殿です。
悔しいことですが、そこで私は敗北し、目が覚めると暗い部屋にいました」
「暗い部屋?」
立香が尋ね返すと、牛若丸はこくりと頷いた。
「逃げ出す前に、髪飾りに触れられ……気が付いたら、ここにいました」
「誰に触れられたの?」
「すみません、はっきりと覚えていないのです。ただ、スカートでしたっけ? 巨大な筒状の履物を纏った女でした。履物の隙間から、人のものとは思えない足が生えていたのが見えた気がします」
「人のものではない足……?」
立香は唇に指を添えて考え込む。
足。
たしか、岡田以蔵も言っていた。
たくさん足のある者に捕らえられていたと。
「……脇差かと考えていたが、どうやら違うようだな」
長谷部も同じことを考えたのだろう。
牛若丸を見下しながら、推理し始める。
「たくさん足のある女。この女が洗脳する力を持っている」
「宝具かスキルなのか分からないけど、サーヴァントの仕業だ」
立香は自分の知識と符合する。
少なくとも、これまで出会ったサーヴァントではない。
「いったい、誰なんだろう」
その問いに応える者はいない。
牛若丸と岡田以蔵を洗脳した謎の人物。
彼女は誰なのか、北条氏政の狙いは一体何か。
陰謀渦巻く京の都。
謎は膨らみ続けている……。
一週間程度、投稿をお休みします。