令呪は残り1画しかない。
だから、こんなくだらないことのために使うわけにはいかない。
結局、陸奥守吉行が
「すべて終わったあと、祝い酒でも飲みながら話した方が、ゆっくりと店について考えることができるんやないか?」
と言ってくれたおかげで、ようやく話が落ち着いた。
「ありがとうございます、陸奥守さん」
「別に気にするようなことやない。
さあ、張り切って聚楽第を攻略しようぜよ」
陸奥守はにかっと白い歯を見せて笑った。
眩しい笑顔に、立香は平伏した。ぜひとも、カルデアに来てもらいたい御仁である。彼みたいに裏表のない笑顔で周りを折衷できるようなサーヴァントは……立香の思い浮かぶ限り、アーラシュくらいしか思いつかなかった。
こうして、江雪斎と風魔小太郎に見送られ、一行は出発する。
東の空は白ずみ、京の都は群青色の布で覆われたような静けさが漂っていた。
「……」
鈴鹿が立香の隣を走っている。
一見するといつもの顔に見えるが、わずかに毛が逆立っている。殊更、彼女が周囲を警戒しているのが分かった。
「……藤丸、何を考えている?」
ふと、山姥切が話しかけてきた。
「え、いや……緊張するなって」
まさか、本当のことを言うわけにはいかないので、少し目を逸らして答える。
「新シンが……以蔵さんと一緒に来た人が、敵に回っているかもしれないって思うと寂しくて」
山姥切は並走しながら、蒼い瞳でじっと立香を見つめてきた。
「相手が何だろうと、斬ればいい。そして、目を覚ませてやればいいだけだ」
「……そうだね。山姥切の言う通りだね」
立香は青い眼を見返すと、口元を綻ばせる。
隣の鈴鹿はピリピリとしているが、立香は少し身体から力が抜けたような気がした。少なくとも、足取りが軽くなった。
二条第の脇を抜け、いよいよ聚楽第が見えてきた。
荘厳な彫刻が施られた豪華絢爛な建物は、一目で相当な権力者が居座っていることを示していた。そして、全体的に禍々しい空気を醸し出している。近づくと肌が痺れるような緊張を感じた。
「わしらはこっちじゃ」
信長が手招きする。
壁に沿って進んでいく。入り口から離れているというのに、いたるところに細やかな細工が見て取れた。正面は凝っているのに人が見ない裏側は質素なつくりをしている城が多い中で、どこを見ても贅を尽くしているのは、やっぱり、豊臣秀吉が物凄い権力を手にしていたと実感する。
立香がそのことを伝えると、信長はやれやれと首を振った。
「出自が関係しているのかもしれんが、昔から猿は派手好きだからのう。ま、分からんでもないが。
さて、そろそろじゃ。気を付け!」
信長は角を曲がりながら、素早く彼女は刀を引き抜いた。
彼女の声と同時に、周囲の刀剣男士やサーヴァントの殺気がぐんっと上がった。
立香も令呪を握りしめ、角を曲がる。
するとそこには、ざっと20人ほどの遡行軍がいた。
鬼たちはこちらに気付くと、すぐに刀を構えて襲いかかってくる。
だが、こちらは一騎当千の強者たちの一団だ。
第六天魔王 織田信長。
第四天魔王の娘 鈴鹿越前。
沖田総司の刀 加州清光。
魔王の愛刀 へし切長谷部。
山姥切伝説の刀 山姥切国広。
坂上田村麻呂の宝剣の写し ソハヤノツルキ。
信勝を除けば、一人で十人は軽く倒せるはずだ。
事実、あっという間に掃討されていく。立香が他のサーヴァントを召喚する必要などない。
そのように思えた。
「……奇天烈な策よりも常套手段を。貴方ならそう来ると確信していましたよ」
声が降ってくる。
裏口の扉が開き、天草四郎が白い髪をなびかせながら現れた。
「天草四郎!」
「残念ですが、貴方たちを聚楽第に入れるわけにはいきません。ここで、始末させていただきます」
彼はそう言いながら、刀を引き抜いた。
ソハヤノツルキがその刀を一瞥すると、ひゅーっと口笛を吹いた。
「その刀、三池典太の作だな」
「みいけ……?」
「そういう貴方は、ソハヤノツルキですね。なるほど、世間は狭い」
天草四郎も感慨深そうに言葉を口にする。立香が戸惑っていると、ソハヤノツルキはさらっと説明してくれた。
「三池典太は俺を鍛った刀鍛冶だ。俺が見間違えるはずもない」
「三池作の刀なら、それ相応の霊力があるだろうな」
長谷部が紫色の瞳を細めると腰を低くし、いつでも切り込めるように態勢を整えた。だが、その考えを信長は否定する。
「安心せい。天草四郎は単体では、そこまで攻撃力が高くない。むしろ、数ではこちらが勝っておる。
二人ほど残って奴の相手をし、残った者たちで聚楽第に潜り込めば――……」
「そう簡単にはいかせませんよ、第六天魔王」
天草四郎はすっと手を掲げる。
すると、地面から沸き上がるように遡行軍が現れた。その数、十や二十どころではない。聚楽第の裏口を埋め尽くしてもまだ足りないほど、眼を疑うような軍勢だった。
「ざっと300体。お望みであれば、まだまだ召喚できます」
「――ッ、数が、多い!」
立香は目を丸くする。
信長や鈴鹿の宝具でも令呪のブーストがないと一掃できないし、天草四郎の言い方だと、これを全員倒したところで、まだまだ召喚できるのだろう。令呪は1画しかないし、ここで時間を食うわけにはいかない。
「さあ、どうします? カルデアのマスター。残り1画の令呪を使いますか? 使うしかありませんよね。ですが、それをしたが最後、裏切られた時に自害させることができませんよ?」
天草四郎が心を逆なでするような声で言ってくる。
鈴鹿が横目でこちらを見てくるのが分かった。立香はまっすぐ天草四郎を見つめる。信長や他の男士たちがどんな目で自分を見ているのかはわからない。
だから、立香は自分の答えを口にする。
「私は、令呪を使わない。
だって、私はみんなを信じているから」
きっぱりと断言する。
「信じていたところで、裏切られたらどうするのです? この世界は裏切りで満ちていますよ?」
「私が勝手に信用しているだけです。裏切られたら、私がその程度の人間だったってだけ。
貴方だって、裏切られても人を信じている。だから、聖杯を求めているんでしょ?」
立香は自身の知っている二人の天草四郎を想起した。
下総で出会った四郎は、この世界を憎んでいた。憎悪の炎を燃やし、英霊剣豪で世界を滅ぼそうとしていた。
だが、本来の天草四郎は違う。
謀反人として殺されたが、それでも全人類の救済を夢に見ている。目の前にいる天草四郎は、そちらの側面が強い。少なくとも、この世全ての悪を喜び、怨嗟を撒き散らす下総の天草四郎には全く見えなかった。
「……ええ。だから、私は貴方たちを倒します。遡行軍、行きなさい」
天草四郎は号令をかける。
遡行軍たちは雄たけびを上げて、突撃してきた。あと十数秒で、立香たちのいるところまで到達し、遡行軍に飲み込まれてしまうだろう。
「……マスター、ここは私に任せて」
鈴鹿御前が口早に言った。
彼女が周囲を警戒しろと言ったのに、と思ったが、それを指摘する前に答えを口にした。
「マスターが信じるって断言したってことは、従わないわけにはいかないってカンジ。
それに、私の宝具なら――……」
彼女は好戦的な表情を浮かべると、黄金の剣を数本、空中に投影した。まるで天狗のように軽々と剣に飛び移りながら、小さな犬歯を剥き出しにするように笑った。
「この程度の敵、朝飯前だしー!」
無数の剣が雨のように遡行軍に襲いかかるが、剣の数が足りな過ぎた。朝飯前だと強がってはいるが、まだ長谷部たちとの戦いの傷が完全に癒えていないのだろう。
「……っ、鈴鹿には悪いが、天草四郎を抜けていけん!」
信長が苦言を零す。
けれど、鈴鹿も必死なのだろう。表情こそ好戦的だったが、近くから覗き込めば額に薄ら汗が滲んでいるのが分かった。
「そういうときは、俺の出番だ」
ソハヤノツルキは、その大きな体から考えられないほど身軽に剣に飛び乗ると、ひょいひょいっと鈴鹿のところまで上って見せた。
「あんた!?」
「俺は写しだが、霊力がある。だから、素早丸の代わりを務めることができるぜ」
「……そうか!」
立香は鈴鹿が召喚された時に目を通したマテリアルを思い出した。
鈴鹿御前。
彼女の宝具は「天鬼雨」。
彼女の刀「大通連」を幾重にも分裂させ、雨のように降り注がせる。その数は約250本とされているが、本来は素早丸との連携技で、最大500本ほどの黄金の剣を召喚することができるらしい。
鈴鹿は眼下から見上げてくるソハヤノツルキを見つめ返すと、口の端を持ち上げた。
「……いーじゃん、のった!」
鈴鹿御前は彼に手を差し出す。ソハヤノツルキも挑戦的に笑うと、彼女の手を握り返した。その瞬間、彼女の周囲に浮いていた黄金の剣が急激にに輝きを増した。
鈴鹿御前を中心に円を描くように、数多の黄金の剣が出現する。
1つの円ではない。二重、三重と円を作りながら、剣は彼女の周囲を回っている。
「あの剣……ソハヤノツルキの霊力を感じる」
山姥切が呟いた。
確かに、普段の天鬼雨の刀よりも太陽のように眩い金色だった。光の加減によっては、鈴鹿の髪と同じ桜色にも見える。
「見るがいいし! 私とソハヤノツルキの連携技!」
「写しだからって、俺の霊力を舐めるなよ!」
二人の叫びが呼応すると、500本の剣が豪雨のように遡行軍へ襲いかかった。あまりに一気に襲いかかったものだから、地面が巻き起こされ、土煙が地上を覆った。視界が潰れ、立香は腕で顔を覆い隠そうとする。しかし、いきなり腕をつかまれた。
「立香、こっちじゃ!」
織田信長はそう言うと、土煙の中を走り出した。
周囲に数人の気配を感じる。立香は信長に手を引かれ、土煙の外に出た。剣が降り注ぐ音は依然として聞こえたが、後ろから聞こえる。立香が振り返ると、いつの間にか裏口の門を抜けていた。門の向こうには土煙で覆われ、その少し上から次々と黄金の剣が現れ、遡行軍たちに襲いかかっている。
鈴鹿御前の霊力とソハヤノツルキの霊力が交わった剣は、基本的には黄金色だったが、時折、ちらほらと桜色に見える。その様子は、まるで千本の桜が舞い落ちているようにも見えた。
「ほら、行くぞ」
立香は山姥切に促され、聚楽第内部に足を踏み入れた。
「さてと、猿が作る城ってことは、こっちが奥じゃな」
信長が先頭になり、すいすいと奥へ進んでいく。
裏口の喧騒は遠ざかり、次第に聞こえなくなってきた。信長の言う通り、中心に進んでいるからなのだろうか? と、そんなことを考えていると、視界の端に、ちらっと浅葱色が見えた。
「――ッ、伏せろ!」
清光が叫ぶ。
その言葉と共に、立香は誰かに圧し掛かられた。真上から刃がぶつかり合う金属音が聞こえる。
「無事か?」
立香の上には、山姥切が覆いかぶさっていた。
「無事だよ。でも、今のは……?」
彼の下から抜け出し、目の前で起こっている騒動を目撃する。
「俺に刀を向けるって、どういうつもり?」
清光は襲いかかってきた敵の刀を弾き返すと、どこかやるせない声を出した。
赤い瞳はまっすぐ相手を見据えていたが、困惑しているのが誰の眼から見ても明らかだった。その言葉を受け、彼の前に佇む浅葱色のだんだらを纏った少年は、にたりと怪しげな笑みを浮かべる。
「もちろん、僕は君を倒すためにここにいる。
だから、大人しく首を差し出せ」
大和守安定は断言すると、敵意を込めた視線をぶつけてきた。
次回から新章。
ちょっと短かった……