聖杯乱舞「特命調査 聚楽第」   作:寺町朱穂

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末期の祈り(2)

 そこにいたのは、男の子だった。

 

「おねえちゃんたち、どうしたの? ずぶぬれだけど?」

 

 男の子は不思議そうに尋ねてくる。

 6歳くらいだろうか? 着ている服も布にほつれが目立つが、この時代らしい服装と髪型だ。こっそり路地の奥を覗き込むと、壺が割れているのが見えた。おそらく、彼が壺に当たってしまい、割った音だったのだろう。

 

「サーヴァントの気配はしません。普通の子どもでしょう」

 

 牛若丸はそう言いながら、刀を鞘に納めた。だが、まだ彼女の纏う空気がピリピリ張り詰めている。完全に警戒を解いたわけではないらしい。すると、牛若丸は立香にだけ聞こえる声で囁いてきた。

 

「ですが、わずかに死の匂いがします」

「死……?」

「おねえちゃんたち、何を話しているの?」

「えっと……あ、そうそう、私たちは旅人なの。この辺りで休める場所を探しているんだけど……どこか良い場所知らない?」

 

 立香は男の子の目線まで屈みこみ、話しかける。

 この時代にレイシフトしてから、初めて出会った現地民だ。少し怪しい子だったが、いろいろ情報を聞きたいし、休める場所を知りたい。

 立香の問いに対し、男の子は少し悩んだように首を傾けた後、

 

「へー、旅人さんなんだ! だったら、僕がいいところ知ってるよ! こっちこっち!」

 

 男の子は手招きしながら、すたすたと歩き始めた。

 

「あーあ、びっしょびしょ。これじゃあ、俺も風邪ひいちゃうよ」

「え、清光も風邪ひくの!?」

 

 立香は少し驚くと、彼は心外そうに眉をひそめた。

 

「あのね、今の俺は人の身体だよ? お腹もすくし、風邪だってひくに決まってるじゃん」

「へぇ……ちょっと意外だな」

 

 刀の付喪神なのだから、審神者の霊力的なモノで現界を維持しているのだと思い込んでいた。立香自身、マスターとして数多くの英霊を繋ぎ止め、カルデアを通して魔力供給を行っている。だから、今も前で警戒しながら歩く牛若丸は食事を必要としないし、風邪をひくわけがない。

 立香が比較していると、男の子が歩きながら少し振り返った。

 

「僕、二郎。ねぇ、おねえちゃんたちどこから来たの?」

「私は……出島から来ました」

 

 江戸、と答えようとして、思いとどまる。

 牛若丸と清光はともかく、立香の服装は白いカルデアの制服だ。どう見ても異国の服装である。この時代の異国にかかわりのある街と言えば、長崎の出島だろう。選択科目は世界史だったので、日本史について詳しいわけではないが、その程度の知識くらいは知っていた。

 

「へぇ! だから、不思議な服装をしているんだね! 出島ってどんなところなの?」

「うん、話してもいいけど、その前に最近の京都について話して欲しいな。

 ここに来る前も思ったけど、人がいないなって思って……」

 

 立香は言葉を選びながら、二郎に尋ねた。

 洛内を歩いて少し経つが、やはり人の気配が少ない。街に活気がないどころか、店先には何も並んでいない。時々、家の中でことん、ことんと動く音が聞こえるので、人はいるのだろうが、往来を歩く者と一人もすれ違わなかった。

 

「うん、ほとんどの人が逃げちゃったんだ。また、戦に巻き込まれるって」

「でも、君は残ったの?」

「そうだよ。僕とお父さんとお母さんとお兄ちゃんとお姉ちゃん。それから、妹も残ったんだ」

 

 二郎は指を折りながら話してくれる。

 

「でもさ、外を歩いている人も見当たらないけど?」

 

 清光が周囲を見渡しながら問う。

 

「戦は終わったんだから、外を歩いてもいいんじゃない?」

「…………あまり歩いちゃいけないって言われてるんだ。怒られるから」

「怒られる? いったい誰に?」

 

 二郎は言いよどむ。

 戸惑うように視線を泳がせながら、声を一際小さく落とした。

 

「『氏政さまの教えを広める』って人たちに」

「それって、もしかして――……」

 

 立香は遡行軍と天草四郎の人相を言おうとした、その瞬間だった。

 

「主殿、伏せてください!」

 

 牛若丸が目の前に飛び出し、刀を抜き払った。銀色の刃で赤くて細い何かを打ち落とす。立香は二郎を抱え込むように伏せながら、それが飛んできた方向に視線を向けた。

 

「あれは……」

 

 屋根の上に女武者が弓を構えている。

 白い肌と長い髪、そして二本の禍々しい角が印象的な女武者は赤く輝く弓を持ち、こちらに狙いを定めていた。

 

「立香、あれもさーばんと!?」

「はい。彼女は巴御前です!」

「……私のことをご存知のようですね」

 

 女武者は静かな声で答えた。

 

「ですが、私は貴方のことを知りません。しかし、お前のことは知っている」

 

 巴御前は燃えるような赤い瞳で牛若丸を睨み付けた。

 

「源義経!!」 

 

 巴御前は麗しい顔を般若のように歪ませ、怒りの一撃を牛若丸に放つ。矢は周囲の空気を巻き込みながら、まっすぐ牛若丸を狙った。牛若丸はさすがに、これは弾き返せないと察したのだろう。すぐに横へ跳び、彼女の攻撃をかわした。標的を失った矢は轟音を立てながら地面を激突し、周囲に砂塵が立ち込める。その砂塵の中、二撃目が発射される音が聞こえた。だけど、視界が悪いせいで避けることが出来ない。

 ところが、

 

「やあっ!!」

 

 牛若丸が掛け声とともに、薄緑を勢いよく薙ぎ払う。その余波が旋風を巻き起こし、砂塵を消し去り、矢の方向を変えた。巴御前の放った矢は全く見当違いの方向へ着弾する。

 

「牛若丸!」

「主殿! この場はお任せを!」

 

 牛若丸は巴御前の一挙一動を見逃さないと睨み付けたまま、鋭く言い放った。

 

「巴殿の標的は私の様子! 清光殿と先にお進み下さい!」

「でも……」

「大丈夫です、主殿。私は天才ですから! すぐに追いついてみせます」

 

 立香は一瞬、躊躇った。

 巴御前と牛若丸の因縁は知っている。

 

 巴御前は夫の木曽義仲を源義経に殺されている。

 カルデアでは、牛若丸はもちろん、巴御前も召喚している。互いに同じ陣営の仲間として接しているため、騒動に発展することはない。巴御前が、どこかのペンテシレイアみたいに「因縁の相手 アキレウス絶対殺す!」と暴走しないだけの分別はついているのと、弁慶の尽力で牛若丸と直接すれ違うことが少ないことも、殺し合いが起きない理由の一つだろう。

 

「共に戦ってきた源氏が、よくも義仲様を裏切ったな! 許せない、許せない! 嗚呼、許せない!!」

 

 だが、今は敵同士。

 巴御前からすれば、自分の夫を死に追いやった者を殺さない道理はない。本気で殺しにかかってくるだろう。そうなれば、この辺り一帯は無事では済まない。それに、自分だけならともかく、今は清光と二郎がいる。清光は戦う力があるが、立香自身はサーヴァントと戦えるほど魔術に優れているわけでもなく、二郎に至ってはただの子どもだ。

 

 この場に残るか、牛若丸にこの場を託して先に進むか。

 答えは一つだ。

 

「……牛若丸、絶対に追いついて来て。いざというときは、宝具を使っていいから」

 

 立香はしっかり牛若丸を見据えて言った。

 牛若丸は少しだけ振り返り、口元に得意げな微笑を携える。

 

「承知! 清光殿、主殿を頼みます!」

 

 牛若丸は元気よく返事をすると、地面を蹴り上げ、巴御前めがけて跳躍した。巴御前も狙いを牛若丸に定めて矢を連射する。巴御前は立香たちには目もくれなかった。

 

「二郎君、どっちに行けばいい!?」

「こ、こっち! もうすぐだよ!」

 

 二郎が転びそうになりながら走り出す。立香も小さな背中を追いかけ、その後ろから清光が続く。爆発音と金属音が引っ切り無しに背後で響いてきていた。

 

「………」

 

 立香は黙って走り続ける。

 牛若丸の実力は十分知っている。カルデアの初期の頃から付いてきてくれた。そう簡単に負けるはずがないと信じている。けれど、同じくらい巴御前の実力も知っている。彼女は普段は力をセーブしているが、怒り狂い鬼の血を解放すると、その能力が格段に跳ね上がる。

 

 正直、心配だ。

 令呪で呼び戻したい。でも、それは牛若丸の意志に反することだ。今は、彼女を信じるしかない。

 

「立香さん?」

「……立香でいいよ。……大丈夫……牛若丸は絶対に負けない。だって、戦の天才だから!」

 

 立香は自分に言い聞かせるように呟いた。

 そのまま、振り返らずに走る。

 炎が路地を焼き尽くす音。家屋が倒壊する音。不吉な音が後ろから聞こえ、だんだんと遠ざかっていく。

 

「ここだよ!」

 

 二郎が少し大きめな建物を指さした。

 木造瓦葺で3層楼閣風の建物である。見晴らし用の廊下と手すりまで見てとれたが、人がいなくなって久しいのか、どことなく寂れた空気を漂わせていた。

 

「ここは……?」

「南蛮寺! 昔はキリシタンの人たちがいたんだって! ほら、入って入って!」

 

 二郎が門戸に駆け寄り、扉を開ける。立香と清光も後に続いた。

 キリシタンがいただけあり、入ってすぐのところに礼拝堂があった。イエス・キリストを掲げた十字架が朽ちて斜めに倒れ、傍らに控えるマリア像とペトロ像は分厚い埃を被っている。

 

「ねぇ、二郎君。ここって本当に安全なの?」

「うん、安全だよ。ほら、こっち。こっちに来て!」

 

 立香は歩みを止める。

 牛若丸が先ほど囁いてきた「彼から死の匂いがする」という言葉が脳裏に蘇った。確かに広くて人の寄り付かなくなった場所かもしれないが、ここが本当に安全なのか。彼の言い分を信じていいのか。少しだけ、迷ってしまう。

 

「おねえちゃんたち?」

 

 二郎が、礼拝堂から奥に続く部屋の前で待っている。

 立香は戸惑う気持ちを抑え込み、少しだけ警戒しながら彼の後に続いた。

 

「……俺が先に進むから、後から続いて」

 

 清光も似たような気持ちを抱いたらしい。前に出ると、立香を自身の背中に隠すように進み始めた。二郎は立香たちの距離が縮まると、申し訳なさそうに

 

「あのね……中にいる人に、おねえちゃんたちを入れていいか聞いて良い?」

「構わないよ」

 

 二郎は安堵するように胸を降ろすと、こんこんと二回扉を叩き、そっと扉を開けた。握り拳二個分ほどしか空けていないので、立香たちの位置から中の様子は見えない。

 

「街を歩いていた人、連れて来たよ……うん、良かった! 

 おねえちゃんたち、入って、入って!!」

 

 二郎が滑り込むように中へ入った。

 清光が後に続くように扉を開け放った途端、黒々とした闇の向こうから濃厚な死の臭いが漂ってくる。

 

「なんだよ、これ……」

 

 清光の顔から血の気が失せていくのが後ろからでも分かる。立香も部屋の中がどうなっているのか見ようとしたが、彼が手で制して来た。

 

「これが……これが、人間のやることか!?」

「おや、随分と粋の良い人を連れてきましたね」

 

 のっぺりとした声が部屋の中から聞こえた瞬間、立香は背中を蛇が這うような恐怖心を抱いた。

 部屋の中から、ぴちゃ、ぴちゃと何かが滴り落ちる音が聞こえる。死の臭いだけではない。血の匂い、肉が腐った臭いが漂ってくる。むせ返るほどの臓腑臭いに、立香は誰かいるのか悟った。

 

「ねぇ、生きている人連れて来たよ! だから、こと……妹を返して! 僕と妹を解放するって話だったじゃん!!」

 

 二郎が誰かに話す声が聞こえる。

 立香は反射的に清光の後ろから飛び出し、二郎に叫んでいた。

 

「二郎君、そいつの言うことを信じちゃダメ!!」

 

 部屋に飛び込んだ瞬間、立香はすべてを目にした。

 

 血、血、血――……。

 床一面が血の海で覆われていた。キリスト像の前には、まるで供物のように子どもの死体が積み重なっている。予想通りの光景とはいえ、生々しい光景に吐き気が込み上げてくる。

 

「うぷっ」

 

 立香は口元を覆い、胃から逆流してくる酸っぱい感覚を飲み込もうとした。

 

 その時間、わずか数秒。

 中にいる「誰か」には、それだけで十分だったのだろう。

 

「ええ、貴方を解放しましょう。妹はそこにいますよ」

 

 誰かは、とある一角に指を差した。

 二郎がその一角に駆け寄るのが見える。

 

「こと! こと! 兄ちゃんと逃げるぞ!」

 

 その顔は希望に満ち溢れていた。

 輝かしい表情のまま妹のいる場所に手を伸ばし――……

 

「え?」

 

 二郎は固まった。

 妹の胴体は引き裂かれ、胸から上だけが形を保っている。

 

「なに、これ?………ひゃうっ!!?」

 

 二郎の思考が空白に落とされた隙をつくかのように、彼の背後から無数の触手を備えた帯びたたしい数の海魔が襲い掛かる。二郎の身体を触手で絡み取り、鋭い牙が生え揃ったイソギンチャクみたいな口に引きずり込んだ。

 

「―――――ッ!!!」

 

 言葉にならない悲鳴と咀嚼する音が南蛮寺を揺らす。

 

「恐怖には鮮度があります」

 

 男が見える。

 道化のような衣装に身を包み、人の皮で作った書物を抱えた男がいる。男は貫くような悲鳴を心地の良い音色のように聞きながら、うっとりと話し始めた。

 

「真の意味での恐怖とは、静的な状態ではなく変化の動態……希望が絶望へと切り替わる、その瞬間のことを言うのです。

 如何でしたか? 瑞々しく新鮮な恐怖と死の味は?」

 

 男は食事を終えた海魔を引きつれ、ぎょろりと爬虫類のような目を向けてくる。

 

「青髭……キャスターのジル・ド・レェ!」

「こいつも英霊? ただの悪人じゃないか!!」

 

 清光は怒りの篭った眼差しをジル元帥にぶつけた。

 

「あの子は怪しいと思ったけど、あんなことをされるほど悪い奴じゃない!」

「おや、子どもを庇うのですか。なんともお優しい。……そして、なんとも哀れな人でしょうか」

 

 ジルは清光をにたりと嘲笑う。

 

「人間性の中に潜む醜悪さをご存じないとお見受けします。あの幼子も自分たちが助かりたいあまり、人を貶める嘘をついたのです。自分の代わりに、連れて来た者たちが無残に死ぬことを承知のうえで。

 それと、私の行いのどこに違いがありましょう?」

「違うに決まってるだろ。立香、下がって。ここは、俺がやる」

 

 

 清光が刀を抜き払うと、勢い良く湿った床を踏み込んだ。

 

 

 

 

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