加州清光の黒いローブが舞い上がる。
ジル元帥も彼の足運びだけで、清光の殺意のほどを見てとったのだろう。それ以上は何も語らず、さっと手を振り払い、道化のようなローブを翻した。
すると、清光の足元からおびただしい数の触手が沸き上がってくる。
「……っ!?」
一瞬、清光は後ろに跳び、触手を躱す。
ジル元帥の背後に積み上がった子どもの死体が震え、内側から食い破るように青黒い触手が現れた。その塊は一匹一匹が海魔として這いつくばり、飛散した肉片を喰い漁りながら、ゆっくりと元帥の背後に控える。海魔は立香の腕ほどある触手をくねらせながら「次はお前たちの番だ」と言っているようにも見える。
「どうです! 我が盟友プレラーティの遺した魔導書により、産み出された悪魔の軍勢は!
苦しみなさい! そして、理解するのです! この世界は悪で満ちていると! 救世主たる神など存在しないと!!」
ジル元帥の叫びと共に、海魔の軍勢が押し寄せてきた。
「清光!」
襲いかかる触手の海魔たちに、清光は一歩も譲らない。
刀を薙ぎ払うたびに、確実に一匹二匹と両断された怪物たちが宙を舞う。おぞましい触手の群れは、小綺麗な青年の身体に触れることすら叶わない。ヒールのようなブーツを履いているにも関わず、彼の動きは全く鈍ることはない。
津波のように押し寄せる海魔の軍勢を、清光はたった一人で完全に防ぎきっていた。
しかし、それは防戦するので手いっぱいであることを指す。
海魔の軍勢は一向に減らず、ジル元帥はほくそ笑んだままだ。斬り伏せられた端から触手が現れ、部屋いっぱいに浸った血の海から新たな海魔が産声を上げる。
立香も加勢し、海魔に指を向け北欧に伝わる呪い「ガンド」を放つ。けれど、焼け石に水とはまさにこのこと。指先から放たれた一撃は一匹の海魔しか倒せない。
「さあ、恐怖なさい! 絶望なさい!」
ジル元帥は紫色の光を帯びた魔導書を掲げると、底冷えするような高笑いをする。
清光が切り裂く数と新たに生み出される海魔の数は拮抗している。
「これは、長期戦に持ち込むつもりね……」
立香はジル元帥の薄笑いを睨みつけながら言った。
彼は清光が数の暴挙に負け、疲弊することを待っている。疲弊し、腕が鈍った瞬間、海魔の餌食にするつもりだろう。
「……ったく、どうりで減らないわけだ」
清光も視界の端で次々と産まれる海魔の存在を認知したのだろう。
海魔を切り捨てる手を止めず、血を浴びながら噛みしめるように呟く。立香はガンドを放ちながら、自分の記憶を総動員させ、ジル元帥に関する情報と倒し方を絞り出そうと努力する。
「清光! 確か……あの魔導書がないと、海魔は召喚できなかった気がする!」
「了解……って、簡単に言ってくれる!」
立香も清光に助言を放ってから、その無謀さを感じていた。
目の前の海魔の大群もさばき切るので手いっぱいなのに、その奥の親玉に一太刀浴びせることなど、ほぼほぼ不可能である。
清光が切った海魔の数は、そろそろ三桁に突入しようとしていた。清光の息が上がり始め、刀裁きが少しずつ鈍くなっているのが分かる。
ジル元帥は彼の奮闘ぶりをニマニマと観戦していた。
立香は頭を抱えた。
「えっと……オルレアンの時、どうやって倒したんだっけ……!?」
思い出せ、思い出せ。
立香は自分の記憶を絞り出す。
第一の特異点で、あの男は敵として現れた。
今みたいに無限に産み落とされる海魔を引き連れ、しかも、万能の願望器である聖杯の力まで借りた状態で。
そんなあの男を倒したのは、マシュやジャンヌ・ダルク、清姫とエリザベートがいたからだ。マシュが防御し、清姫とエリザベートが切り開いた道を聖女が旗を振り上げ、悪魔に一撃を与えた。
清光は弱くない。清光はサーヴァントに負けないくらい強い。
そうでなければ、あの大群を相手に防戦することができないはずだ。
けれど、マシュ1人では、ジル・ド・レに立ち向かうことが出来なかったように、清光一人でなんとかできる量ではない。
「……ぐっ」
ついに、触手が清光の軌道を潜り抜け、頬に一撃を与える。白い頬からは赤い血が迸り、その匂いが海魔たちを興奮させた。清光は自分を切りつけた触手を切り飛ばすと、その勢いで飛びかかってくる海魔を三匹撫で切る。けれど、いくら切り殺したところで、十、二重と壁のように押し寄せる海魔のせいで、切っ先がジル元帥まで届かない。一向に距離を詰めることができない。
そんな彼を嘲笑うかのように、一匹の海魔がひっそりと彼の背後にも広がる血の海から現れる。
「清光!! 後ろ!」
立香が叫んだが、すでに遅かった。
海魔の触手が清光を拘束しようと一斉に伸びる。清光はすぐさま後ろに視線を向け、迫りくる触手を切り落とした。だが、一本だけ打ち損じ、彼の左腕に巻き付いた。彼は慌てることなく触手を刀で切り落としたが、彼の行動が他の触手たちからずれた隙を、海魔たちが逃すはずもなかった。
海魔の軍勢はここぞとばかりに畳みかける。清光はすぐさま応戦しようと前を向くが、一歩遅かった。海魔の触手が清光の身体を切り刻み、血だまりの床に弾き飛ばす。彼の身体は血に塗れ、ローブが破れた。
「うぁ!? 重傷……!?」
清光が少し驚いたような声で呟いた。
重傷と口にしたが、まだ戦意も薄れていない。刀も握りしめ、海魔に向かっている。
しかし、海魔の壁は健在。
退却することもできる。
だけど、そうなったらあの海魔の軍勢が追いかけてくる。洛外で遭遇した遡行軍のときとは違って、互いに疲弊しかけている。そんな状況で、はたして逃げ切れるだろうか。
「立香、先に逃げろ」
「清光!?」
「……あんたのこと、あの人から託されたから。逃げるだけの時間は稼ぐ。
大丈夫ー、俺だって、主のためにも、こんなところで死にたくないから」
清光はそう言ってはいるが、彼の後ろ姿から寂寥感が漂っている。立香は拳を握りしめた。手の甲に刻まれた三画の令呪を見下す。カルデアで生活している時は、一日で一つ分、令呪が回復するが、こうしてレイシフトしているときは、令呪の回復はない。
目の前で戦っている清光に令呪を使うことが出来れば、と歯がゆく思う。
普通の令呪は拘束力が強く、遠く離れたサーヴァントを呼び寄せることにも使えるらしいが、カルデア式の令呪は体力を回復させたり、魔力を満たせたりすることにしか使えない。
でも、もし、清光がサーヴァントだったら、令呪で彼の体力を回復させることくらいはできたはずだ。
清光と契約を結んでいないこと、そして、カルデア式令呪の縛り。
それを、これほどまでに悔やんだことはなかった。
「ああ、屈辱でしょう?」
ジル元帥は髪を掻きむしり、眼をむいて奇声を張り上げた。
「栄えもなければ誉もない魍魎たちに押し潰され、窒息して果てるのです! 英雄にとって、これほどまでの恥はありますまい!」
「俺ってば、英雄なんて大したものじゃないんだけどね」
さも愉快気に嘲弄を浴びせられてもなお、清光は檄せず、怯まず、刀を振るい続ける。身体の傷が疼き、彼の体力を奪いつつあるのだろう。その速度と切り返しは、格段に落ちていた。
「さあ、これで終わりです! 神への末期の祈りは済みましたか!!」
ジル元帥が一度に倍の海魔を召喚する。
これには、さすがの清光も立香と一緒に部屋から飛び出す。海魔の軍勢は礼拝堂に雪崩込み、そのまま、立香たちを押し潰そうとしてきた。
立香は令呪を握りしめ、この窮地がサーヴァントに届けとばかりに強く祈る。
牛若丸でも織田信長でも土方歳三でも鈴鹿御前でも構わない。誰かに、この祈りが、願いが届けと。
だが、そんな非現実的な祈りが聞き入れられるはずがなかった。
サーヴァントは誰も現れることなく、海魔が腐臭と共に眼前まで迫り、そして――……
「はっはっは! 末期の祈りか!」
障子窓を突き破るように、誰かが飛び込んできた。
それと同時に、一気にまとめて目の前に広がっていた海魔の群れが一掃される。
「だが、悪い。俺は僧侶だ。神への祈り方は知らん」
立香たちの前に背の高い男が現れる。白い布をフードのように被り、紫色の袈裟姿の男性だった。刃だけで1mは超えるであろう薙刀を握りしめている。
清光はその男を見上げ、赤い瞳を見開いた。
「岩融!?」
「加州殿か。随分、派手にやられてるじゃないか!」
「百以上の化け物相手に戦い続けてたんだから、仕方ないだろ」
清光が不満そうに口を尖らせたが、少し失せていた輝きを取り戻したように見えた。岩融と呼ばれた大男は明るく笑い飛ばすと、薙刀をくるくる回し、海魔を一気に撫で切った。
「見たことがない化け物だが、狩るにあたって不足なし! さあ、俺を楽しませろ!」
岩融は薙刀を振り回しながら、海魔の壁をもろともせずに切り刻み始める。
清光の刀より攻撃範囲面積が多く、体力が有り余っていることもあり、一気に海魔が殺され、ジル元帥との距離が縮まった。
ジル元帥はくわっと大きな口を開けて叫び出す。
「この、匹夫が!!」
「がははは! 俺を匹夫と呼ぶか! これでも、三条宗近に鍛刀されたんだがな」
岩融は海魔を意に返すことなく、薙刀を勢いよく振るった。彼の目の前に壁を成していた海魔だけにとどまらず、その余波で生み出された疾風が、元帥を守護していた海魔までも切り刻む。
清光がその隙を逃さない。
「俺の裸を見る奴は……死ぬぜ……!」
彼は、最後に残った海魔の視界を奪うようにローブを脱ぎ捨てると、元帥との距離を一気に詰めた。
「貴様貴様貴様――ッ!!」
「これ、が、本気だ!!」
清光の鋭い一閃がジル元帥を切り裂き、彼の手にした魔導書も一刀両断する。途端、魔導書で生み出されていた数少ない残りの海魔たちが飛散し、血滴が大気のように宙を舞う。
「あの魔導書からの魔力供給がなくなったから……消えたんだ」
立香はそんなことを呟いていた。
ジル元帥は何が起きたのか分からないのだろう。爬虫類のような目を見開いたまま、身体は金の粒子に包まれ始める。
「この私が、負けるだと?」
元帥は呆気にとられたように言った。
「そんなはずはない! そんな理不尽があってたまるか! 私は、まだ……!! この世は、悪意と欺瞞で満ちていると、証明していない――ッ!! マスターの命を、私の望みを……神は人間を玩弄し、地上には人間のあさましい悪徳が蔓延っていると、知らしめていないのに―――――!!!!!」
最後に南蛮寺を揺らすほどの悲鳴を上げると、ジル・ド・レェは金の粒子に包まれ、この世界から消え失せた。
後に残ったのは、立香たち三人と血の惨劇だけ。
「あー……疲れた」
清光はぐったりと座り込んだ。
「清光!」
「修行が足りないのではないか?」
「修行とか、そういうの関係ないから。っていうか、どうして岩融がいるわけ?」
ここで初めて、立香は岩融の顔をゆっくり見ることが出来た。
薄いオレンジ色の髪、鮫のようにギザギザした歯が特徴的な男だ。見上げていると、少し首が痛くなってくる気がする。体格的には、ヘラクレスより一回り程小さいが、立香には十分すぎるほど大きかった。
「それは当然、今回の編成に選ばれたからに決まっているだろう?」
岩融は愉快そうに歯を見せながら笑った。
「事情は聞いた。かるであなる組織と義経公、洛中の入り口で相対した呂布将軍や大量の遡行軍のこともな。
……だが、あれはなんだ」
岩融は目を鋭く細めると、血が滴る小部屋を睨み付けた。
「……ここに集められた、子どもだったものかな」
清光は壁に背を預けるように座り直しながら答えた。
「子どもだと?」
「さっきのカエル眼の男の仕業だよ。……ねぇ、立香。本当にあいつ、英霊なの?」
清光がこちらに話しを振ってきた。
そこで、岩融も立香の存在に気付いたのだろう。少しばかり目を見開き、尖った歯を見せるように口の端を上げた。
「おお。小さすぎて気づかなんだわ。俺は岩融、武蔵坊弁慶の薙刀よ!」
「初めまして、岩融さん。藤丸立香、カルデアでマスターをしています。
それで、清光……さっきの人は、英霊だよ。北条氏政に召喚されたサーヴァントだと思う」
立香は清光の問いに答えた。すると、清光は赤い目を細め、疑うような視線を向けてくる。
「本当に? 俺には悪霊にしか見えなかったけど」
「…………否定できません」
立香は少しだけ顔を逸らした。
「彼は、ジル・ド・レェ。百年戦争でジャンヌ・ダルクと共に戦い、フランスを救った英雄……」
「英雄!?」
「……だったけど、ジャンヌの処刑で乱心し、黒魔術に傾倒した挙句、子どもたちを拉致しては凌辱・惨殺し尽くした晩年の姿、かな」
フランスを救った英雄としての側面のジル・ド・レェは、常識人であり、清廉で礼儀正しい騎士そのものだ。
けれど、キャスターとしてのジル・ド・レェは違う。
カルデアのサーヴァントとして人理修復に協力してくれたのは、「苦痛も悲鳴もあげさせず、無益に潰し捨す神の暴挙が許せない」とか「無粋な神の代わりに、断末魔を味わおう」みたいな非人間的な理由だった。人理修復を終えた現在、彼が生前のような暴挙に走らないのは、ひとえに、彼が崇める「ジャンヌ・ダルク」がカルデアに召喚されているからだろう。
ジル・ド・レェにとって、ジャンヌは光であり、救いでもある。
彼が聖杯に願う願望も――……と、ここまで考えて、立香は首をひねった。
「……あれ、おかしいな……彼の望みは、ジャンヌの復活だったはずなのに」
彼が神を冒涜する所業を率先して行ったのは、神がいないと証明するためだった。無論、途中から快楽殺人に変わっていったのだろうが、全ての始まりは「神や祖国が、ジャンヌを見捨てたこと」である。
故に、彼の望みは「ジャンヌ・ダルクの復活」であり、「復活したジャンヌと共に、世界を滅ぼすこと」なのだ。
彼が聖杯に願う最優先事項は、ジャンヌの復活。
ジャンヌの復活あっての、彼女を裏切った神や人間を討ち果たす行為へ繋がるのだ。
だから、それが叶えられていない状態では、人の悪性だとかそんなことは望みはすれど、第一にはならないのである。
それなのに、彼は一言も「ジャンヌ」の名を口にしていない。
自分の考えすぎか、それとも――……
「……つまり、これは先ほどの人物による行いなのだな?」
「あ、はい。その通りです」
立香は岩融に尋ねられ、視界の端で赤い部屋を見た。
積み上がっていた子どもの遺体は、すべて海魔に変わってしまった。だから、肉片すら残っていない。広がっているのは生臭い血の惨劇だけだ。
「……全部、あの化け物になったんだ」
清光は傷だらけの左腕を擦りながら、二郎が最後に立っていた場所を見下した。そんな清光を岩融は目で追うと、袖から長い数珠を取り出した。
「遺体はないが、魂を弔うとしよう。
俺は、武蔵坊弁慶の薙刀だ。江雪殿や数珠丸殿ほどではないが、経を読むことはできる」
血の海が広がる南蛮寺。
そこに、岩融の読経が響き渡る。
立香はジル・ド・レェの蛮行を思い出しながら、そっと両掌を合わせた。