「え……?」
その時、俺に流れ込んできたのは一体何だったのか。
少し経って、それはビーストの感情だとわかったが、ならば今度は一体何があったのかと思考が至るのは当然だったと言えるだろう。
何せこれまで彼女の思考がこちらに流れ込んでくることなんて一度たりとてなかった。
彼女自身がそれをしないようにしていたのか、それとも普通に流れ込んでくるような出来事がなかっただけなのか。
どちらにせよ、今流れ込んできたということは『流れ込むような何かが発生した』ということで。
沙条愛歌の心を(おそらく苛立ちで)揺り動かすようなことなんて一体どこの馬鹿がやらかしたのか。
「どうかしたのか?」
「いや、何でもない。気にしないでくれていい」
シドの言葉にもどこか上の空で返した気がする。
思うのは令呪を使うべきか否かという一点のみ。
この場で令呪を使えば俺たちに被害がやってくる可能性があるし、逆に令呪を使わずにビーストがやられるのをただこの場で待つのか。
いや、もしかしたらビーストが勝利する可能性だってあるのかもしれないが、それでも相手は英雄英傑。
今、赤の陣営で動くことができる中で最も高いだろう可能性を挙げるならセイバーかランサー。
どちらであったにせよ、感情を乱している状態で勝てるほど甘い相手には思えない。
ここは逃げの一手を打つべきだろうか。
「ビースト……」
彼女の『
その通りに動いたならば、あるいは俺のとる行動を彼女が許してくれるのだろうか。
彼女の生存を願っても自分の感情の通りに動くことができない、ということに多少の苛立ちを感じてしまう。
けれど、よくよく考えてみれば彼女の生存を願う理由なんて……いいや、あるか。
彼女が生き残っていないと、俺はヴラド三世に殺されるかもしれない。
俺と彼女は精神が似通っていると判断されているのだ。
ケイローンからは問題ないと思われているようだが、それがランサーにまで通用するなんて楽観視することができるはずもない。
「……問題、ないな」
そうだ、よくよく考えてみれば彼女の聖杯ではない、もう一つの宝具は使用すればほとんど勝ちが確定するような代物だ。
未だ収まっていない彼女からの苛立ちの感情の流入を考えれば、命的な意味ではそこまで危険な状態ではないのだろう。
ムカムカとした彼女の手でトゥリファスが滅びないとは限らないが。
「っていうか令呪も通用しないんだから悩む必要なんてないか……」
一応は念話を使用して支援、あるいは撤退のサポートをするかと尋ねてみたが無視された。
きっと気がついていないのだろう。
ビーストが……本来なら存在しないはずのサーヴァントが存在するために相手が何をしてくるのかわからない。
バーサーカーの補助を行うだけだったのだからそこまで変化はないと思いたいが、ランサーも追加されてしまったという事実が変化をどうしても意識せざるを得ないのだ。
大体の敵ならばシドでもどうにかできる程度なのだが、どうしてもサーヴァントが侵入するとなると難しい。
だから、できることなら早く戻ってきてほしいのだが。
「俺には何もできないんだよなぁ……」
彼女に早く戻ってきてほしいと思いつつも使える魔術では、サーヴァント同士の戦闘の助けになどなるはずもない。
だから、俺にできるのは祈ることだけ。
窓の外に見える、真夜中であるにもかかわらず太陽が出ているがごとき威容。
赤のランサーなのだ、と理解できた。
あれをできるサーヴァントなど、赤のランサー以外に存在するはずもない。
そして、その日輪を穢すかのような汚泥もまた流れ落ちている。
ランサーとビーストの本気の戦いだ。
持っていかれる魔力は彼女の持つ聖杯のおかげというべきか、それともせいというべきか、ほとんど存在していない。
彼女は常に、俺に縛られることなく全力を出すことができる。
それが頼もしくもあったし、同時に恐ろしくも、そしていかなる理由によるものなのか悔しいという感情すらもどこからか湧いてきていた。
その頃、ビーストはビーストでカルナという英霊を全力で殺しにかかっていた。
それはとても珍しいことである。
何故ならば、彼女にとって価値のある存在はアーサー王だけ。
にもかかわらず、彼女が彼女の目的のために邪魔だから殺しにかかるのではなく、カルナという個人を”生かしてはおけぬ”と全力で殺しにかかるという状況それ自体が異常なのだ。
「貴方なら、真幌が理想の王子様にどれだけ近づいたのかを測る指標になると思ったのだけれどね」
カルナはその人物の本質を見抜く。
虚飾など通用しない彼を前にすれば、今の真幌がどれだけ変化したのか、その性根の部分から把握することが可能だろうと思って、彼のことを道具にしようという魂胆だった。
ただしそんな理由ももう彼女の中から一切合切消え失せている。
ただ冷徹に死になさい、と言葉にした彼女が持つ聖杯からこぼれ落ちた泥が、触手と化してカルナの肉体を侵食しにかかる。
それがなされずとも、その触手は大英雄クラスのサーヴァントが放つ一撃と同じ程度の速度、同じ程度の威力を保っている。
生半可なサーヴァントでは対抗することは許されず、大英雄クラスであったとしてもその泥を武器にて吹き飛ばせば散らした泥に侵食を受ける。
これを避けるにはまず近距離の攻撃手段だけではなく魔術のような遠距離攻撃手段を持つか、あるいは泥そのものを消しとばす必要がある。
カルナは、後者だった。
「お前の基準を俺が知るはずがないだろう、獣の女王よ。お前の語る理想、それをお前自身が疑い今ある現実の状態と軋轢を得ている現状で、どうして俺にならば理解できると踏んだのか。それがまるで理解できん」
巨大な剛槍に纏った炎が泥の全てを焼き払う。
一撃でも受けるわけにはいかない彼は、入念に焼き払う必要がある。
マスターの魔力量に懸念があるために今のカルナは全力を出すことは難しいのだが、それを押してなおこの場で倒さねばならないと決意している。
太陽神の息子たる彼の『魔力放出(炎)』によって生み出される紅蓮の煉獄が汚泥の地獄を焼き尽くす。
「なら、理解できるようにしてあげるだけのことよ」
苛立ちを込めたビーストの言葉。
カルナの言葉はあらゆる虚飾を剥がして、彼女の本心をつく。
誰もが知りたがらない己の最も醜い部分を彼はつくのだ。
それが沙条愛歌にとって”最も醜い部分”であるかどうかはともかくとして、彼の言葉は彼女が認識しないようにしていたどこかを突いたらしい。
彼に対して襲いかかる泥の勢いは上昇する。
炎槍によるなぎ払い。
それでランサーの一手が潰された時に、ビーストは転移によって距離を開けている。
そのタイミングで真幌から念話が来たのだが、先のランサーの発言もあって心をかき乱されるような予感があったためにビーストは無視をする。
ランサーの言葉には虚飾などなく、その人物の本質をついてしまうから。
ビーストを守るように広がった汚泥の中から、一つの人影が立ち上がる。
「さあ、行きなさい」
それは、以前のアーチャーと似ているようで違う。
汚泥で構成されたアーチャーとは違い、汚泥の中にいながらもその白い肌も
北欧の
彼女の半神としての機能が完全に解放された状態で召喚され、およそ万能と呼べるだけの力を誇っていた。
ビーストがすぐに召喚できる英霊の中でも三本指に入る英霊の一人は、太陽の英霊たるカルナには及ばないながらも魔力放出による炎を顕現させながら、カルナに向けて突進した。
勇士の姿をそこに見たために。
「お前たちを倒すには、今のままでは厳しいようだな」
片手で己の持つ槍を軽々と振り回し、不可視の手が存在するかのような、その指先で切り裂くがごとき五連撃を放ったブリュンヒルデを、ただの一振りで迎撃するカルナ。
いいや、カルナの一撃を、”軽い”五連撃で迎撃したブリュンヒルデが規格外なのか。
少なくとも過剰なまでの魔力を注がれているブリュンヒルデの方が有利なのは間違いがない。
宝具の使用を縛ったままでは、間違いなくカルナが敗北する。
それを悟り、カルナは己の持つ神槍に今持てる魔力を全力で注ぎ込んで行く。
最大火力には程遠い、とまでは言わないが、それでも達していない。
炎が渦巻き、その神槍に収束する。
外装が外れ、膨大な炎を巻き上げるそれはまさしく彼の父親たる太陽を思わせる。
輝ける太陽の光を見て、ビーストは一瞬で防御を諦めた。
神代の魔術防壁がいくらあろうとも、一秒たりとてその進撃を止めることができない。
相手が”英雄”であるがゆえに殺したくなってしまうブリュンヒルデの性質を加えてもなお、宝具の正面激突となれば分が悪い。
「行け───『
赤のランサーがビルの屋上を踏み砕きながら放った
赤のランサーはマスターの魔力量を過信することはなく、だからこそこの一撃が今の彼が放てる最後の一撃。
これ以上の戦闘行動は、マスターの命を危険に晒すことになる。
それは本意ではないために、これがラストと決めた。
正面から宝具を以て激突した汚泥のランサーはその一撃に十秒程度拮抗してから消滅し、ビーストの持つ聖杯の中に帰還する。
その間にビーストは転移魔術を行なっている。
膨大な破壊をもたらすレーザーに近しい炎の投槍を終えた赤のランサーの上に。
もうこれ以上は戦えない赤のランサーの汚染を行うために、聖杯の泥を垂らす。
「さあ、ランサー。貴方も私の兵士になりなさい?」
「悪いが断る」
カルナはマスターからの魔力供給によるものではなく、自分の肉体を構成する魔力を使用して瞬間的にコンマ以下の時間、魔力放出を展開する。
自らに向けられるはずだった泥を焼き尽くし、わずかながらにビーストのドレスの裾を焦がす。
それだけで済んだのは、彼女の肉体に届くよりも先に転移魔術が行われたから。
『千里眼』によって未来を見ることができる彼女は最初からこうなると理解していたから、最初から常に転移魔術だけはいつでも使えるようにしていたから。
「あら、逃げられちゃった」
言葉は軽く、されど表情は忌々しそうに。
炎で隠れたと同時に霊体化を行なったのかすでにそこにはカルナの姿はない。
もうすでにここに彼女が留まる理由もない。
なぜなら、ミレニア城塞の方の戦闘もすでに終結しているのだから。
転移によって彼女はマスターたちがいる家へと戻る。
「ビースト……!」
リビングに転移すれば彼女のマスターたる真幌が少しホッとした表情になる。
”
「私、今日はもう寝るわ」
「え……あ、ああ」
どことなく様子の違うビーストに真幌は少し戸惑っているようだが、それにビーストが構うことはない。
擬似サーヴァントゆえか、依り代が存在するゆえか、彼女は霊体化することはできず、普通の人間のように飯を食べ、そして眠る。
実際にはしなくとも問題はない行為ではあるのだろうが、それでも実体が存在するためにやはりしておいた方が効率はいい。
そのため、彼女がそれを行うことには何もおかしなことはないのだが、それでも真幌の中からは違和感が消えることはない。
「次はどう動こうかしら?」
部屋に戻ったビーストは呟く。
理想の王子様を幻視した行為ではあったがそれは別に彼女の無事を心の底から安堵したからではない。
結局のところ、彼女がいないと自らの無事が保証されないと理解しているからだ。
理想の王子様の素体である彼は、理想の王子様に至るまでの間、あるいは確実に至れなくなってしまうまではビーストによる保護が保証されているのだから。
彼女が求める『理想の王子様』には程遠い、利己的と言わざるを得ない無事の喜び方。
誰に対しても向けるであろう
セイバーの向ける安堵の方が確かに彼女の求めるそれであり、後者に関してはどこにでもありふれた代物だ。
それでも、それらを比べることができてしまったのはなぜなのだろうか。
ビーストには、それはわからなかった。
最近よくある新しい異聞帯を作るssを書いてみたい……
ちなみに地の文で言われてた三本指はオジマンディアス、ブリュンヒルデ、アーラシュですね。チート
カルナの登場により第一ルートが解放されました(これまではBADルートしかなかった)