「はい、そういうことなので……」
令呪が出現して、休学届けを出してからすでに一ヶ月。
それはつまり、ユグドミレニアが魔術協会から離反をしてからの期間とほとんど同じである。
そんな中で連絡を取っているのは先生。
ぶっちゃけた話、俺はユグドミレニア相手に特別何か感じ入るところはなく、そんな連中のために魔術協会を裏切る義理も、ましてやロード・エルメロイII世を裏切る理由なんて見つかるはずがない。
というわけで気分的にはユグドミレニアに潜り込んだスパイのようなもの。
サーヴァントもいるのでそう簡単には殺されないだろうな、という安心感もある。
そのため、『ユグドミレニアがすでにサーヴァントを召喚している』ことと『ダーニックの予定では魔術協会側に予備システムを起動させて自分たちの魔術師としての力量も見せつける』ことが目的だということに関しては伝えることができた。
これらを伝えたことはユグドミレニア側にはバレていないと信じたい。
とりあえずルーマニアに入った記録、日本を出国した記録はユグドミレニアによって消してもらい、アサシンのサーヴァントの居場所を魔術協会側に知らせないために城塞とはまた別の住居を用意してもらった。
そうすることで、ユグドミレニア側なのだと思わせようとしているのだが、どれだけの効果があるのかはわからない。
無論監視はあったのだが、その辺りはサーヴァントによって誤魔化されている。
相手が通常の魔術師とゴーレム専門の
「電話は終わったの?」
「先生にとりあえず状況は伝えた。怪しまれないように普通に聖杯大戦に参加しろってさ。まあ、ユグドミレニアが勝ちそうならそのままで、魔術協会が勝ってもそれはそれで受け入れられる土壌だけはある。だから、どんな結末だったとしても、まあ悪いことにはならないと思う」
どっちつかずであることを罵られるかもしれないが、生存第一なので、そんなことを気にするつもりはない。
ユグドミレニアが用意した、ということでそれなりの広さはある一般邸宅といった様相の家。
そのキッチンからフリルドレスの上からエプロンをつけたビーストが姿を現す。
持っているのは二人で食べるには十分な量のクッキーを載せた皿。
蒼銀のフラグメンツと呼ばれる物語ではセイバーのためにどう考えても一人で食べきれる程度の量ではなかったことを考えれば、料理の量が彼女が相手に対して持っている
召喚してダーニックと会話した直後には思わず愛歌Pと呼んでしまったが、このルーマニアで暮らす関係で現界して外に出るのであればアサシンともビーストとも呼ぶのは目立つ。
それに伴って愛歌と呼ぶことにはなったのだが、やはり彼女を呼び捨てにしているという事実に戦々恐々としてしまう。
まあそれでも、一ヶ月も過ごせば少しはわかることはある。
彼女が俺のことを『理想の王子様の素体』として見ているおかげで、基本的にはサーヴァントとしての仕事はちゃんと果たしてくれる。
あまりにも無茶な命令でなければきっとそれは変わらないのだろうが、そもそも彼女の無茶の基準とは一体どのラインなのだろうか。
「今日あたり、魔術協会側が派遣する『狩猟』特化の魔術師で構成された部隊がトゥリファスに到着するらしい」
つまり、聖杯大戦の前準備が整うということ。
これから魔術協会側がマスターを選定して、そしてそれらが派遣されることになるのが二ヶ月後。
後二ヶ月の間しか、俺が準備をできる時間はありはしない。
「礼装の作成も急がないとな……」
”真幌”は礼装を用意していなかったらしく、俺が一から作るはめになった。
きっと、”俺”になったことで一番良かったのはその事実だろう。
まず、通常の魔術師然とした彼は電子機器に関しては(他の魔術師よりはマシとはいえ)疎かったのだが、”俺”は特別そういうわけではないので普通にインターネットで調べて着想を得ようということを考えられた。
そして次に。
「あら、そこはこっちの方がいいんじゃないかしら?」
「そっか……」
通常の魔術師である彼では、きっと沙条愛歌から延々と繰り返される指摘と改善案に耐えきれずに発狂していただろうから。
かくいうおれも、彼の持っていた知識でどうにかこうにか礼装を作ろうとして数時間。
その休憩ということで先生に対して連絡していたのだが、今キッチンから戻ってきたばかりなのにしれっと直した方がいいところを数カ所指摘されてしまった。
一応これでも位階持ちになれるのではないか、と言われるほどの魔術師だったようなので、きっと当人が聞いていたら……。
そんな嫌な考えは頭の中から追い出して、この魔術礼装の核となる鏡への魔力の込め具合を確認。
我が家の魔術は”反射”であり、磨かれた石、透き通った水面、その他諸々の”姿を映すもの”を利用することが多いのだが、真幌の場合は起源が”鏡”だったらしく、一族全体から待ち望んだ子供だの神童だのともてはやされていたらしい。
では、そこに”俺”という存在が入ったことで何か変わったのかという話なのだが。
「起源が関わる魔術ができなくなったということもないんだよなぁ……」
俺が知る限りでは特に何も変わってはいない。
鏡の魔術はしっかりと機能していた。
強化された動体視力で捉えたビーストの動きをしっかりとトレースしていた。
サーヴァントとしての身体能力を使っていたために俺の体が痛みを訴えていたのだが、それに関しては自分でできる以上の動きをすればその分の揺り戻しが来るというだけのことで、別に変化したことでもなんでもない。
「できれば聖杯大戦よりも先に知りたいところだけど……」
どう変化したのかの予想すら立てられないのであれば意味がない。
ビーストは知っているのだろうけど、特に教えてくれる気配はない。
「あ、うまい」
考えれば考えるほど頭が痛くなってきたので、ビーストが先ほどキッチンから出てきたときに持ってきた、(おそらくは手作りの)クッキーを口に入れて思わず呟いた。
「あー……こういうことね……」
その日の夜、鏡でできた鳥によってミレニア城塞のことを覗いてみれば、黒のランサーことヴラド三世が魔術協会から派遣された狩猟特化の戦闘部隊を相手に無双をしている姿が見受けられた。
俺なんかとはまるで比べ物にならないほどの実力を持つ魔術師たちが、戦場を知る魔術師たちが為す術なく殺されていく。
それでも、一人だけ先に進んでいるのはやはりダーニックが最初から予備システムを起動させて魔術協会側にも聖杯戦争に参加させるつもりだからだろうか。
俺はダーニックではないためにその辺りのことはわからないのだが、代わりに一つだけ、魔術についての変化がわかった。
「これまでは魔力を通した鏡に映った相手なら複数を対象に出来たけど、今は一人にしかできないのか……」
対象が狭まっている。
それだけの違いであり、さっきまではビースト以外に対象にできる人物がいなかったために気がつかなかったこと。
ミレニア城塞に攻め込んだ魔術師たちは誰がどの属性の魔術を使っているのかわかりづらいので、対象は黒のランサー。
彼の動きを鏡に映すことで、
無論、身体能力は違うのであのレベルをそのまま顕現させるのは難しいだろうし、劣化しての顕現でも自分の肉体が堪えきれるとは思えない。
結局のところほとんど意味がないような気がするのだが、英雄と呼ばれる存在の動きを覚えられる機会など滅多にない。
「それで、どうするの真幌」
「そうだな……」
ダーニックからは手伝わなくてもいいと言われている。
皆殺しにしてしまえば聖杯大戦が行えないのだから。
”魔術師”としてのユグドミレニアを認めさせるためには、サーヴァントに頼りきって殲滅しても意味はないと、彼が言っていたのだから。
「幾ら何でもルーマニアで召喚されたヴラド三世を倒せるような魔術師がいるとは思わないけど……万が一にもあの中に愛歌レベルの存在がいた時のために、一応最後まで確認だけはしておこうか」
そもそもそういう存在であれば未来もすべて確認できるから自殺してしまうとかなんとか、そんな記憶があるから、俺自身そんな可能性はないだろ、と思いながら。
ビーストも、俺が如何なる存在なのかは知っているらしい。
なので二人でいる時ならばすでに教えられているヴラド三世以外のサーヴァントの真名を口にしても問題はない。
それにしても、とヴラド三世による、陣地と化したルーマニアにおける無双劇を見ながら思う。
前世ではテレビやゲーム、文章という形でしか
にもかかわらず敗北してしまったのは一体どういう理由なのだろうか。
いや、知識としてはわかっている。
大聖杯を奪われ、それを取り戻すために庭園内部に侵入し、
その後、ダーニックによって宝具である『
ならば、どこがミスだったのだろう。
「……」
ヴラド三世は吸血鬼としての力を使うつもりはなく、使わせるのであれば死を覚悟しろというほどの嫌悪を持っている。
だが使わなければ敗北は必至だった状況であり、あの状況で令呪を使用して使わせるのは別におかしなタイミングではなかった。
敵に天草四郎時貞がいるなんて、当たり前に考えれば誰も想像がつかない。
その結果、彼らの願いは永遠に叶うことはなくなった。
個人的には、信頼関係のあったアーチャー主従とバーサーカー主従は、というかこの世界以外の聖杯戦争も含めて、『信頼関係のある主従というのはまともな結末を迎えやすい』という関係性があるような気がする。
そうした主従のマスターの方は、最初から思い描いていた通りの形ではないながらも、それでも自分で納得する形の結末を迎えることはできていた。
となると、俺も自分のサーヴァントと信頼関係を結ばないといけないのだが。
「あら、どうかしたのかしら?」
「……いや、なんでもない」
これと?
いくらサーヴァントとして召喚されていて、俺と契約の
いや、そんな未来のことを考えても仕方ない。
そもそも負けると決まったわけではない。
セイバーのように、彼女が背中を安心して向けられる相手はここにはいないし、もしも俺が万が一にも彼女のいう『理想の王子様』になったとしても、俺には彼女を一撃で殺せるような何かはない。
負けた後のことを考えるのではなくて、俺が勝つための手段を考える方が健全だ。
「とりあえず、あと二ヶ月程度で聖杯大戦が始まるわけだけど」
「それまでの間は魔術工房の作成でしょ」
つまらないというような表情を一切隠さないビースト。
その事実に殺されるのではないかとヒヤヒヤするのだが、それでも従ってはくれるらしい。
「でも、真幌だってわかってるでしょ?」
「ああ、わかってる」
キャスタークラスのサーヴァントは、召喚されてから聖杯戦争が終わるまでのわずかな期間でその工房を完成させる。
それは『陣地作成』というクラスがあるからなのかもしれないが、それは今はどうでもいい。
重要なのは、この少女が蒼銀のフラグメンツにおいて神殿クラスと明言された魔術工房を平然と踏破していたことだけ。
そんな少女が、根源接続者であるこの少女が、魔術工房を作れないはずがない。
無論、陣地作成がないから少し時間はかかるかもしれないが、それでも彼女の様子を見る限り、完成まで後二ヶ月も必要ないのだろう。
だが、今彼女が言っているのはそういうことではない。
この状況で魔術工房を作るのに二ヶ月間もかけるのは馬鹿げているという彼女の様子。
それは沙条愛歌の能力が原因ではなく、擬似サーヴァントであるビーストとしての顕現に伴って持ってきた能力に起因する。
「それ、そんなにぞんざいに扱っていいのか?」
「別にいいのよ、私のものなんだから」
そう言った彼女の手の中では、黄金の杯が弄ばれていた。
マザハ愛歌ちゃん様をなんと呼ぶのが正しいのか……