今更母親の奇行になにか苦言を呈することはないし、今更
「あ、おねぇさんこれはこれはありがとうございます。このバカ息子って最近どんな感じですか? いつもどおり脳みそ蒸発させてる?」
『蒸発させてんのはお前だよ』
しれっと生活空間の中に現れた闖入者。その名は母。今、家庭訪問の時間が始まる───!
なんて冗談は置いといて、とりあえずこの状況をどうにかしないといけないと考える。
母親が押しかけてきた。
気絶して母親に捕まっている
なんというか……絶妙に気持ち悪いのだ。
狐の抱える気持ち悪さとは別のベクトルで。恐ろしいくらいに狂人だから。それを包み隠そうともしていないあたりが、どうしようもなく大嫌いだ。
机に置かれている焼き菓子をとって、口に入れる。これは狐が作ったものらしい。お前の女子力くれ。わたしは女子力欠乏症だ。外部から女子力を摂取する手段があればいいのに。なんて思ったりして、わたしは口の中に広がる甘さに一時の意識を溶かす。
「……それで……なにをしにきたんです?」
狐が聞いた。グッジョブ。
「やだなぁ、娘に会いに来ただけだよ。このバカのバイク借りてちゃちゃっとね」
「……それだけです?」
それだけではないだろう。どうせ他に目的があるに決まっている。
そう確信できるのは、忘れもしない小学校での出来事。
いじめられていたわたしの前にやってきて、いじめっ子全員を
それ以来、わたしは母親のことを同じ人間と信じていない。なにをやったのかは知らない。何をしたのかは知らない。けれど、その不登校児共は揃ってこういうのだ。
……わたしは母親の個性を知らない。だからこそ、その個性になにか秘密があるんじゃないかとか思っている。わたしの個性が『液体化』であり、
───これ以上考えるのは、怖い。深淵を覗いている気分になるから。
ほら、今も母の闇以外を感じさせない瞳がわたしのほうを見ている。こわい。けど、もう慣れた。
「まぁぶっちゃけそれだけじゃないんだけどね。安心して、
「……及第点?」
「そ、及第点。異能解放軍を蹴って入った組織なんてのがどれだけのものかと思ったんだけど……まぁ、そこそこいい感じじゃん? だから及第点」
「そうじゃなかったらどうしてたつもりなんです?」
「そうねぇ……」
───全員、殺しちゃってたかも。
やっぱこいつラスボスだよ。
前に通話だけした『先生』に似たものを感じる。いや、先生のほうがよっぽど恐ろしいのだが……母親の場合、なんというか───
───心を壊されそうな怖さ、というか。
先生の恐ろしさが身も心も捧げてしまいたくなるカリスマ性だとすると、母親の恐ろしさは話していると巨大な生物に捕食されるような気分になるところか。
気絶していた
「……うわぁああああああ!? 冥府の番人!?」
「おいだれが冥府の番人だ。こんなに美しいお母様に向かってなにを言ってやがるかっこはーと」
「口で言っちゃうあたり終わってるんだよ年齢考えろクソババア」
「チャージ……せっかくお母さんがいるんだし、そんなこといっちゃだめだよ」
「狐さんまで洗脳しやがって……! ぶっ殺してやる」
「洗脳されてないんだけどなぁ……」
こいつがいるだけで雰囲気が変わるのほんとどうかしてる。
そんな騒ぎの中、わたしはふと気になって腕を見る。違和感があったからだ。
無数の眼球と目が合った。
『きゃぁぁぁぁああああああ!?』
「ああっ!? スイコちゃんまで!?」
「どうしたバカ娘! クールぶってる癖に意外と悲鳴はかわいいじゃねぇか!?」
『おとっ、ぉとっお父さんこれなに助けてぇぇぇえええ』
「うっわなんだそれ気持ち悪っ!」
「一つもらっていい?」
狐の反応が怖い。
ぶつぶつとした目は、ぎょろりとわたしのほうを見たと思うと、閉じられて消えていった。その様子を見て、わたしと父は閉口し、狐だけが少し残念そうにし、母はどことなく嬉しそうに笑みをこぼす。
唐突なホラー映像に珍しく狼狽えてしまったが、反応を見るに母親はなにかを知ってそうだ。うるさい心臓を深呼吸して鎮静させつつ、母親に向かって視線をやる。
「……? ……!」
サムズアップされた。
『違う! 説明してってこと!』
「あ、そういうことね。スーちゃんったらまったくわかりづらいんだから……」
『どう考えてもいまの流れでわかると思うんだけど!』
はぁ、と胸に溜めた息を吐き出す。心臓は少しだけ落ち着いた。よし、これで問題はない。
「といってもそんなに大した説明はできないのよねー。言えることがあるとしたら……
『……は?』
まったくわからない。
ひょっとして、わたしの個性は『液体化』ではなくもっと別の、おぞましいなにかだとでも言うのだろうか。いや、でもたしかにそうかもしれない。死柄木弔に言われたように、わたしの個性は金属化ができるように少しずつ成長している。
その成長の終着点が、さっきのような無数の目玉の怪物だとすると───
すこし、恐ろしい。
「私達の個性は代々血を濃くしていくことによって先祖の力を強くしているのよねー。兄妹ができなかった場合なんかは、娘とかと交わるわけなんだけど」
『家系単位で狂気に溢れてる』
「おいババア、それ聞いてないぞ」
「あれ? 言ってなかったっけ? まぁいいや。でね、私の場合お父さんが生まれてくる前に死んでたから、外部からの血を交えるしかなかったわけ。それでできた子供が男だったから、子供をその間で作ったんだけど」
「……やっぱり闇が深い家系だぁ」
狐のしっぽがへにょんとしている。
顔は無表情なのに。
「まぁ、それでできたのがスーちゃんってことね。こっちのバカの影響で体の中にいろんな性質を取り込めるようになってるから、これはきっと
『最高傑作って……』
人をなんだと思っているのだろうか。
まるで子供の気持ちを理解していない、同意のない人体改造と同じようなお話だ。そういえば、個性婚というものがあったか。それとやっていることはほとんど変わらない。
義務的に子供を作っているだけだ。
「スーちゃんの才能はすごいよ。ひょっとしたら、ご先祖様に匹敵するくらいのものがある。……ひょっとしたら、ご先祖様に会ってるかもしれないわね」
『……ご先祖様に会うって。無理じゃないの? どういうこと?』
「私達は歳を重ねる段階で、ご先祖様の面影を見る。こうした交配の理由がなんであるのか、それを知る。……このバカはその記憶を覗いてないみたいだけど、スーちゃんほど才能があればひょっとしたら見ることができるかも」
ご先祖様の面影、ねぇ……まぁ、個性という超常の力は未だなにがあるのかわからない。
個性特異点なんて話があるが、先生みたいな個性が生まれてしまっているあたり、超常黎明期の個性のほうがおそろしいものがある。
───ひょっとして、考えたこともなかったが、我が家は先生のような化物を先祖に持つ家系だったりするのだろうか。
『まぁ代は浅いから先祖がどうこうとか言ってる場合じゃないんだけどね』
「……それより、そんな理由があって俺を押し倒したのかよ」
「ん? ああうん。普通ならこんなバカ息子を相手にするわけないじゃん」
「お前も年考えろよ」
「ん? 久しぶりに親子喧嘩する? いいよ? 絶対負けないから」
「それはやめてほしいんですけどー……こぅん」
狐が突然のあざとさアピールをし始めた。
手持ち無沙汰になったので、狐のしっぽをに触れる。「ひゃぁ!?」だなんていつもおもしろいリアクションをしてくれる。しっぽの先をいじくった。体を震わせて、くすぐったさに耐える狐はなんというか……こう、虐めたくなる。
楽しい。
耳のほうに手を伸ばす。狐が涙目でこちらを見て、弱々しく首を振った。
わたしは耳を握った。
「ふやぁ!?」と、狐の弱々しい叫び声があがる───そんなわたしたちを、
その晩、夢を見た。
空は藍色で、テロリズムが協奏曲で40ページの大長編がちんちろと今日も同じようなフレーズを繰り返しているような世界で、わたしは鳴り響く心音に似たドラムの音を聞きながら歩く。
足音をバックグラウンド・ミュージックに、転調を始める三千世界をわたしは夢に見ていた。近場にあったコンビニへと入り、おにぎりコーナーに置いてあったイヤホンを店員がいないのでお金を払い購入し、包装を開いて食べる。
───ここは、誰の夢だろう。
昨日は一日が始まった。今日も一日が始まるだろう。明日は一日が始まるのだろうか。
長大な交差点。広い街の中、ぽつんと一人だ。駅前で騒ぎ立てるブリキのギャングが、藍色に飲み込まれて溶けていった。
わたしは後ろを振り返らない。一歩止まると、わたしのぶんより足音が多い。だれかが後ろにいる。そんなこと、とっくの昔に気づいている。
空に浮き上がる横断歩道を、軽やかなステップで走っていった。一歩ごとに、ドソラソホヘトと妙ちくりんに音がなる。冷静さを喪失した世界で、慌ただしくもわたしの後ろの足音が喧騒と幻想を表現していた。
何に突き動かされているのだろう。そんなことはわからない。わたしは、ただ胸の焔に呪われたように足を動かす。藍色の空はやがて眩んできて、世界はホワイトアウトした。何もみえない銀世界。走ってゆくのはたしかにわたしで、道などなくてもどこに行くべきかがわかったような気がした。
やがて世界はモノクロへ。飛び交う電信柱を足場に、どこかへと向かっていく───飛んだスペースシャトルは数秒で落下した。爆発はコミカルに。爆風に煽られ、わたしは落下した。
地面に落ちた───わたしの上に、真っ黒で、到底視認に堪えないなにかが落ちてきた。
とぷん、と。
地面の中へと───地の底へと落ちていく。
『ようこそ』
と、お前は言った。こともなげにおまえは言った。無責任が服を着ているように、厚顔無恥が騒ぎ立てるように、静寂を突き破りオマエはたしかに言い切ったのだった。
『ここにくるのは
そこにいたのは───わたしだった。
鏡で見るわたしのように、小綺麗に見えはしていないのに。なぜだかそれはわたしに見えた。
『ひさしぶり』
久しぶりであるかはさておいて───お前はだれだ。わたしはそう言おうとして、口の中が黒い液体で満たされていることに気がついた。どろりどろりとわたしを侵食していく。飲み込もうもしなくても、勝手に喉を押し広げて入ってくる。その感触がなによりも気持ち悪かった。
おまえはだれだ。
『わたしはあなた。───なんて、答えは求めてないんだろうね。でも正しくわたしは君であり、君はわたしである。どちらかと言ったら後者が正しいかな───君はわたし。君はわたしの、
そのうつしかがみ、鬱死鏡とか読まないだろうな。
わたしはそう呟いて、眼球を圧迫するその黒に逆らうために目を細める。全身を犯されているような気分になる。この黒はなんなのだろうか。
『それは、わたしたちが代々受け継いできた……個性の正しい在り方』
へぇ。随分と訳知り顔をして。知ったような口ぶりをしている、というわけじゃあなさそうだ。
わたしは『黒』に抗った。体が痛い。飲み込まれる意識は、目覚めに向かっている証明だろうか。
『時間がない───か。ほんとは全部教えたかったんだけど。それは今度でもいいかな』
そういって、鏡の向こうのわたしは、わたしの頭を撫でた。そうしてわたしに
……………………。
───!?
『あ、赤くなった。初心なんだーい』
そういたずらっぽく笑って、わたしはわたしの頬の感触を楽しむようにつつく。
『わたしたちの【個性】の在るべき姿───その制限を解除したよ。君ならわたしに到達できるからね』
その言葉に、ひょっと思い出すことがあった。
───ご先祖様、だろうか。
『およ?』
わたしがそう考えたとき、意外というふうに彼女は目を見開いた。その後、その顔が笑みに変わる。
『うん、正解。……もう時間だね。また今度、いつかの夢で逢いましょう?』
彼女は頭を撫でる。その暖かさは、どことなくいつかの記憶を彷彿とさせて───
目を覚ます。わたしは体を見下ろした。澄んだ水のように、肌は透き通っている。
髪を見た。日本人らしい黒の髪は、透明度の高い海のように、蒼い髪へと変化していた。
ちょっとずつ謎の投下。これでスイコちゃんの幕間パート1は終了です。若干の強化パート……?