……やらかした。
蘇生直後でろくに頭が働いていないせいか、うっかりとやってしまった。これはとんでもないミスだ。くそぉ、こうなるんならハイエンドにはぼくのことをジョンって呼ぶようにってしておくべきだった。
しかし……リカバリーはまだ可能だろうか? 緑谷くんならなんとか騙せそうな気もする。どうするべきか? この老人……それを殺したのはぼくではないと主張するべきか?
あ、いや、まだ名字でしか呼ばれてないじゃないか。なら家族であるって言える。うん、その方向性で行こう。幸い、今のぼくの見た目は姉であるといえばまだ通用するだろうし。
「君たち、だぁれ?」
そういえば今の体、かなり肉付がよくなった気がする。大人になったって気分である。胸も大きくなった。……それに加え、お腹も大きくなってるぶん、ちょっと太ったような気分になるけれど。
ともあれ、しらばっくれるのだ。自分が死染妖狐だとバレてはいけない。そう、なら自分は死染妖狐の姉であることを盛大にアピールすればいいのだ。
そう、これが完璧な論理。パーフェクトロジックである。
「……グラントリノを殺したのは、お前だな」
完璧な論理が破綻した。
断定口調であるので、それが確信を得ての発言だとわかる。ぼくはハイエンドを見た。少し視線を逸らされる。バカ野郎! 心の中でそう呟くも、仕方ない。なんとか矛先をずらし、敵対の方向性から離れなければならない。
「……死染さん。君なら治せるだろ? ボロボロになったぼくを一瞬で治したんだ。なぁ、君が死染さんだというんなら……グラントリノを、治して」
「やだ。というか、君たち誰だって聞いてるじゃん」
ぼくは言った。治せるには治せるが……それには生命力を消費する。自分の体の再構成に、尋常じゃなく生命力を吸われている。通常の蘇生よりかなり多く吸われてしまった。……だいたい、蘇生20回ほどか。ちまちまとオールマイトを食べて補給していて本当によかった。
今の蘇生可能回数は10回ほどだろう。しかし、これほど損傷した他人の死体を治すなら自分の生命力すべてが持っていかれてしまう。
だから、ぼくは治せない。
「……………………」
うん、これで大丈夫───と、思ったのも一瞬。
頭の中を塗りつぶすように、『感情』がぼくの頭の中を埋め尽くした。
それはぼくを呪う怨嗟。すべての負の感情がのしかかるように、ぼくを殺してしまっていく。なにが起きたのかを察する暇もない。一瞬で頭の中を埋め尽くしたそれに、ぼくは耐えきれずに頭を抑えた。
頭が割れそうだ。処理能力の限界に達している。わけのわからない。なにが起きた? まともに考える余裕はない。痛い。ただ、痛い。まるで声を抑えきれず、吐息がかすかに漏れるように。頭の隙間からゆっくりと思考力は溶け出していく。それは涙として体の外へと出ていった。
「……ふざけてるんだな」
棘のある言葉。頭の中がどうしようもなく大渋滞。どうにかなってしまいそうだ。嘔吐しそうになるが、それだけは耐える。
「治せよ」
「……お、おい……緑谷くん……?」
「治せよ!!」
ようやくわかった。これは個性が進化しているのだろう。それも、全体的に。体が大きくなっただけではない。心を読む個性が強くなり、それが逆効果になっている。
「……と、轟くん……ぼくに抹消を……」
「あ、ああ」
個性が消え去り、これでようやくまともな思考力を確保できた。ずきずきと痛みはするが、まだなんとかなる。
……ひょっとして、相手の感情を読み取りすぎてしまうのだろうか。もしくは……緑谷くんの感情がそれだけ莫大なものだったか。それか、頭の中で大量にいろんなことを考えているのであろうか。
それを強制的に受け取ったから、今こうして頭痛になっているのだとすれば……まずい。早く緑谷くんを仕留めないと。
自分の個性が自分の首を締めるとは思わなかった。……だが、それだけ深く相手の感情にアクセスできるほどの強化だ。他の個性の進化も見られるだろう。
それに期待をすることにしよう。とりあえず、ぼくは今動けない。ハイエンドに緑谷くんを仕留めてもらわないと。
「轟くん。あいつを殺して」
畜生、もっと早く殺すべきだった。敵対したくはないといって日和ったのが失敗だ。真っ先に殺しておくべきだったのだ。
そのツケが、今こうしてやってきている。
「……………………」
ハイエンドが、緑谷くんの個性を抹消する。これで相手は無個性も同然。もうハイエンドのカモでしかない。
───大氷塊。それが、眼前にいた人の姿を包み隠した。
……とりあえず、早いところ逃げなければ。ケータイで黒霧に連絡をする。……ステインを見捨てることになるが、それも仕方ないだろう。最初にその可能性は伝えている。それにステインは了承したのだから。
とりあえず、個人チャットへと撤退要請をしておいた。これで、逃げる準備は整っている。あとは黒霧が反応するのを待つだけ。
「……あれ?」
急に、頭が割れるように痛んだ。これはさっきの感覚だ。さっきより増しているような気がする。まさか、抹消が切れた? そう思ってハイエンドを見ると、眼から血が溢れていた。なんだ? ひょっとして、ぼくを狙撃したやつの仕業か? いや、おかしい。やつは殺したはずだ。ならなんで?
痛みに耐え、前を見た。
大氷塊が破壊される。個性が復活しているからだ。───抹消は、発動されない。
一瞬で近づいてきた緑谷くんが、ハイエンドを殴り倒した。
「……う、うそぉ……」
ハイエンドは、体を改造されていない。だから負けることはあるだろうと思っていた。だがしかし、これだけ一瞬で倒されるなど、想定すらしていない。
……しかし、これでぼくも痛む頭を抑えながら戦う必要があるわけだ。体を起こし、尋常でない速さで殴りかかってくる緑谷くんの拳に、被弾覚悟で自分もその顔面へと拳を通す。直後、吹き飛んだ。両方が弾けとぶように吹き飛んで、そのまま後ろの信号機に叩きつけられ、それを圧し折りさらに後ろへと飛んでいく。
電柱にぶつかった衝撃でようやく止まることができた。背後にある電柱は、こちら側へと倒れてくる。今の衝撃でへし折れたらしい。
ここまで強くなっているのを感じると、失敗した。
あのときに殺しておけば───という後悔は尽きない。だが、これほど短い期間でここまで成長するなんてだれが想像するのだろうか。
さすがはオールマイトの子供。見た目こそ全然違うけれど、その強さは確実にオールマイトのそれ。むしろ弱っていたオールマイトよりも強い。
口から血がこぼれた。中身の損傷だろうか? とりあえず、治癒で回復しておく───そちらも成長しているのか、普段より生命力の消費を抑えて回復できた。
「───まずっ!?」
急いで体を横へとずらす。ぼくが立っていた場所を風圧が抉った。それはコンクリートで出来た壁に風穴を空ける威力のもの。
容赦がない。そりゃあそうか。ぼくが肉塊から蘇生したこともどうせ知っているのだろうから。ならば仕方ないだろう。
相手も殺す気で殴りに来ている。それだけ怒りを抱えているのだろうか。いや、そうだ。頭の中で、ずっとだれかの映像が流れている。
……オールマイトの死に様。麗日お茶子の情景。原型を留めない、グラントリノと呼ばれた人物の死骸。それを見てなにを思ったのか。彼が何に成り果てようとしているのか。
……そろそろ、頭の痛みにも慣れてきた。ちょっとずつ増しているような気はするが……それにも慣れてくる。振り下ろされる拳にはこちらもそのまま対応できる。拳を振り抜いて、それで丁度相殺されるのだから、個性が強くなっていて助かったと心の底から思った。
「───死染さん。君が裏切り者だって疑いは最初からあったよ」
……そりゃあそうだろう。あれほど不自然な襲撃事件というのもない。
思えば順風満帆にいったように見えて、結局は穴だらけだ。そもそも姫ってなんだ。あんな突貫工事のような演技、疑われるに決まっている。当然だ。
「……事件が終わって、君への疑いは強まっていった。けど……信じてたんだ」
「あははは、信じるだけで救われるんなら、誰だって祈るもんね! 裏切られることだってあるよ!」
「僕がいたところだけ監視カメラが破壊されてるんじゃ、そりゃあだれだって君を疑うさ……! 相澤先生を殺した女性が、そこからやってきたってので、君が裏切っていたんじゃないかって……!」
「それでそれで!? あはははははは! なんだ! ぼくが必死になって姿変えたりって無駄だったんだ! あはははは!」
「……っ、デトロイトぉぉ───っ!」
拳が握られる。それはさすがに避けるべきだ。殴り合っても生命力を消費するだけ。だから、ぼくは体を横にスライドさせるように射程から逃れようとする。
だが、範囲は尋常じゃなく広い。それだけでは逃れられなかった。風圧に煽られ、体が一瞬停止する。
「スマッシュ!!」
体が吹き飛ばされた。まずい。宙に浮いては体を動かせない。
ぼくの足を掴んだ緑谷くんが、そのまま地面に叩きつけた。頭が割れる音がする。治癒をして、瞬間的に対処した。空いた足で緑谷くんの腕を蹴れば、手は解かれる。
よし、反撃だ。着地のときに、力にものを言わせて足を蹴る。それだけで踏み込みを完了した。地面を吹き飛ばし、ぼくは緑谷くんへと一撃を与える。
顔面を殴られた彼は、しかし拳を既に振っていた。それはぼくの顔へと当たり、吹き飛ばす。
激突したビルに、クレーターのように穴が空いた。クモの巣状に出来た亀裂は、それだけの威力があったのだと思わせる。
殴られながらの攻撃でこれとは、やはり恐ろしい。
頭の中に流れ込んでくる感情が一気に増えた。……どうやらこのビルは生きているらしい。声も届いてくる。そのすべてが不安と恐怖のそれ。
追撃にやってくる緑谷くんの拳を、あえて自分で受けた。ビルを貫通し、中を吹き飛びながらぼくはまともに動きそうにないほど消耗した体を治癒する。それで全ての損傷が消え去った。
……しかし、やはりこちらも消耗している。残り蘇生回数は4回が限界だ。おそらく心を読む能力が一番邪魔をしている。消耗しすぎだろう。
とんでもなく扱いづらい個性に進化してしまった。
「ヒーローさん、いいのかな? いいのかな? 人を怖がらせてるよ、いいの?」
「あの高度なら、人には当たらない。なら大丈夫」
「あっはは! 緑谷くんったら冷酷になっちゃって! ぼくのことだって、死んじゃってもいいみたいに殴ってくる! そんなのでいいの? ねぇ、君が成りたいヒーローって、ほんとにそんなヒーローなの?」
「最近ちょっとした心変わりがあってね。大切な人を守るためなら、それでいいと思うようになった」
「あっははは! あっははははは! それってヒーローって呼べるのかな!? ねぇ、ほんとに。それはヒーローって呼べるの?」
「ヒーローである以上、
拳が振られる。それは人を巻き込まないように放たれた、上空へと向けた一撃。ぼくの頭を殴りつけ、潰すような一撃。
吹き飛びながらも頭を再生した。……蘇生カウント1。残りは3回だろう。まだ黒霧はこない。遅い、と思うが、ぼくの座標を探しているのかもしれない。位置情報を送らなかったぼくのミスだ。
これ以上死ぬのは厳しい。緑谷くんを早く倒さないと。
拳を最大限に強化した。当たれば倒せる。そう、これはそういうレベルの一撃だ。自分の速度も強化する。かなり生命力を食ったが、仕方ない。早く倒さないといけないんだから。
───その拳で、緑谷くんに殴りかかった。一撃にすべてを込めるように生命力を込めれば、自分の限界以上の威力が出せる。
その拳で、殴りかかる。
速度も強化している。たった一撃で尋常じゃなく消耗するが、これならば緑谷くんは反応すらできずに殺せる。
事実、彼の目は追いついていない。その体に確実に拳は当たる。
勝ちを確信した。オールマイトの後継とも言える、絶望的なまでの実力の持ち主。ここで片付けておかなければならない。だから、拳を振り下ろし、
横合いから弾かれ、その拳は緑谷くんから逸れる。
「───な───」
それは無粋な闖入者の足を千切り飛ばし、緑谷くんの体を遠くへと吹き飛ばす───だが、そのどちらも死んでいない。
「……飯田くん」
完全に忘れていた。そうだ、飯田くん。まったく戦闘に関わってこなかったから完全に頭から抜けていたのだ。
後ろを見れば、拘束されたハイエンドと、ステインの姿。もうひとりいたプロヒーローの影はない。
……逃していたのだろうか? しかし、失敗だ。一対一なら勝っていた、というような状況なのに。
「……最悪だぁ……」
飯田くんの足は根本から千切れ、動くことはないだろう。彼はどのみち動けない。だが、緑谷くんは吹き飛ばされこそしたが、彼のせいで致命傷を負っていない。
決着を焦った。いや、ぼくの性格を知って、焦って勝負をつけにいくところを狙っていたのか? どちらでもいい。ただ、ぼくは緑谷くんを殺せなかった。その結果だけだ。
その結果は───最悪に限りなく近い。今ここで殺しておかないと、彼は強くなる。殺しておくべきだったのだ。
───緑谷くんは立ち上がる。それがなによりも、最悪に近いものを思わせた。
完璧に失敗だ。
「……けど……たった一人じゃ、弔の邪魔はできない……」
それは最早言い聞かせるような状態に近い。心の中じゃ、最大の障害になるだろうことは感じている。だが、そう思うしかないじゃないか。
ああ、だめだ。もう頭の中が正常じゃない。頭痛も激しい。どうすればいいんだ。くそぉ。
ここでぼくは───負けるのだろうか?
緑谷くんが立ち上がった。その拳が近づいてくるのを、ゆっくりに感じる。
……今の生命力だと、2回は蘇生できるだろう。だが、そうなるとぼくからはもう、ろくな戦闘力は確保できない。
くそ、個性の成長が逆に悪い結果を生むなんて。……冷静になれば、茶味の敗因もこれに近かった。なんて罠だ。強くなれば、逆に負けるだなんて。
このやろー。できることといえば、ぼくは緑谷くんをにらみつけることだけだ。
拳が振り下ろされる。それは、ぼくの顔を狙ってやってくる。
───奇跡は起こらない。すべてが間に合う道理なんてない。世界が地獄でないという証拠はない。
だから当然のように、その拳はぼくの顔を打ち抜き、吹き飛ばした。
意識は薄れる。……もう生命力も限界なのだろう。お腹、空いた。久しぶりのその感覚に、懐かしささえ覚える。
……このまま捕まれば、ぼくは死んでしまうだろう。きっと、世界からすればそれが正しいのだ。
夢を見た。ぼくがすべて間違っていると批判される夢を。それはきっと、ぼく以外の全人類だ。だれもがぼくが死ぬことを望んでいる。これは幻聴かな。幻覚のそれ? でも、どれもが本当のことだった。少なくとも、頭に流れ込んでくる歓喜の念は、ぼくがやられて喜んでいるそれは、ぼくが死んでも喜ぶんだろう、と。そう思った。
だってしょうがないじゃん。ぼくはそうしないと生きられないんだもん。人を食べたっていいじゃん。なにがいけないの? やだよ。ぼくは死にたくない。ぼくはまだ、生きていたい。何にもできてないんだよ。まだまだやりたいことがあるの。
……あ。
この感覚、ぼくが今まで殺したみんなが、こんなことを思ってたのかな。
なんて酷いんだろ。そんなぼく、死んでしまったほうがいいじゃん。ぼくがみんなの立場だったら、指を差して死ねって言うもん。きっとそうなんだよ。
だれかを殺さないと生きていけないぼくは、とんでもない欠陥製品なんだよ。
やだなぁ。この間、ぼくはぼくなんだって言われたのに。ぼくってなんだったっけ? 頭痛のせいかな。そんなこともわかんない。
死にたくない。
死にたくない。死ぬのはやだ。ほんとにこわい。
これは弱さなのかな。人なら当然の感情なのかな。獣のままだったら、そんなこと考えないで済んだのかな。人になろうとして、ぼくは弱くなったのかな。
やだな。
だっておかしいじゃん。ぼくは死にたくないだけだよ。人だってそうしてるじゃん。自分が死にたくないからって、他の生き物を殺してるじゃん。なんで? なんで? なんで? 自分たちになったらだめなんて、そんなのおかしいよ。
それでも、頭の中に流れこんでくる。ぼくが倒されて喜ぶ人の感情。なんで。どっちも同じじゃん。同じ暴力でしかないじゃん。なんでなの? ひどいよ。どろどろとした感情だ。どれもこれも、混ざり合って気持ちが悪い。
ぼくが負けたことにだれもが喜んでる。なんで? どこに隠れてたの? ビルの中? おかしいじゃん。なんで?
幸せに生まれたお前らに、ぼくの気持ちなんてわかりやしないくせに。
───そんな感情の中で、別の感情が混じった。それは、ぼくを糾弾するすべてに対する怒り。心の声が聞こえる。どろどろとして、混沌としてて、全く聞こえなかった心の声……ぼくのために世界を変えようだなんて本気で思ってたなんて、意外すぎて笑っちゃいそう。
彼は、仄暗い輝きでぼくを肯定してくれていた。
「───間に合った」
なんとなく理解する。だからぼくは、弔のことが好きなのかもしれない。なんてことを考えて、完全に意識は消え去った。
覚醒したら負けってフラグでも立ってるんですかねこのお話
補足
狐さんの体調が悪くなかったら勝てた勝負でした。周囲の状況の把握もできず、周囲にヒーローが少しずつ現れてたことに気づかなかったという形です。ハイエンドが攻撃されたのもそんなかんじ。
射程外から射撃するヒーローだっているってきっと。そんなかんじで。