夜空を見上げながら、男は酒瓶を掲げた。
「彼らの旅の無事と……大馬鹿野郎に」
フェルを抱えたまま宿へと辿り着いたジャックの姿に驚いた宿屋のデグ夫婦が何事かと訪ねると、フェルは先程の出来事を全て話し、部屋へと急ぎ荷物を纏め始めた。ジャックよりも早く荷造りが終わったフェルは僅かに出来た時間で部屋をゆっくりと見渡した。奴隷として捕まりこの街に連れて来られ、ジャックに買われ、そしてこの部屋で過ごした数か月間。長い月日を生きるエルフから見れば人生のほんの僅かなものでしかないが、ここで過ごした時間は彼女には大変濃いものだった。
荷造りを終えて夫婦の許へ戻るとジェイド達が騒ぎを聞き心配して駆け付け街の外までの護衛を申し出た。夫婦から数日分の食糧と飲料、まだ教え切れていなかった部分と魔法に関する事が書かれた羊皮紙を手渡された。それらを仕舞い終えた彼女を女将は優しく抱き締めた。
「何時でも戻っておいで。いっぱい美味しいもの作ったげるからさ」
「……はい。ありがとうございました……こんな私に優しくしてくれて」
ずっと恐ろしい存在だと思っていた人間。実際酷い目にも恐ろしい目にも遭った。それでも何時か――この街にもう一度戻って来たいと、フェルはそう思った。そして女将が目を潤ませているのを見て自身も泣いてしまった。自分で思っているよりもずっと泣き虫なのかもしれないと感じた。
「よし……! 行っといで!」
「はいっ……! 行ってきます!」
最後にフェルを一際強く抱き締めてそう言った。ジャックは店主と握手をした後にお金を渡したがこれからの旅に必要だろうと店主は断った。その優しさ故に少し心配になったフェルではあったが、この2人なら大丈夫だろうと感じて宿を後にした。
街の外へ出る為北門へと向かう途中フェルに連れられた一行はセラの薬屋にやって来た。宿屋同様状況を説明し街を出る事を話すと奥へと引っ込み手紙と革袋を持って現れた。革袋には魔法薬や少し前までジャックに使用していた煎じ薬等が入っていた。魔法を用いた治療が出来ない彼の為に用意したものだそうだ。
「この程度しか渡せずにすまんのう。それで、これが手紙じゃ。妻の故郷は確かセルメイアという所だと言うておった」
その名前を聞いた瞬間にフェルが目を見張った。偶然にもセラの妻の故郷はフェルの故郷と同じ場所であり、それはセラにとってもフェルにとっても喜ばしい事だった。妻がケリーネ、娘がケーラという名で、その人達もフェルの顔見知りであるという事が分かりセラは神に感謝した。
「やはり君との出会いは偶然ではなかった様じゃな……。さぁ、名残惜しいがもう行った方が良い。手紙の事、宜しく頼みましたよ」
そう言ってフェルの手を優しく握り、神に旅の祈りを捧げてくれた。
広い街故門までは距離があり、走って向かう中フェルは自身の体力の無さを実感していた。荷物は全てジャックに持ってもらっているが、彼の体力がどうなっているのか彼女には不思議で仕方がなかった。筋肉質な肉体だというのは知ってはいるものの、鎧やマスクを身に纏い武器を持ち荷物まで持っていて、挙句先日まで怪我で真面に動けなかったのに平然と自分達より先行して走っている。戦士として相当な実力の持ち主なのだろうと考えた。
ジャックが突如足を止め辺りを見渡し始めた。警戒心の強いこの男の行動が意味するところはつまり――。
「逃げられると思っていたのか? そのエルフは儂の物だ、貴様なんぞに渡すものか!」
奴隷競売場であと少しでフェルの買主となるところだった小太りの貴族。そして彼女等を囲う様に現れる傭兵達、ざっと数十人は居る。
「たった数人でこの人数に勝てる訳なかろう? 大人しくそのエルフの小娘を渡せば命だけは助けてやらん事もないぞ?」
そう言ってあの時の様な生理的嫌悪感を抱かせる嫌らしい笑みでにやついている。辺りを見渡し盾を構え様としたゼルノアを手で制し、門の方へと顎でしゃくるジャック。ここは自分1人で良いと言わんばかりの態度に傭兵共は大笑いし小馬鹿にした。
「……行くぞ2人共。旦那が大丈夫っつってんだ……」
そう言って門の方面に居た傭兵を薙ぎ倒したジェイドに従い後ろ髪を引かれる思いでフェルはその場を離れた。すぐに合流するものと信じて。
北門に辿り着いたが夜の為当然の如く門は固く閉ざされ、門番をしている兵士は先程の傭兵達に襲われたのか気絶していた。そんな兵士達を見て、きっとジャックなら大丈夫だと思いつつも不安で仕方がない様子のフェル。
「後は旦那待ちか……敵は追って来ているか、ジェイド?」
ゼルノアは気絶した兵士の頬を軽く叩きながら状況を相棒に確認するも、普段ならすぐに返ってくる軽口が無かった。
「おい、どうしたジェイ……何の真似だ?」
徒ならぬゼルノアの声にフェルが振り向こうとした途端、突然体を掴まれ首にナイフを当てられた。
「なぁゼルノア……何もここで良い人で終わって骨折り損にする必要はねぇんじゃねぇのか……? このままあのデブにこの子を連れてきゃ相応の金が手に入るかもしれねぇ……。他の街に連れてって上手くやりゃそれ以上の金が手に入るかもしれねぇ」
語りだした言葉にフェルは耳を疑った。彼女にはジェイドが何を言っているのか理解出来なかった。したくなかった。
「お前……正気か?」
「本気かって聞いて欲しいんだけどな……。道中色々面倒だろうけどよ、お前となら万事上手くいく。だからよ……すまねぇなフェルちゃん……」
『ほーフェルちゃんエルフだったのか。まぁ俺らは気にしねぇからよ。これからも気軽にやろうぜ』
フェルはエルフだとばれた時の事を思い出した。あの時はそう言ってくれたのに。信じていたのに。
「俺達の人生の足掛りに――」
「断る」
その一言は絶望に沈んでいた彼女の頭を覚醒させるには十分な力強さを持っていた。同時にナイフを強く握る音が聞こえた。
「お前俺と組んで何年になるか覚えているか? 13年だ。人生の半分以上、それだけ一緒にやってきて俺が最も嫌っている事をまさか忘れたわけじゃあるまいな?」
ゼルノアは昔を思い出す。自分とジェイドと、そしてもう1人。思い出すだけで腹立たしい糞野郎。
「“裏切り”だ。お前はそれを俺の前でやろうとしてるんだ。その意味を理解しているか?」
「てめぇこそ分かってんのかよ……! 俺らが低層から抜け出すチャンスなんだぞ……!!」
今までずっと苦汁を舐めてきた。泥水を啜ってきた。やっと自分達に運が向いてきた。そしてジェイドにとって彼女こそがこの泥沼を抜け出す為の糸口だった。しかしその考えを苦楽を共にしてきた相棒は拒絶した。
「……分かった。もうお前と話す事など何も無い」
そう言って構えた盾の向こうに見える瞳は既に仲間に向けるものではなくなっていた。
「俺とやろうってか……? 守り一辺倒のてめぇに俺が倒せると思ってんのか……!?」
「それはお前も同じだろう? お前の攻撃じゃ俺の守りは抜けられんぞ」
片や攻撃特化、片や防御特化の戦闘スタイルをとる両名。実力が拮抗しているだけに雌雄を決するには実力以外の要因こそが決め手となる事は2人共理解していた。
「俺だけじゃ無理だろうな……。けど時間がかかれば……分かるよな? さすがの旦那もあの人数相手に勝てるとも思えねぇ。ならこの先どうなるか分かるだろうよ」
「そうだな。恐らく――あぁなるんだろうな」
そう言ってゼルノアの視線は彼等の後方に向けられた。きっとジャックだと思い喜びに沸くフェル。上手く巻いてきたのだろうか、そう思ったこの時の自身に彼女は言ってやりたいと後に思った。
――彼はそんな生易しい人間ではないと。
「……嘘だろおい……」
悠然と歩み寄るジャックは左手に提げていた何かをジェイド達の足下へと放り投げた。2人は最初は何か理解出来ていなかったが、すぐ傍まで転がって来て漸く気が付いた。先程まで喚き散らしていたあの貴族の男の頭部、それも恐怖で目を見開いた壮絶な表情をしていた。フェルは悲鳴を上げそうになるのを必死に抑えそれから目を背けた。自分達の勝利を確信していた傭兵達があの男を置いて逃げる事は考え辛い。それが意味する事はつまり全員殺害してきたか、恐怖を感じ逃げ出す様な状況になったという事だ。
「ま……待ってくれ旦那……これは――づあ゙あ゙ぁぁぁぁ!!」
ジャックは右腕に持っていた突撃銃でジェイドの右膝だけを撃ち抜き、ジェイドは膝を抱えて倒れた。拘束が解けて自由となったフェルではあるが、恐怖から動けなくなっている。ジャックはそれに構う事も無く無言で近付き、己の得物を倒れ伏す男の頭へと向けた。
「嫌だ……俺はこんな所で……死にたく――」
そして頭に風穴を開け、命を奪い去った。その光景を見てフェルは膝から崩れ落ち、今まで必死で押し留めていた感情は抑え切れず爆発した。
「――んで……何で……何でそんなに簡単に人の命を奪えるんですか……? 何で……一緒に楽しくご飯を食べていた相手を殺せるんですか……!? 何で……! 何で……こんな事をしたんですか……ジェイドさん……」
物言わぬ肉塊となったジェイドを見て止めどなく溢れてくる涙を抑える事が出来ず、感情のままに疑問を口にし声を荒げて泣いた。ジャックはその感情を胸を貸し受け止める事も、肩を抱き慰める事もせずにただ自身の持つ軍用ナイフを彼女の手を取りしっかりと握らせ、門を吹き飛ばす為の準備を淡々と行い始めた。彼女にはその行動の真意が分からなかった。もとよりジャックの行動は理解し辛い事が多かったが、恐らくこれ程ではなかった筈だ。手渡された、彼女の小さな手では到底扱い切れない様な大きなナイフを見て呆然としていると爆音が辺りに響いた。驚き顔を上げれば門は吹き飛び城壁にも亀裂が走っていた。煙の中から現れたジャックはフェルを一瞥し、何も言わずに門の外へと歩き始めた。彼女の名を呼ぶ事も、追従する様手招きをする事もせずに。
「最後まで連れが面倒掛けた。すまなかった」
その様子を唖然として見送る彼女に手を差し伸べて立たせるとゼルノアは語りかけた。
「旦那の事、あまり嫌ってやるなよ。人殺しは決して肯定される行為ではないが、時には必要な事もある。お前を守る為にやった事だ。最も、あの男の殺しに対する考えは分からんがね」
果たしてジャックは彼女を守る為だけに殺人を行ったのか。彼らにそれを知る由は無い。
「ここも直に人が集まってくる。もう行った方が良い」
「これから貴方は……?」
「問題が起きた後には状況を丸く収める為の生贄が必要なもんだ。……達者でな」
フェルはその言葉に頷くと、渡されたナイフをしっかりと握りジャックを追って門の外へと駆けて行った。
約一月間がありました。申し訳ない。次はもっと開くかもしれません。
普段は大体3000字前後ですが今回はまさかの4000字越え。
分けようかと思いましたが思い切ってまとめました。
プロローグ入れて14話にて異世界入り~第一の街ドグレイズ終了。
このまま続けたとして何話で終わるのだろうか。