だが違反内容を聞いて呆れてしまったのを今でも覚えている。
「訓練中に所持していた葉巻がばれてな。全く、息抜きぐらい許せというにな」
「ごめんねフェル……折角届けてくれたのに」
「いえ……気にしないで下さい」
手紙を返されてしまってから少し後、里から母娘の家へ来る途中にある池で何故あの様な反応だったのかを考えている。足を浸けた水は冷たいが暖かな陽射しのお陰で心地良い。昔から考え事や悩み事がある時は良くここに来ていた。
ケーラさんから話を聞いている限りでは喧嘩別れした訳ではない、かといって今現在新たに思いを寄せる相手が居る訳でもない様子。であれば時間が経つにつれ愛情が何時しか憎しみに変わってしまったのだろうか。
「それも無いと思うなぁ。父さんから貰ったペンダントを見ては物憂げな顔してる時があったから」
今でも思慕しているけれども便りは見たくないとはどういう事なんだろか。話を聞けば聞く程理解出来ず頭を抱える。何よりも私はこの手紙をどうすれば良いのか。持ち帰る訳にはいかず、かと言って置いて来る事も出来ない。ケーラさんに渡しておけば良いのかもしれないが、今度は彼女の悩みの種となってしまう気がしてならない。あれでもないこれでもないと悩んでいると珍しい人物が現れた。
「フェル、ジャック、ここに居たのか。ケーラも久しぶりだな。ちょっとジャックを――どうした、2人して? まるで誰かを弔った後の様な顔だぞ」
ラフな服装に身を包んだクロノスさんから掛けられた言葉は中々に辛辣なものであった。いや、そこまで私達が絶望的な顔をしていたのか。折角なので彼女にも現状を相談して知恵を貸してもらう事にした。
「なるほど、それで2人して頭を抱えていた訳か」
目を瞑り腕を組んで思考する姿はとても様になっている。鎧を脱いでも立ち居振る舞いはとても綺麗で、位の高い騎士というのもそれを見ただけで納得出来てしまうくらいだ。
「私の想像の範囲でしかないがケリーネは……怖いんじゃないか?」
「怖い?」
「そう、手紙の内容がな」
数十年もの間音信不通だった今でも思い続ける愛する夫。もしかしたら別れ際に「良い人を見つけて幸せになって欲しい」と互いに願い合ったかもしれない。だがそう容易く忘れられるものはない。エルフからすればたかが数十年、だが人間からすれば下手すれば半生だ。その間夫にどの様な心変わりがあったか分からない。手紙には恨み節が綴られているかもしれない。新たに娶った後妻の事が認められているかもしれない。
「であれば――恐れるのも無理はなかろう」
人の気持ちは一生ではない。時間が経って生活環境も大きく変われば尚更の事。相手に幸せになって欲しいという気持ちの反面、今でも自分を思い続けていて欲しいとだって思っているだろう。であれば、たとえ愛する者からの手紙であったとしても読む事を躊躇してしまうのではないか、そう彼女は言った。
「まぁケリーネの気持ちも分からなくもないがな……。エルフと人間とでは生きる年数が違い過ぎる。先にも言ったが人間にとっては数十年は半生だ。その間1人を思い続け孤独を貫くのは辛いものだ」
その言葉が私の胸に突き刺さった。ジャックさんを、私が彼を想う気持ちが恋い慕うものなのか、将又尊敬に因るものか分からない。私が生まれた頃には父は病で亡くなっていたのでもしかしたら父親に対するものかもしれない。しかしこの気持ちが何であれ、どんなに望もうとも彼の方が先に天寿を全うするのは明らかだ。彼の生き方から考えるとそれより早く命を落とすかもしれない。であるならばやはり、これ以上想いを強める前に彼を忘れた方が互いの為なのだろうか。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は「だが」と付け加えた。
「他人がどう思ったところで結局は当人同士にしかその気持ちは分からないさ。まぁ……あの娘が選んだ男だ、何も心配要らないだろうよ。それに――ケリーネもな」
そう言って指差すとその先には息を切らせて一生懸命走り寄って来るケリーネさんの姿があった。私の前で止まると膝に手をつき肩で息をする。ここまで全力で走って来たのだろう。
「フェル……その……手紙……受け取っても良いかしら……」
息を整え顔を上げると言い難そうに、けど勇気を振り絞る様にそう言った。言ってくれた。私の答えは言わずもがな、笑顔で彼女に手紙を渡した。
「良かった、本当に」
母娘は2人で手紙を読み、時に目に涙を浮かべながらもとても嬉しそうにしていた。手紙の内容は恐れていた様な物ではなかった様だ。そんな2人を見て私は勿論、クロノスさんもとても嬉しそうにしていた。彼女は笑うと今迄見せていた張り詰めた様な表情は一変して柔らかな、とても女性らしいものだった。
「愛する気持ちは種族の違いや寿命の差なんぞで抑え込めるものじゃない。愛しているからこそ1分1秒でも永く共に居たいと思うものだし、最期まで想い合えるのだと私は思うよ。私の夫も人間だったがそれは海より深く愛し合ったものだぞ? いやいや、懐かしいものだ!」
そう豪快に笑う姿を見てつられて笑ってしまった。彼女の言う通り、どんな想いであれそれを他人が決めた枠組みに当てはめて考えるべきではない。寿命や生き方が違おうが、たとえ誰が何を言おうとも私は自分自身の気持ちを曲げる必要などないのだ。別れが近かろうが遠かろうが最後の瞬間まで、否、二度と会う事が無かろうとこの気持ちや思い出を大切に――。
「……ん? あれ?」
彼女の言葉を自分なりに反芻していたら違和感を覚えた。彼女は今何と言っただろうか。
『私の夫も人間だったが』
「あれ、あの、もしかしてクロノスさんって……人間じゃないんですか?」
そんな事を聞くときょとんとした表情で私を見た後思い出したかの様に手を叩いた。
「あぁ成程な、気付いていないのか。――私はエルフだぞ?」
「……えるふ?」
彼女を指差して尋ねる。
「エルフ」
彼女は自分自身を指差して答える。
「え、えぇぇぇぇ!?」
「そこまで驚く必要があるのか? そもエルフが居なければこの森になど入れまいに。私の連れにエルフなぞ居なかっただろう」
「いや、そうなんですけども、でも、だって、その……耳が……」
自分でも驚くくらい動揺している。動揺しすぎて手紙を読んでいた母娘2人が此方を見るくらいに。しかしそれは無理もないのではないだろうか。髪で隠れているとはいえ、彼女には私達の様な長く尖った耳がそこにある様には見えない。それを伝えると彼女は少し笑って髪をかき分け見せてくれたのだがやはりそこには普通の長さの耳しかない。しかしよく見ると端が古傷になっており、元はもう少し長かったのであろうと窺い知れた。
「随分と昔に両の耳を半ばで切り落としてな。以来一見でエルフとは見抜かれなくなったよ。まぁ何分名前が知れ渡っているせいか、私が誰か分かると簡単にばれてしまうがな。それでもお前の様に勘違いする者もいるから意外と便利だぞ」
「もしかして、その為にご自身で……?」
確か彼女は人間の国で騎士をしているとの話だったのでその為だろうか。
「いや、夫と夫婦になる時だ。『耳落とし』という風習は聞いた事があるか?」
何やら不穏な響きの風習であるが当然ながら聞いた事がないので首を振った。
「まぁ知らなくて当然だ。私の頃ですらもう誰もやっていなかった様な随分と古臭い風習だからな」
彼女曰く、うんと昔に異種族と婚姻関係を結ぶ時にするエルフの風習だったそうで。婚姻の儀の際にエルフは両の耳をその半ばで切り落とし、片方を故郷に納めもう片方を夫婦となる相手に捧げたのだそうな。私達の象徴とも言えるその長い耳を落とす事でエルフである事を捨ててより相手の種族へと近付く、そういった風習だったらしい。自ら耳を切り落とすなんて想像するだけで耳が痛くなってくる。
「クロノスさんが旦那さんと夫婦になられたのはどれ位前なのですか?」
「もう200年以上も前になるよ。当然夫は既に亡くなっている」
心が痛くなる。当然、そう当然の事なのだろうが、先程の決意をまたしても揺るがされる思いだ。人間の寿命を鑑みても旦那さんが亡くなられてから100年以上は経っているだろう。その間ずっと1人で寂しくないのだろうか。彼女は優しく微笑んでその疑問に答えてくれた。
「寂しくはないさ。夫は色々なものを私に与え、残してくれたからな。守るべき国や愛すべき民、騎士団の仲間達、その子孫。そして……彼との子供達。随分と多くのものを貰った」
思い出を慈しむかの様に目を瞑りながらそう呟く。
「それに……今はあいつ等も居るしな。毎日てんやわんやで寂しくなる暇もないさ」
そう言って照れ臭そうに笑った後、耳に触れながら私を見て笑う。
「まぁこれは今となってはもはや苔が生えた様なもので誰もやってやしないよ。心配せずともお前もやる必要はないぞ、フェル?」
そう言ってジャックさんを見てにやついた。顔が熱くなるのを感じ慌てて話を変える。
「そ、そういえばジャックさんに用事があったんじゃないですか?」
「あぁそうだった、ついつい昔話に耽ってしまったな」
先程までの女性らしい笑顔はどこへやら、騎士の顔付へと戻り彼に目的を告げた。
「ちょっとばかし顔を貸してくれ。出来ればお前の武装を見てみたい」
多分後2,3話で森から出るはず。
年内に出られればいいのですがまた仕事が忙しくなってきたのでどうなる事か。