蛇に睨まれた蛙という諺がある。
蛇に見込まれた蛙とも言う。
恐ろしいものに睨まれ、身がすくんで動けなくなってしまった状態を蛇と蛙に例えた諺だ。
…しかし、実際アレは先に動いた蛇を避け隙をついたところでカエルが逃げる最も生存確率の高い、生きるための戦略なのだ。
しかし、ことこの状況おいては彼らは間違いなく前者だった。
人間ではない。得体の知れない、とてつもなく強大な何かが自分たちを見下ろしている。
それの近くにいた四人の少年が最初に感じたのはそれだった。生物に元来備わっている生存本能、それが泣き叫ぶように警鐘をけたましく鳴らしていた。
逃げろ、見るな、動け、蹲れ、攻撃しろ…頭の中で脳が支離滅裂な命令が交差する。
が、遺伝子に刻まれた直感が脳を抑えこんで叫んだ。
目を離すな。
少年たちはそれと同様にあることを思い浮かべていた。
もし自分が、彼から目を離した時、動いた時に。彼の手によって、間違いなく自分が凄惨たる死を迎えるであろう、はっきりとした"死のイメージ"。
…その光景に恐怖で身がすくむ。冷や汗が滝のように流れ、汗が伝う手が震える。金縛りにでもあったかのように体を自由に動かすことが出来なかった。
「(クッソ、がっ慣れねぇな、この感覚!!)」
「(初めて見た時は…大号泣して、暫くこうちゃんから逃げてたっけな)」
「(親父でもこんな圧…感じた事ねぇぞ……!!どうなってんだ!?)」
「(息が…苦しいっ、体……動かねぇ…!!)」
反応は様々だった。
戦慄する者、混乱しパニック状態に陥る者。
十年以上の付き合いである二人の仲間でさえも、訓練の一環で味わった仮初の威圧じゃない、久方ぶりに見ることとなる本気の怒気。ある種の懐古すら感じてしまう。笑みをこぼして抵抗することすら諦めてしまいそうになる程の圧倒的存在感。
平和の象徴と謳われた男でさえも、あまりの威圧感に警戒心を最大にまで引き上げ、苦い表情で歯噛みをしながら困惑する。
「(…ついこの間まで中学生だった少年が、出していい圧じゃないぞ!…黒籍少年っ君は一体、何者なんだい!!?)」
冷や汗がたらりと頬を伝う。
かの巨悪と対峙した時に感じた絶対的支配者の圧力を、目の前にいる中学を卒業して間もない少年から同じような威圧感を感じるのだ。
その事を理解した平和の象徴の動きは早かった。目にも止まらぬ速さで重瞳の少年の背後に周り、行動を制止するように肩を全身で抑え込んだ。
まだ彼は何もしていない。
何もしていない。まだ何もしてはいないが、気迫だけで相手を殺してしまうほどの殺意を放つ少年を、絶対に止めなくてはならないと平和の象徴としての心と教師としての心が体を動かした。
重瞳の少年の一挙一足に注意しながら平和の象徴は声を張る。
「黒籍少年!動いちゃダメだ!!彼らを殺す気か!?」
「……勝己、出久」
重瞳の少年は自身を拘束する平和の象徴の声を無視し、いつものような戯けた声ではない、静かな声で彼の最も信頼の置く仲間の名前を呼ぶ。
名前が呼ばれたことで緊張の解けたのか、名前の呼ばれた二人はおもいっきり息を吸い込んだ。急に空気を肺に取り込んだせいで咳き込みながらも出来なかった呼吸を堪能しながら本気で
「そいつら連れて逃げろ…本気でやる」
青褪めた顔で此方を見やる紅白のツートンカラーの髪の少年と鋭く逆立った赤髪の少年を一瞥した重瞳の少年が怒りを滲ませた声で指を鳴らす。
その怒りに呼応するかのように彼の背後から禍々しいと思ってしまう黒き波が地を引きずるような音と共に溢れ出ていた。
それを見た三白眼の少年は小さく舌打ちをすると、真剣な眼差しで項羽を睨みつける。
「…分かってるだろうけど項羽…お前、殺すなよ?」
それはまさしく、忠告だった。
今から敵に向かう仲間に対して、心配など微塵もない。逆に、敵に配慮するような声色で重瞳の少年を睨みつける。しかし、三白眼の少年は浮かない表情をしていた。仲間の勝利を疑ってはいない。なのに少年からは口惜しさのようなものが伺えた。
続いて、そのやりとりを見たそばかすの少年が困ったように笑いながら声を掛ける。
「もう少し闘気を抑えてよ。このままじゃ皆んな息できないから。……それに、辛かったらいつでも頼ってね…仲間だろ?」
「…悪りぃ」
そばかすの少年が三白眼の少年と同じような顔つきでそう言う。周りはそれに不思議そうな顔をしていたが、それを見た重瞳の少年は一瞬、驚いた顔をしたかと思うと詫びるように苦笑した。
二人の言葉を聞いて少し落ち着いたのか、重瞳の少年の発していた重たい威圧感が少し軽くなった。他の二人も呼吸ができるようになったのか荒い息をしながら地面に膝をつき、肺に空気を取り込んでいた。
その姿を確認したそばかすの少年は、落ち着くように二人に告げると二人を両脇に抱え込んだ。
そばかすの少年の体に緑色の紫電が迸ったかと思えば、次の瞬間には、二人の人間を抱えているとは思えない速さで出入り口のゲートに向けて走っていった。
三白眼の少年は見てるぞと、再度、重瞳の少年を睨みつける。三白眼の少年は後ろ髪を引かれるような感覚を感じたが、そばかすの少年を追いかける為に両腕から爆発と爆音を響かせながらその場から去っていった。
それを静かに見送った重瞳の少年は、二人の言葉を思い出し、思わず小さく笑みを浮かべた。
「はは、アイツら本当に心配症だなぁまったく…」
「黒籍少年ダメだ、別に君が戦う必要はない!敵の相手なら私がっ」
「オールマイト、離してくれ。すまねぇな…これだけは譲れないんだ」
「何を……!?」
オールマイトは前々から項羽のことを不思議な少年だと思っていた。
初めて彼と手合わせした時、その齢にして私を凌駕するほどの戦闘能力を既に携えているのものかと感嘆した。
彼と長きを共にしている二人の仲間も、その歳では考えにも至らないであろうレベルの武術を体得していた。
前に、緑谷少年にそれとなく聞いたことがあるが、彼は幼少の頃から闘うことに関しては殆どを黒籍少年から教わったと聞いた。
それを聞いて、思わず教育者という面でも私は劣っていると悲観してしまった。
しかし、そうなると自然と不思議に思った。
黒籍少年は何時から武術を経験していたことになるのだと。
彼と組み手をしてみた時には歴戦の強者のような雰囲気を纏い、子供とは思えないギラついた眼を向けられた。
個性の影響…?彼の万象儀のおかげ武術を会得したと考えるのなら、ワンチャンあり得ると思った。
まさか、前世の記憶があるのではと、荒唐無稽なことまで考えたが昔ではあり得なかった超常が日常と化した今なら、あながちあり得なくもないと少し悩んだ。
不思議だと思ったことは、もう一つある。
ある日、話をしている黒籍少年を遠くから眺めていた時があった。
いつも通りの何ともない彼らの平凡な会話。
しかし、会話の途切れであろう…黒籍少年が不意に私に短く目を向けた。そのふとした本人でも無意識なのだろう、そんな瞬間だった。
何処か達観し、期待してないような、悲しさを帯びた表情が私に向いていた。
その時は背中を撫でられたかのように身が竦んだ。
得体が知れない。
彼が何を持って世界の平和を望んでるのすらかも分からない。
知ってることのほうが少ないだろう。
分からない。
けれども、相手を喰い殺さんとばかりに殺気に近い怒気を放つ少年を見過ごせるわけがない。
将来、この国の大黒柱に足りえる人物がここで罪を犯してしまうとなると、輝ける未来が霞んでしまう。そう考えて、無理矢理作った不自然な笑みをしてでも彼をここから遠ざけようと声を張った。
しかし、項羽はその声に何も反応せず静かにオールマイトの目を見やった。オールマイトはそれを見て、出そうとした声を噤んだ。
あの日と同じように、達観した目つきの奥に確かな決意を感じさせる瞳と共に、今までの怒りとはとても似つかわない、様々な感情が入り混じったような表情で項羽は穏やかに微笑んでいた。
「どんな時でも笑顔、だろオールマイト?表情硬いぜ」
私はあの日と同じように申し訳ない気持ちで一杯になって、思わず手を離してしまった。
「」
一番近くにいても聞き取れないような声で彼が何かを言うと彼の背後から出ていた黒い波が彼を覆い隠した。
光すら飲み込む黒い影を纏い、爪先から頭の天辺まで黒く染まった顔から表情はまるで窺うことはできない。
ただただ、真っ赤な丸い双眸が、目の前で固まる愚者を見据えていた。
「(…先生?)」
その姿を見た死柄木は困惑した。
何故だかわからない。
目の前にいる化け物に、自らが先生と呼んでいる畏怖すべき魔王の姿がはっきりと重なって見えていた。
そのことを直感的に理解した死柄木は、迷うこと無く真っ先に逃走を図った。
死柄木は足止めをエンドレス脳無に命令し、我先にとワープゲートの中に入っていく。
「待て」
地を這うような低い声が死柄木らを追いかける。エンドレス脳無がそれを阻もうと攻撃をしかける。
が、何事もなかったかのように潜り抜けられ、すれ違いざまに額を掴まれ、頭を後頭部から地面に叩きつけられ、埋もれさせられる始末。
難なくワープゲートの前まで辿り着く項羽は死柄木達が消えたワープゲートに一切の躊躇いもなく腕を突っ込んだ。数回、探るように腕をかき回したかと思えば、次の瞬間には、中から死柄木弔の首根っこを掴んで簡単に引き摺り出していた。
「何いぃ!?」
一度は逃げられたと息をついてたのにも関わらず、引き摺り出されたことにぽかんと呆けた顔をしていた死柄木だが直ぐに状況を理解するとすぐさま殺意を漲らせ首を掴んでいる腕へ個性である崩壊を発動させようと五指を項羽に向かって伸ばす。
貧相な体に似合わない鋭敏な動きは、項羽の腕を捉えた。
項羽の腕がチリになって崩れていく。そしてその崩壊は、腕を伝い体にまで伝播し、亀裂を入れ、その体を崩していった。
その惨状を見た者たちの悲鳴が広場に響く。
しかし、彼と最も親しい仲間の二人は同級生たちの悲鳴を聞いても振り返ることなく走り続け、同様に同じような事を考えていた。
そのくらいじゃ、ソイツは死なない。
腕を伝って、急速に崩れていく化け物の体を見て死柄木は嗤う。
だが…ある事に気が付き、その嗤みはピタリと止まった。
「(どうして…首を掴んでる手は崩れない…?)」
灰塵に帰していく体に対し、死柄木の首根っこを掴んでる手は絶対に離さない意志を感じるほどに力強く自分の首を掴んでいた。
本来ならば触れた時点で既に崩れ去ってる筈の代物が、未だに首を力強く握って離そうとしない。
死柄木は自身の首を掴んでいる手首を注意深く意識を向けた。
ピクリ、
首根っこを掴んでいる手が微かにその力を強めたことに気が付いた死柄木は、怒りの表情を剥き出しにし、今までに出したことのない速さで項羽へと手を伸ばした。
しかしそれは、項羽の目にはあまりに鈍く、あまりに殺意に欠けたものだった。
伸びてきた手を項羽は躊躇いなく握り潰す。
「ア"ア"ッ!!!」
想像することすら憚れるような激痛が死柄木に走る。自分の前腕を何の躊躇もなくへし折った張本人が、自分を人間をだと思っていないような、酷く冷めた目で見下ろす姿が死柄木はとても恐ろしく見えた。
崩れていた筈の項羽の体も、塵と化していた体の破片が崩れた部分に纏わりつき始める。よく見ると戻っていく体の破片らの断面には黒い重瞳が嘲笑うかのように蠢いていた。
まるでビデオの逆再生のように何事もなかったかのような振る舞いをして項羽の体が元に戻っていく。その光景を見て死柄木は激しく歯を食いしばり声を荒げずとも激情を露わにしていた。
「チートが…!!」
「お前には聞きたいことがあるからこのまま生かしておく。次に似たような真似をしたら両手を切断するから覚悟しろ。……あとは…」
「僕の教え子に随分と酷いことしてくれるじゃないか。黒籍項羽…」
それは突然、現れた。
死柄木を無視して淡々と話す項羽の背後。誰もいなかったはずの背後から吐き気のするほどの邪悪な気配が君臨した。
低く、相手の恐怖を掻き立てるような悍ましい男の声。
突如として現れた存在に、相手の邪悪さを感じ取った項羽は振り返るよりも早く裏拳を繰り出した。瞬きもしない間に亜音速の速さで振られた拳がその顔に当たったと思われた。
しかし、拳の当たるほんの直前に謎の力が項羽を大きく吹き飛ばした。
項羽から死柄木を回収するように死柄木の腕を掴んだ男が小さく笑みをこぼす。
「…本来ならば僕が出るべき幕ではなかった。でも死柄木弔が捕まるとなると話は変わってくる…この子は返して貰うよ」
項羽が吹き飛んだ地面は抉られ、進むにつれ、その幅は広く、深く削られていた。工業地帯で付けるようなマスクのせいで声がくぐもっていても分かる、ニタニタとした笑い声をさせながら男は地面に掌を翳し、ワープゲートを展開させる。
「オール・フォー・ワンッ!!何故、貴様がいる!!?」
素早くワープゲートに死柄木を投げ込んだ男が、今度は自分が入ろうと飛び込んだと同時に、男が現れてから目の色を変わったオールマイトが切羽詰まった様子で男に殴りかかった。しかし、男の顔に拳が当たった瞬間、はね返されたようにオールマイトの腕が弾かれ、オールマイトの腕から血が流れる。
「避けるなよ?オールマイト…!!」
そうオールマイトに聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた男の前腕が膨張し、オールマイトに掌を翳す。何か来ることを予測したオールマイトは横に避けようとするが、すんでのところで気が付く。
男が掌を翳した直線上の先にはオールマイトの他に、出入り口前に避難していた生徒たちがいる事に気が付く。
オールマイトは一瞬、苦い表情をするがすぐに切り替えると、避けるのを止め、力強く拳を握り、全力で振りかぶった。
オールマイトの拳と男の腕から飛び出た衝撃が地面を抉り取り、周囲に暴風を撒き散らしながらぶつかり合う。
自然によって引き起こされる災害を彷彿させられるような圧倒的な風力が並み居る木々を打ち倒し、瓦礫と砂塵を舞わせながらその猛威を振るう。周囲に退避していた者たちは衝撃に耐えるために蹲ることしか出来なかった。
「…やはり衰えたなオールマイト。昔の君なら僕を奥まで吹き飛ばすことなんて造作もなかっただろうに…!打ち消しで精一杯とは…!」
「黙れ!今度は何を企てている!?さっきの
「ハハハハハ!そんなの、僕がする事だぜ!君になら分かるだろう?…でも、今日はお開きにしようか。丁度、怖い化け物も来たことだしね」
嬉しそうにそう言って男は再びオールマイトに向けて掌を翳し、先程と同じように衝撃波を飛ばした。
威力の上がった衝撃波は200kgを軽々と超える体重のオールマイトを弾丸のような速さで吹き飛ばし、屋根を突き破っても尚、止まる様子は見せなかった。
オールマイトが屋根を突き破った直後、ワープゲートに男の肩が出るか出ないかの辺りで、一瞬にして男の前に出ていた項羽が両腕を突き出していた。
万象儀を纏わせた指をめいっぱい広げ、相手の体を抉り取ろうという明確な殺意を乗せた掌を、相手へ伸ばす。
一度、触れてしまえば相手の体を抉り消し。触れた箇所から万象儀で侵食し、支配することで、確実に殺傷することの出来る能力を持った掌が、あとコンマ数秒も経たない内に男に届こうとしていた。
しかし、男は悠然とした雰囲気のままニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて動こうとしない。
男の様子を不審に思った項羽は攻撃をやめようと考え……手を伸ばす速度を速めた。たとえ罠だったとしてもこの男は今、この場で殺しおかなければならない。殺さなければいずれ最悪をもたらすと考えた項羽は手を伸ばす。
あと30cm。
あと10cm。
残り薄皮一枚ともいかないところで、
肘から先が消えた。
そのことに全身に這いずるように悪寒が走り、項羽は思わず飛び退いた。慌てて手に目をやると肘から先がきちんとあったことに内心ほっとする。
腕がなくなると思うほどの明確なイメージ。久方ぶりに全力で回避した項羽は内心、冷や汗をかいていた。
男の方に顔を向けてみると項羽がさっきまで立っていた場所に、まん丸な顔をしたエンドレス脳無が、かぶりついた後のような姿勢をとっていた。もし身を退かなかったら…恐ろしい光景が項羽の頭によぎる。
項羽はそれを忘れようと頭を振り敵の観察に入る。
(直前まで気付けなかったとなると、瞬間移動か気配を消す類の能力…。いや違う…なんか見たことあるぞコイツ…。フィッシュ…?そうか思い出した!コイツ、東耶が初めて出会した廻り者じゃねぇか!確か才能は…)
「『食人累加』、人間を食べれば食べるほど身体能力が上昇する才能…本当はこれは試作品でそんなに無駄にしたくはないんだけどねぇ…まぁ、これに合う個性を僕は与えたつもりだ…だから存分に楽しんでくれ西楚の覇王よ、また会おう」
そう言い残して男はワープゲートの中に沈んでいった。
フィッシュはぎょろり、と目を動かすと脳無と同じように無機質な眼差しを項羽に向け、大きく裂かれている口を開き、三日月のように弧を描いた獰猛な笑みを浮かべた。
「おイ、しそう…!!」
TikTokで内通者のネタバレをくらってしまって記憶を消したい。
あとヴェノム2が見たい。