王のヒーローアカデミア   作:ピーシャラ

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 生きてました。


最低でもいい

 

 雄英高校がヴィランからの襲撃を受け、臨時休校を挟んだ今日という日の朝。

 

 心操人使は目元に残る濃い隈を擦り、校門まで続く緩い上り坂を歩いていた。

 

 昨日はよく眠れなかったせいか今日はやけに眠い。

 今朝は寝ぼけてトイレと間違えて風呂場のドアを開けたぐらいだ。

 そんな家族にも話していない地味に恥ずかしいことを思い出しながら心操はある人物を恨んだ。

 

 それもこれもアイツのせいだ。

 

 

===============

 

 

 

 

 クラス。いや、学校全体であることが噂になっていた。

 

 

「ヴィランが侵入したUSJに自ら乗り込んだ普通科の一年生がいる!」

 

 

 心当たりしかない。

 まず間違いなくあのバカだ。いつか何かやりかねない感じは出していたがこんな早くにやるとは思わなかった。噂で大騒ぎするクラスメイト達を前に発狂するのを堪えた自分を褒めてやりたい。実際褒めた。

 

 そして、密かに決意した。

 

 

 あのクソバカを殴る。

 

 

 しかし、放課後になっても項羽は帰って来なかった。

 直接、文句を言ってやりたかったが、仕方なく携帯電話を取り出す。

 けれど、返事は返ってくることはなかった。臨時休校となった翌日も何度か連絡をしてみたが、一度として返事が返ってくることはなかった。

 

 いつもなら一言、二言、メールで何かしら反応を示すはずなのに、それが一切ない。ここまでくれば流石に心配になり思い切って学校に連絡してみるが、うまい具合にはぐらかされ何も答えてはくれなかった。

 

 

 マリーに訊いてみるも彼女も何も知らず、事件の現場にいたヒーロー科の幼馴染に問い詰めてみたらしいが、事件に関して緘口令が敷かれているらしく、詳しいことは話せないとのことだった。幼馴染の二人も、項羽が教師たちに連れられる姿を見たのが最後で、連絡が取れてないらしかった。

 

 そのことを聞けば胸の奥で積もる何かが増える気がした。

 

 それが災いしたのか、つい弱音が溢れてしまう。

 

「大丈夫…絶対に」

 

 俺の弱音に、口数の少ないマリーが力強く断言した。

 電話の向こう側で平素の無表情な顔でそう言ってるんだと思うと、少し可笑しく思う。根拠も何もない言葉だが項羽の不遜な笑みを思い浮かべると、確かに大丈夫な気がした。

 それに項羽に全幅の信頼を置いている彼女の言葉だ、俺も信じよう。

 

 

 

 しかしそれと同時に、憤りも感じた。どうしてそう思ったのか、それに気づいたのは間抜けにもマリーと電話を終えてからだった。

 

 絶対に。

 

 そう言ったマリーの声は微かに震えていた。

 

 そのことに気づいた俺は自分の顔を思いっきり殴った。

 いつも隣にいた人が急に連絡が取れなくなる。例えどれだけそいつが強くて信頼できるのだとしても、不安にならないはずが無い。それなのに俺は彼女の不安を煽るような言葉を吐いてしまった。

 

 自己嫌悪が胸を満たして、胸焼けのような気持ち悪さが出始める。少しでもそれを吐き出そうとため息をつこうとしてみるが、それも自分が楽になる為の行為のように思えてやめた。

 最悪だ、友人失格だ。もう一発自分のことを殴っておいてほうがいいかもしれない。

 ムカムカと自分の性根に嫌悪しているともう一人の人物も腹立たしくなってくる。

 

 

 

 お前もだ、バカ項羽。

 

 誰よりも、お前がマリーを不安にさせるのか。

 

 

 

 誰よりもお前のことを好いている彼女を、自分の命を蔑ろにするようなマネをして悲しませるのはどうしても許せなかった。俺がそうさせたのかもしれないけれど、マリーのあんな声を聞かされて黙ってられるか。ボディブローの一発や二発じゃ足りない。

 

 

 そんなこんなで悶々としながら歩いていれば、教室のドアの前についていた。もう着いたのか、と心の中で呟きながら目を閉じて程良く深呼吸を繰り返した。

 

 心の中で整理がついていなくても、これだけはしっかりやろう。

 

 これで十何回目だというのに未だに緊張する。

 自分の方針が決まった、その次の日から始めた、教室に入った時はクラスメイト全員に聞こえるよう挨拶をする習慣。別に項羽にそう言われたからだとか、本で読んだからとかではなく、単純に自分がそうした方が良いような気がしたからしているだけ。言うなればただの自己満足。

 

 初めてやった時は顔から火が出るんじゃないかと緊張してクラスメイトのみんなから奇異の視線を向けられたけれど、今では教室にいる殆どの人たちが挨拶を返してくれるようにまでなった。

 

「おはよぅ………?」

 

 しかし、今日は最後まで言葉になっただろうか。

 ザワザワと騒がしかったはずの教室が俺が声上げた途端、教室にいた全員が勢いよく振り向いたかと思えば、真顔でじっ…と出入口のドアあたりを見つめた。

 

 はて、俺の後ろに誰かいるのだろうか…。

 割と真剣にそう思い、後ろを確認するも誰もいない。

 別に噂の渦中である項羽が来たわけでもあるまいし、なんでそんな張り詰めたような顔して…あぁ、皆んな項羽のこと心配しているのか。確かに俺でさえ連絡が取れてないんだから心配して当然だ。

 けれど今、みんなの視線の先にいるのは俺だけだ。

 心当たりなんてない。

 な、い………。

 

 …………。

 ……………………。

 ……………………………………………。

 

(クソ項羽ーーーーー!!!!)

 

 

 

 

 

 

===============

 

 

 

 

 

 しかし、誰も何も言わない。

 不気味だ。心なしかみんなの目がいつもより見開かれるように見えて、何処となく獲物を狙う肉食獣を連想してしまい背中がスッーと寒くなるのを感じた。

 

 気がつかない間に俺はみんなを怒らせてしまったのだろうか。確かに多少、馴れ馴れしく接してしまった節がある。話題や態度には気を付けていたものの、出会ってそこまで日の経っていないクラスメイトにあれやこれやと話しかけられるのは不快だったのかもしれない。みんな好意的に受け入れてように見えていたけれど実は迷惑だと思っていたのかもしれない。しかし、どうしよう。本当にどうしよう。今から土下座して命乞いすれば許してくれるだろうか?

 

 平静を失った思考は完全にパニックになっていた。

 疑問と反省を繰り返して取り敢えず謝罪の文言を考えるも、浮かび上がってくる言葉は思うように繋がらず、支離滅裂な文章が出来るばかりで口から紡ぐのに至らない。

 

 そんな内情を知ってか知らずか、俺をを見つめていたクラスメイト達が一斉に俺目掛けて動き始める。慌てるような忙しない足取りに少し違和感を感じたが、その表情は全くと言っていいほど変わっておらず真顔のまま迫ってくるその様は、さながらホラー映画のワンシーンのような光景で思わず逃げ出したくなる。

 

 

 土下座だ。土下座しよう。

 

 

 もはや恐怖でパニックを通り越して冷静になった脳内は諦めるように解を得た。

 

 肩の力を抜いて掛けていた鞄を床へと落とす。

 少ないながらもこれまで培ってきた鍛錬の日々は、全て、今この瞬間のためにあると覚悟を決めた俺は一切の無駄なく頭を床に擦り付けるために全身の力を抜く。研ぎ澄まされた脱力は全身だけでなく思考でさえも空白にし、ただ土下座をするためだけに体が動く。

 

 しかし、それはクラスメイトが心操の肩を掴んだ事によってあっさりと阻まれてしまう。苦悩の末に行き着いた最終奥義があっさりと止められてしまい限界を迎えた俺は、

 

「………」

 

 

 考えるのを放棄した。

 

 

「心操!お前、黒籍からなんか連絡来てないか?」

 

「…へ?」

 

 一秒足らずで再起動させられる。

 

「昨日心配になってよぉ!メールしても電話かけてもウンともスンとも言わないし!朝イチで先生に聞いてみても何にも教えてくれねぇし!なんだよみんなの前で言うって!不安になるわ!!噂じゃ、大怪我したとか!停学とか!挙句の果てには死んだーなんて噂も聞こえてくるしよー!心操!お前はなんか聞いてねぇのか!?」

 

 熱量がすごい。

 肩を掴んだのは本郷巡(ほんごうめぐり)はグラグラと絶え間なく俺の体を揺すり大声で自身の気持ちをぶちまけていた。

 

 本郷は俺とも項羽ともよく話をしているクラスメイトで俺の朝の挨拶を一番に返してくれる、気の良いやつ。心配なのは分かるけど勢いのまま全力で肩を揺すらないでくれ、頭がクラクラするから。

 

 荒ぶる視界の中で捉えたのは、心配と不安が入り混じったようなクラスメイト達の眼だった。肩を揺すってくる本郷も心配だというのが必死な表情から伝わってくる。

 ここでようやく、みんなが項羽の状態が気になって俺のところまで来たことを理解した。

 

「ざん、念だけどっ…。俺も、こ、ううっのことは何もっ知らないんだっ!おい、本郷いい加減離してくれ!」

 

「あ、すまん」

 

 揺すぶられ地獄から解放される。ちょっと気持ち悪くなった。

 揺すぶられながら紡いだ言葉を聞き取ったクラスメイトたちは落胆と共に顔に影を落としながら各々の席へと戻っていく。

 

 俺はそのまま本郷から学校で噂知れているある程度のことを聞いた。内容的には本郷が開口一番に捲し立てるように叫んだ噂がほとんどらしい。

 

「どれも出所が分からん、信憑性に欠ける噂ばっかりでよ。先生も何も言ってくれないから、このあと思い切って1年A組に話を聞きに行こうとしてたんだよ」

 

「いや、A組には緘口令が敷かれているらしいから無駄足だと思う」

 

「そうなのか?よく知ってるな心操」

 

「A組に知り合いがいる子から聞いた」

 

「そっかー。俺的には事件の内容はいいから、黒籍が無事かどうかだけ知りたいぜ…」

 

「…そこはたぶん大丈夫だよ。アイツ、あんなだけど強いし」

 

「逆にあっさり殺されてるかもな」

 

「え?」

 

 嘲笑混じりに会話に割り込んできたのは、軽薄そうな印象を感じるクラスメイトだった。あまり会話をしたことはないが何処か苦手な感じがするクラスメイトだ。

 

「だって俺ら普通科じゃん。ガチな訓練受けてるヒーロー科と違ってただの一般人だぜ?…確かに黒籍が体力測定で運動できるのは知ってるけどよ。流石にヴィラン相手には負けるでしょ。だから俺は死んだに一票。

それにアイツ、ヒーロー科の入学試験落ちて普通科に来た口じゃん?やっぱ諦めきれなかったんだろうな〜。ヴィラン倒して先生たちにあぴ〜るって考えだろ、きっと」

 

「おい!縁起でもないこと言うんじゃねぇ!!」

 

 バカだよな、と付け足しながら下劣に声を鳴らす。

 その発言にすかさず本郷が相手を強く窘めるが向こうは反省するような態度は見せない。むしろヘラヘラと笑いながら続ける言葉に、項羽を軽視して侮辱するような気持ちが言葉の端々から感じられた。

 表情を見る限り、恐らく本人は無意識の内にそんなことを吐いているのだろう。尚のこと腹が立つ。

 

 …稀に他人の気持ちが分からない大馬鹿がいることは今まで何人か出会ったことがあるから知っていた。けどこれは最悪の部類だ。唾棄すべき人間の類だ。

 腹の底で、ふつふつと煮えが立つ。しかし気持ちとは裏腹に頭は冴えている。自分自身で立てた方針をこんなことで崩したくない。というか、こんな奴のために崩したくない。

 耳の上あたりで皮膚がピクピクと痙攣していて、自分のこの場所はこんな風に動くのかと他人事のように思った。

 

 だから最低限に言葉を選ぶ。

 

 丁寧に、角を立てないように、それでいて窘めるように。

 でもやっぱり言い訳になってしまう。項羽への怒りだったり、今朝から自分に対して苛々していた気持ちとかが溢れてしまったのかもしれない。

 何よりも単純に、友達がバカにされて黙っていられなかった。

 

 

「確かに項羽はバカだけどそこまで薄っぺらい思考で行動するほどバカじゃないよ」

 

「…いや、でもじっさい」

 

「だからと言って、人の生死をそんな風に笑って喋るのは感心しないな。それにアイツが入試に落ちたのは筆記で、実技はヒーロー科首席の成績を大幅に超えた雄英高校の歴史の中でも類を見ないほどの結果だったらしいし」

 

「……へ?そうなのk」

 

「結構、有名な話だよ。そんなことも知らないなんて友達いないんだな。…あぁ、そっか。みんなが心配で不安になってる中で空気も読めずヘラヘラ笑って、死んだ死んだと言えるような奴に友達なんかいるわけないか」

 

 カワイソウに、そう言って煽るようにヘラリと笑う。

 相手は一拍、何を言われたのか理解できていないキョトンとした反応をしたが、すぐさま顔を真っ赤に染め上げて激昂した様子の相手が腕を振り上げて殴りかかってくる。ワンテンポ遅れて本郷が相手を止めようと動くが、向こうのほうが早く俺の顔面目掛けて拳を振るっていた。

 

 

 

 最初に抱いたのは、実感だった。

 あの日の公園で自分の胸の内を吐露し、項羽の夢を聞いて、自分の方針が出来たあの日から、既に俺と項羽は……主に俺が、五月頭に始まる雄英体育祭に向けて特訓を開始していた。

 

 

 

 内容は基礎的な体づくり、人体に効く急所や効果的な技を少しばかり指南してもらい、そしてひたすらに実践戦闘…。

 

 項羽曰く、たかだか一ヶ月ちょっとで体得できることなど雀の涙一滴ほどもないのだからひたすら戦って戦いに慣れろ、との事。

 

 ヒーロー科を目指していた故あって、体は少しばかり鍛えていたから体づくりに関しては問題ないだろうと思っていた自分を殴りたい。そう思うほどに項羽のシゴキは地獄だった。限界を超えた一歩先でいつも止めてくれるが、裏を返せば限界が来るまでシゴかれるってことで…思い出すだけで吐きそうになる。

 

 

 組手に関しても、一体どこで仕込んできたんだそんな技術と叫びたくなるほど項羽は個性を使わずとも強かった。

 開けた場所で急に視界から消えたと思ったらいつの間にか拳が目の前にあるし、殴りかかれば何故が俺が地面に転がっていた。

 アイツは技術だと宣ったがよく分からず、俺はキレそうになった。

 

 その上、何が恐ろしいかと言えば項羽が息を全く切らしてなかった点だ。俺が吐瀉物を撒き散らしながらこなしていたメニューを息切れひとつ起こさずこなし、何度組み合っても勝てる気が一向に湧かない。

 

 やはり、俺は何百歩も遅れているんだと再認識した。

 仮にヒーロー科のほとんどがこの水準の強さだとすれば、俺は死ぬ物狂いで頑張るしかないんだと理解した。

 

 

 掴んだ手首を引き、相手を前に傾けさせる。足をかけてやって相手の体重を利用し、掴んだ手首を撚ればこれだけで行動を制限させることが出来る。

 

「…は?おい、何しやがったお前!離せよ!」

 

 組み伏せられた相手が怒りやら恥やらで、真っ赤な顔を晒しながら何やら喚いている。自身の下で相手が手も足も出ず、組み伏せられてる様子に頬が上気するのを俺は感じる。それが、自分が確かに強くなっているんだとを実感させてくれる。

 

「おい、何してんだお前ら」

 

 のぼせるような感嘆に浸っていれば、担任の先生がジト目でこちらを睨みつけていた。

 

 手入れされた様子のないに無性髭、ところどころ跳ねている髪の毛に、身に纏われたくたびれた白衣。そして怪しい眼鏡。その姿はおおよそ教師というよりもしがないマッドサイエンティストと言われたほうがまだ納得ができる風貌。我らが担任である。

 

「先生っ!助けてください!」

 

「うるさいぞ。取り敢えず心操も離してやれ」

 

 俺よりも重たそうな瞼をこさえた目から有無を言わさぬ圧力なようなものを感じ、慌てて相手から降りる。

 

 相手は我が意を得たような表情で俺がのし掛かるまでの経緯を自分が被害者になるような物言いで担任に説明し始める。慌てて本郷が訂正に入るが担任は相手の話に相槌を打ちながら聞いており、本郷のことを明らかに後回しにしていた。

 俺はどう言っても相手を組み伏せたことに変わりはないので潔く処罰を受ける姿勢にシフトしていたので本郷を止めた。

 

 やがて相手の話が終わり、したり顔でこっちにほくそ笑んだ。先生もウムウムと整理しているのか数回、頷くと口を開いた。

 

「お前、誇張表現が多いな」

 

「えっ…」

 

「実はほとんど最初の方から見ていてな。心操がお前を組み伏せたのは本当のことだが、心操はお前を殴ってもいなかったし暴言も吐いていない。お前が先に手を出して心操は自分の身を守っただけ。実際、お前は何の怪我もしていないだろう?」

 

「で、ですけどっ」

 

「確かに心操に非がないとは言えないが一番悪いのは黒籍を貶したお前だ。そこは自分でもわかるだろ?だから今日のことは腹にしまっとけ」

 

「……わかりました」

 

「よし。今回はギリギリ暴力沙汰になってないからセーフだが、心操が止めてくれなかったら停学処分になってたかもしれないからな。そこは心操に感謝しとけよ」

 

「………はい」

 

「心操も、上手く止めるのはいいが煽るな。我慢できなくなったのはわかるがお前から相手を興奮させてどうする。次からは気をつけろー」

 

「は、はい」

 

 処分を受ける気マンマンの心構えでいたはずなのに気がついたら相手が担任に言いくるめられて終わってしまった。

 

ったく高校生にもなってガキみたいな理由で喧嘩すんなよ…。よしっ!あとは当人間でなんとかしろ今度さっきみたいになったら問答無用でどっちともしょっぴくからな!ほら、お前らもさっさと座れ!ホームルーム終わっちまうだろ!」

 

 黒色の出席簿を煽ぎ俺たちを犬か何かを払うかのように着席を促した。いそいそと座り始める俺たちを確認すれば慣れた手つきで出席簿をめくれば何かを書き込んでいた。おそらく今のことを書いてるんだと思うと少しばかり胃が重くなった。

 

「えっーと今日の連絡事項だが…」

 

「先生っ!黒籍は、黒籍はどうしたんですか!?」

 

 気怠そうに頭を掻く担任は教師には全く見えず、どこまでも怪しいオッサンにしか見えなかった。登下校している小学生を鼻息荒げながら観察しているところを防犯ブザーを鳴らされて警察のお世話になっている姿の方が様になるな、と失礼なことを考える。今さっき助けて貰ったのに本当に失礼だな。

 

 しかし鼻息を荒げたのは担任ではなく本郷だった。もう我慢できませんと言わんばかりに勢いよく立ち上がり律儀に手をぴっしり伸ばして大声で問いただした。

 

「…む、黒籍はまだ来てないのか?なんだ、まだ腹が痛いのかアイツは…」

 

 

『は、腹イタ……??』

 

 

「昨日の昼頃から急に原因不明の腹痛に襲われたらしくてな…。あまりの痛みでパニックになってその足で病院まで走ったらしいぞ」

 

 流石に馬鹿馬鹿しすぎて思わず笑った、と遠い目をしながら乾いた笑みを浮かべる担任は労わるようにお腹をさすっていた。それだけで相当なストレスだろうと窺えた。同じく俺も胃が軋むのを感じた。近いうちに我が担任には胃薬でも差し出そう。箱で。

 

「それになんでか知らんが、黒籍が一昨日の襲撃事件に関わってるなんて噂が流れてる…何処から流れたんだ?そんな与太話…。まぁいい、詳しくは本人に聞いてくれ…先生はもう昨日の一件で疲れました。はいHR終わり。あ、そういや二週間後に体育祭あるから頑張れよーお前らー。日直ーごうれーい」

 

 学校が襲撃されたのにも関わらず、緊張感のかけらもない、いつも通り過ぎる担任の気の抜けた声に自分の体からだんだんと毒気が抜けていく気がした。

 けれど号令は一向にかかることはなく担任が小首を傾げたところで、今日の日直が項羽だったことを思い出した。

 

「起立」

 

 そのことを口にする前に、教室前方の扉が開かれ、入ってきた人物から号令が唱えられる。

 その姿を見て、ざわめき始めるクラスメイトたちを前に、ズカズカと我が物顔で教壇の横まで移動して、何故か誇らしげな表情を浮かべるソイツは、二度も言わすなと俺達を見やる。

 

 俺は眉間に皺を寄せあくまで憮然とした態度を装い席を立つ。

 それに続いて本郷も苦笑を漏らしながらも楽しそうな表情で席を立った。釣られて全員がおずおずと立ち上がったところでソイツは満足そうに鼻を鳴らし、えらく尊大な態度でニヤリと顔を歪まして宣った。

 

 

「おいお前ら、病人に対する見舞いの品は無しか?」

 

 

 この後、クラス全員が殴り掛かったのは言うまでもない。

 

 

「とりあえず遅刻だ、お前」

 

 

 

===============

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 

「…項羽さん」

 

 誰かが弱々しく俺を呼ぶ。

 膝をつき、胸の真ん中に風穴を開けたソイツはフラフラ揺れながら、弟へと遺言を残そうとしていた。

 俺もそいつに添うように膝をついた。

 

 呆れた。何度も言っているだろう。

 俺はそこまでお人好しじゃないんだ。言いたいことがあるなら自分で言いやがれ。

 

「そう、ですね…」

 

 あぁ、だから寝るな。自慢の弟なんだろ?達観してて少し苦手だが、聡明で芯の強い奴だったよ。東耶になら俺の代わりも任せられそうだ。

 …それに兄貴想いだった、本気でお前を越えようと頑張ってだぜ。会えたらよろしくと言っていた。

 

「本当…ですか…?」

 

 その言葉がよほど嬉しかったのか死にそうだった顔が、急に明るい笑顔になる。

 血の気が引いて青白くなっていた肌が嘘だったように良くなると、勢いよく立ち上がった"せいや"はまるで生き返ったかのようだった。

 

 そして、今までにないような笑みで俺に微笑んだ。

 "せいや"が突然、元気になって驚いた。そして何処からか突然、現れた偉人も罪人も入り混じったと廻り者たちと仲良くはしゃいでる姿に、俺は心から安堵し、同じように微笑んだ。

 

 

「そういえば項羽さん、貴方に一つ言いたいことがあったんです」

 

 

 花弁の輪の中心に立つ"せいや"がにこやかに話しかける。

 不意なことだったが俺は気にせず"せいや"に笑いかけて続きを促した。

 

 

「どうして僕を殺したんですか?」

 

 

 柔らかな声が底冷えするような冷たい声色へと変貌する。喜色を浮かべていた笑みも、感情が抜け落ちた能面のような表情に変わり。その瞳は鋭く俺を責めていた。

 同じように"せいや"の周りにいる同胞たちも"せいや"と同じような顔をして俺に怨恨の表情向けた。そこでようやく"せいや"の周りにいた同胞たちが、今まで俺が葬ってきた者たちだと気付いた。

 

 

 何かが足にまとわりつくような感覚が襲う。

 目を向ければ下半身がドロドロに腐ったような様子の髪の長い血塗れの女が仰向けで俺の頬に手を添えていた。

 

 

「どうして私を殺したの?」

 

 

 再度投げかけられる言葉に、顔から血が遠ざかっているのを感じた。

 急速に冷めていく頭とは裏腹に動悸がどんどん早くなることに吐き気を憶えた。

 喉奥から迫り上がるものを手で抑える。

 見たくない。意識的に女を視線から外す。

 

 視線を外した先に、遠くに勝己と出久がいた。

 一瞬、安心感を覚える。しかし、二人の表情を見て指の隙間から嗚咽のような声が零れ落ちた。

 

 

 出久は正気を失ったかのように泣き叫んでいて、勝己は信じられないものを見る目でこっちを見て震えていた。

 

 

 あの時と同じだった。

 

 

 無意識のうちに二人に手が伸びる。けれど、必死に手を伸ばしても、走り寄っても一向に距離は縮まらず、伸ばした手はただ虚を切った。

 少し走ればすぐ手が届く距離なのに全く差が縮まらない。むしろ走れば走るほど二人が遠ざかっていくような気さえした。

 

 どれぐらい走ったんだろう。

 いつの間にか膝に手をついて肩で息をしていた。

 否が応にも頭が項垂れて視界から二人が外れた。

 それが間違いだった。

 

 息を整えて顔を上げれば、俺の代わりなのだろうか、誰かが二人の後ろに立って首に中指を除いた四本の指を二人の首に纏わりつかしていた。

 完全に見える距離のはずなのにモヤがかかっているかのように表情が見えない。けれどそいつは悍ましい笑顔で俺を嘲笑っていた。

 

 悍ましい笑みを浮かべていたそいつが、二人の首に触れないよう立てていた中指を静かに寝かした。耳障りな嗤い声がした。そいつの五指が二人の首についた途端、そこが起点となるように二人の体が崩れ始める。まるでそれが当然かのように。

 

 俺は力の限り二人の名を叫び、再び走り出す。

 崩れ始める己の体に気がついたのか二人は必死に捥がき始める。しかし二人の抵抗はそいつには全く効かず、そいつはニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべながら俺をずっと見ている。

 

 捥がく二人に俺も全力で走る。

 だがさっきと同じで俺は全く進めない。前に進んでいるはずなのに同じ場所でずっと足踏みをしている感覚に泣きそうになる。

 

 とうとう二人の体が完全に崩れた。

 最後の出久と勝己の表情は、俺に助けを求めながらも絶望に顔を歪ましていた。

 

 途端に力が抜けた。

 俺も、俺の中で何かが壊れた。

 

 

 絶叫する俺に構わず、また場面が変わる。

 

 

 片翼のない天使が断頭台に項垂れていた。

 声を発する暇もなく刃が落とされる。

 最後に見た少女は…一筋の涙を流しながら、悲しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 見慣れた天井が俺を迎えていて、むくりと起き上がれば夢だったんだとぼんやり理解した。

 

(あの三人はともかく…今更、一人逝かせただけで影響されすぎだろ…)

 

 

「……やっと起きた」

 

 

 自嘲まじりの息を吐けば、ダルモンが俺の顔を覗き込んできた。

 夢の最後に見たのがあんなのだったものだから、思わずビクリと体が固まってしまう。そのまま何も言えずにいると、ダルモンがいつものように抱きついてきた。目の行き場が無くなり枕元に置いてある時計に目が行く。電子で動くそれは、臨時休校明けの朝の時間を指していた。

 

「…心配した」

 

 思わずいつも通りに受け入れてしまえばダルモンは心底そう思っていたように言葉を溢した。突然どうしたと疑問に思いながら昨日のことを思い返せば、疲れ果てて携帯に鬼のように入っていた着信履歴を無視して眠りについたことを思い出した。

 

「すまねぇ、ダルモン。昨日は色々あってよ…疲れて寝ちまってたんだ。ほんとすまねぇ」

 

「…私はいい。…出久も勝己も……。でも、心操はすごく怒ってた」

 

「そうか…。とにかく今回は俺の落ち度だ、何度でも詫びよう。すまなかった」

 

 そう言って頭を下げればダルモンはふるふると頭を振ると俺の胸に頭を預けるように抱きつく。気にしてないと言うことだろう。そうやって頭を撫でるとダルモンは胸を離れて、静かに俺と目を合わせた。

 いつもなら満足するまでもう少し撫でているはずだから少し不思議に思いながらダルモンを見れば、ダルモンは含みを持たせるように大丈夫か、と尋ねてくる。何を、口を開く前に続けられた言葉に、半端に開けた口を噤んだ。

 

「出久から聞いた」

 

「………出久め…余計なことを」

 

「…大丈夫……?」

 

「……アルバート=ハミルトン=フィッシュ。食人鬼の才能ですっかり衝動に飲み込まれていたからすぐに逝かせてやった…。大丈夫、いつも通りのことだ」

 

「ほんとう?」

 

「…本当に大丈夫だ。だが、今回の主犯らしき奴らに改造されてるような具合だった。…失敗作、だとよ」

 

「……殺すの?」

 

「…右も左もわからねぇ同胞を勝手に殺人マシーンに変えられるんだ。黙って見てるわけにはいかねぇ」

 

 そう言って誰もいない虚空を睨む。その先にいる奴らに恨みを抱けばダルモンは眠たげな表情を崩さず何も言わずに俺に抱きつく。その意を俺が理解出来ない筈もなく、俺も静かに眼下で佇む小さな頭を撫でた。

 心の中の言葉をしまいこんで。

 

 

 …ダルモンは、俺がどんな決断をとろうとも必ず傍に寄り添ってくれる。たとえ俺が拒もうとも離れようとしないだろう。説き伏せても首を縦に振ることもない。良くないことだとは重々理解している…けれど、それを心の何処かで俺は嬉しく思ってしまっている。我儘に付き合わせてしまっている。

 ……せっかく人間に成れたのだから、もう俺の傍にいる必要などないのだから、もっと自由に生きて欲しい。そう思うのに、この撫でる手を止められないのだから、恐らく俺は…()()なのだろう。

 

 

 

 

 







 項羽は私を傍に居させてくれる。
 彼がどんなに私に自分の必要としない自由と幸せを願っても、私はそれを拒み続ける。彼はそんな私を仕方なさそうに笑って許してくれる。
 分かっている。これを永くは続けてはいけないことも理解している。
 理解しているのに、願いを反故にして。彼の甘さに付け込んで、依存する私はきっと、()()なのだろう。


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