四方さんやトーカちゃんの血筋が尊い。
仕事で訪れた街の酒場には必ず入るようにしている。
風でブラブラ揺れている立て付けの悪いウエスタンドアを押して入り込むと、お天道様がこんなに高く昇っている頃から酒に現を抜かしている阿呆が幾人もおれを見てくる。
少し前にアラバスタで購入した筈の外套は、連日の強行軍ですっかりボロ切れと化していた。
ジャヤで買ったアロハパンツも裾が解れてきているし、その上から形だけでも羽織っているシャツも襟元が草臥れきっている。
唯一金になりそうな獲物の槍は、刃先をこれまたシミだらけの包帯で巻いているせいか、しょぼそうな品にしか見えない。
この事から分かるように、おれは何処からどう見ても物乞いか乞食にしか見えない格好をしている。
酒場にいた阿呆共はそんなおれの身なりから集ったところで僅かにも金が出てこないと察したらしく、白けたような雰囲気をどいつもこいつも醸し出してグラスへと向き直った。
ただ、この酒場の主であるマスターだけがおれに渋面を見せてくる。
『此奴、支払える金はあるんだろうな』と物言いたげなそのマスターからの視線に答えるように口の端を引き上げてみせるが、増々疑惑の眼差しで見られることになってしまった。
点々と設置されているテーブル席の間を縫うように歩いていき、カウンター席に腰掛ける。
「やぁ、マスター。とりあえず、エールをくれないか」
「アンタ、払える金はあるんだろうね?」
手厳しいマスターの言に、ズボンのポケットから財布を取り出して開く。
そして、そのままマスターに中が見えるようにしてみせると、彼は遠慮なく俺の財布の中身を覗くや、一瞬にして押し黙った。
「·····エールだね」
「うん。銘柄とか産地に拘りはないから何でもいいよ」
どうにか、おれが一文無しで入ったわけでないことが証明できたようだ。
酒樽からエールを直接ジョッキに注いでいるマスターの手元を見ながら、よっこいせと背負っていた槍を足元に置く。
この大海賊時代で、おれのように槍を相棒としている人間は少ない。
リーチを求めるのであれば
長さがあるだけに不意の攻撃にはどうしても弱くなってしまうため、同士を見つけることはなかなか出来ないが、今更戦闘スタイルを変えることも出来ず、ずるずるとこのまま来てしまった。
「はいよ」
「ありがとう」
7対3の黄金比率で持って保たれている泡とエールに、良い店を選んだと口元が緩む。
礼もそこそこにエールを煽るように喉を鳴らして飲み込んでいく。
嗚呼、やっぱりこの街に着くまでに外れで麦畑を見てから、此処はエールが美味いと思っていたんだ。
太陽に照らされて、さざめく麦の穂を見てから喉の乾きが止まらなかったこともあり、漸くお目当てのものが飲めたとご機嫌になる。
今回の仕事は、組織的に───否、おれ的に
なかなか首を縦に振ってくれない首領に頼み込んで、やっと手に入れたこの仕事を失敗するわけにはいかない。
そのため、連日はこの近辺にある某島について嗅ぎ回っていた。
厳密的に言えばその島にいる海賊こそが本命なのだが、これがなかなかに厄介なことになっているようで、ちょっとやそっとじゃ手を出しにくい状態になっている。
仲間に『考える脳筋』と言われているおれは、思慮深く、根気よく、我慢強く下調べを繰り返しているのだが、これがそう上手くいかなくて調査は暗礁に乗りあげようとしていた。
このまま地道に下調べをし続けてもいいものかと頭を悩ませていると、背後が急にざわざわと賑やかになった。
「えれェ別嬪な嬢ちゃんじゃねェか」
「鼻の下伸ばした所で、お前みてぇなのが相手にされるわけが無いだろー」
「だよなー·····って、おいッ! あの女の肩の所にある刺青·····!?」
「ありゃ、アーロン一味の刺青じゃねェか·····ってことは、もしや」
「近頃噂になっている泥棒猫じゃねェか? 海賊相手に盗みに入ってるっていう」
「関わらねェ方がいいぜ。アーロンっていや、この
最初はワイワイと持ちきりだった新しい客への話題が突然尻すぼみのように小さくなって行ったかと思えば、とうとう誰もその話題について触れなくなった。
その話題の人物を一目見てやろうとジョッキを持ったまま首を動かせば、カウンター席の隅っこに腰を下ろす歳若い女が見えた。
歳若い───いや、あれはまだ女の子って言えそうな年だ。
年の割には体が女として成熟していることもあって成人しているようにも見えるが、あれはまだ大人に差しかかる前の年頃じゃないかと予想する。
「マスター、いつもの」
「分かってるよ」
その子は、年齢に似つかわしくない疲れ切った顔で、かったるそうに酒を注文していた。
この店の常連であるのか、マスターは女の子には少し親しげだ。
おれには一つも寄越さなかった好意的な視線を向けている。
おれにはあんなにツンケンしていたのに、若い女の子の方がやっぱりマスターも良いんだろう。おれとて、自分のような見窄らしい身なりの男よりは可愛い女の子の方が愛想良くなるに決まっている。
女の子が海賊の一味なんて酷い世の中になっちまったもんだと、半分も残っていないエールを飲み干す。
まだ金にゆとりもあるし、二杯目をマスターに頼もうと片手を上げた所で、下卑た男の笑い声が近くから聞こえてきた。
「げへへへへ。お嬢さん、こんな所で一人酒ってェことは、声が掛かるのを待ってんだろォ」
「·····違うわ」
嫌な予感がして声の方を見ると、目がギョロギョロと魚みたいに動いている壮年の男が、あの女の子にしつこく絡んでいる所であった。
定まらない視線で、女の子をどうにか外に連れ出そうとしている男がとうとう女の子の手首を掴む。
「またまたー、そんなつれないこと言うんじゃねェよ。オレァ、今日は一儲けしてきた所なんだぜ。アンタみたいな良い女を買える金が───」
男が全てを言い終わらないうちにパシンと皮膚を打つような音がして、男の手が女の子によって華麗に打ち払われる瞬間を見た。
まさか女の子にこうも手酷くコケにされるとは思わなかったらしい男は、暫く呆然と自分の払われた手を見ていたが、それも数秒のことだ。
何をされたか克明に理解したらしい男の顔が、みるみるうちに熟れたトマトのようになっていく。
「このッ、クソアマが·····!」
観衆が見ている前で、格下だと思っていた女の子に男の面子を潰されて頭に血が上りきってしまったらしい男は、腕を大きく振り上げる。
打たれると分かっているはずの女の子は、一切怯むことも無くマスターから酒が届かないかとカウンターの向こう側へと視線を向け続けていた。
女の子のそんな無情な反応に、とうとう男も業を煮やしたのだろう。
男の手が女の子の横っ面を叩こうとして振り下ろされるのと同時に、そいつの手をおれの手が掴んだ。
「·····あ?」
突如、視界の端から乱入してきたおれに、向こうも処理しきれないと戸惑っているようだ。
女の子も、まさか助けが入るとは思わなかったようで、おれの横槍に少し驚いたような顔をしている。
本当に近くで見れば見る程に、あどけなさが目立つ少女であった。
果実のような鮮やかさに似たオレンジ色のショートカットの下から覗く目が、信じられないと見開いてるのが何処か悲愴さを感じさせた。
「フラれたんだから大人しく帰るべきだろ、お兄さん」
「んだと、小僧!? 手前ェにゃ、関係ねェだろうが!!」
「此処は、酒場だぜ。フラれた男の遠吠えを聞いてると、酒が不味くなるんだ。アンタがおれの酒代を奢ってくれるってんなら別だがな」
「にゃろッ! 透かしたことばっか言いやがって!!」
おれに手を掴まれているため、男は蹴りを放ってきた。
だが、高々街のチンピラに遅れをとるようであっては自分の経歴に傷がつくというもの。
男の蹴りを蹴りで持って受け流した後、奴の重心が崩れたのと同時に豪快に背負投を決めてやる。
どしんと地を揺るがして、華麗に投げられた男は目を回して気絶していた。
見事に大の字になって寝転んでいることもあって、投げたおれが言えることでもないが大層不憫な光景となっている。
あんまりにも演舞の如く綺麗に全てがキマッたこともあって、酒場の客からは拍手喝采を受ける羽目になった。
「アンタ、乞食みてェな格好している割にはすげェじゃねェか」
「もしかしたら、海から漂着したならず者かとも思っていたんだが、やるなァ」
「此処まで、綺麗にキマッちまうもんなんだなー·····人は見かけによらないもんだ」
「乞食でならず者で悪かったな!」
褒められているようで、その実貶しているんじゃないかと彼等の声を聞いてるうちに疑心暗鬼に陥った。
……ととと、勝利の余韻に浸っている場合じゃない。
例の少女の無事を確かめようと背後を振り返れば、彼女の姿は既にそこにはなく、カウンターの上にお代が置いてあるだけであった。
刹那、ウエスタンドアがギィと軋むような音を立てたのを聞いた瞬間に、おれは財布から少し多めに酒代のベリーを取り出すや、カウンターの上に叩きつけるように置く。
「のんびりするつもりが、少し野暮ができた。また来るぜ」
「毎度。お節介なあんちゃん」
踊るように踵を返して、客の間を縫って歩くのも面倒いと少々彼らの片側の肩を借りて渡り歩く。
あんまり力まないようにしたつもりだったが、成人男性の体重が片側に掛かることもあって借りた連中は軒並み呻き声を上げるが、おれはそのまま先を急ぐように店を飛び出した。
「あの乞食みてぇな兄ちゃんッ……! 次あったら、ただじゃおかねぇからな!!」
とんでもない捨て台詞が最後聞こえたような気がするが、先ずは
仕方が無いと、一飛びで酒場の屋根に登って周囲を見渡せば、裏路地を必死に走る少女の姿を発見した。
「華麗な逃げこなしだな」
一目散に逃げているのではなく、ちゃんと最善のルートを構築して、足音も小さく、足跡も出来る限り残さぬように細心の注意を払って逃走しているようだ。
随分と逃げ慣れているもんだと感心するのも程々に、おれは屋根から屋根を渡るようにして少女の後を追って行く。
こちらの方が、手っ取り早く少女に追いつくとはいえ、なんだか泥棒の真似事をしているような気分に陥ってくる。
おれは正義の味方であるのに、なんとも遺憾なものだ。
そう言えば、おれが探りを入れている海賊団の島には、オレンジ色の果実が生った木が生えていた。
オレンジやグレープフルーツと似た柑橘類だろうが、それらに比べて小ぶりなあの果実は、太陽をめいいっぱい浴びてるからか、とても美味しそうだったな。
彼女の髪色は、正しくあの果実の色。
こんな薄暗い路地じゃなくて、それこそ太陽の下にあるメイン通りで拝みたいものだ。
「アーロン一味の、泥棒猫か。あの中の唯一の人間っていうのは、綻びになるのか」
まだ大人にもなってない少女を利用するのは───とても心苦しいことである。
おれの正義が問われることになるだろうが、それ以上に任務を遂行したい気持ちの方が強い。
「やるしかねぇよな、いっちょ」