ソードアート・オンライン ~戦い続けるは誰が為に~ 作:アルタナ
その日の夜。
「……」
シグレは一人、フィールドを駆ける。
今シグレがいるのは、28層、迷宮区前。
入口の前で一度深呼吸をして。
「…行くか」
迷わずシグレは歩を進める。
最前線、未知の領域。
月夜の黒猫団という仲間を得た今も、シグレは一人で最前線に潜り続けていた。
その理由は、第一層の頃から、変わっていない。
「俺が出来る事は…これしかない」
その手に抜刀した片手用直剣を握り、どこから来るか分からない敵を警戒する。
マップ情報など、あるはずもない。
ボスの情報とて、何もない。
それがいかに危険なことか、ここにいる大半のプレイヤーが知っている事。
無論、シグレだって分かっている。
下手をすれば、HP全損をする危険。
それはすなわち、現実においての死の危険。
だが、それはシグレに限った事ではない。
攻略組とて、それは変わらない。
月夜の黒猫団とて、それは変わらない。
…だからこそ、シグレは一人潜り続ける。
「…遅い」
剣を一閃。
ソードスキルですらなく、ただ横に振るっただけ。
にもかかわらず、迷宮区のモンスターを、手近な雑魚モンスターのようにあっさりと光の粒に変える。
多少の明かりがあるとはいえ、迷宮区は決して明るい場所ではない。
それはすなわち、死角となる場所から襲われる事もあるということ。
しかし、シグレは視線を向けることもなく、けれどもまるで見えているかのように剣を正確に振るい、モンスターを確実に倒していく。
「…まだ、戦えるか」
自分の剣の感触を確かめながら、一歩一歩確実に、けれど止まることなく迷宮区を進んでいく。
こうして戦い続けるシグレだが、別に自分しか戦えない、などと思っているわけではない。
攻略組でも、このくらいの事は出来る、というより連携を考えれば、より安全に進むことはできるだろう。
「……」
しかし、連携の中で犠牲者が出ない、とは言い切れない。
犠牲を払って、ボスを倒す、という方法が採られる可能性もある。
シグレは、それを見過ごす事が出来なかった。
「…これで、いいんだよな……?」
迷宮区の一角。
モンスターの撃破を続け、辺りに気配がなくなったところで、シグレは宙を見上げる。
当然ながら、夜空は見えない。
ひょっとしたら、夜が明けているかどうかもわからない。
そんな閉ざされた空間で、無機質な天井を眺める。
そんなシグレが視線を向ける先には。
「………父さん」
シグレにしか見えない何か。
シグレが胸の内で、大切に持ち続けるそれは確かに、シグレを縛り続けている。
シグレの中で、降り続ける止まない雨。
幼き頃に降り出した雨は、シグレの心を確実に蝕んでいた。
やがてそれは、何年もの時を経て、孤独という名の錆を生む。
じわりじわりと侵食していくそれは、誰にも止められない。
「……俺が死んでも、悲しむ者はいない。この世界にも…現実の世界にも」
そこから生まれた、シグレを形作る価値観。
いつ崩壊するか分からないほど脆くも、圧倒的な力でモンスターを光に変えていく。
「…」
これを続けていけば、やがて自分は崩壊するだろう、とシグレも気付いていた。
やがて、力及ばぬ相手が現れた時、誰の目にも留まることなく、ただ討ち倒され、消えていく。
けれど、光の粒になって消えていく、その時までは。
「…止まるつもりは、ない」
剣を持つ手に少しだけ力を入れ、再び、歩き出す。
傍から見れば、狂っている、と言われても仕方がない一方で、これ以上なく純粋な意思。
その意思を自覚しながら、シグレは闇に紛れながら、歩を進める。
「ふぅん、あれが…幻影の死神、かぁ」
そんな彼を少し離れた所で、後ろから見守る影。
紫の髪を揺らしながら、距離を詰めるでもなく、離されるでもなく。
迷宮区であるという緊張感がなさそうな足取りで、影はシグレを追う。
何をするでもなく、戦いの手伝いをするでもなく、ただ追いかけ、彼を観察するだけ。
その目的は、誰が知るものでもなかった。
…その翌日、28層が攻略された、というニュースが、アインクラッドに広まる事となる。