比企谷「…」
平塚先生「…」
保健室は気まずい沈黙に陥った。
なんとかしなくては…
「あの」という俺の声と、「なあ」と口を開いた平塚先生の声が重なった。
比企谷「あ…すみません…。何ですか?」
平塚先生「い…いや、いいんだ…先に話してくれ…」
瞳を潤ませながら、頬を染めて、いつもの毅然とした様子とは真逆の控えめで、どこか奥ゆかしい様子の平塚先生に俺はまたしてもドキリとさせられる。
比企谷「っ…………」
ああ…俺はどうしようもなくこの人を好きになってしまった…。
淡い恋心を抱いていることはとっくに自覚していた。
先生を見るたびに何とも言えないざわめきを覚え、言葉を交わせば幸福に満たされる。
この目は少しでも先生を視界にとらえようとチラチラ動き、休日には会いたい衝動に襲われる。
だが、今はそんな欲求さえも可愛いと思えるほどに感情が心の中で育ってしまっている。
俺はこの人と結ばれたい…。
比企谷「ぁ…………」
心を奪われ、先生の瞳をマジマジと見つめていた俺だったが、彼女が俯き、瞳を伏せたことにより思考を取り戻すことができた。
比企谷「えっと、じゃあ…治療をお願いしてもいいですか?」
平塚先生「あ…ああ、そうだな!」
消毒液の痛みは俺のこの辛い感情を揺るがすことはできなかった。
矢でも突き刺されば、多少は愛だの恋だのがどうでもよくなってくれるだろうか。
でも、矢を突き刺したところで、この想いが失せてくれるのかどうか定かではない。
並大抵のものではない大きく重いモノが心を支配してしまっている。
俺のこの気持ちはこの世にごまんと存在する恋心などよりも遥かに強いものな気がしていた。
もちろん正確には分からない。
もしかしたら、これと同等の気持ちを、恋する老若男女達は抱いているのかもしれない。
もしそうなら、俺は見下していたこの世の恋愛患者たちに詫びなければならない。
だが、当然気持ちの重さなんてものは分かりようがないし、そもそも今の俺に他人の気持ちを図る余裕などは無かった。
平塚先生「よし、完了だな!」
まだ少し不自然さがあるものの、先生は平静を取り戻していた。
正しくはいつも通りを取り戻そうとしている、といった感じだろうか。
平塚先生「…それじゃあ後はテーピングを巻くだけだな。私は残りの仕事を片付けてくるよ」
ズキッと心に何かが刺さる。
このまま、先生が教師へと戻っていく気がした。
永遠に教師へと…
比企谷「…先生!」
俺は瞬間、立ち上がり先生を呼び止めていた。
鼓動は一気に激しくなる。
比企谷「俺は…先生が…平塚先生が好きです」
動悸に加えて吐き気もする。
比企谷「俺は、先生の優しさが…先生の荒っぽさが…先生の言葉が…先生の…全てが好きです…全部…全部が好きです…」
平塚先生「…」
比企谷「…」
数秒の空白。
平塚先生「比企谷。お前の気持ちは理解した」
俺は先生の靴を見る。
平塚先生「私はお前を異性として到底思えない。そして、その気持ちを受けとることはできない。わ…私は………お前とは向き合えない…」
絞り出すような声は終わりを告げた。
比企谷「…そう…ですか」
体の中身がズシリと下へ落ちていくのが分かる。
比企谷「分かりました…………」
先生が踵を返して去っていく。
あれほどまでに激しく燃え上がった感情は、形を変えていないのに今度は虚無へと沈んでいった。
先生の足音が止まる。
廊下から響く足音はこちらへと近づいていた。