◇
「─────私は、あの学校を守れなかった」
そんな言葉から、彼女の独白は始まった。僕はただその声だけに耳を傾ける。
「あなた方の高校と統合することに反対する、と生徒会長である私は言いました。そして、全校生徒が私を応援してくれた。私はあの学校を女子高のままで存続させるために様々な活動を行い、数え切れない方々に苦労をかけました」
「………………」
「誰もが私に期待していた。全校生徒が
ダイヤさんはひとつ呼吸を置いて言葉を続けた。
「なのに、結局は守れなかった。何が足りなかったのかは誰も教えてはくれませんでした。私にわかったのは、浦の星女学院が廃校になり、あなた方の男子校と共学になるということだけ」
芯が通った声音が少しずつ小さくなっていく。それでも僕は彼女の言葉を聞いていた。
これが生徒会長の本音であることが、わかっていたから。
「必ずこの学校を守る、そう約束したのに私はその約束を破った。そんな生徒会長を、誰が許してくれると言うのですか?」
「…………ダイヤ、さん」
「女子生徒たちは私を恨んでいる。いや、それだけではありません。私がしたことは、
ダイヤさんが、肩を強く握り締めてくる。痛みを感じる。でも僕は何も言わなかった。
彼女が感じている痛みを思えば、こんな痛みは痒くも何ともなかった。
「…………そんな
そう言って、ダイヤさんは独白を結んだ。
何かが混じった声。それが何なのかは僕は知らない。
わかっていても、わかってはいけないと思った。
「…………そっか」
ようやくわかった。彼女が僕らを嫌っていた理由。なぜ、わざと僕らを突き放していたのか。どうして一人で在ろうとしたのか。
そのすべてが今、繋がった。
─────浦の星女学院の生徒会長。黒澤ダイヤという女の子は統合の話が出たとき、全校生徒に約束をした。
それが、浦の星女学院を守るというもの。その約束をもとに彼女はいろんな人を巻き込んで行動をし続けた。
生徒の代表として学校を何とか女子高のまま存続させるために頑張って、苦労を積み重ねた。
約束を果たす為に、その役目を全うしようとした。
でも、結局はダメだった。彼女の約束は果たされることなく、無情にも浦の星女学院は僕らが通っていた男子校と統合し、浦の星学院高校と名前を変え、男女共学校となった。
生徒たちとの約束を守れなかった生徒会長は、自分を全校生徒の裏切り者だと思い込んだ。
だから、自分がみんなに恨まれていると思い、一人になることを選んだ。僕たち男子とわざと距離を置き、一人になることでせめてもの罪滅ぼしをしようとしていたのだろう。
それが、黒澤ダイヤという生徒会長の選んだ選択。あまりにも悲しすぎる、寂しい選択。
「私は許されてはいけないのです。だから、共学になった後も生徒会長という十字架を背負ったのです」
「みんなの、裏切り者になるために?」
「そうしなければ償えないのです。生徒の期待を裏切った私に、普通の学校生活を送ることはもう」
許されないのですわ、とダイヤさんは言った。そんな、許されてはいけないことを本当に語っている。
なんだよ、それ。ふざけるのもいい加減にしろ。
「…………ダイヤさん」
「はい?」
「ふざけないでよ」
「え?」
僕は、彼女を背負ったまま言った。怒っていることを隠さず、いや、彼女にその事実をわからせるように、わざと語気を強めながら。
だって、そんなことを許せると思うのか。いいや、ちがう。許していい訳がない。
ダイヤさんを許さないなんて、僕は絶対に許さない。
「そんなことで、一人になろうとしてたの」
「…………夕陽さん?」
「なんで、君が裏切り者なんかにならなくちゃいけないの。誰よりも頑張ったダイヤさんが、どうして誰かに恨まれなくちゃいけないの」
僕は前を向いたまま、背中にいる女の子に言葉をぶつける。
心が熱を持っている。この子がこの子自身を恨むことを許してはならない、と叫び続けている。
「絶対におかしいよ。君は、誰にも恨まれてなんかない。果南さんも鞠莉さんも言ってた。“あの子は誰よりもこの学校を守ろうとしてた”って。だから、ダイヤさんのことをわかってあげてって」
「………………」
「そう言ってくれる人が、ダイヤさんを恨むはずないでしょ? 僕らは君がどんなことをしたのかは知らない。でも、すぐ傍で見てた人たちがダイヤさんの頑張りに気づかないはずない。それでダメだったとしても、誰も恨んだりしない」
僕が語るのはただの正論。ありきたりすぎる月並みな言葉の繋がり。
でも、そんな単純なことを彼女は知らないんだ。だったら、僕が教えてあげなくちゃいけない。
「なんで、そんな簡単なこともわからないの。おかしいよ」
僕はそう言って唇を噛んだ。強く噛みすぎて血の味が薄っすらと口の中に広がった。
悔しくて、悲しくて、どうしようもなかった。
こんなことすらわからない寂しい女の子が僕の背中にいることが、堪らなく悔しかった。
「…………あなたに、何がわかるのです」
「わからないよ。でも、君が間違ってることだけはわかる」
「私は間違ってなどいません」
「間違ってるよ。君は強がりの塊だ。本当の自分を殻の中に隠して自分を殺すのが上手いだけの、弱虫だ」
挑発的な言葉を聞いたダイヤさんの歯ぎしりが聞こえた。怒ったのだろう。当たり前だ。僕のような男に自分をバカにされて、怒らない人はいない。
「違います。私は、弱くなんてない」
「弱いよ。多分、僕よりも弱い。強がってるだけで、自分が恨まれていると思い込んで、勝手に一人になろうとする人を、弱いと言わずになんて言えばいい」
「だから、あなたに何がわか─────」
「わかってるから言ってるんだよ」
立ち止まり、ダイヤさんの言葉を遮りながら言った。
静寂が僕らの周りに姿を現す。音とという音が目に見えない空気に吸い取られていっているようだった。
もし、この言葉を数分前に聞いていたら、僕は彼女をおぶったりしなかった。なんで、そんな悲しいことを思うんだろう。
何ひとつ悪くないのに、どうして自分が悪いと言い切れるのだろう。
「ようやくわかった。君は、ただ硬いだけの宝石だ」
「…………なにを」
「強がりで自分を隠して、嫌われるのが怖くて自分からは外に出られない。
誰かに砕かれることを待っているだけの───
◇
自分の何処からこんな言葉が出てくるのか不思議だった。惹かれている相手を傷つけるような言葉を、僕が思いつける訳がない。
なのに、頭の中にはそんな言葉が勝手に浮かび上がった。だから、何も迷うことなく口にできた。
だって、本当にその通りの言葉すぎたから、迷う必要さえなかったんだ。
「──────」
ダイヤさんが息を飲むのがわかった。言ってしまってから、彼女を傷つけてしまっていることに気づいた。
でも、後悔はない。これで彼女が僕の思いを知ってくれるのなら、それでよかった。
嫌われるのは嫌だけど、それ以上に、彼女に嘘を言うのは嫌だったんだ。
「僕が言いたのは、それだけ。後は」
そうして歩き出す。あと数十メートルで宿泊所まで辿り着く。
そして、宿泊所の玄関には数人の影が在った。
─────僕のスマートフォンのディスプレイも、まだ光を放っていた。
「………………あ」
「大事な友達に、たくさん怒られてきて」
僕がそう言うと、背中にいるダイヤさんも気づいたようだ。気づかれないようにするのは難しかったけれど、どうにかばれずに済んだ。
玄関の方から二つの影が僕らの方へ走ってくる。それを見て、足を止めた。
これからダイヤさんはあの二人にこっぴどく叱られる。それがわかったけど、止める気はさらさらなかった。
「ダイヤッ!」
「果南さん、鞠莉さん?」
僕の前で、彼女たちは足を止める。
足をくじいたダイヤさんには申し訳ないけど、ここでおんぶは終わり。膝を曲げて彼女が足を痛まないように、ゆっくり身体を下ろしてあげた。
すると、果南さんが怒った顔をしてダイヤさんに近づいて行く。僕は少し離れて、彼女たちが何を言うのかを見守ることにした。
「───ダイヤのバカッ!」
「え…………」
果南さんはそう言って、ダイヤさんの細い体躯を抱きしめた。ダイヤさんは何が何だかわかっていないような顔で、青い髪の女の子に強いハグをされている。
「何を言ってるのよ、ダイヤ」
「鞠莉、さん?」
「なんで、私たちがダイヤを恨んでいるの? そんなの、絶対にあり得ないわ」
果南さんにハグをされたまま、近づいてくる鞠莉さんにそう言われるダイヤさん。
彼女にはまだ状況が理解できていないようだ。それはもちろんそのはず。
「何を、言っていますの」
「私たちは、ダイヤに感謝してるのよ。あの学校を失くさないように誰よりも頑張ってくれたダイヤに、みんなありがとうって言いたいの」
「鞠莉の言う通りだよ。私も、ダイヤにありがとうって言いたかった。でも、ダイヤが気にしてるって思ったから、言えなかったんだよ」
鞠莉さんと果南さんが、一人の女の子に向かって思いを語る。ハグをされている生徒会長である女の子は、まだ言葉の意味が理解できていないようだった。
「誰もダイヤを恨んでなんてない。だから、ダイヤはもっと素直になっていいの」
「私も鞠莉も、学校のみんなも。夕陽くんも信吾くんも、クラスの男の子たち全員。ダイヤも一緒に、新しい学校で最高の思い出を作りたいんだよ」
「………………果南、さん」
「たしかに前とは変わっちゃったけど、それでも私たちは一緒にいる。高校を卒業するまで、それからも、ずっと一緒にいたいって思ってるんだよ」
果南さんの思いが言葉になって形になる。それから、鞠莉さんも二人の身体を包み込むように両手を広げた。
「だからね、ダイヤ」
「鞠莉さん」
「これからは、男の子たちのことも認めてあげてほしいの。新しいクラスメイトとして、新しい思い出を作るために、ダイヤが心を開いてあげて?」
僕が一番言ってほしい言葉を鞠莉さんが言ってくれた。少しだけホッとした。言えなかったらどうしようってずっと思ってたから、よかった。
そうしている時、ひとつの足音が聞こえてくる。僕はその方向へと目を向けた。
「ま、そういうことさ、生徒会長さん」
「信吾」
「俺らはたしかに異分子かもしんねぇ。けど、異分子は異分子なりに居場所を見つけてぇって思ってんだ」
「………………」
「高校生活最後の一年。泣いても笑ってもこれが最後だ。だったら最後にふさわしい一年にしてぇんだよ。最っ高に楽しかったって、笑って終われるように、俺たち男子も頑張ろうって思ってんだ」
信吾は手に持ったスマートフォンの画面をダイヤさんの方へ向ける。それを見て彼女は大きく目を見開き、今の状況にどこか納得しているような顔をした。
信吾がダイヤさんに見せたスマートフォンのディスプレイ。そこには───
そして、通話の相手の名前は──────
「まさか」
「そういうことだよ、ダイヤさん」
僕はポケットに入れたディスプレイが光ったままのスマートフォンを取り出し、信吾に倣うように画面をダイヤさんに向けた。
それから、外に出る前に信吾とした会話を思い出す。
◇
『夕陽。お前の携帯、ここでも電話できるか?』
『うん。多分できると思うよ』
『ならちょうどいい。俺と電話を繋いだまま、生徒会長と話をして来い』
『え?』
『俺らはここで話の内容を聞いてるから、お前が生徒会長の本音を訊きだして来いって言ってんだ』
『頼んだよ、夕陽くん』
『ユーヒに期待してるデースッ!』
◇
「さっきの会話を、聞いていたのですか?」
ダイヤさん以外の四人が頭を頷かせる。それが肯定の意であることは明白だった。
「ダイヤは私たちが訊いても話してくれないだろうからね」
「こうするしかなかったのデース。ユーヒとのお話を聞いちゃったけど、許してほしいの~」
果南さんはダイヤさんの身体を離しながらそう言い、鞠莉さんは可愛らしいウィンクを飛ばして、いつも通りの感じで言った。
ダイヤさんが僕の方へと視線を向けてくる。怒ってるよな。それはそうだ。あんな会話を勝手に誰かに聞かせていたら、怒られても仕方ない。
だけどこうするしかなかった。僕が彼女たちに説明するより、実際にダイヤさんの声で聞いてもらう方が説得力があるのはたしかなんだから。
「ごめん。ダイヤさん」
「…………」
「どうしても、二人には聞いてほしかったんだ。だから」
素直に謝って、頭を下げる。でも正直、果南さんと鞠莉さんが訊いても話してくれなかったことを僕に話してくれるとは思わなかった。
それにどんな理由があるのかはまだわからない。けど、ダイヤさんが思っていることを聞けただけで今は良しとしよう。
「ダイヤ。夕陽くんを怒らないであげて」
「そうよ。ユーヒは、ダイヤのことを思って手伝ってあげたんだから」
僕が頭を下げたままでいると、二人がそう言ってくれる。けど、こんなことをして怒らないなんて、それはあり得ないことだと思う。
「…………」
「…………」
ひとつの足音が近づいてくる。少し、片方の足を引きずっているような音。それが聞こえても、僕はまだ頭を下げたままでいた。
「夕陽さん」
名前を呼ばれる。それで、ようやく頭を上げた。
目の前に立っていたのはやっぱりあの子。綺麗な黒髪の、背の高い女の子。
そして、宝石のように美しい。僕らの学校の生徒会長。
「ダイヤさん」
「あなたは、よくわかりません」
「え?」
彼女は僕の顔を見上げながら、そう言った。
「なぜ、あなたに話してしまったのか。自分でもよくわからないのです」
「…………」
「ただ、私はあなたに話したかった。誰にも言えなかったことを、あなたなら聞いてくれると思ったのです」
ダイヤさんは不思議そうな表情を変えることなく、僕に告げる。
僕にもわからない、その感覚。どうして彼女がそう思ってくれたのか。僕には話をしてくれたのか。考えても、答えは春の夜に溶けていくだけだった。
「手伝ってくださり、ありがとうございました」
「あ……」
ダイヤさんはあの巾着袋を僕の方に見せてくる。探していた彼女の大切なもの。それを大事そうに、手のひらの上に乗せていた。
何が入っているのか、訊くのを忘れていた。でも、今は知らなくていいと思った。
これから約一年、時間はある。彼女のことを知るには長すぎる時間。その間にあの中に入っている大切なものの正体を知ることができれば、それでいい。
「あなたが見つけてくれなければ、失くしてしまっていたかもしれません」
「いや、それは」
「…………許せないこともありますが、今日のところは見逃してあげます」
そう言って、彼女は赤い巾着袋をジャージのポケットに仕舞った。
そして、もう一度僕の顔を見つめてくる。深碧の美しい両眼が、目の前に立つ男のことを映していた。
数秒の沈黙。今度は、僕の方から口を開いた。どうしても、言いたいことがあったから。
「ダイヤさん」
「はい?」
「話してくれて、ありがとう」
言いたいのはそれだけ。知りたいことを知ることができた。そして、彼女の想いが少しでも理解できた。
今はそれだけで満足だった。それをありがとう、という言葉で表現したんだ。
できる限りの、笑顔を添えて。
「…………やっぱり、あなたは変な人です」
「ごめん」
「ですが」
ダイヤさんが一歩、僕の方へ近づく。
何気ない瞬間だった。けれど、その時間がただの一瞬だとは思えなかった。
「あなたは、やさしい人です。─────まるで、
そこに、あまりにも美しすぎる笑顔があったから。
「─────」
僕は、息をすることを忘れた。ダイヤさんが無邪気に笑った顔を見て、完全に心を彼女に奪われてしまっていた。
心だけじゃない。意識も、感覚も、身体の自由さえも、目の前にある宝石みたいな微笑みに全て取り込まれていく。
胸が締め付けられる。誰かに心臓を鷲掴みにされている。
痛くはない。感覚的な痛みは感じない。その代わり、よくわからない何かが心の中に芽生える気がした。
温かく、やわらかい。くすぐったいようで、気持ちがいい。
そんな、抱いたことのない
「さっきの言葉の、仕返しです」
「ああ。あれは」
「あのような言葉は生まれて初めて言われました。ですから、これはお返しですわ」
僕が先ほど彼女に向かって言った言葉。これは、その仕返し。
でもそれにしては甘すぎる気がした。僕は彼女を傷つける言葉を言ったのに、それじゃあ釣り合いが合わないじゃないか。
だから、僕も言った。与えられたものが平等になるように。今までの全てが、釣り合うように。
「やさしいんだね、ダイヤさんは」
彼女の美しい笑顔に負けないくらいの笑顔を作って、僕は言った。
「…………別に、あなたにやさしくしたつもりはありませんわ」
そう言って、ダイヤさんはそっぽを向く。薄暗闇の中でもわかる。彼女の頬が赤く染まっている。
それを見て、わかった。
僕は多分、この子に恋をしている。
理由はまだわからない。でも、たしかにそう思った。もっと彼女のことを知りたい。僕のことも知ってほしい。
胸の中に芽生えたこの感情に名前をつけるのなら、今は恋と呼んでみたい。
ポケットの中に入れた、玩具の宝石を握り締めた。
それはなんだか少しだけ、いつもよりやわらかいような気がした。
次話/生徒会長は少し柔らかい