生徒会長は砕けない   作:雨魂

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普遍の宝石

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 駿河湾から吹きつける海風が、海岸通りを歩く僕らの髪を揺らす。海辺に漂う潮の香りも今ではもう当たり前のものになってしまった。

 

 潮の匂いの隙間を縫うように、右隣から芳しい花のような香りが届く。隣を歩くのは僕よりも少しだけ背の小さい生徒会長。今は初夏だというのに、金木犀のような香りがしたのはきっと気の所為じゃない。

 

 一週間前くらいにブレザーから夏服へと変わり、また新しいデザインの制服を纏う事になった。妙に格好良いデザインなのは、僕らとしても喜ばしい。この制服で沼津駅前とかに遊びへ行くと、他校の友達からよく羨ましがられた。

 

 女子高と統合になったのは悲しい現実だが、悪い事ばかりではないのも事実。特に女子生徒の制服は抜群に可愛い。口に出したら確実に弄られるので、これは心の中で仕舞っておく事にする。セーラー服っていいよね。

 

 今日は気持ちの良い梅雨晴れ。例年であれば元気がない筈の太陽は、ここ数日の気晴らしをするかのように燦燦と輝いている。それに温度が付与されるのは自明の理。湿度が高い六月の空気に高温がプラスされ、不快指数がそれなりに高い事が何となくわかった。僕は湿気と暑いのが嫌いなので、それを尚更はっきり感じ取れる。

 

 前を向けば数十メートル先の景色が歪んで見える。ああ、今年初の陽炎を見てしまった、と少しだけ気を落とす。天気予報のお姉さんは今年の夏も暑くなると言っていたし、どうやら暑いのが苦手な僕に安寧はしばらく訪れないらしい。そう言えば、そろそろ気の早い蝉が鳴く頃だ。海も山もある内浦の蝉はやけにパワフルでうるさいイメージしかない。騒がしいのも得意じゃないので、出来れば今年は落ち着いた夏にしてほしいと切に願う。

 

 

 

「そう言えば、そろそろ体育祭の時期だよね」

 

 

 

 隣を歩くダイヤさんと花丸に僕は言う。三人とも特にお喋りな訳でもないので会話も少ない。僕らは凄くまったりした雰囲気で登校していた。前ならダイヤさんの威圧感に負けて口を出せない、みたいな事は多々あったけど、今はもうそんな事は自然と思わなくなっていた。

 

 

 

「そうですわね。実行委員も既に準備を始めていますわ」

 

「高校の体育祭、マルも楽しみずら~」

 

 

 

 事務的なダイヤさんとほんわかした感想をくれる花丸。どちらもいつも通りで安心する。そんな事を考えながら口を開く。

 

 

 

「浦の星の体育祭って、どんな感じなの?」

 

「どんな感じ、とは?」

 

 

 

 学生鞄を左肩に掛けているダイヤさんはこちらを見て首を傾げる。鞄の肩掛け紐を両手で持つ花丸も、興味深そうな視線を彼女に送っていた。

 

 

 

「変わった雰囲気とか、何か浦の星名物の種目とかあるのかなって」

 

 

 

 訊ねるとダイヤさんは視線を前に向けて何かを考えていた。多分、これまでの体育祭を思い出しているのだろう。綺麗な横顔を見ながらそう予測した。

 

 気を抜くと見惚れてしまいそうになる美しい黒髪が海風に揺られるのを見つめていると、彼女はまた僕の方を向いて答えてくれる。

 

 

 

「別に変ったところはありませんわ。他校のものと比べても普通だと思います」

 

「そっか。でも、今年は今までとは違うよね。当然」

 

「そうだね。なんと言っても今年は男の人がいるずら」

 

 

 

 ダイヤさんの返答に僕が答えると、花丸が横からリアクションをくれる。花丸は一年生だから去年との違いは分かってないのにそう言うって事は、恐らく僕らが感じてる違和感みたいなものを想像してくれてるんだろう。想像力が豊かな従妹を唐突に愛でたくなってしまった。ここでやったらお硬い生徒会長に何をされるかわからないので自重しておこう。

 

 

 

「それは、私も気にしていましたわ。どうなるのかはまだ予想がつきません」

 

「僕も同じだよ。女の子がいる体育祭なんて初めてだし」

 

 

 

 僕ら男子がそう思ってるならば、彼女達も同じだろう。僕のように中高と男子校じゃない人なら久しぶり、みたいな感覚かもしれないが、青春の酸いも甘いも理解したこの歳になって初めてを経験するだなんて思ってもみなかった。

 

 もちろん、楽しみじゃないと言えば嘘になる。同い年の女の子と接する機会など年に数回しかなかった僕にとっては、共学校の体育祭といったら超ビッグイベントだ。それを楽しみに思わない方が難しい。

 

 ダイヤさんはどう思ってるんだろう。彼女も僕とほとんど同じ境遇なので気になったりはする。でもダイヤさん、汗臭いのとか男同士のぶつかり合いとかを異常に嫌いそうな感じがするな。あくまでも感じ、だけど。上半身裸で走り回ってる男を生ごみを見るような目で見つめる硬度120%状態の生徒会長を想像した。果南さんとか鞠莉さんはノリが良いから盛り上がってくれそう。他の女子達も勢いに乗せれば大丈夫だろう。やっぱり問題はダイヤさんか。

 

 

 

「でも、楽しそうずら」

 

「そうかな。それならいいけど」

 

「ずらっ。マルは運動が苦手だから、楽しそうにしてるみんなを見てるのが楽しいずら」

 

 

 

 花丸は微笑みながらそう言ってくれる。ダイヤさんもそんな彼女の事を見て、ほんの少しだけ口角を上げているよう見えた。

 

 人気も車通りも少ない県道を東に進みながら、僕らは話をしていた。堤防の上に並んで羽根休みをしている数匹の海鳥が、通学路を歩く僕らの事を興味深そうに見つめている。

 

 そうして長浜城跡地前を抜け、緩やかな坂を下る。左手には蜜柑の直売所。今年の夏も美味しい夏蜜柑が取れるのかな、と期待してみたり。

 

 

 

「どうせなら、楽しい体育祭にしたいよね」

 

「………………」

 

「ね、ダイヤさん」

 

 

 

 ダイヤさんの方を見て言ったのに、彼女は気づかない振りをする。硬度は下がっても素直じゃないのは変わらない。それもこの子の魅力だと思うから、文句は言わないでおく。そんな風に思える僕はどうやら相当やられているらしい。最近信吾にそう言われる事が増えた。自分ではわからないけど、そう見えるのなら仕方ない。

 

 僕の言葉に、ダイヤさんは答えづらそうな表情を浮かべてる。今までの彼女なら否定してくるのが常だった。でも、今は違う。心を開いてくれた今は、僕らに本当の気持ちを教えてくれる。

 

 

 

「…………私は、別に」

 

 

 

 僕と花丸から視線を逸らすようにして、彼女は言った。それは否定の言葉。彼女を知らなかった四月の僕なら、その言葉だけで気分を落ち込ませていた事だろう。だが、今はそうならない。

 

 

 

「そっか」

 

「ですが」

 

 

 

 僕が言葉を返すと、ダイヤさんは続ける。それから逸らしていた顔をこちらに向けてくれた。

 

 そこにあるのは、一言で言えば照れくさそうな表情。紅潮した頬と少しだけ尖らせた唇。素直じゃない彼女の魅力は、ここに詰まっている事を僕はもう知っている。

 

 

 

「あ、あなた達がそう思うのなら、私も協力してあげますわ」

 

「「………………」」

 

「特別、ですわよ」

 

 

 

 そう言って、またぷいっと顔を背けるダイヤさん。今度は美しい黒髪から覗く耳が赤くなっている。その姿を見て、いつものように心臓が握り締められるような感覚に陥ってしまう。

 

 これは最近気づいたのだけど、僕は彼女の強がりや照れ隠しを見るとどうにも心臓にダメージを受けてしまう。そのうちうっかり止まったりしたら大変だ。でも仕方ない。こればかりは意思の力ではどうにもならないので諦めよう。

 

 僕と花丸は顔を見合わせて、笑う。ダイヤさんが素直じゃないのはいつもの事。それをこの数か月で花丸も理解していた。だから僕らは笑う。

 

 

 

「ありがとう、ダイヤさん」

 

「ダイヤさんが手伝ってくれるなら、きっと楽しい体育祭になるずら」

 

 

 

 そんな言葉を、僕らは天邪鬼な生徒会長に向かって言う。するとダイヤさんはふん、と僕らの顔を見て言葉を返してくれた。

 

 何処か誇らしげなその顔は、本当に彼女らしいと思った。

 

 

 

「当り前でしょう。私を誰だと思っていますの?」

 

 

 

 浦の星学院第一期生、生徒会長。

 

 

 

 それが、僕の知ってる黒澤ダイヤという女の子の肩書き。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 それから色んな話をしながら歩き、気づけば学校前の傾斜が急な坂道を僕らは歩いていた。学校が始まったばかりの頃は体力がない僕と花丸は途中で休まないとこの坂を上り切れなかった。僕は数日で慣れたけど、花丸は今でも時々止まらないといけない。調子が良い日は上り切れるが大抵は途中で一休みをするのがお決まり。どうでもいいが、休んでいる時に果南さんと出会うと花丸を背負って校門まで連れて行ってくれる。それだけの事をやった後に『朝の運動にはちょうどいいね』と爽やかな笑顔を浮かべながら言い切れるあの子は、本当に凄いと思う。あの信吾が驚愕するほどの体力の持ち主だからな。あの子を見てると、運動音痴の自分が情けなくなるときがあるのは言うまでもない。

 

 夏蜜柑畑が周りに広がる坂道を三人で歩く。家を出るのは早かったが、今日はバスを使わないで歩いて来たから登校時間が早い訳ではない。坂には生徒の姿がちらほらと見える。統合して全校生徒が増えはしたが、それでも多いと言えるほどでもない。それでも女子生徒の姿がある事自体、僕らにとってはめずらしい光景なんだけれど。

 

 

 

「あ、そうだユウくん」

 

「うん? どうしたの花丸」

 

 

 

 額に汗を滲ませた花丸が、坂道の途中で立ち止まって名前を呼んでくる。今日はこの辺で一休みする頃かな、と思いながら彼女の方を向いた。ダイヤさんも僕の横で立ち止まってくれる。

 

 花丸は持っていた学生鞄を開けて、その中から何かを取り出す。訝しみながら何が出てくるのかを待っていると、飴色の従妹はいつも通りの緑色の風呂敷を取り出して、それを僕の方へと差し出してくる。

 

 

 

「えへへ。今日も早起きしてお弁当作ったずら」

 

「ああ。いつもありがとね」

 

「………………っ!?」

 

 

 

 そのお弁当が入った風呂敷を受け取る。僕も早起きなのは自負しているけど、花丸はもっと早起き。お日様よりも早く起きるのが彼女のルーティンらしい。お寺に下宿させてもらう事になって一番驚いたのはそれだった。今からの時期は相当早くお日様も起きるだろうけど、きっと花丸はその宣言通りにするだろう。

 

 そんな花丸は、早起きして僕にお弁当を作ってくれる時がある。頻度は割と多い。たまには僕も作ってあげなくては、と思うけど僕は料理が出来ないし、ついでに彼女よりも早起きをする自信はどう考えても持てない。

 

 

 

「どういたしまして、ずら」

 

「無理しなくてもいいからね。自分で準備も出来るからさ」

 

「……………………」

 

「ううん、それこそ気にしなくていいずら。マルは好きでやってる事だから」

 

「そっか。ならしばらくは花丸に甘えちゃおうかな」

 

「……………………っ!」

 

 

 

 そんな嬉しい事を言ってくれる花丸の頭を撫でてあげる。えへへ、と無邪気に笑う飴色の従妹。こんなに出来た従妹を持てて幸せだな、と思ってみたりする。

 

 坂道に優しい潮風が吹き、花丸の茶色の髪を揺らした。お線香と甘いお菓子が合わさったみたいな不思議な香りが鼻をくすぐる。なら今日もありがたくお弁当をいただこうかな。そんな事を思いながら花丸の髪から手を離した。

 

 ─────そこで、僕は自分がしてしまった過ちに気づく。

 

 

 

「はっ!?」

 

「ずら?」

 

「……………………」

 

 

 

 僕の近くに立っていたダイヤさん。彼女の視線が完全に凍っている。季節は初夏だというのに、そこには温度が感じられなかった。絶対零度の深碧は僕を捉えている。それは目だけで息の根を止めるのではないか、と本気で思ってしまうくらい威力を含めた視線だった。いや、彼女がそんな目で僕を見てくる理由はよく理解してる。

 

 やってしまった。今のは完全に無意識だった。他の生徒の目がある所で花丸の頭を撫でてしまった事も問題だ。それ以上に問題なのは…………言うまでもない。

 

 

 

「あ、あの。ダイヤ、さん?」

 

「………………」

 

「ずら」

 

 

 

 名前を呼ぶが、返事はない。目線の先にあるのは無表情で睨みを利かせてくる生徒会長。マズい。彼女の硬度が段々上がってるのが感覚的に分かってしまった。そしてその恐ろしい空気にやられた花丸は『ずら』しか言わなくなってしまった。どうしよう。

 

 登校してくる生徒達は追い抜きざまに僕らに訝しみの視線を送りながら坂道を上がって行く。たしかに、朝から生徒会長が怖い顔をして立ち尽くしていたら気にもなるだろう。僕も第三者の立場なら気になっていたと思う。でも今の僕は第三者ではない。もっといけない立場にいるのはちゃんと自覚してる。

 

 

 

「えーっと。その、ごめん」

 

「………………」

 

「ずら」

 

 

 

 何をすればいいのかわからなかったのでとりあえず謝ってみた。しかし、ダイヤさんの様子は変わらない。もっと言えば花丸もそのままだ。こういう場合はどうすればいいんだろう。誰か助けてくれ。

 

 そんな事を考えていると、固まっていた生徒会長がようやく動き出す。僕と花丸は二人でビクッと身体を浮かしてあからさまな反応をしまった。こうなる気持ちは分かってほしい。美人な人が怒ると本当に怖いんだ。

 

 

 

「夕陽さん」

 

「は、はいっ」

 

「花丸さん」

 

「ずらっ」

 

 

 

 ダイヤさんは僕らの名前を呼んでくる。僕らは二人で一緒に綺麗な気をつけをする。隣のクラスの生徒が何やってるんだ、という目をしながら坂を上って行った。

 

 数秒の沈黙。駿河湾に浮かんでいる一隻の船が鳴らす汽笛が聞こえてくる。そんな音を聞きながら、ダイヤさんの声が聞こえてくるのを待った。

 

 怒られるかな。でも、この子はどんな理由で怒るんだろう。普通に考えれば公衆の面前でそういう事をするな、って事だよね。でも、それならそうと言えばいいのに。素直に言わないって事は、何か違う理由でもあるのだろうか。考えるだけ無駄なのは分かるけど、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

「…………あなた達は、随分仲がよろしいですのね」

 

「え?」

 

「ずら?」

 

「な、何でもありませんわ。ほら、いつまでも休んでないで行きますわよ」

 

 

 

 それだけ言い残し、彼女は一人で坂を上って行く。僕と花丸は顔を見合わせて、同時に首を斜めに傾げた。

 

 怒られなかったのが意外だった。それもある。けど、気になったのはダイヤさんの言葉。

 

 彼女は結局、何が言いたかったのだろう。女心がわからない僕には、あの子が考えている事は何も理解出来なかった。

 

 そうして、僕らもまた坂道を上り始める。

 

 目線の先にある綺麗な黒髪だけを、この目は捉えていた。

 

 

 

 

 

 





次話/楽園
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