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春うらら。冬を越え、暖かさを思い出した太陽は頭上から小春日和の柔和な日光を注いでくれる。
初めて通る海沿いの通学路には桜の木が等間隔に生えており、可憐な薄紅色を僕らに見せていた。
歩きながら桜を見上げる。それから時折、右手に広がる透き通った駿河湾にも目を向けた。
反対側を見れば緑の山々が広がっており、本当に自然が多い街だな、と改めて思った。
アスファルトに落ちた花びらを踏まないように注意しながら、僕と花丸は通学路を東へと進む。
「うれしそうだね、花丸」
「えへへ、本当にうれしいずら~」
隣にいる背の小さい飴色の女の子。僕のふたつ歳下の従妹である彼女は、ニコニコと暖かい春のような笑顔を浮かべながら歩いている。
この子は今日から高校生。たしかに、それを考えればうれしくなる気持ちもよくわかる。新生活に心が躍る、という表現が綺麗に当てはまるだろう。
春はよく出会いと別れの季節と言われる。別れが先に来て、それから出会いが訪れる。そこで感情が動かされるのは当然のこと。だからこそ、未来に対して希望を持つその感情を
まぁ、中にはよくない別れや出会いもあるのだろうけれど、それを数えて行くより楽しい未来を数えて行った方が良いに決まってる。
だから僕もこの新しい制服を身に纏い、新たな通学路を歩きながらこれから自分が体験するであろう未来に想いを馳せ、心を躍らせようとした。
しかし、残念ながらその踊りは上手くいかなかった。僕の冷めた心は花丸の無邪気な心のように、華麗なステップを踏むことが出来なかったようだ。
「ユウくんと一緒に学校に行くなんて、夢みたいずら」
「そうだねぇ。僕もそう思うよ」
花丸は生まれた時からこの内浦に住んでいて、小学校も中学校もこの街の学校だった。
対する僕は少し離れた街に実家があり、そこにあった小学校と中学校に通い、高校も同じだった。ついこの間までは。
紆余曲折あり、こうして新しい学校に通うことになっている。それを改めて自覚すると、現在進行形で嫌な夢でも見ているような気分がした。
本当に勘弁してほしいけれど、既に決まってしまったものはどうやっても変えようがない。いち生徒である僕には学校長に物申す権限も、その勇気すらも兼ね備えられてはいない。
昨日の夜、高校の友達から『諦めるのも強い人間の選択だ』と意味ありげなメールが届き、『諦めるの語源って知ってる? 物事がどうしようもなくなる理由を明らかにして、納得して止めることを諦めるって言うんだって』と僕は即座に返信した。
とりあえずは嫌な感情を残して諦めるのではなく、開き直って諦めろ、ということを言いたかったのだけれど、その友達には意味の半分も届いていないことがそれ以降のやりとりの中で気づかされたのだった。
つまり、今の僕は開き直ってすべてを諦めている状態。これから訪れる未来がどんなに酷いものでも、受け入れる準備だけは出来ている。
「ふふ、楽しみずら~」
「そういえば高校には花丸の友達もいるの?」
「うん。地元の高校だからいっぱいいるよ?」
「それならよかったね」
「ユウくんもいるんだよね?」
「……まぁ、いないことはないけど。僕らの場合は、その」
そんなことを花丸と話しながら歩いていると、近くのバス停に一台のバスが停まった。
そこから数人の生徒が降りてくる。そのほとんどが女子生徒。
それから時間を置いて、僕と同じ制服を着た一人の男子生徒がバスから降りてきた。
「あ」
「? ユウくん?」
見覚えのある後ろ姿。しかし、何かを気にして歩いているのか、足取りが重く見える。
僕は少し駆け足でその男子生徒に近づく。花丸も遅れて後をついてきた。
明るめの茶髪に、すらりと細い体躯。それはどう見ても僕の友達である男子だった。
すぐそばまで近づいているのに、彼は僕の存在に気づかない。よく見るといつもは良いはずの姿勢が、今日は若干猫背になっていた。
手が届くくらいの距離まで近づいたとき、その男子生徒に後ろから声をかける。
「─────信吾」
「うおっ!? ……んだよ、夕陽か。あんまりビックリさせんなって」
「別にビックリさせてないし。信吾が気づかないのが悪いんだよ」
「しょうがねぇだろ。俺は既に満身創痍なんだよ」
「? どうして?」
「バスん中が殺気で満ち溢れてた」
「ああ、なるほど」
彼の言葉に納得する。それはきつい。もし僕がその立場なら泣いていたかもしれない。
自分より少し背の高いその友達の横に立って話をする。花丸は僕の後ろに立っていた。
「はぁ……マジしんどい」
「がんばろうよ。まだ始まってすらいないんだよ?」
「そうだけどさ。朝っぱらから知らねぇ女子たちに理不尽に嫌われるとか、どんな仕打ちだっつーの。俺にそんな残念な性癖はねぇよ」
「僕にだってないよ、そんなの。昨日も言ったでしょ。諦めるのも時には必要なんだって」
「そうは言ってもよぉ…………って」
「ずらっ」
「ずら?」
信吾が花丸の存在に気づいた。僕の後ろに隠れていたから気になったのだろう。
さっそく花丸の口癖に疑問符を浮かべる信吾。振り返ると花丸は首を傾げて彼のことを見上げていた。
「夕陽。その子は?」
「ああ。この子がこの間言ってた僕の従妹だよ。ほら、花丸」
自己紹介するように促すと、彼女は信吾に向かってぺこりと頭を下げる。
「国木田花丸です。えっと、今日から高校一年生で、ユウくんはマルの従兄さんです」
「あー、君が花丸ちゃんね。うん、話は夕陽から聞いてたよ」
花丸から自己紹介をされた信吾は、僕の話を思い出すようにうんうんと頷いていた。
僕が今年から彼女の家に下宿するということも彼には伝えている。別に隠すようなことでもないし、打ち明けていても問題はない。
信吾は少し見た目がチャラついているところはあるけれど、中身は真面目で良い奴なので、花丸にも紹介しておいていいと思った。
「ユウくんの、お友達ですか?」
「そう。俺は
「ずら。よろしくお願いします」
そんな風に挨拶をし合う二人。花丸が人見知りしないかと心配だったけど、どうやらそれは杞憂だったみたいだ。
信吾は高校からの友達。本が好き、という共通点があって仲良くなったのが馴れ初めだった気がする。信吾の好きな作家の本を図書室で僕が読んでいたら食いついてきて、そこから二時間弱、あの作家について話し合ったのを薄っすらと覚えている。
色白で端正な顔立ちをしていて、少し背の高い女の子のような容姿をしている。それを言うと信吾は怒る。すごく怒る。文化祭の女装コンテストで断トツの一位を取ってしまい、屋上から身投げしそうになったのをクラスメイト全員で彼を止めたのは数か月前のこと。あのときの信吾は本気だったな、と今さらになって思う。
近くに咲いていた桜を見上げて、ひとつ深呼吸をする。春と潮の香りが胸の中で混ざり合い、これから新たな生活が始まることを自覚させられた。
「じゃあ行こうか。時間もあんまりないし」
「そうだな。あー、憂鬱だ」
「信吾さんもユウくんとおんなじこと言ってるずら」
「しゃーないよ花丸ちゃん。あーあ、女子のみんなが花丸ちゃんみたいにやさしければいいんだけどなぁ」
そんなことを話しながら、僕らはまた海岸通りの通学路を歩きはじめる。海の方から吹いてきた春の風が僕たちの髪を揺らし、地面に落ちている桜の花びらをどこかへ運んで行った。
信吾の言ってることの意味がわからないのか、花丸は『ずら?』と頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。無理はない。でも僕には彼の気持ちが痛いほどわかる。
花丸からすれば
けれど、僕と信吾は違う。僕たちは既に高校三年生。なのに新しい高校に通わなくてはいけない。百歩譲って学校が変わるのは良いとしよう。
問題はそこからだ。僕らが懸念しているのは学校が変わることでも新しい制服を着ることでもない。それは。
「─────うわ、やっぱり男子がいる」
「ほんとだ。なんかこっち見てるよ」
「どうして今さら共学にならなくちゃいけないんだろうね」
「そうそう。どうせなら沼津の女子高と統合すればよかったのに」
「なんで男子校なんかと一緒にしたりしたんだろ。マジ意味わかんない」
「あの茶髪の女の子、かわいそう。もうあの二人に声かけられちゃったのかな」
「「………………」」
「ずら?」
女子生徒たちの刺々しい会話が聞こえてくる。向けられる視線が痛い。痛すぎる。
女子生徒たちは僕たちが歩く道の左右に分かれ、ひそひそ話をしながら男子生徒である僕と信吾のことを見てくる。否、威圧してくる。
そんな中を僕たち三人は歩いていく。居心地が悪いなんてもんじゃない。たとえるならば、女の子たちが着替え中の女子更衣室の中を通り抜けていくような感じ。やったことはないけど、多分そんな感覚に近い。すごく居づらい。あと、なんで僕らが花丸をナンパしたみたいに思われているんだろう。
完全なる異分子として僕と信吾は見られている。それがこれでもか、というほどに周りの女子たちが放つ雰囲気から伝わってくる。
「なぁ、夕陽」
「どうしたの、信吾」
「猛烈に帰りたいんだけど、帰っちゃってもいいか」
「ダメだよ。信吾だけ逃げるなんて許さない」
「そうは言ってもこんな中で普通の高校生活を送れる自信が微塵もないんだがそれは?」
「それは僕も同じだよ。信吾が逃げたらクラスのみんなで追いかけるからね」
「ちっ、わかったよ。はぁ…………なんでよりによって女子高なんかと統合なんてしちまったんだ、うちの高校」
歩きながら信吾が項垂れる。その気持ちは自分のことのように理解できる。僕だってほんとは今すぐ逃げ出したい。
女子生徒たちの視線を浴びながら、僕らは新しい高校に続く坂道を上っていく。またどこかで音痴なウグイスが鳴いていた。それはなんだか、気を落としている僕たちを慰めてくれているような気がした。
僕と信吾が少し前まで通っていた高校は、生徒数が少ない田舎の男子校だった。
そして今年度から内浦にある女子高と共学になるのが決まったのは、去年の十月。
僕らが聞かされた理由は、向こうの高校の入学希望者が定数に至らず、学校を存続させることが難しくなってしまった、ということ。
さらにうちの学校長がそこの学校の理事長と知り合いかなんかだったらしく、どうせならうちの男子校と掛け合わせて共学にしてしまえばいい、みたいにラフな感じで決めたという風の噂もどこからともなく聞こえてきた。
火のない所に煙は立たぬ、なんてことわざがあるように多分それもまったく的外れな噂ではないことが僕たち男子生徒もわかっていた。正直、勘弁してほしい。クラスメイト全員で反乱を起こすために学校長室にゲリラ攻撃を仕掛けようとして、結局未遂に終わったのは思い出さなくてもいい記憶。最終的には学校長の車の下に爆竹を一ダースほど置いて爆発させただけで終わった。あとでバレて全員こてんぱんに怒られたけど。
そんなことがあり、今に至っている。女子高と統合すると言われてテンションが上がっていた奴もいたが、大半の生徒は気分がガタ落ちしていた。僕と信吾は後者の二人。
理由は考えなくてもわかるだろう。女子生徒だけで高校生活を送っていたところに
今の僕らに当てられている女子たちの痛い視線が、その想像が間違いではなかったということを教えてくれている。たしかに信吾の言う通り、こんな中では男子に安寧など訪れない。
それがわかっていたから、僕たち男子は気を落していた。“みんな仲良く!”と先生に言われて素直にはーい!、と答えていた小学生の頃とはわけが違う。
僕たちは高校三年生。あと数年すれば成人として大人と言われる部類の人間になる。言ってみれば、片足どころか身体の半分以上を大人の世界に突っ込んでいる状態が今の僕らだ。
そんな風に、ほとんどが大人になりかけてしまっている僕らが今さら知らない異性たちと心を打ち解け合うなんて、そこにどれだけ高度なテクニックを求められるのか学校長は多分知らない。
しかも相手は女子高の生徒。こっちが仲良くしたいと思っていても、向こうが拒絶してくるのは火を見るよりも明らか。それを想像して落胆しない奴はきっとよほどの楽天家か、ただのおバカさんしかいない。
「元気を出すずら、二人とも」
「うう、花丸ちゃんめっちゃいい子。俺も一年生になってもいい?」
「へへ、良いわけないずら」
どうしよう、信吾が泣きそうだ。今の状態でかわいい後輩に笑顔で否定されたらたしかに心が痛くなりそう。
そんな話しながら、僕たちは学校に続く坂道を上がって行く。
春風に吹かれた桜の花びらが追い抜いていった。それを見つめながらなおも進む。
今日から通う新しい学校。周りが蜜柑畑に囲われ、海を見下ろす高台に建てられた、古くからの歴史が続いていた元女子高。
名前は─────浦の星学院高校。
次話/生徒会長