◇
そうしてあっと言う間に時は流れ、体育祭当日を迎えた。
暦がまだ梅雨である事には変わりはないが、空は僕らの想いを受け入れたように晴れ渡ってくれている。
天気予報のお姉さんは、一日雨が降らない代わりに気温が真夏並みに上がります、と可愛らしい笑顔を浮かべながら言っていた。あのお姉さんは意外と腹黒いのだろうか、とちょっと疑いを持ってしまう僕。まだ午前中であるというのに、真夏に近い空気が浦の星学院のグラウンドには流れている。茹だってしまいそうな天候だった。まだ何も始まっていないというのに。
「あー、やばい。私、早く動きたいんだけど」
「焦んなよ果南。これから嫌ってほど動いてもらうから、今はジッとしとけ」
「む。そう言う信吾くんだってそわそわしてるじゃん」
「そわそわじゃねぇ。俺はいつでも動けるようにストレッチしてんの」
「ふふ。そう言うのをそわそわって言うんだよ」
「…………たしかに。そうとも言うかもしれん」
今は開会式が行われている最中。僕らはお揃いのオリジナルTシャツを着て、炎天下の中で律儀に整列してる。いや、若干二名程の男女は始まるのを待ち切れずにそわそわしてるけど。どんだけ動きたいんだ、あの二人。本当に似た者同士だな、と改めて思ってしまった。
式台の上では生徒会長であるダイヤさんが注意事項やら、この体育祭に向けた意気込みなんかをマイクに向かって語っていた。
生徒達は誰も興味を持っていない感じで彼女の話を聞いてる。僕も生徒会長があの子じゃなかったらそうしてた。でも、ダイヤさんだからこそ聞いていなきゃ、という気持ちになる。グラウンドに立つ生徒の中で一番真面目に彼女の話を聞いてるのは僕だ、という意味のない自信を持っていた。どうでもいい事かもしれないけど、ダイヤさんが僕らのクラスで作ったTシャツを着ている姿を見て、少しだけ嬉しい気持ちになったり。
この間の放課後にクラス全員で体育祭に向けた話し合いをしてから今日を迎えるまで、同じようなミーティングを僕らは何度も開いた。趣旨はもちろん、優勝するには何をどうすればいいのか、というもの。かなり綿密な話し合いを繰り返し行い、僕達は今日を迎えている。
信吾はこういう催し物に燃える性格をしているので、僕らも彼の熱意に負けて色んな作戦を立てるのに協力した。そこに果南さんと鞠莉さんが便乗してきたのは言うまでもない。
あの子達も基本的にアウトドアな女の子なので、他の女子達を引っ張ってくれた。競技の練習まで付き合わされたのは、流石に勘弁してほしかったけれど。なんなの、借り物競争の練習って。あんなの生まれて初めてやったよ。そしてこれからの人生でも絶対に役に立つ事はないよ。
そんな感じで、これで勝てなかったら悲しくなるレベルの準備をしてきた。あそこまでの熱量で体育祭の練習をしたのに、あっさり負けたらちょっと凹む。多分率先して僕らの前に立ってくれた信吾や果南さんはもっと悲しむだろう。そうならないように頑張らなくちゃ。
『───それでは皆さん、優勝目指して頑張りましょう』
そんな事を考えていると、いつの間にかダイヤさんの話が終わっていた。しまった。途中から考える事に夢中で話に意識が行ってなかった。後で何を話したか訊かれたら答えられないかもしれない。怒られたら素直に謝ろう。
「よし。生徒会長の無駄に長い話が終わったぞ」
「そうみたいだね。あ、ねぇ信吾くん」
「どした、果南」
「私と勝負しない?」
「あ? 勝負?」
「うん。どっちが多く点数を稼げるかで」
「まぁ、いいけど。なら果南が勝ったら何をするんだ?」
「うーん。それは後で決めておくね。信吾くんが勝ったらどうする?」
「そうだな…………じゃあ」
信吾と果南さんがそんな話をしているのを、僕は後ろで聞いていた。信吾が果南さんに耳打ちしている。何を言ってるんだろう。ちょっと気になってみたりする。
「え…………?」
「や、約束だからな。破ったら怒るから」
そうして信吾の顔が果南さんの顔から離れて行く。後ろからなのでよく見えないけど、二人とも耳が赤い気がする。どんな約束をしたのかな。後で信吾に訊いてみよう。
「…………分かった。じゃあ、私も」
そうして今度は果南さんが少し背伸びをして信吾に耳打ちをしていた。耳を澄ましてかろうじて聞こえたワードは『海』。それ以外は分からない。
分かるのは耳打ちをし合った二人が、お互いの顔を見つめている事だけだった。
「──────ああ。絶対負けないからな」
「望むところだよ。信吾くんには負けないもん」
二人はそう言って、笑い合っていた。
◇
ようやく待ちに待った体育祭が始まり、生徒達は今日のために準備してきたものを全て自分が出る競技へと捧げている。
これまでは自分のクラスの事だけで精一杯だったので他のクラスの現状なんかを見る事は出来なかったが、こうして学校全体の行事を眺めてみると何処の学年でも男女は上手くやれているみたいだった。
一番酷い溝があったのは僕らのクラスだというのは自負している。自慢する程の事でもないけど、あのクラスを一つにした事は褒められても良い事実だと思う。その話は大事だが、今は置いておこう。
開会式を終えてスタートした浦の星学院体育祭。統合して初めての体育祭ともあり、どのクラスも気合いの入り方が違うように見えた。というのも、僕は始まる前までは女子が入る事で華やかな雰囲気で行われると予想していた。しかし、数種目が終わった現状を客観視してみると、どうやらその認識が間違いであった事に痛いほど気づかされた。
「「「「「────いっけえええええっ!!!」」」」」
「ほら、そこ遅れてるよ! そんなんじゃ後ろから抜かされちゃうぞ!?」
「うぉおおおおおおおおおおおおおお! 男子の力を思い知れぇえええええええええっ!!!」
「………………」
僕が男子校で見てきたものと全く変わらない体育祭の光景が目の前に広がっている。いや、むしろ女子達の目線がある事で男達はいつも以上にヒートアップし、自分達が声をかける事で男子のテンションが上がる事に気づいた女の子達は彼らを鼓舞するように、張り裂けんばかりの大きな声で応援してくれていた。
グラウンドには野太い怒声と甲高い声が混じり、響き渡っていた。共学の体育祭、凄い。気温も高い事もさる事ながら、それに負けないくらいの熱量が浦の星学院の校庭には流れている。
「よっしゃあっ! これで二つ目の一位だぞ野郎どもっ!」
「イエースッ! このままトップでぶっちぎりまショーウッ!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」」」」」
一番初めに行われた玉入れとついさっき終わった綱引きで、僕らのクラスは一位を獲った。
種目から帰ってきた信吾と鞠莉さんが肩を組みながら、テントで他の生徒を応援しているクラスメイト達の気持ちを一つに纏め上げている。本当にどうでもいいが、もう既に数人の男子は上を着てない。ここは無法地帯なのだろうか。セクハラで捕まっても知らないからね?
女子達もそれに対して何も言わない事から、全員がいつもとは違うテンションだという事が理解出来る。むしろ女の子達より僕の方がこの空気について行けてない。茹だりそうな内浦の熱にも負けてしまってる。くそ、女の子に負けてたまるか。ここから少しずつ気分を高めて行こう。
そんな事を考えながら、テントに入ってきた信吾に冷えたスポーツドリンクを手渡す。
「お疲れ、信吾」
「おお、ありがとう夕陽。助かる」
少し疲れたのかブルーシートに座る信吾。Tシャツや首筋は汗で濡れていた。流石はスポーツマン。こういうイベントではいつも以上に輝いて見える。
「あんまり最初から飛ばし過ぎて倒れないでよ?」
「心配すんな。これでも最後までやり切れるように調整してんだから」
僕が渡したスポーツドリンクを飲み、そう答える信吾。ずっと彼の事を見ていたけどそうは見えない。最初からクライマックスみたいな勢いでグラウンドを走り回る姿を見ただけで、我を忘れているんだろうなと確信したくらいだった。どうせ信吾の事だから最後までやり通すだろうけど。
「順位も良い感じだね。今は多分、僕らのクラスが一位だと思うよ」
「おー、そうか。へへっ、あんだけ練習すりゃ嫌でも勝てるってもんだな」
「ふふ、そうだね。こんなに準備に時間をかけた体育祭なんて初めてだよ」
僕はクラスのマネージャー的な役割を担っている為、どのクラスがどの種目で何位になったのかを記録している。まだ計算はしていないけれど、僕らのクラスはほとんどの種目で上位に入っている。先ほど鞠莉さんが言っていたように、恐らく今はトップを走っている筈だ。このまま最後まで順位を守れば必然的に優勝が見えてくる。
だが、全ての競技で一位を獲れている訳ではない。一クラスだけ僕らのすぐ後ろに付けている。何かの種目で最下位になってしまったらすぐに抜かされてしまう位置に、そのクラスはいた。
「うわ、やべぇなあの二年生」
「そうだね。完全に独走してる」
グラウンドで行われているのは女子生徒限定のパン食い競争。パッと見ただけでも、明らかに他の女子と動きが違う女子生徒が二人いる。
「もしかして、あれが果南が言ってた子達か?」
「かもね。あの二年生のクラスが今、ギリギリで二位だよ」
明るい橙色の髪と亜麻色の髪をした活発そうな二年生の女の子。登下校の最中で何度か見かけた事はあるが、あんなに運動神経が良い女の子達だとは思わなかった。
見ている限り、女子生徒だけの競技ではあの二人と果南さんがほとんど上位を持って行ってる。果南さんには敵わないかもしれないけど、あの二人は僕らにとって相当な強敵になる事は見ているだけで分かった。
「─────曜ちゃんっ! そこのパンは千歌が先に取るよ!」
「ヨーソローッ! 任せたよ千歌ちゃんっ」
「よっ! ようひゃんっ、ふいてひて!」
「あはは。食べてる最中じゃ何言ってるか分かんないよ~」
「「………………」」
僕らのクラステントの向かい置かれた物干し竿にぶら下がっているパンを高速で取って走り抜けて行く二年生二人組。後続には十メートル以上の差をつけていて、どうみても既に勝負は決まっている。なんだあの子達は。体育祭をする為に生まれてきたとでもいうのだろうか。あんなスムーズに口でパンを取る人間を僕は見た事がない。
そうして予想通り、パン食い競争はあの二年生二人が並んでゴールする。あの子達は同じクラスだから、一位と二位のポイントを持っていかれる。因みにパン食い競争には果南さんは出ていない。あの子が居ればあるいは、というところだったが、相手は二人居るので果南さん一人では勝てなかったのも事実。
「マズいな。これじゃあの二年生コンビにやられちまう」
「あそこのクラスも運動部多いみたいだし、下手すると負けちゃうかもね」
ゴール付近で喜んでる橙色と亜麻色の女の子二人。果南さんが言っていた事もあり、おおよその予想はしていたが想像以上に厄介な存在だった。これでは僕らの頑張りが水の泡になってしまう。そうならないように頑張らなくては。
パン食い競争が終わり、次の種目がアナウンスされる。
「あ、そろそろ行かなきゃ」
「ん。次は借り物競争か。頑張れよ、夕陽」
今までほとんどテントの中で休んでいた僕にも、遂に出番が回って来てしまった。と言っても借り物競争なので、そこまでの体力が必要とされる競技でもない。
如何に早くお題のものを見つけ出して、それをゴールまで持って行く借り物競争。何かを観察したり、頭を使ったりする方が得意な僕にはこういう種目の方が合ってると思う。
「うん。出来るだけ早くゴールできるよう努力するよ」
「あれ? そういや、果南と鞠莉は? あいつらも借り物競争出るんだったよな」
信吾はそう言って辺りを見渡す。僕の記憶が正しければ信吾の言う通り、あの二人も借り物競争に出る予定だった。さっきから姿を見ていない気がするけど、どこ行ったんだろう。
そうしてテントから二人の姿を探していると、遠くからでも目立つ青とブロンドの髪が目に留まった。
「あ、居た」
「…………何やってんだ、あいつら」
果南さんと鞠莉さんは借り物競争の準備を手伝っている。でもなんでだろう。準備は体育祭実行委員が全部やってくれるのに、それに入っていないあの子達が手伝う理由はない筈。
二人はお題が置いてあるであろうテーブルを運んでいた。そしてそこに置かれたお札を見ながら何かを話している。作戦会議でもしているのだろうか。それなら別に文句を言う必要はないけど、何処か様子がおかしいように見える。まぁいいか。
「とりあえず、行ってくるよ」
「おう。頑張ってこいよ、夕陽」
信吾に声をかけられ、靴を履いてテントから出て行く。借り物競争の招集場所に向かう途中、さっきのパン食い競争で一位と二位になった二年生二人とすれ違った。
「また一位だったね、曜ちゃんっ」
「うんっ。果南ちゃんのクラスに負けないように頑張ろ、千歌ちゃん」
「了解なのだーっ」
明るい声で話しながら、僕とは反対方向へと歩いて行く橙色の髪をした女の子と亜麻色の髪をした女の子。
随分可愛い見た目をしてるんだな、と少しだけビックリする。あの子達に追い抜かれた分を取り返さなきゃ。一位になる自信はないけど、出来るだけ上位で入れるように頑張ろう。
「…………あれ?」
グラウンドを歩いていると、先ほどからある人の姿を見ていないような気がした。気の所為かな。
そんな事を考える前に、借り物競争で良い順位を取れるように努めなくては。でも、ちょっとくらい考えても良いよね。
ダイヤさん、どこに行ったんだろう。
次話/借り物は生徒会長