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夏休み前のとある休日。窓の向こう側に広がる青空には大きな入道雲が浮いている。目線を下げると、空とほとんど同じ色をした内浦の海が太陽の光を反射させていた。
図書室の開いた窓から吹き寄せる潮風には、もう涼しさは感じられない。気づけば暦は七月になり、この内浦にも本格的な夏が訪れようとしている今日この頃。今年の夏も暑くなる、と美人なお天気キャスターのお姉さんが心底嬉しそうに言っていた。最近、僕の中ではあのお姉さんは腹黒いキャラであると、勝手な位置づけをしてしまっている。
それはどうでもいいとして、僕らは夏休みを数週間後に控えた学生である事を今は思い出そう。長期休暇の前にある事、といえば大体の学生は
今日はその勉強のために休日であるというのにも関わらず、僕は浦の星学院に登校している。もちろん、僕のアイデアではない。勉強が苦手な親友に呼ばれて仕方なく来てやっただけ。本当なら涼しいお寺の和室で花丸と一緒に勉強する予定だったのに。後でアイスでも奢ってもらわなくては割に合わない休日登校だった。
頭を休ませるために、また外に広がる初夏の景色に目を映す。そう言えば、ダイヤさんは何をしてるんだろう。あの子は頭も良いし、僕とは違って家から出ないで真面目に勉強してるのかもな。僕も成績は悪い訳じゃないけど、多分ダイヤさんには及ばない。美人で真面目で頭も良くて、それで生徒達の上に立つ生徒会長まで引き受けてるだなんて、何処まで完璧を求めれば気が済むんだろう、とちょっと文句を言いたくなってくる。そんな女の子を好きになってしまった自分にも少なからず苛立ちを覚えてしまった。
ボーっと外の世界を見つめながら、ダイヤさんの事を考える。最近こうしてぼんやりと考え事をしていると、あの子の事を考えてしまう事が多くなってきた。何をしてるのかな、とか。家だとどんな風に過ごしてるんだろう、とか。そんなありきたりな事ばかり。……ときどき変な想像をする時もある。そりゃ僕だって男に生を受けた人間だからね。ちょっとだけだよ、ちょっとだけ。
「──────だと、思うんだけど、夕陽はどう思う?」
「え? あ、ごめん。ちょっとボーっとしてた」
なんて事を考えている時、向かいの椅子に座った信吾が僕に何かを訊ねてくる。完全に彼の声が聞こえてなかった。少し反省しよう。
意識を考え事から目の前に居る親友へと向ける。僕が話を聞いてなかった事に気づいた信吾は呆れるように一つ、ため息を吐いた。
「まーた考え事かよ、夕陽」
「またって何。たまたま聞いてなかったんだよ、たまたま」
「どうせ生徒会長の事でも考えてたんだろ」
「…………なんで分かるのさ」
「夕陽が考えてる事くらいお見通しだっつーの」
持っているペンをクルクルと回しながら信吾はジトっとした目を僕に向けてくる。いや、説明になってるようでなってない。そんなにわかりやすいのだろうか、僕。自分では分からないけど、信吾がそういうのならそうなのかもしれない。これからは誰かと居る時はあんまり考え事をしないように気を付けよう。
「はぁ。まぁいいけど」
「それで、どう思う?」
「? 何の事?」
「だから、総体が終わったら告るって話」
「…………誰が誰に?」
「
信吾がさらっとそんな事を言う。そっか。部活が終わったら、信吾が果南さんに告白する───
「って、ええええええええっ!?」
「……んだよ。そんなに意外か」
あまりの驚きに座っていた椅子から転げ落ちそうになってしまった。ていうかなんで信吾はそんなに冷静なんだろう。あ、やっぱり違った。顔が赤い。落ち着いているように見せてるだけだ。心の中ではとんでもなく照れているに違いない。
「ど、どうして?」
「どうしても何も、好きになったからに決まってんだろ。他に理由がいんのか?」
「でも信吾、これまで僕らが何をやっても動かなかったでしょ? 何かきっかけでもあったの?」
信吾が果南さんに惚れているのは僕らのクラスでは全員が知っていた事。逆に果南さんが信吾に想いを寄せているのも周知の事実だった。
けど、二人はそれが分かっていても恋人同士になるような動きは見せなかった。いつも一緒に居るのに何処か二人きりで何かをする、という事を避けているようにも見えてしまっていた。それを見てクラスメイト達は何かある毎に果南さんと信吾をくっつけようとしていた。それなのにも関わらず、今になるまで二人は仲の良い友達同士、みたいな距離感で留まってしまっている。
そんな信吾が果南さんに告白する、と自分から口にした。そこに何かきっかけがあった、と疑いをかけない訳にはいかない。
「…………誰にも言うなよ」
「うん。言わないよ」
信吾は顔を赤く染めながら、言いづらそうにしてる。言わずもがな僕は口が堅いと自負している。信吾が隠そうとしている事を他人に言えるほどの性格の悪さも、残念ながら持ち合わせていない。それを知ってくれている彼は僕に話してくれるだろう、という自信があった。
数秒の沈黙。言い淀んでる親友の姿を見ているとこっちまでドキドキしてくる。少しだけ緊張しながら、信吾が口を開くのを待った。
「…………昨日、二人でデートした」
「………………」
信吾はそんな言葉をボソッと口にする。なんだろう。背筋がむず痒くなってきた。そしてニヤケ顔が止まらない。
「それで?」
「そんで、余計に好きになった。きっかけはそんくらいだ。な、なんか文句あっか?」
もう駄目だ。何だか凄く純粋な恋愛物語を間近で見せつけられている気分。何を惚気てるのだろうか、この男。部活が終わったらとか言わずに今すぐ告白してくれ。頼むから。
そんな事を言える訳もなく、僕は何かを考える振りをして顔を信吾から背け、自然とニヤケてしまう顔を隠す。どうしよう。他人の恋路に口を出すつもりはないが、一番仲が良い親友がこんな甘い恋愛をしていると知ったら何もせずにはいられない。端的に言うと、熱烈な応援をしたくなってしまう。余計なお世話かもしれない。でも、背中を押したくなった。
「そ、そっか。頑張ったんだね、信吾」
「ああ。死ぬほど頑張ったと自分でも思う」
信吾は窓の外に顔を向けて遠い目をしてる。デートの内容がどんなものだったのか死ぬほど気になり訊ねようとしたけど、僕はその衝動をグッと堪えた。多分それを聞いたら全身のむず痒さに耐え切れずこの図書室内を走り回ってしまう事だろう。
でも、信吾が遂に前に進むのか。それを思うと少しだけ羨ましくも思えてくる。だって、ここまで成功するのが決まってる恋もめずらしい。むしろ断られたら信吾よりも僕の方がショックを受けてしまいそう。例えるなら、そうだな、何処に投げても間違いなくストライクを取れるボウリングみたいな感じ。なんだよそれ。ゲームバランスおかしいでしょ。いい加減にして。
僕の前に座る親友は誰がどう見たって美男子。僕もあまり他人の事は言えないけど、かなり幼い顔をしているから一歩間違うと女の子にも見えてしまう信吾の容姿。すらりと痩せていて身長もそこまで大きくないから、なおさら見間違得られやすいのが信吾の特徴。定期的に男子達に女装をさせられるのはその所為だ。でも、信吾の良さはそこじゃない。
僕が思うのもなんだけど、信吾の魅力は見た目ではなく内面の方にある。カリスマ性があって、誰にだって優しくて頼りになるし、外見に反して男らしいところもある。上手くは言えないけど、信吾の性格は凄く、
信吾には言えないが僕は一度、果南さんと鞠莉さん(そして何故かダイヤさん)にこっそり屋上に呼ばれて、信吾の事について話をした事がある。それはもちろん、果南さんが信吾についてもっと知りたいという願いから僕が協力したもの。ガールズトークに混ざるのは十八年の人生でも初めての経験だった。正直言うと、めちゃくちゃ楽しかった。
今思うと、あれは信吾とデートをする前の事前確認的なものだったんじゃないか。信吾には悪いけど、彼の好きなものなんかを色々暴露してしまった。話しぶりからデートは成功したらしいので、果南さんは僕の話を聞いて上手くやってくれたのだろう。
「手作りお弁当にきんぴらごぼう入ってなかった?」
「な、なんでそれを?」
ビンゴ。流石は果南さん。何だか僕の方まで嬉しくなった。気になるけどこれ以上訊くと疑われてしまいそうなので自重しておこう。あと多分、彼らは水族館に行った筈だ。楽しいデートになったみたいで何よりだよ。
「それで、信吾」
「どした夕陽」
「告白はいつするのさ。大会終わったらすぐ? 次の日とか? むしろその日?」
「……なんでお前がそんなに焦ってんだよ」
しまった。嬉しすぎて僕のテンションも無意識に上がってしまっていたらしい。落ち着くんだ、夕陽。いつもの感じで居るよう努めよう。
「ごめん。つい先走っちゃった」
「まぁいいけどよ。そんで、告白する日、だったっけ?」
「うん」
信吾はそう言って恥ずかしそうに目線を逸らす。僕も彼が向いている方向へと視線を移した。
そこには壁掛けのカレンダーが貼ってある。聞いた話では総体の陸上競技は早い日程で行われる為、七月中には終わるらしい。信吾はこの間、専門の100mで東海ブロック三位という結果を残してインターハイに出場する事になっている。当然その結果も凄いんだけど、信吾より足が速い人間が居る事の方が僕としては驚きだった。それはいいとして。
「だいたい、目星はついてる」
「え? いつ?」
信吾はカレンダーを見つめながらそう言った。その言葉を聞いて僕はまたもや鼻息荒く食いついてしまう。もういいや。反応してしまう自分を許してあげよう。
七月中にある何か、といえば夏休みがある。もう少し深く思い出してみると、一つだけ告白する日に相応しい日があった。もしかして。
「…………月末の花火大会だよ」
「あ」
そうだ。それがあった。たしかに、あの日以上に告白する日としてピッタリなイベントはない。信吾は既にそこへ標準を合わせていたらしい。
七月最後の週末。毎年恒例の沼津花火大会が市内で行われる。沼津が地元である僕は行かなかった年なんて生まれてから一度もない。地元民であればそれくらい身近なイベントだった。
花火大会で告白する。ありきたりかもしれないけど、それよりもベストなタイミングなんて存在しないのは火を見るよりも明らか。僕としては今すぐにでも告白してほしいのだが、信吾がそこを選ぶというのなら納得しておく事にしよう。でも。
「これで満足か?」
「いや、もう一つだけ」
「またかよ。いい加減にしろっての」
ため息を吐く信吾。初めは信吾が僕に話を振ってきたんじゃん、と心の中で呟きながら訊ねたい事を言葉にする。
「花火大会には果南さんを誘ったの?」
「……………………」
信吾は答えない。あからさまに苦虫を噛み潰したような顔をしてる。これはダウトだな。本気の恋愛になると急に怖気づく、強いんだか弱いんだかわからない僕の親友は、痛いところを突かれるといつもこんな顔をする。意気地がない信吾を見て、ちょっとだけため息を吐きたくなった。
「まだ誘ってないんでしょ」
「なんでそう言い切れる」
「だって、信吾はこういう時、まばたきが早くなるから」
「なっ────」
やっぱり図星だったらしい。何年も一緒に居れば些細な変化も見破れるようになる。僕がそう言うと信吾はまたバツの悪そうな表情を浮かべた。
「そうなんでしょ?」
「…………そうだよ」
「なら最初からそう言ってくれればよかったのに」
「いや、だってよ」
本気になればなるほど奥手になる僕の親友の取り扱いは少々面倒くさい。あらかた、きっかけを掴めずに誘えず仕舞いになってると言ったところかな。信吾は都合が悪くなると何かにつけて言い訳をする癖があるので今回もそんな事だと思っていた。恐らくだけど、テスト勉強とか総体を理由に逃げようとしてる。なら、そんな彼にダメージを与える言葉を、特別に言ってあげる事にしよう。
「そんなに先延ばしにしてると、他の男の人が果南さんを誘っちゃうかもよ?」
「──────!」
「果南さん、他のクラスの人からも人気だし、連絡先を訊かれてるのも見た事あるし」
「………………ぅ」
「それに優しいから、先に誘われたら断れないかも」
「だーっ! ああもうわーったよ! 誘えばいいんだろ誘えばっ!」
やっぱり釣れた。思ったよりも掛かるのが早くて少し安心したよ。信吾にはこのアプローチが一番効果があるのを知っててよかった。今度果南さんにも教えてあげよう。
信吾は顔を赤くして僕の事を睨んでくる。赤くなるとさらに女の子っぽくなるのを信吾は多分自覚してない。でも面白いのでこのままでいいや。
「ふふ。それで、どんな風に誘うの?」
「ぅ…………そ、それは、その、あれだよ」
僕が問い掛けると信吾はたじろぎ、何かを考え始めた。果南さんの事になるとヘタレな彼の行動力は中二病を拗らせた中学生よりも低くなる。それもわかってるから、今回も手伝ってあげなくちゃ。
どうやって手助けしよう、と考えている時、ふと目の前の机に広がっている教科書やノートが目に入った。そうだ。僕らは期末テストを目前に控えている。これを使わない手はない。信吾は頭は悪くないのに、授業中に居眠りしたり、そもそも勉強をしないままテストに挑んでくるので結果は大抵散々なものになる。
そろそろ大学受験勉強のシーズンだし、彼がどんな進路を選ぶかは決まってないみたいだけどテスト勉強くらいは真剣にしてほしいというのが僕の本音。
なので、今回はこのテストを条件に出してみる事にする。
「信吾」
「ん?」
「誘う方法、思いつかないなら僕が手伝ってあげるよ」
「ほんとかっ?」
ガタっと音を立てて座っている椅子から前のめりになってくる信吾。僕は右手を前に出して逸る彼を静める。
「うん。でも、それにはちょっとした条件を付ける」
「条件?」
信吾は首を斜めに傾げた。それから、僕は机の上に乗った教科書類を指差して、思いついた条件を口にする。
「今度の期末テストで全教科六十点以上取ったら、鞠莉さんにも声をかけて協力してあげる」
「え゛」
「あと、親戚のお店が祭りの協賛をしてて、毎年桟敷席のチケット貰えるんだ。それも二枚貰えるよう頼んであげるよ」
自分でも素晴らしい交換条件だと思う。こんな好条件は恋をしてる親友にしか出せない。応援してるからこそ、心を鬼にしなくてはならない時もある。それが今だ。
信吾は口を開けたまま機能を停止してた。どうしたのだろう。そんなに僕が言った言葉が信じられないのか。それともテストで六十点以上を取る自信がないのか。うん、明らかに後者だと思う。
「だからほら、勉強するよ。これで赤点とか取ったら絶対手伝ってあげないからね」
「…………マジか」
「マジだよ。それとも、止めておく?」
敢えて挑発的な言葉を選び、信吾に向けて放つ。これもまた、信吾の特性。彼の事をよく知ってる僕だから言える、信吾の心を動かす言葉。
「────ちっ、しょうがねぇからやってやるよっ」
信吾はこう言うと燃えるんだ。分かりやすい性格をしてる親友を今は応援してあげる事にしよう。
果南さんのためにも、信吾にはこの条件をクリアしてもらわなくちゃいけない。自分で提示しておいてあれだけど、達成できるよう僕も手助けしてあげなきゃな。
「さすがは信吾だね」
「あ、やっぱり五十点にしない?」
「それはダメ」
何処まで往生際が悪いんだこの男は。いつもは尊敬できるのにたまにこうなるのが信吾の悪いところ。
いい加減お喋りを止めて勉強に戻ろうと、ため息を吐いてからペンを握った時、図書室の扉が開かれる音がした。
「あれ、信吾くんと夕陽くん」
「「え?」」
聞き覚えのある声が聞こえ、顔を向ける。
そこには青い髪の女の子と黒い髪の生徒会長が立っていた。
どうやら今日も何か起きそうな予感がする。
次話/生徒会長の夢