◇
時刻は午後四時を少し過ぎた頃。テスト勉強をし過ぎて頭がパンパンになってしまった信吾と果南さんはついさっき、唐突に『走ってくる!』と意味不明な事を言い出し、図書室から飛び出して行った。まぁ午後のほとんどの時間を使ってかなり詰め込んだから、じっと座って勉強するのが苦手なあの二人ならああなってしまうのも頷ける。どうしても我慢できなかったんだろう。英語の単語をノートに書いている最中、ふと窓の外に視線を移してみると人気の無い校庭のトラックを制服姿のままで走り回る二人の男女が居た。耳を澄ますと蝉時雨の向こう側から信吾達の笑い声も聞こえてくる。楽しそうで何より。でもそのまま帰ったりしないでね。ちゃんと図書室に帰ってくるんだよ。
「ふぅ…………」
英語の試験範囲の二周目をやり終え、一度シャープペンを置いて息を吐く。信吾と果南さんに教えながらも自分の勉強を進めていたから少し肩が凝ってる。でもこれくらいやっておけばそれなりに良い点数は取れそう。統合して初めての期末試験だし、悪い点数を取るのは女子達の印象的にもちょっと憚れるところ。運動が苦手だからこそ、頭くらいは良く見せておきたいっていうのが本音。
隣ではダイヤさんが真面目な顔をして僕と同じ英語の勉強をしている。僕よりも頭の良い彼女には勉強を教える事などできない。むしろ教わりたいくらいだった。信吾と果南さんが居たから仕方なく指導側にまわっていたけれど、もし二人きりだったのなら僕もダイヤさんに分からない問題を訊いたりしてみたかった。
「あ」
「?」
そんな事を考えている時、まさに今がそんな状況である事に気づいた。あの二人はしばらく帰ってこないだろうから、少しの間だけはこの空間に二人きりで居られる。閃いた時に出した声にダイヤさんが反応し、首を傾げながらこちらを見てくる。ダイヤモンドではなく、エメラルドのような色彩をした両眼と目が合って、心臓の鼓動がほんの少し早まった。
「何か用ですか?」
「い、いや何でもないよ」
「それならいいですが」
ダイヤさんは走らせていたペンを止めて問い掛けてくる。二人きりであるこの状況にドキドキしてました、なんて事は口が裂けても言えない。ダイヤさんは気にしてないみたいだし、意識してるのは僕だけ。何だか自分が間抜けに思えてきた。
心の中だけでため息を吐いてから、もう一度青いシャープペンを取る。休んでいたらもっと気にしてしまうので、あの二人が帰ってくるまでもうちょっと勉強に励む事にしよう。
そんな事を思ってテスト勉強を再開しようとした時、目線の端にある違和感が映った。めずらしいな。この子がこんな間違いをするだなんて。
「ダイヤさん」
「はい?」
「その単語のスペル、ちょっと違うかも」
「え?」
ダイヤさんが英文を書いていたノートを指差す。余計なお世話かもしれないけど、ここは確実にテストに出る、と英語の先生が言っていたから間違ったまま覚えておく訳にもいかない。よく見ると彼女はその英単語を一つではなく、全て間違えたまま書いてしまっていた。
「この“stationary”って言う単語なんだけど」
「? ええ」
ダイヤさんの方に身体を寄せながら言うと、彼女も僕の方へ座っている椅子を動かしてきた。金木犀のような甘い花の香りが鼻孔をくすぐって、また勝手に心臓が高鳴ってしまう。だが落ち着こう。今は彼女に教えなきゃいけない事があるんだから、そっちに集中しなくちゃ。
「この単語のスペルは本当は“stationery”。文房具、っていう意味で普通に発音すると“ステーショナリー”って読むよね。けどスペルは“a”じゃなくて“e”が正解。これだとちょっと意味合いが変わった単語になっちゃうね」
「…………あ」
「ごめん、たまたま目に入っちゃったからさ。余計なお世話だったかな?」
素直に謝るとダイヤさんは首を横に振ってくれた。よかった。それなら僕がここに居た意味もあったのかな。自惚れかもしれないけど、そう思っていよう。
さっきより近くなった距離。それを意識しながらも、宝石のように艶やかで美しい黒髪を見つめていた。
「……ありがとう、ございます」
血色の良い真紅の唇を開き、彼女はそう言った。指摘されたのが恥ずかしかったのかどうかは分からない。でも何故か目線は合わせてくれず、机の上に置いてある英語の教科書へ注がれていた。そんな仕草や横顔も、素直に可愛いと思ってしまうのはもうどうしようもない。
「ううん。ダイヤさんの力になれたのなら、よかったよ」
「…………」
そう言うと、ようやくダイヤさんは僕の方を向いてくれた。切れ長の大きな目がたしかに僕を捉えている。僕の目にも彼女が映っているだろうか、なんて、意味のない事を考えた。
そうして僕らは数秒間見つめ合う。胸壁を絶え間なく叩く心音がうるさい。でも、今はこの音もダイヤさんに届かない。だって、窓の外から届く初夏の音はもっと騒がしいから。いつも恨んでいる忙しない蝉の鳴き声に少しだけ感謝をしたくなった。
ダイヤさんと見つめ合ったまま、時は先へと流れて行く。でも、この図書室の中だけは時間の流れが遅くなっているように感じた。もしこの部屋の中に時を刻む砂時計があったとして、砂の落ちて行くスピードは外の世界とは違ってくるような。
そんな、不可思議な感覚に陥っていた。それを彼女も感じているのかどうかは知らない。ただ僕はたしかに、そんなよくわからない
「あ、あの…………ダイヤ、さん?」
「…………っ。な、なんですの?」
このまま見つめ合っていたら心臓が大変な事になってしまうと思い、この空気を紛らわす為にダイヤさんの名前を呼んだ。話したかった何かがあった訳じゃない。今のは本当に意味のない言葉だった。でも、名前を呼んだままにする事は出来ない。何か話をつなげなければ。
ダイヤさんに気づかれないよう、制服のポケットの中に入れたプラスチックの宝石を握り締めながら何を言うか頭を巡らせる。彼女は雑談は好まない。僕も必要じゃない会話をするのは苦手。なら、意味のあるものにしなければ、と思考回路はそんな結論を勝手に出す。
そうして、ある一つのアイデアが頭に浮かぶ。先ほどダイヤさんと果南さんが来る前に信吾としていた話の内容。それがふっと、脳裏の水面にぷかぷかと浮かび始めた。
それを使わない手はない、と思い咄嗟に閃いた言葉を口にする。
「その、よかったらなんだけどさ」
「はい」
「テストで僕と勝負をしない?」
「? 勝負、ですか?」
「うん、勝負。と言っても、僕じゃダイヤさんには敵わないから、一教科だけで」
「………………」
「ダメ、かな?」
人差し指を上げてそう言う。彼女達が来る前、僕は信吾に言った。全教科で六十点以上を取れば果南さんを花火大会に誘う手助けをする、と。自分で出したその条件を僕自身にも当てはめてみた。正当な理由で、ダイヤさんが僕のお願いを聞いてくれる訳がない。なら、こうして勝負をすればあるいは彼女は僕の願いを受け入れてくれるかもしれない。そう思ったから。
ダイヤさんは可愛らしい口を少し開けて見つめてくる。僕も何も言わないまま彼女の事を見つめ返した。何処からか海猫が鳴く声が聞こえてくる。それはどうしてか、誰も居ない休日の学校で勉強をしている僕らに何か声をかけてくれているみたいに聞こえた。
また数秒の沈黙を挟み、ダイヤさんは口を開く。
「いいですわ」
「ほんと?」
「ええ。あなたがそう言うなら、私が受けて立たない訳にはいきませんわ。もっとも、私が負ける事は万が一にもあり得ませんが」
ダイヤさんは腕組みをしながらそう言ってくれる。その返事は何とも、プライドが高い彼女らしい。思わず笑ってしまうくらい。
「よかった。なら、条件は平等に決めようよ」
「平等とは具体的に?」
「うーん。じゃあ」
僕はまた頭を巡らせ、ある事を思いつく。こうすればきっと、彼女も受け入れてくれると思った。
「僕が勝敗の景品を決めるから、ダイヤさんが勝負する教科を決める。これでどうかな?」
「景、品…………なるほど。それなら良いですわ」
「ありがとう。なら、景品は────」
そこまで言って、またある事を閃く。今日は沢山の閃きがある日だ。たまにはこういう日があってもいい。いつもは休ませている思考回路の調子が良いみたいだ。それはいいとして。
とんでもない景品を思いついてしまった。これを口にしていいのかどうかも怪しい。でも、言いたい。まだ勝てるかどうかも分からないのに、口にする前から体温が上がってしまう気がした。
「? 夕陽さん?」
「………………」
言いあぐねている事に気がついたのか、ダイヤさんが顔を覗き込んでくる。それにより心拍が早まったのはもう言うまでもない。
言ってしまっていいのだろうか。自分に問い掛ける。意思は自分がやりたい事を選べ、と強く伝えてくる。信吾がいつも言っている、やりたい事をやれ、という言葉が全身に流れる感じがした。
この心の導きに従うのならば、言わなければいけないのは一つだけ。聞いてくれるかどうかは分からない。でも、言葉にしなければ何も始まらない。
願いを形にする一歩目の方法は頭の中で考える事。そして、二歩目は言葉にする事。さすれば既に一歩目を踏み出している僕がしなければならない行動は。
「怒らないで、聞いてくれる?」
「……何故そのような前置きを置くのかは分かりかねますが、いいでしょう」
そう言うと、ダイヤさんはなんとか了承してくれた。怖い事の前には保険を掛けておくのが僕の生き様。格好悪いと言われようが構いはしない。だって信吾みたいに大抵の事は何も考えずに突っ走って成功する程の力を僕は持っていない。だからいいじゃないか。臆病者には、こうする事しか出来ないんだ。
だけど、今は勇気を出そう。僕のような臆病者はまず、戦いを挑む事から始めなくてはならない。そうしなければ、勝負をする事すら出来ない。
「もし、僕がダイヤさんに勝ったら」
少しだけ声が震える。緊張して背中に冷や汗が流れるのが分かった。ポケットの中に入れた玩具の宝石を握る手にもじっとりとした汗をかいている。
ダイヤさんは僕の顔を見つめ続けている。恥ずかしいけれど、彼女が見てくれるのなら目を逸らす事は出来ない。そう自分に言い聞かせ、ダイヤさんの整った顔を見つめ返した。
そして、僕は言う。信吾と話をして思いついた、ある一つのアイデア。突飛で理解出来ないかもしれない。けど、僕が一番強く祈る願い。
それは。
「────僕と、デートしてください」
◇
なのに、人は場が静まったりするときにそんな言葉でそこにある雰囲気を形容したがる。恐らくその比喩を一番最初に使った人は誰かの発言により、そこにある温度が下がった
僕はその比喩が嫌いだ。でも、今はどうしてもその表現を使いたくなってしまった。だってこの状況を現す言葉がそれ以外に選べなかった。暦は夏だというのに何故、ここまで体温が下がらなくてはならないのか。それは言わずもがな、僕が言った発言の所為。
「………………」
「………………」
冷たく重苦しい空気が人気の無い図書室に漂う。いや、空気は既に凍ってしまっているから今吸っているのは空気以外の何かになる。それとも僕は呼吸をしていないのか。それなら何れ苦しさで悶える事になるかもしれない。それはそうなった時に考えればいいか。何を考えているのだろう、僕は。
言ってしまった。口にした後にそんな事を思うのはおかしい。とにかく今の僕は数秒前の自分自身を酷く恨んでしまっていた。なんでお前はあんな事を言ってしまったんだ。思うだけならまだ取り返しはきくが、言ってしまって誰かの耳にその言葉が届いていたらもう取り返す事はどうやっても出来やしないというのに。
心の中で後悔をしながら、隣に座る綺麗な女の子の顔を見つめる。彼女が何を思っているのかはどうやっても想像できない。そんな余裕は僕には一ミリも残されていなかった。
「…………で、デート?」
「…………う、うん」
茫然と口を開けたまま固まっていたダイヤさんがポツリとそう呟くのが聞こえ、辛うじて頷き肯定の返事を返す。頭の良い彼女ならば言葉の意味は分かるはずだ。真意までは間違いなく伝わっていないだろうけれど。
僕が言ったのは、つまりそういう事。思い返す必要性も皆無。ダイヤさんとテストで勝負をして、勝ったら彼女とデートをしてもらう条件を提示した。ただそれだけ。……どうしよう。猛烈に恥ずかしい。やっぱり思い返すんじゃなかった。穴があったら入りたい。
「それは、その…………どういう」
ダイヤさんが綺麗な顎に手を当てながら目を逸らし、そう訊ねてくる。色んなニュアンスを含ませた質問に聞こえなくもないその言葉。でも僕はそれを、どんな理由でそのような条件を提示したのか、という問い掛けであると判断した。
「…………ダイヤさんと、デートをしたい、から」
「──────っ」
言ってしまったのならもうどうにでもなってしまえ、と思って想いをカミングアウトする。それ以外の理由なんてない。むしろ考える事なんて出来やしない。単純にダイヤさんとデートがしたいからそう言っただけ。文句があるなら聞いてあげよう。そして全部聞いた後に図書室のベランダからこの身を投げ捨ててしまおう。
背中に小さな虫が入り込み、肌の上を蠢いている時のような感覚が僕を襲う。むず痒くてどうしようもない。それを自分の力だけでは取り除く事も出来ない。だからその虫が疲れ果てて動きを止めるまで待つ事にした。
船の汽笛が聞こえてくる。夏の音だけが響く図書室の中。爽やかな初夏の空気はどうにも息苦しく感じてしまう。それはきっと空気の所為ではなく、僕の呼吸の仕方が悪いから。息をするのもままならないくらい、僕は緊張してしまっていた。
ダイヤさんからの返事はない。顔を見る事も出来ないのでどんな表情をしているのかも分からない。彼女が今何処を見ているのか、何を思っているのかも知り得ない。こんな状況で、僕が取れる最善の行動は何か。考えたら答えはすぐに出た。待つ暇は無いと思い、思い切って口を開く。
「「あ、あのっ」」
────完全に同じタイミングで、僕とダイヤさんは互いに声を掛け合う。僕も彼女の方を向いていたから必然的に目が合った。しかし、恥ずかし過ぎて瞬時に反対の方向を向く。
何をやってるのだろう。日ごろから運はそれなりに良いと自負しているけど、今日はその力が働いてくれていない。なんでこのタイミングで声を掛けてしまったんだろう。顔が熱い。もうこの場から居なくなってしまいたい。
でも、そうするという事は僕が言ったさっきの言葉を帳消しにしてしまう事になる。それはいけない。せっかく勇気を出して言った言葉を自分自身から無かった事にする事は出来ない。
また同じような静寂が図書室を包み込む。これ以上この雰囲気の中に居たら窒息死してしまいそうだ。早くどうにかしないと。
さっきのは偶々声が重なってしまっただけ。流石に二度目はないだろう。そう信じてダイヤさんの方を向かないまま、声を出す。
「…………あの、ダイヤさん」
「…………なんですの」
ほとんど背を向けている状態で名前を呼び、返ってきたのはいつもより小さなトーンの声音。怒っているかと思ったけど、そんな感じではなさそうだ。少しだけ安心しながら次の言葉を放つ事にする。
「ダメ、かな?」
主語を抜いて問い掛ける。少し待つが返事はない。それを確認して、続ける。
「嫌だったら、いいよ。今の話はなかった事にするから」
「…………」
「変な事言って、ごめんね。勉強し過ぎて、ちょっと頭が茹だってたのかも」
返答がないまま一人で話を進める。断られたのならそれでいい。そもそもさっきのはダメ元で言ってみた言葉だった。僕のお願いをダイヤさんが聞いてくれる筈がない。もしダメだというのなら潔く諦めよう。
そう思って、逸らしていた顔を徐にダイヤさんの方へ向ける。意識しないように、自然に。
そんな時、ある言葉が耳を通り抜けた。
「…………よろしい、ですわ」
「え?」
思わず素っ頓狂な声が出る。もともと声は高い方だけど、今のはそんなの関係ない。完全に裏返ってしまっていた。でも、そんな事を気にしている余裕なんて僕には無かった。
今、ダイヤさんはなんて言った? 自分自身に問い掛ける。たった数秒前の言葉を忘れられるほど、記憶力が衰えた覚えはない。だから僕の頭の中にあるこの記憶は正しいのだろう。いや、でも、本当に?
訝しむようにダイヤさんの顔を見る。ようやく彼女の表情をこの目に映す事が出来た。ダイヤさんは僕の顔を見て、気に食わなそうに頬を膨らませる。それはまるで、子供がむつける時の表情のように見えた。
「その勝負を、受けると言っているのですわ」
「…………いいの?」
「あ、あなたが変な方だというのは既に承知しております。なので、特別に受けて差し上げますわ」
ダイヤさんは目だけを逸らしながらそう言った。だけど、僕は冷静にその言葉を聞く事が出来なかった。
彼女は、僕が出した条件を呑んでくれた、という事でいいんだろうか。喜びとか緊張とかその他諸々の感情が入り混じってしまい、通常の判断が出来なくなってしまっている。
分かるのは、目線の先にいるダイヤさんの頬が少しだけ紅潮している事。
本当に、それくらい。
「ふふっ」
「な、なぜ笑うのですか?」
「あ、ごめんごめん。つい、うっかり」
落ち着いてからもう一度考えてみたら、嬉しすぎて笑ってしまった。いや、嬉しかったからというよりも、ダイヤさんの事を見ていたら笑いたくなった。理由は僕にもわからない。
「ふんっ。勝負を挑んだだけで、浮かれないでください」
「ああ、うん。そうだね」
「この私が負ける筈など、万が一もあり得ませんので」
ダイヤさんは腕組みをしながらそう言う。たしかに、彼女の言う通りだ。僕は条件を出して、彼女の受け入れてもらっただけ。ダイヤさんに勝つ事が出来なければ、僕のお願いは文字通り絵に描いた餅になってしまう。
だけど、今はそれでよかった。僕のお願いの一端を彼女が聞いてくれただけでも満たされてしまう。これを誰かに言ったら多分笑われる。幸福の度合いが低すぎる、なんて、バカにされるかもしれない。
例えば、他の人が植えた花の種はもう綺麗な花を咲かせているのに、僕が撒いた種はまだ芽だけしか顔を出していない。でも、僕はそれだけで幸せを感じられる。心から嬉しいと思える。
他人の芝が青く見えるのは当然の事。誰かが咲かせた花が美しく見えるのも仕方ない事。それでも、僕自身が撒いた種が小さな目を出してくれた幸せは、僕自身にしか感じ取れない。だからそれでいい。
きっと、その花の種は、世界で一番綺麗な花を咲かせてくれる。そう信じていれば、もっと幸せになれる気がするから。
「あ、じゃあ今度はダイヤさんの番だね」
「? 私の?」
「うん。もし僕が勝ったら何をするかを決めたから、ダイヤさんが勝った時は何をするか決めて? 僕が出来る事は、何でもするからさ」
ダイヤさんが勝った場合、何をするか。それを僕が決めるのもおかしな気がしたので、そう言った。
僕の言葉を聞いたダイヤさんは口を閉ざし、何かを考えるような表情をする。そうしてすぐに口を開いた。
「私は、いいですわ」
「え? 何も無くていいの?」
「あなたにお願いしたい事も、特にありませんので。…………その代わり」
「?」
ダイヤさんはそこまで言って、机の上に視線を移す。そこに置かれているのはさっきまで二人で勉強していた英語の教科書やノート類。
それに、何の意味があるのだろうと考えながら彼女の綺麗な横顔を見つめる。ダイヤさんが何を考えているのかを想像しても、ちっぽけな僕の思考回路なんかでは、そのひとかけらさえも思い描く事は出来なかった。ただ、僕の目には美しい黒髪を指先で弄るダイヤさんの姿だけが映っていた。
「競う教科、ですが」
その言葉を聞いて、僕は先程自分が言った事を思い出す。僕が勝った時の条件は僕が決めるから、勝負する教科はダイヤさんが決めていいと言った。恐らく、ダイヤさんは教科を選んでくれるのだろう。彼女は苦手な教科はないと言った。実際に今まで一度も学年一位の座を譲らなかったという事実からも、その自信が嘘ではない事は明白だった。
そんなダイヤさんが選ぶのは、どんな教科なのだろう。出来れば、
僕が一番得意な教科。ダイヤさんにも教える事が出来る、唯一の分野。
彼女にはそれを選ぶ理由はないけれど、僕はそうなってくれる事を心の中で願っていた。
「─────英語にしましょう」
「………………あれ?」
ダイヤさんがそう言った理由は、僕には分からない。その言葉を聞いて、ポケットに入ったおもちゃの宝石を意味もなく握り締める。
それがいつもより柔らかい気がした理由は、もっと理解出来なかった。
次話/生徒会長はわざとスペルを間違える