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─────それから時は経ち、僕らは全教科のテストを終えた。あの日曜日に図書室で勉強してから、僕はこれまで例に無いくらい集中してテスト勉強に励んだ気がする。まぁ、あくまでも気がするだけ。
特に英語の勉強だけは異常に捗った。家にいる時は何をするにしても英語の教科書を離さずにいた程に。『ユウくんが英語の神様に取り憑かれたずらっ』と花丸に言わしめるくらいには極端な勉強法をしてしまっていた。
そんな感じで臨んだ共学して初めての期末テスト。手応えは十分。あれだけやってロクな点数しか取れなかったらショックで立ち直れない。あの日から信吾も真面目に勉強をしていたみたいだったので安心した。甘い条件を設ければ何事も真剣にやるのは彼の性格ともいえるだろう。テストが終わった後、信吾の魂が半分くらい抜けていたから相当頑張ったんだと思う。すぐにハイテンションな鞠莉さんが絡みに行って、抜けかけていた魂は強制的に戻されてたけど。
「よっしゃあっ! 英語も六十点越えたぞおらぁあああああああ!」
「ワーオッ、シンゴの鼻息がベリーハードデースッ!」
英語のテストが返却され、僕が出した条件をクリアした信吾が机の上に立って答案用紙を天井に掲げている。信吾の事をまだよく知らない女子達は彼のテンションが上がってる意味がわかってないような顔をしてる。対して信吾を二年間見てきた男子達は全員驚愕してる。あの信吾が全教科で六十点以上取るなんて、真夏に雪が降る事くらいあり得ない事だろうから。
「果南さんはどうだった?」
「ん? 私も今回はだいぶ良い感じだったよ。勉強に付き合ってくれてありがとね、夕陽くん」
「うん。どういたしまして」
クラスメイト達が騒いでいる中、僕が問い掛けると果南さんは爽やかな笑顔を浮かべて答えてくれる。よかった。信吾が僕の条件をクリアしても果南さんがダメだったら元も子もなかったから、素直に安心する。彼女はもう少ししたら、教室の中心で騒いでいるあの男にデートに誘われる事だろう。
「夕陽くんは? ……って、何それっ」
「あ、あはは。自分でもちょっとビックリした」
僕の答案用紙を見た果南さんが驚いていた。その反応はとても嬉しい。僕自身もテストを返されて点数を見た瞬間、それは自分のものじゃないのではないか、と疑いをかけたくらいだったから。
でも、何度見てもそこには僕の名前が書いてある。その横に赤いペンで書かれた点数も、英語担当の先生が書いた“excellent”という文字も、たしかに僕のものだった。
「ちょっと鞠莉、こっち来てっ」
「ンフ? どうしたの果南~」
「夕陽くんが凄いんだよ。ダイヤ以外にこんな点数取る人初めて見たかも」
「それは言いすぎじゃないかな?」
驚いた果南さんが鞠莉さんの事を手招きして呼ぶ。照れくさいけど、これは自分でも誇っていい気がしたので素直に受け止めよう。平均点よりだいぶ上だったし、ていうか、一問しか間違ってないんだし。
「98点、だってよ?」
「オーウ…………ユーヒ、ファンタスティックデスネー」
イタリア系アメリカ人のお父さんを持つハーフの鞠莉さんもビックリしてる。今年の春まで海外に居たという彼女ですらこの反応を見せてくる、という事はそれなりに難しい問題だったのかもしれない。
僕としては繰り返しやり過ぎて、最終的に試験範囲を暗記してしまっていたので、難しかったかどうかもイマイチ判断できない。一問だけ試験範囲から逸れた場所から出た問題の所為で大半の生徒はそこを間違っていたみたい。担当の教師に文句を言っていた生徒も居た。それは僕も例外ではない。間違えたのはその一問だけ。別に百点満点を取りに行った訳でもないので抗議もしない。この点数を取れた事自体、奇跡に近いのだからこれ以上を求める必要もないだろう。
「たまたまだよ。他の教科はいつも通りだし」
「でも、これならダイヤに勝てるんじゃないかな。ね、鞠莉」
「そうねぇ。あの子、英語だけはちょっとだけ苦手だったから~」
「え? そうなの?」
「あれ、夕陽くん知らなかったんだ。まぁ、苦手って言っても本当にちょっとだけなんだけどね」
果南さんと鞠莉さんにそう言われ、少し疑問に思う。ならどうして、ダイヤさんは僕と競う教科に英語を選んだのだろう。得意でないのなら他の教科を選べばよかったのに。しかも、彼女は僕が英語が得意だという事を知っていた筈だ。なのに、敢えてダイヤさんは英語を選択した。
その真意は、彼女しか知り得ない。
「…………」
ダイヤさんの点数はどうだったんだろう。無性にそれが気になってしまうのも仕方ない。彼女は今ちょうど席を立ち、テストを取りに行っている最中。僕はうるさい教室の中で彼女の一挙手一投足だけに目を向けていた。
果南さんと鞠莉さんが信吾に呼ばれ、僕の席の近くから離れて行く。そうして、ダイヤさんは自分の席に戻ってきた。
「ダイヤさん」
「……はい?」
「その、どうだった?」
席に座ったダイヤさんに訊ねる。ここでがっついて訊いてしまったら何だか自分の価値を下げる気がしたので、取り繕わずにいつも通りの感じで訊ねてみる。
ダイヤさんは自分の答案用紙を両手で持ち、僕の顔と答案の表側を交互に見つめてくる。目は細く、眉間には少しだけ皺が寄っている。どうしたんだろう。何かあったのかな。
訊ねる前に僕が教えればいいのか。そう思い、自分の答案をダイヤさんに見せようとした。
「ダイヤどうだったーっ?」
「あ─────」
そんな時、ダイヤさんの後ろから現れた鞠莉さん。鞠莉さんのスキンシップはいつも唐突。今回はダイヤさんの背後からハグをしていた。うらやまし───何でもない。
突然の事で驚いたのか、ダイヤさんは持っていた自分の答案用紙を床に落とす。一枚の紙は表を向いて僕の足元に落ちた。そうしてそれを拾おうとした時、図らずもその点数と彼女が間違えた箇所を見てしまった。
「え…………?」
「か、返しなさいっ」
それを拾うと、すぐにダイヤさんは僕の手から答案用紙を奪って行った。彼女の顔に目を向ける。顔が赤い。めずらしく、ダイヤさんが焦っているのを見た。何故いつでも冷静な彼女がそこまでの反応を見せたのか。それは、僕がダイヤさんの答案を見てしまったから。でも、解せない事が一つだけあった。
「…………どうして?」
「………………」
「ンフ?」
問い掛けてもダイヤさんは答えてくれない。目線を僕から逸らしたまま固まっている。そんな彼女を後ろからハグする鞠莉さんも、頭の上に疑問符を浮かべていた。
ダイヤさんの点数は
ダイヤさんが間違えていたのは、僕と同じ問題。ほとんどの生徒が外れていた箇所を彼女も誤っていた。ただ、もう一問の間違いだけは、どう考えてもおかしい。
──────ダイヤさんは“stationery”という単語を“stationary”と書いていた。そして、洩れなく減点されていた。
あの日。僕が偶然見つけた間違いを、このテストでも同じように間違えていた。彼女があの教えを忘れる筈がない、そう思うのは自惚れなのだろうか。頭の良い彼女がこんなケアレスミスをするだなんて、僕にはどうにも信じる事が出来なかった。
そこに、何かの思惑があるんじゃないか、と思わずにはいられなかった。
「…………私の負け、ですわね」
ダイヤさんは僕が持つ答案用紙を見つめながら、ポツリとそう零す。騒がしい教室の中でも、その声はちゃんと僕に届いた。
言うまでもなく僕はダイヤさんに勝ち、ダイヤさんは僕に負けた。この間の日曜日、図書室でした約束はこれで果たされる事になる。
僕が勝ったら、ダイヤさんとデートをする。どうやら、僕は久しぶりに凄い事をやってのけてしまったらしい。
「や、約束は約束です。仕方ありませんので、付き合って差し上げますわ」
「あ、えっと」
「私は、そんな事、本当はしたくはありませんが」
ダイヤさんはそう言って、顎のホクロの所を指先で掻く。
それから、その仕草を見た鞠莉さんが、微笑みながら口を開いた。
「フフッ。何の事かは知りませんが、ダイヤ、嘘を吐いてマース」
「「え?」」
そして、僕らは声を重ね合わせた。
次話/国木田花丸は寂しくなる