◇
そうして僕は二階の部屋に通される。十二畳ほどの木張りの床の居室で、置いてある物も少ない。失礼だと思うから口にはしないけど、簡単に言えばとても殺風景な部屋だった。
その真ん中に衣装掛けが置いてあり、色とりどりの浴衣が数着掛けられている。ダイヤさんは衣装掛けの方へ近づいてこちらを振り返った。
「それでは、ここにあるものから選んでください。サイズの方はおおよそ合っているかと思いますので、気にしなくても結構ですわ」
「あ、うん。分かった」
ダイヤさんにそう言われ、僕も浴衣の方へ近づく。近づいて見るとそれらはどれも綺麗で、この中から一つを選ぶのはなかなか骨が折れそうだった。
浴衣の良し悪しなんては分からないし、正直どれを選んでも同じだと思った。似合うか似合わないかもパッと見ただけでは判断できない。どうしようかな。
「…………うーん」
ダイヤさんは悩む僕の横で、同じように浴衣を見つめている。これは僕が着るものだけど、彼女に訊いてみるのもありかな。何を言われるかは想像できないけど、ダイヤさんの意見をもらってもいいと思ったので思い切って訊ねてみる事にする。
「ねぇ、ダイヤさん」
「なんですの」
「ダイヤさんは、どれがいいと思う?」
そう言うと、彼女は僕を見つめてくる。顔にはどうしてそんな事を私に訊くのです、と書いてある。分かりやすいな、ほんと。
「どうしてそんな事を私に訊くのです」
「やっぱりね」
「は?」
「あ、ごめん。つい」
咳払いをして自分の発言を誤魔化す。あまりに予想通りの言葉過ぎて、思わず心の声が外に出てしまった。反省しよう。
「気に入ったものがないのですか?」
「ああいや、そういう訳じゃないよ。むしろその逆。どれも良くて選べないんだ」
「意外と優柔不断なのですね、あなたは」
「知らなかった?」
「はい。あまり深く考えずに物事を選びそうな方だとばかり思っていました」
「はは。そういう時もあるけどね」
ダイヤさんは僕に向かってそんな事を言ってくる。本当は別。考え過ぎて選べない性格だと自負してる。生憎、信吾みたいに感覚で即断即決してしまえるほどの勇気は持ち合わせていない。他人が思ってる事と自分の評価は違う。心にそう言い聞かせて、また浴衣の方へと向き合った。
「ダイヤさんはさ、そういう時どうやって選ぶ?」
「そういう時、とは?」
「こんな風に素敵な物がたくさん目の前にあって、その中から一つを選べって言われた時だよ」
「それを聞いてどうなるのです?」
「うーん。分からない。けど、参考として教えてくれたら嬉しい」
僕がそう言ってみせると、ダイヤさんは綺麗な顎に手を乗せて何かを考え始める。分かってる。そんなのはそれぞれの感覚でしかない。直感で選ぶ人もいれば、考え抜いて選ぶ人もいる。もしかしたら、占いなんかを信じて今日はこれが幸運のパーソンだから選ぶ、という理由もありかもしれない。
僕はどちらかと言えば、運命的なものを信じる。これは昔からの性格。たとえば胸に掛かっているこの玩具の宝石も然り。この宝石を大切にしているのは、よく見る夢の中に同じものが出てくるから。たったそれだけの理由で、僕はこのプラスチックの宝石を肌身離さず持ち歩いている。
だから、今回もそんな選び方をしてみようと思った。運命を感じた人。その人が選ぶ選択の方法を貸してもらう。それが、今の自分に一番合ってると思ったから。
「そう、ですわね」
ダイヤさんは浴衣を眺めながら、そう呟く。彼女の横顔を見つめながら、答えが聞こえるのを待った。
少しの沈黙が殺風景な十二畳間に漂う。海が近いからか、耳を澄ませると蝉時雨の向こう側から潮騒の音色が聞こえてくる気がした。そんな夏の音に耳を傾けながら、ダイヤさんの声を待つ。そうして数秒が経った時、美しい黒髪の生徒会長は口を開いた。
「……私は、自分が選びたいものを選びます」
「自分が選びたいもの?」
「はい。当たり前かもしれませんが、改めて振り返ってみれば今までもそうして物事を選んで来ました」
ダイヤさんは僕の顔を見つめながら、そう言ってくる。彼女が言った言葉の意味を頭の中でよく考えてみる。
自分が選びたいものを選ぶ。たしかに、それはとても月並みな言葉だ。でも、ダイヤさんは何か根拠があってそう口にした。何となく、そう感じ取れた。
「それは、どういう」
「“自分に何が似合うか”ではなく、“似合わなくてもこれがいい”、と思ったものを選ぶという意味ですわ」
その言葉を聞いてようやく腑に落ちる。喉元に引っかかっていた魚の骨がスッと取れて行くみたいに、ダイヤさんの言葉は心の中に落ちた。
誰しも何かを選ぶ時、自分に一番見合うものを選択したがる。それは人として当たり前の考え方。誰かによく見られたいから、自分に一番合うものが欲しくなる。これ以上に普遍的な選択の方法はこの世に存在しないだろう。例えるのなら、美容室で自分に似合いそうな髪型を美容師に頼むことも同じ。とりあえず似合うものを選択しておけば間違いはない。この考え方は多分、人間として本能的に持っているものなんだと思う。
でも、ダイヤさんはそうではないと言った。自分に合うかどうかは関係ない。自分が選びたいものを選ぶ。それが、彼女の選び方だと言った。
「もし、そうやって選んだ服が誰かに“似合わない”って言われたら?」
「そんな言葉には耳を貸さなければいいのです。自分自身が選んだものなのだから、それでいい。だって、仕方ないでしょう?
ダイヤさんは曇りのない眼を僕に向けながら、そう言い切った。思わず、それが真理だと勘違いしてしまうくらい、説得力のある言葉だった。
きっと、その選択の方法は正しい。でも、見方を代えれば間違ってもいる。どちらとも取れる考え方。ただ、それを中途半端ではなく、最後まで信じられる事が出来たのなら、正しい選択だと言えるのだろう。
自分の意思でこれがいい、と選んだもの。それが誰かに馬鹿にされたとする。そこでその選択が“間違いだ”と自分で思った時点でそれは不正解になってしまう。
でも、誰かに何を言われてもその選択が“正しい”と思う事が出来れば、例えそれが正解でなかったのだとしても、不正解ではなくなる。ダイヤさんはきっと、そんな事を言いたかったんだろう。
「すごい強引な選択だね」
「それは私を馬鹿にしているのですか?」
「ううん、違うよ。褒めてるに決まってる。僕には、そんな選び方は思いつかなかったから」
これは建前じゃない、心からの本音だ。それが伝わるように、僕はダイヤさんの深碧の両眼を強く見つめ続けた。
「あ、あなたに褒められても、嬉しくありませんわ。建前を言うのが上手い癖に」
「建前じゃなく、本当に思ってるよ。答えてくれてありがとう」
そう言って、微笑んでみせる。ダイヤさんは少しだけ頬を赤く染めながら僕の事を見ていた。
さて、ダイヤさんが選択の方法を教えてくれたのなら、そろそろ浴衣を選ばなくてはいけない。
運命を感じたものを選ぶ。そして、運命を感じた彼女が選びたいものを選ぶというのなら、僕もその選び方を真似させてもらおう。
「じゃあ、これで良いかな」
「こちらですか」
「うん。空みたいで綺麗だから、これがいい」
僕が選んだのは薄い青色の浴衣。空を思わせるような鮮やかな色。肩の所に一匹の燕が描かれており、この中では一番綺麗だと
「それでは一度合わせてみてください」
「うん。あ、今着てる服は脱がなくちゃいけないよね」
「当り前でしょう。どんな格好になるつもりですか」
「あー、なら、その…………」
分かってはいたけど一応訊いてみた。ダイヤさんは首を傾げて僕の事を見てくる。本当に分かってないのだろうか、この子。普段は誰よりも頭が切れるのに、ごく稀にこんな天然を見せてくるから性質が悪い。
思っているだけでは伝わらないので説明する事にする。言葉にする前に察してくれたらありがたかったのにな。
「ダイヤさんが見てると服、脱げないんだけど」
「…………あ」
そう言うまで本当に気づかなかった、というような顔をしてダイヤさんは目を大きく開けた。そうして徐々に顔が赤くなって行く。こういう時に見せる純粋さは可愛い。いつもこんな風に柔らかければいいのにな、と素直に思う。
「ダイヤさんが良いなら僕も良いけど」
「だ、ダメに決まっているでしょうっ」
「じゃあ、そっちを向いててもらうと助かるな」
「…………私が出て行きますわ。ええ、出て行けばいいのでしょう」
「なんで怒ってるのさ」
「あなたには関係ありませんわっ」
なんて、よくわからない言葉を残してダイヤさんは階段を下りて行く。と思ったら足を止めてこちらを振り返ってきた。
「ダイヤさん?」
「…………帯以外を着たら、声を掛けなさい。着付けは私がして差し上げますから」
そんな事を言って来るダイヤさん。頬はまだ赤い。そんな表情も魅力的だな、と思う。いつでもそんな顔をしていればいいのに。
「はーい」
「
またいつものやり取り。でも僕はこれが嫌いじゃない。むしろ好きだ。同い年の女の子に母親から注意されるような言葉を言われるのが好きだとか、誰かに言ったら間違いなく引かれちゃうだろうな。
「分かったよ。すぐに呼ぶから、少し待ってて」
「まったく……あなたと居ると、調子が狂いますわ」
「ふふ。僕はダイヤさんと居ると楽しいよ?」
「う、うるさいですわ。そんな建前を言う暇があったら早く着替えなさい」
「ダイヤさんが居ると着替えられないんだけど?」
「今から出て行きますわっ」
ダイヤさんはそう言い残し、階段を下って行く。建前じゃないのに建前だと思われるのは仕方ない。普段の行いが悪いからなのだと受け入れよう。
僕はダイヤさんと居ると楽しい。それは本心だ。あの子と話せている時間は僕にとって何よりも楽しい時間。そう思えるのは、きっと。
「…………さてと」
気を取り直して、着替える事にしよう。僕が一番良いと思った綺麗な浴衣。ダイヤさんが選んでくれたと言っても過言ではない、鮮やかな青色の浴衣を。
似合うかどうかではなく、一番選びたいものを選ぶ。僕はこの考え方が気に入った。これから何かで迷った時にはダイヤさんの言葉を思い出す事にしよう。いつもは運命的なものしか選べないけど、それなら僕でも何とか一つを選べると思うから。
「ん?」
そんな事を考えながら浴衣を開く。恐らく、これは新品の浴衣なのだろう。襟裏にタグが付いている。そこには一枚の紙も一緒にぶら下がっていた。
気になってしまい、その紙に書かれている文字を読む。
「…………ふふ」
そして、思わず笑ってしまった。どうやら、僕がこの浴衣を選ぶのは必然だったみたいだ。
紙に書いてあったのは、浴衣の柄の意味。そんなものがあったなんて初めて知ったけど、素敵な意味の浴衣だな、と思った。
燕柄の浴衣の意味は──────“恋を運ぶ”。
どうか、僕の所にも恋が運ばれて来ますように。
そう思いながら、僕は青色の浴衣に袖を通した。
次話/宝石だって着飾りたい