◇
「──────今年は大漁ずらっ」
「ふふ、よかったね、花丸ちゃん」
「ずらっ。今年は沢山獲れると思ってたずら~」
先ほどの話の通り、僕らは花火が上がるまでの時間潰しに金魚すくいをやった。こうして花丸と一緒に金魚すくいをやったのは多分、小学生振りくらいかもしれない。あの頃の彼女は一匹も獲れずに悔しがっていた記憶がある。
今年は三匹、獲る事が出来たらしい。花丸は浴衣の袖を少しだけ濡らしながら、金魚が入った透明な袋を持って嬉しそうに歩いている。彼女の隣を行くルビィちゃんも二匹獲れたみたいだった。
因みにダイヤさんは四匹獲っていたけど要りませんわ、と言って水の中に戻していた。それを見たルビィちゃんが泣きそうになっていたのは、見ていて何とも言えない気持ちになってしまった。いたたまれない。
代わりに僕が掬った分をルビィちゃんのお椀に入れてあげたら大変喜ばれたので良しとしよう。お詫びにおんぶさせてもらっていいか頼みそうになったけど、ギリギリのところで堪える事に成功。欲望のままに口走っていたら今ごろダイヤさんに説教を受けていたかもしれない。自分の理性に感謝するしかない。よし、後でダイヤさんにバレないようにおんぶさせてもらおう。あわよくば抱っこしてもいいかな。
「あ─────っ」
「おっ、と。大丈夫? ルビィちゃん」
僅かに段差になっていたタイルに足を引っ掻けて転びそうになったルビィちゃんの腕を咄嗟に掴んだ。こうして人混みの中に居ると足元を見る余裕もないから、ただでさえ歩きづらい下駄では尚更注意しなくてはならない。前を見ていて良かった。
「あ、ありがとうございます、夕陽さん」
「気にしなくていいよ。気を付けて歩いてね」
そう言うとルビィちゃんは素直にこくりと頷く。それから踵を返してまた僕の前を歩き出した。
花火が上がるまであと三十分ほど残されている。屋台が立ち並ぶ界隈には先ほどよりも多くの人がごった返している時間帯。空を見上げれば橙色はほとんど藍色に侵食され、もうすぐ夜がやってくる事を伝えてくれていた。
早めに桟敷席に向かって待つ、と先ほどダイヤさんが提案し、僕らは彼女の考えに従う事にした。こうして人混みの中を歩いているだけでも疲れは溜まってしまう。バスから降りてからはずっと立ちっぱなしだったから、少しだけ足が怠い。
楽しそうに歩く花丸とルビィちゃんの後ろ姿を見つめながら、御成橋と永代橋の間に設けられている桟敷席エリアに向かっている時、隣から小さな声が聞こえてくる。
「…………あなたは、優しいのですね」
「え?」
ポツリ、とそんな言葉が祭りの喧騒の間をすり抜けて僕の耳に届いた。意外な言葉だったから、小さくてもやけにハッキリと聞こえてしまったのかもしれない。
歩きながら右隣に居るダイヤさんの方へ顔を向ける。彼女は深碧の両眼で、こちらを見つめていた。
「あなたはどうして、そのように振る舞えるのですか?」
ダイヤさんは不思議そうな表情をして僕を見上げていた。それ以外に含まれている感情はない事を、いつも通りの凛とした佇まいを見て判断する。でも、どうして彼女がそんな事を訊いてきたのかは理解出来ないまま。
「そのようにって?」
訊ね返すとダイヤさんは少しだけ何かを考えるような仕草をして、口を開く。僕は彼女の声にそっと耳を傾けた。
「あなたは、その、誰にでも優しいでしょう。クラスメイトにも、そうでない人にも、後輩にも、花丸さんにも…………私にも」
「……そう、かな」
「なのに、愛想を振り撒いている訳でもない。それを、なんと言えばいいのでしょうか」
そこまで言って、ダイヤさんは口を閉ざして言葉を考えている。僕はその綺麗な横顔を見つめて歩いた。しばらくすると彼女はああ、と形容する言葉を見つけた、というように顔をこちらに向けてくる。
「あなたの優しさは、自然なのですわ」
ダイヤさんは不思議そうな顔を浮かべたまま、そう語る。でも、僕には何と返していいのかまだ言葉が浮かばない。だからそれが浮かび上がってくるまで、待つ事にした。
「自然?」
「はい。私は、それがずっと不思議でした。誰にも媚びず、等しい優しさを誰かに振る舞える。それは、普通の人では出来ない事です。だから、気になったのですわ」
ダイヤさんはそう言って質問の理由を結ぶ。僕は彼女が言ってくれた言葉を咀嚼し、胸の中で何度か反芻する。
ダイヤさんが言ってくれた事。それは、僕が誰にでも優しい訳を教えてくれ、というもの。でも、急にそんな事を言われたって自分では分からない。僕は常にこうして僕で生きて来た訳だし、改めて理由を説明してくれと言われて、すぐに答えられるような正しい答えを準備している訳でもない。
視線を前にある人混みに向けて、考えてみる。自分で自分を優しい、なんて思った事はない。“自分は優しい”と自惚れながら思って振り撒く優しさなんて、そんなものは優しさではない。ただのエゴだ。他人に押し付けるだけの、自己満足でしかない。
思うのは、そういうものを振り撒く人間にはなりたくない、という事。優しい人だと思われたい。そう願う気持ちはたしかにある。でも、それを思いながら与える優しさには、本当の意味での優しさは存在しない。
「…………難しい」
人が溢れる歩道を歩きながら、そう呟く。言葉に出来そうで出来ないこの感じがもどかしい。分かりやすく彼女にそれを伝えるにはどんな言葉がいいのか、考えながら少しずつ答える事にする。
「多分、僕は自分を殺すのが上手いんだと思う」
「自分を、殺す?」
ダイヤさんの言葉に一度頷き、言葉を続ける。
「僕には、人に良く思われたいって言う感情があんまりない。いや、ない訳じゃないんだけど、それを上手く表に出す事が出来ないんだ」
「どうしてです?」
「僕は、自分から
自分で言っていて、思わず笑ってしまった。でも、本当にそうだ。自分ではよくわからないけど、もし誰かの視点から国木田夕陽という人間を見る事が出来たのなら、確実にそう思ったはず。
ダイヤさんは口紅を塗った綺麗な唇をほんの少し開けながら、僕の事を見つめている。伝わらないならそれでいい。ここまで言葉に出来ただけでも、上出来だと思っておこう。
「…………感情のない、ロボット」
「だから、思ってもない事を言っちゃう癖があるのかもね。よく建前を言うのは多分、それが理由」
その人が求めて良そうな言葉を自動的に声に出す。言ってみれば、白雪姫に出てくる魔法の鏡と同じだ。訊ねられれば思ってもない事を言葉にして、誰かを喜ばせる。
でもそしたら、本当の
「それでいいのですか、あなたは」
「いいんだよ。それが自分らしさだって、受け入れてるから」
「でも、それでは─────」
「ねぇ、ユウくん、ダイヤさん」
◇
ダイヤさんが何かを言おうとした時、僕らの前を歩いていた花丸が名前を呼んでくる。それを聞いて彼女は口を閉ざし、少しだけ悲しそうな表情を浮かべたまま花丸の方へと顔を向けた。
「どうしたの、花丸」
「これを見てほしいずら」
「ん?」
そう言って立ち止まっている花丸はある屋台を指差していた。僕とダイヤさんは同時に彼女の指差す方向へ顔を向けた。
「「宝石、すくい?」」
「ずらっ」
僕らの前にある屋台に書かれていたのはそんな言葉。でも、どうして花丸はこんな屋台に惹かれたのだろうか。
そう思いながら、屋台の中にあるものを見た。
そして、少しだけ言葉を失う。
「あ…………」
「やってみてもいいかな、ユウくん」
花丸にそう言われ、僕は何も考えずに頷いた。彼女の言葉以上に、この屋台の中にあるものに、興味を引かれてしまっていたから。
「…………玩具の、宝石」
宝石すくい、と題された屋台の遊び。それは先ほどやった金魚すくいの掬うものが金魚ではなく、ただ玩具の宝石になっただけのもの。
水の上に浮かんでいるのは色とりどりのプラスチックの宝石。ちょうど、僕が胸に掛けているものと同じような形をしているおもちゃ。そんなものを欲しがるのは、小さな子供だけ。現に屋台の中に居るのは僕たちよりも何歳も年下の子供たちばかりだった。
花丸とルビィちゃんはそんな事も気にせず、屋台のおじさんにお金を払い、網をもらう。そうして浴衣の袖を捲り、真剣な表情で目の前に浮かぶ宝石を見つめていた。
「………………」
僕とダイヤさんはその屋台の前に立ち、宝石を取ろうとしている二人の女の子を眺めた。
そんな時、ふとあの夢を思い出す。何故、こんなタイミングだったのかは知らない。それは突然思い浮かぶデジャヴのように、僕の頭の中に映像を流す。やけに鮮明で、残酷なあの夢の一部。
いつ見たものなのか分からない。けど、たしかに僕はこんな光景によく似た夢を見た事がある。
「そうだ」
「?」
あの夢の中で、幼い僕も誰かと一緒にこの宝石すくいをやっていた。それはちょうど、ここと同じ、夏祭りの会場にある屋台の中で。
そこでこの胸に掛かっている宝石を取って、誰かと分け合った。そこまでは覚えてる。でもそれ以降の映像は、深い霧がかかっているようになり、上手く思い出せない。
どうしてこのタイミングでフラッシュバックしたのか。答えは決まってる。僕が見ているこの光景が、あの夢と同じような景色だったからだ。
「────っ」
夢の内容を思い出そうとしている時、突然頭が痛み出した。まるで脳が思い出そうとする事を拒んでいるかのように思えたのは、恐らくタイミングの所為。
「見て見てユウくん。いっぱい取れたずら」
「動かないから金魚さんより簡単だったよ、お姉ちゃんっ」
気づくと僕の前には二人の少女が立っていた。手のひらの上に綺麗な玩具の宝石を並べて、僕とダイヤさんに見せてくれている。
宝石は近くにある明るいライトを反射させ、それぞれの色が持つ煌びやかな光を魅せていた。
それを見つめている時、花丸が一つの透明な宝石を細い指で摘まんだ。
「これでユウくんとお揃いずらね」
「ああ」
そういう事か。彼女は僕が大切にしているあの宝石の事を知っている。でも何故、肌身離さず持っているのかまでは打ち明けてはいない。彼女は僕が持っているものと似ていたから、この屋台に興味を惹かれたのだろう。
自分の浴衣の中に手を入れ、玩具の宝石が付いているネックレスを取り出した。長い間持っているからか、花丸の手にある宝石より白っぽくなっている。
「…………これ」
「はい。ルビィは赤いので、お姉ちゃんはこれ」
僕の隣ではルビィちゃんがダイヤさんにダイヤモンドの形をした透明な宝石を手渡していた。ダイヤさんはその玩具の宝石を手のひらに乗せて、口を閉ざしたままジッと見つめている。何か思うところがあるのだろうか。彼女の事をまだよく知らない僕には、何も知る由はない。
「ありがとう、花丸」
「マルもユウくんみたいに大切にするずら」
そう言って、花丸は玩具の宝石をポケットに仕舞う。僕も彼女に倣って、まだ真新しい透明なプラスチックのダイヤを浴衣のポケットに入れた。
それから気づかれないように、その宝石を握り締めてみる。
それは何故か、いつもより何倍も硬く感じた。
次話/終わりの始まり