生徒会長は砕けない   作:雨魂

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小春日和の憂鬱

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 新たな校舎での高校生活が始まり、三日が経った水曜日。

 

 よく晴れた昼下がり。春の暖かな日差しと海から吹きつける風が心地いい。そんな場所に僕はいた。

 

 気分がよければ少し昼寝でもしたくなるような小春日和。しかし残念ながら、今はそんなことをする気にはまったくなれなかった。

 

 この生活が始まった直後は上手くいくことを期待していたが、現実はやっぱりそんなに甘くない。淡い希望は厳しい現実に簡単に打ち砕かれる、ということをこの三日間で思い知らされた。

 

 今日も朝から憂鬱で学校に行くのを億劫だと感じてしまい、ボーっとしてたら従妹にもれなく花丸ちょっぷ☆を食らった。それがまた可愛くて逆に癒されてしまったのは僕だけの秘密。

 

 いつまでこんな日々が続くのか。それを想像すると本当に絶望したくなる。新学期が始まってまだ三日だというのに、既に僕たち男子の精神は最終ラウンド前のボクサー並みにボコボコなのであった。

 

 これからこの生活を過ごしていけばもっと慣れていくのだろうか。そんな風に思うけど、そう簡単に物事が進むとはこのネガティブな思考回路では思い描くことさえできない。

 

 

 

「「はぁ………………」」

 

 

 

 屋上に座りながら、同時に深いため息を吐く僕と信吾。僕たちの息は春風に乗って桜の花びらとともにどこか遠くへと運ばれていった。どうせならこの憂鬱な気分も一緒に飛んでいけばいいのに。

 

 お昼ご飯を食べながらこの三日間の反省会をしよう、ということで屋上に来たのはいいけど、出てくるのは反省ではなくのっぺりとしたため息だけ。

 

 個人的にここまでの生活の中で良いと思えることは何ひとつなかった。逆に悪かったところを挙げろ、と言われたらそれはもう溢れんばかりに出てくる。両手じゃどうやっても抱えきれないくらいに。

 

 とにかく、男女の間にある溝は予想以上に深い。最初に話しかけてくれたあの二人以外の女子とはまだ挨拶すら交わしたことがない。

 

 ……あの生徒会長とも、あれきり一言も口をきいていない。あの時は夢中になって話しかけてしまったけど、冷静になって考えると僕はとんでもなく大胆なことをしていたことに気づき、帰ってからお寺の境内で仏さまに向かって手を合わせながら大粒の涙を流していたのだった。そのあと花丸に見つかって「ユウくんが悪霊に取り憑かれたずらっ!」と、心配されました。

 

 端正な顔立ちと類稀なカリスマ性を持つ信吾でさえも女子生徒から避けられているくらいだ、僕のような普通の男では話すら訊いてくれやしないだろう。勇気がなくて話をかけたこともないけど。

 

 僕の膝の上には曲げわっぱに入っている和食のお弁当が置かれている。これは花丸がわざわざ僕のために早起きして作ってくれたもの。味も美味しいし、あの子が頑張って作ってくれたものだから食べなきゃいけないのはわかるんだけど、どうにも箸がすすまない。

 

 

 

「どうすりゃいいんだ」

 

「信吾にわかんないことを僕に訊かれてもね」

 

「だって、全然わかんねぇんだよぉ。どうにかしてくれよ夕陽ぃ」

 

 

 

 そう言って頭を抱える信吾。なんでも卒なくこなすタイプの彼がこうしているのを久しぶりに見た気がする。前に見たのは苦手な数学で赤点を取りまくって危なく留年しそうになっていた時のこと。部活や人間関係や普段の生活は完璧なのに、勉強だけはしないのが彼の悪いところ。できないのではなく、ただ単にしないだけ。

 

 

 

「うーん。まず、あの席替えはいらなかったかもね」

 

「う……それは言うなよ。マジでごめんって」

 

「別に恨んでるわけじゃないよ。ただ、他の男子たちからしたら勘弁してほしかっただろうね」

 

「だから謝っただろぉ? あんまり俺をいじめないでくれよ」

 

 

 

 そう言って信吾は渋柿を食べたような顔をする。まぁ、あのときはあんな風になるとは思いもしなかったから、誰も文句は言えないのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 ───新学期が始まってすぐのLHRで、信吾は担任に向かって席替えを提案した。

 

 理由は男女の確執を取りたい、というもの。たしかに最初の席の並びは廊下側の半分が男子。窓際の半分が女子と、明らかに男女の壁を象徴しているような並び方だった。

 

 それは恐らく教師方の配慮だったと思うのだけれど、信吾は思い切ってそれをぶっ壊すことにしたらしい。その提案に僕たち男子は全員便乗。

 

 女子たちからはやけに冷たい視線で見られたが、担任も信吾の言い分に納得し、すぐさま席替えを開始。

 

 方法はくじ引きとべたな感じ。さすがに男子校時代のような全力の野球拳では決められなかった。あの時は酷かった。一言で言えば地獄絵図、二度と思い出したくない。何がうれしくて教室で男子たちの全裸を見なくてはいけないのだろう。それは忘れよう。

 

 早速くじ引きで決まった席に男女は移動し、隣の生徒と顔合わせをした。ここで打ち解け合えるのだろう、と信吾も僕も男子たち全員も思っていた。

 

 しかし、そんなスーパーのタイムセール並みに安い予想は一瞬で打ち砕かれることになる。

 

 つまるところ、隣が男子になった女子たちはさらに異常な圧力をかけてくるようになったのだ。

 

 それにより男子たちは最初より委縮してしまい、溝がさらに深まってしまうという最悪な結末に。

 

 そして、両方の怒りは席替えを提案した信吾に向かった。その所為で信吾は女子からの評価が激減したと果南さんから聞き、男子たちからはレスリング部の連中にタックルを食らわせられ、それからなぜか髪をツインテールにされて写メを撮られていた。あの写真がどこへ流れたのかは知らない。泣きっ面に蜂というのはああいうことを言うんだな、と信吾を見ながら思った。

 

 

 ちなみに僕の席は偶然というか幸運というか、あの生徒会長の隣。

 

 それだけは少し、信吾に感謝したかった。

 

 

 

「でも、他にも反省すべきことはあるよね」

 

「まぁな。あのビンタの件とかは特に」

 

「あれは百パーセント信吾が悪いから反省しなさい」

 

「き、厳しい。今日の夕陽さん、すげぇ厳しいっす」

 

 

 

 ふざけた感じでそういう信吾。だが、僕はあの事件を起こした彼を許しはしない。

 

 

 花丸が作ってくれた甘い玉子焼きを食べながら、昨日の体育の時間を思い出す─────

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日目から早速通常の授業が始まり、その五時限目には体育があった。

 

 担当の教師から体育着に着替えてグラウンドに集まれ、という指示を受け、とりあえず僕たちは着替えようとした。

 

 

 しかし、ここで問題が発生。

 

 

 

「俺たち、どこで着替えりゃいいの?」

 

「たしかに。ここで着替えたらモロ見えだよな」

 

 

 

 着替えるスペースが無いことに気づき、途方に暮れる男子たち。今までは周りに男子しかいなかったから気にしたことなんてなかった。こんな些細なことで問題が発生するとは誰も思わない。

 

 そうしてまごついていると、教室で着替えようとする女子生徒たちの無言の圧力が炸裂。それでもどうしようもないのでマゴマゴし続けていた時、ついに僕の隣の席に座る生徒会長が立ち上がり、彼女は無言で指をある方向に指した。

 

 僕たちは一斉にその方向へ目を向ける。

 

 

 

「………………ベランダ?」

 

 

 

 こくりと頷く無表情の生徒会長。むしろ彼女はそこしか許さないくらいの雰囲気を醸し出していた。

 

 信吾を越えるカリスマ性を持つあの生徒会長に文句を言える者は、男女ともにこのクラスにはいないらしい。

 

 

 

「……マジかよ」

 

 

 

 そういった経緯を経て、僕たち男子はやむなくベランダに追い出され、まだ肌寒い春の空気を感じながら体育着に着替えたのであった。

 

 もちろんカーテンは閉め切られ、中の様子は見ることが出来なかった。男子が全員ベランダに出た時点でなぜか鍵まで閉められたのは完全に嫌がらせとしか言えない。女子たちが着替え終わった後にちゃんと開けてもらったけど。

 

 

「くっそ。どんだけスパルタなんだよあの生徒会長っ」

 

「俺たちのことゴミだとでも思ってんじゃねぇのか。扱いがもはや下僕以下だぞ」

 

「ちっ、あの女さえいなけりゃ女子たちと仲良くなれたかもしんないのによ」

 

「ちょっと可愛いからって良い気になってんなよってんだ」

 

 

 着替えている間、男子たちはブツブツとあの生徒会長の悪態を吐いていた。たしかに、あの子が放つ威圧感のせいで他の女子たちも便乗して、さらに圧力を強めている感じは否めなかった。

 

 果南さんと鞠莉さんは別として、女子生徒たちは皆、生徒会長がしようとすることに合わせているのが見ていてわかった。それくらい彼女が慕われているということなのだろうけど、正直僕たち男子からすれば迷惑としか言いようがない。

 

 

 それからすぐにあの子のあだ名が決まった。

 

 それは、“硬度120%の生徒会長”というもの。

 

 

 ダイヤという名前と、あまりにも硬い性格を掛けて付けられたそのあだ名。さすがにハマりすぎていて僕も少し感心してしまった。

 

 陰口は許されたものではないとは思うけど、悪影響ばかりを与えてくる彼女の肩を持つわけにはいかなかった。そんなものはただのエゴになってしまうから。

 

 

 

「どうして、僕たちのことを目の敵にしてるんだろう」

 

「男が嫌いなんじゃねぇの。それか調子に乗ってるだけだろ」

 

「……ほんとにそれだけなのかな」

 

「んだよ夕陽。そんなにあの生徒会長が気になんのか?」

 

「べ、別にそんなんじゃないよ」

 

「他の女子なら別にいいけど、あの女はやめとけよ。絶対損するぜ」

 

「そう、かな」

 

「ああ。ほら、行こうぜ。授業遅れんぞ」

 

「う、うん」

 

 

 

 男子の一人にそう促され、僕もみんなの後についていった。

 

 心の中では、あの生徒会長のことを考えながら。

 

 あの子のことをもう少し知りたいと、願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───それから授業終え、僕たちは教室へと戻る。

 

 体育は男女別だったので、女子生徒の目を気にせずに授業を行った。けど、相変わらず男子たちの間に流れる雰囲気は重いままだった。

 

 重たい足を動かしながら教室に続く階段を上る。いつもはうるさいはずのクラスメイトたちの空気が沈んでいる。

 

 あの信吾でさえも疲れ切った顔をしていた。新しい高校生活が始まってまだ二日目だというのに、男子全員が疲弊している。僕も例外ではない。

 

 

 

「はぁ……一日が長い」

 

「だな。こんなのがあと一年も続くのか」

 

「マジで無理。絶対不登校になるって」

 

 

 

 そんな明るくない話題が、男子たちの間には広がっている。何とかならないか、と頭では思うけれど僕の考えなんかじゃ誰も納得してくれないと思い、すぐに考えるのを止めた。

 

 僕たち男子が解決しなくてはいけない問題は言うまでもなく、女子たちとの確執を取り除くこと。それが出来なければこの一年間は本当に酷いものになってしまう。

 

 それをどうにかしようと誰もが考えている。けれど、何をしたって男子を警戒する女子たちは心を開くどころか、心の姿すら見せてくれない。

 

 こんなことになってしまった原因は、僕らには無い。僕らが少し前まで通っていた男子校と、この浦の星女学院。そのお偉いさんたちが決めたことを、今さらどうこう言うことはできない。

 

 

 

「…………どうにかならないかな」

 

 

 

 僕は呟く。共学生活は始まったばかりだけど、こんな重い荷物を背負いながら生きるような日々がいつまでも続くなんて、考えたくもない。

 

 当然のように期待はする。もし、男女の壁がなくなったら、そこには前よりも楽しい学校生活が待っているんじゃないかって。

 

 僕らのように女子と一緒に授業を受けたりすることがなかった男子たちからすれば、そんな毎日は夢のような時間だろう。でも現実は想像のように上手くいかない。それも全員わかってる。

 

 そうだったとしても、願わずにはいられないだろう。

 

 

 

「辛気くせぇ顔ばっかしてんじゃねぇよ、お前ら」

 

 

 

 先頭を歩いてる信吾が振り向き、肩を落としている男子たちに言う。そういう彼にも、いつもの覇気は感じられなかった。

 

 

 

「信吾。そうは言ってもよぉ」

 

「うだうだ考えても仕方ねぇだろ。とにかく今はこの現状を受け入れようぜ。話はそこからだ。どうにもなんないことを俺らみたいなバカな頭でいくら考えたって、良い解決策なんて浮かぶわけがねぇんだから」

 

 

 信吾が落ち込んでいる男子たちに向かってそう言う。多分だけど、彼は僕らのことを励まそうとしてる。自分も解決策がわかってないのに、男子たちの気持ちがこれ以上下がらないように無理やり前向きな言葉を言ってるんだろう。

 

 その思いが伝わったのか、男子たちは頷き、少しだけ明るい表情に変わった。

 

 

 

「そうだな。考え過ぎても良いことなんてないな」

 

「ああ。信吾の言う通り、今はとりあえずこの感じを受け入れるか」

 

 

 

 そんな言葉が数人の口から零れ落ちる。それを聞いて信吾は安心するように微笑み、また廊下を歩き出した。

 

 全員が後ろ向きな状況だからこそ、彼は自分だけでも前を向こうとしてる。それは男子たちの意思をひとつにするため。少しでも良い方向に向かわせるために、信吾はいつもそういう役を担ってくれた。

 

 だから信吾は強いんだ。その頼りがいのある背中を眺めながら思う。改めて僕も彼のようになりたいと思った。

 

 

 だが、その尊敬の念が一瞬にして崩れ去ることになるとは、誰も思っていなかった。

 

 

 

「さぁ、気を取り直して行こ─────」

 

 

 

 先頭を歩いていた信吾がそう言いながら、何気ない感じで教室に開けて入って行く。

 

 

 ───ああ、僕は知っている。未曾有の出来事というは誰も想像できないからこそ、回避できない運命であることを。

 

 

 

「きゃあああああっ!!!」

 

「へぶんっ!」

 

 

 

 直後、バチーンという凄まじい音とともに信吾が空中で切りもみしながら廊下に吹っ飛んでくる。

 

 

 

「「「「……………………?」」」」

 

 

 

 何が起こったのかわからず、後ろを歩いていた男子たちはリノリウムの上に転がる信吾の亡骸を茫然と眺めた。

 

 突然のことすぎて状況が飲み込めず僕たちは途方に暮れた。なぜ、教室に入って行ったはずの信吾が切りもみ回転して射出されてきたのか。

 

 よく見ると彼の顔面には真っ赤な手形の紅葉が描かれていた。

 

 一番解せなかったのは瀕死の状態だというのに、信吾がめちゃくちゃ満足そうな顔をしていること。

 

 

 

「ほんと最低っ!」

 

「「「「え」」」」」

 

 

 

 果南さんの声と同時に、勢いよく閉められる教室のドア。閉め切られた扉の向こうからは女子たちの罵声が聞こえてくるような気がする。

 

 そこで思い出した。今は、体育の授業が終わった業間。当然、女子たちは教室で体育着から制服に着替えている。

 

 そこに一人で入って行き、廊下にぶっ飛ばされてきた男。顔面の紅葉。果南さんの最低という言葉。

 

 そして、倒れているのに満足気な信吾。

 

 

 

「…………あ、青のレース」

 

「………………」

 

 

 

 謎の言葉を残して信吾は意識を失う。

 

 その言葉で、僕たちは状況を完全に理解した。

 

 

 ───信吾が、女子たちが着替え中の教室に入っていったということを。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「だ、だからあれは不可抗力だったんだよ」

 

「そうだったとしても、僕は信吾を許さない」

 

 

 

 一人だけ女子の着替えを覗いておいて、今さら何を言い訳しているのか。花丸特製の唐揚げを咀嚼しながら、パックに入った苺ミルクを飲んでいる信吾を睨みつける。

 

 だって、女子の着替えを見たんだよ? しかも一人だけ。それをズルいと言わずなんと言えばいいんだ。

 

 言うまでもなく、僕らは高校三年生。発育が遅い子がいたとしても、大抵の女子は既に女性の身体つきになっているはず。

 

 それを一人だけ見るなど不届き千万。ついこの前まで男子校に通っていた僕たちに、そんな甘いイベントなど発生するわけがない。

 

 偶然とはいえ、女の子の園に入り込んだ信吾は男子たちの中で裏切り者として見られている。僕だって男だ。うらやましいと思わない方が難しい。

 

 後から話を聞くと、教室に入った先に立っていたのは下着姿の果南さんだったという。それであの子に躊躇ないビンタを食らい、信吾は回転しながら廊下に吹っ飛んできたらしい。

 

 彼が気絶する前に呟いた謎の言葉が、果南さんが身に付けていた下着のことだということに気づいた男子はすぐさま制裁を開始。男子トイレに連れ込み、演劇部の奴が持っていた女装セットを着せられて写真を撮られ、それをSNSに上げるぞと脅されていた。土下座をして許しを得ようとしていた信吾(女装)を見るのは気分がよかった。

 

 すごくどうでもいいことだけれど、信吾が悪さをすると男子たちは彼を無理やり女装をさせるという恒例行事がある。もともと信吾の見た目が女の子みたいなので、その破壊力は抜群。男子たちからのウケはいい。

 

 

 

「でも、あの子も許してくれたからいいじゃん」

 

「それはいいけど、あれのせいでまた女子たちから嫌われちゃったんだよ?」

 

「う…………それは悪かったよ」

 

「あれからあの生徒会長からも生ごみを見るみたいな目で見られるし」

 

 

 

 あれは本当にキツい。信吾が女子の着替え中の教室に突撃して行ったあの事件から、さらに女子生徒の風当たりが強くなったのは自明の理。

 

 そして、生徒会長にあっては既に僕たちを人間として見ていない。あの子から放たれる威圧感だけで僕らは仕留められてしまいそうになる。

 

 ちなみに、全力のビンタ受けた信吾は後から果南さんに謝られていた。下着姿を見られて焦ってしまい、咄嗟に言葉より先に手が出てしまったらしい。それを聞いてあの子には下手なことはしないでいよう、と決めた僕と信吾なのであった。

 

 

 

 ペットボトルに入ったお茶をひとくち飲み、晴れ渡っている春の空を見上げる。屋上には僕と信吾以外の人影はない。

 

 温かな陽だまりの中にいるのに、話題はこれっぽっちも温かくない。季節はもう春だというのに、僕らの気分にはまだ桜の花びらどころか蕾すら出来ていない。

 

 

 

「そ、それを言うなら夕陽だってやらかしたじゃねぇか」

 

 

 言われっぱなしは趣味じゃない、というように信吾が睨みながらそう言ってきた。

 

 付け合わせのたくわんをポリポリと齧りながら、僕は目を逸らす。

 

 

 

「え? なんのこと?」

 

「忘れたとは言わせねぇぞ。さっきの授業のとき───」

 

 

 

 そうして信吾は僕がやってしまった事件のことを語り始める。

 

 忘れることはできない。そう。あれは、今日の二時限目にあった英語の授業中のこと。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな教室。そこに響くのは担当教師が黒板にチョークで文字を描く音だけ。私語をする生徒は一人もいない。

 

 それだけならいい言葉に聞こえるかもしれないが、静かな理由は周りに話をする生徒がいないから、というだけのこと。

 

 信吾が提案した席替えのお陰で男女の席が程よくバラバラになってしまい、話がしたくても話せない状況なのだった。

 

 特に僕の場合、隣に座る生徒会長のせいで呼吸をすることさえも憚られている。軽い力で首を閉められているような息苦しさが常に感じられる。それは言うまでもなく、隣にいる生徒会長が放つ威圧感のせいだった。

 

 この子に特別な感情を抱いてしまう僕だけど、気軽に話をすることなどできるわけがない。話しかけても無視されるか睨まれて威圧されるかのどちらかだろう。そんな想像しかできない。

 

 話したいとは思う。はっきりと言われたわけではないが、この子は明らかに僕たち男子を毛嫌いしている。でも、その理由が知りたかった。

 

 黒板に書かれた内容をノートに書いていく。そうしながら時折、隣をちらりと盗み見る。見た目も雰囲気も中身も真面目な生徒会長は、真剣な表情で教師の言葉を聞いていた。

 

 艶がよく綺麗な黒髪。意識していないと思わず見惚れてしまいそうになる、その横顔。

 

 なぜ自分が彼女に惹かれてしまうのか。その意味はまだわかってない。いつか答えを出せるのかどうかも、今はまだ濁った雨水のように不透明なまま。

 

 わかるのは、この黒澤ダイヤという女の子を見ていると心臓が高鳴ってしまうこと。

 

 出会ったばかりで彼女のことを何も知らないというのに、この生徒会長に惹かれてしまう。

 

 生徒会長が髪を耳にかける。そんな何気ない仕草にドクン、と心臓が大きく鼓動し、僕は目を逸らしてポケットに入れた玩具の宝石を握り締めた。

 

 

 

「あ。悪い、夕陽。消しゴム取ってくれ」

 

 

 

 そうして授業が進む中、斜め後ろの男子が僕にそう言ってくる。

 

 床を見ると、机の斜め前に小さな消しゴムがひとつ転がっていた。

 

 

 

「うん。待ってて」

 

 

 

 ペンを置いてからそう言って静かに席を立ち、その消しゴムを取りに行く。

 

 そのとき、色んなことを考えていたからか、僕は大事なことを忘れていた。

 

 いや、忘れていたというより、気づいていなかった。

 

 消しゴムを取るためにしゃがみ込む。右手でそれを取り、自然に視線を上げた。

 

 

 

「──────っ」

 

「………………あ」

 

 

 

 

 そして、顔を上げて僕の目に入ってきたのは、すらりとした綺麗な白い二本の足。

 

 椅子に座っているため、スカートが少しだけはだけているように見えてしまうこの角度。 

 

 必然、見えてしまうその見えてはいけない太ももの向こう側にある一枚の布。

 

 

 それを見た途端、我を忘れてしまった。どうすればいいのかわからず視線をさらに上げた。

 

 

 

 そして思った。───僕の共学生活は、ここで終わりを迎えるのだ、と。

 

 

 消しゴムが落ちていたのは生徒会長の席の前。それを拾って視線を上げたところにあったのは彼女の足とその他諸々。

 

 目を逸らした先にあったのは、新緑色の両眼と真っ赤な顔。生徒会長は両手でスカートを押さえながら僕を睨みつけていた

 

 やってしまった、と思ったときにはもう遅い。見てしまったものを返すことはできない。忘れろと言われてもそう簡単に忘れることが出来ないのがこの世界の理。

 

 自分が何をやらかしたのかを自覚した時点で諦めた。人生には諦めるときも必要だ、と僕が好きな小説家が書いた小説に書いてあったから。

 

 

 

「ご、ごめんっ!」

 

「──────っ!」

 

 

 

 その言葉を、生徒会長の下着を見てしまった僕は信じることにしたのだった。

 

 

 




次話/宝石を砕く方法
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