生徒会長は砕けない   作:雨魂

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夕方夕焼け夕陽くん

 

 ◇

 

 

 

 それから先に店を出たダイヤさんに追いつき、一応さっきの謝罪をしておいた。機嫌を損ねてしまったと思っていたけど、案外すんなりといつも通りの硬度まで下がってくれた。そこだけは少し予想外。もしかしたらダイヤさんは最初からそこまで気にしてなかったのかもしれない。

 

 何はともあれ、普段と同じ雰囲気で会話が出来るようになったのでよしとする。気にし過ぎても疲れて大変だし、あの出来事は白昼夢のようなものだと思う事にした。それにしても良い夢を見たな、うん。

 

 不思議な雰囲気の雑貨店を出た後はダイヤさんにお願いして駅の北口にあるデパートに行き、花丸へのお土産を買った。ダイヤさんも風邪をひいて寝込んでしまっている妹のルビィちゃんに、好物のスイートポテトを買っていた。優しいんだね、と言うと『たまには甘やかしてもいいでしょう。今日は特別ですわ』と返された。さらに『……ルビィにあまり多くのスイートポテトを与えてしまうと、あの子にはおかしな霊が取り憑きますの』とか訳の分からない事も呟いていた。スイートポテトを食べさせ過ぎると霊が取り憑く? 一体どういう事だろう。帰ったら花丸に訊いてみよう。ルビィちゃんと仲の良いあの子なら、あるいは知ってるかもしれない。

 

 そうしてまたしばらくウィンドウショッピングをして、特にやる事もなくなったので僕らは内浦に帰る事にした。本当はもっと色々な遊びにダイヤさんを連れ回したかったけれど、今日はそんな目的で駅前に来た訳ではないので止めておいた。

 

 何となくこれ以上を求めるのは違う気もしたし、僕らはまだそんな事をするほどの仲ではないのは自覚してるから。もちろん、いつかはダイヤさんと二人でちゃんとしたデートがしてみたい。夏祭りも結局は花丸とルビィちゃんが付いてきたので、あれをデートと呼ぶのは少し誇張が過ぎる感じがする。

 

 

 

 ……それに、あんなよく分からない出来事に巻き込まれてしまった事もあったから、尚更そう思えない。正直に言うと、あの花火大会は僕の中ではあまり思い出したくない思い出になってしまっている。

 

 楽しかった筈の花火大会は、最終的に忘れてしまいたい記憶として残る事になった。何故かは、あの時に起きた出来事を思い出せば痛いほど理解出来る。

 

 やめよう。ダイヤさんと一緒に居る時、あれは思い出してはいけない。そして、口にしてもならない。あの日、家に帰った後、布団の中でそう決めた筈だ。

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 バスに揺られて僕らは沼津駅前から内浦へと帰ってきた。それからダイヤさんは家の最寄りにあるバス停から二つほど前で降りたい、と言った。彼女がそうする事を選んだ意味はよく分からなかったけど、僕には断る理由もなかったのでダイヤさんの言葉に従った。

 

 僕らは今、小さな砂浜を二人で歩いている。あの蜜柑色の髪をした明るい二年生の実家、十千万旅館の前にある浜辺。ダイヤさんは黙ってそこへと足を向けたので、僕は理由も聞かずにその後を追った。

 

 後ろ手を組み、足元を見ながら波打ち際をゆっくりとしたスピードで歩くダイヤさん。彼女の凛とした背筋と、海に沈み行く夕日の光に当てられた艶やかな黒髪を眺めながら、数メートルの距離を空けて後をついて行く。

 

 非常にどうでもいいが、彼女の荷物は全て僕が持っている。理由は……悲しくなるので思い出さないでいいや。好きな女の子と一日買い物をした代償だと思っておけばいい。そう思えば多少、持っている荷物の重さを忘れられる気がした。

 

 静かな潮騒とひぐらしの声が九月の汀に響く。夏の暑さを忘れかけ始めた駿河湾から吹いてくる黄昏時の潮風は、ほんのりと秋の涼しさを纏っている感じがした。

 

 でも、海の水は今の時期が一番温かいらしい。海水の温度は、気温が変わってから一カ月遅れて変化するという。なので九月の海水の温度は実際、八月の海の温度なんだ。海の温度はそんな風に変わっていく。詳しい理由はよく分からないけど。この間、そんな話を果南さんから聞いた。

 

 果汁百パーセントのオレンジジュースのような色をした海を眺めながら、人気の無い砂浜を歩く。頭上から海猫の可愛らしい鳴き声がひとつ聞こえた。ふと視線を上げると、紅く染まった空の中を一匹の海猫が気持ちよさそうに泳いでいた。

 

 空を泳ぐ、なんて表現は少しばかりクサい気もする。けれど、本物の海が傍にある場所から空を仰ぐと何となく、そんな風に見えてしまう。不思議な感覚だった。

 

 

 

「ねぇ、ダイヤさん」

 

「なんですの?」

 

 

 

 前を歩く綺麗な背中に声を掛けると彼女は立ち止まり、こちらを振り返る。それから首を傾げて僕の顔を見つめてきた。

 

 夕焼け色に染まるダイヤさんの顔は、いつも以上に美しく見えてしまった。まるで、夕日が彼女の顔に化粧を施しているようだった。

 

 心臓を高まらせながらも平静を装う。海の方を見る振りをして、前に立つ雅やかな生徒会長から目を逸らした。

 

 

 

「どうして、手前でバスを降りたの?」

 

 

 

 そう問いかけるとダイヤさんは納得するようにああ、と小さく声を出した。横目でどんな顔をしているのか確認する。彼女は、僕と同じ海の方向へと目線を向けていた。

 

 

 

「別に、深い理由はありませんわ。少しだけ歩いて帰りたかっただけです」

 

「……そっか」

 

「それに、私は夕暮れ時の内浦が好きなのです」

 

「どうして?」

 

 

 

 僕の疑問に少しだけ考えるような素振りをして、ダイヤさんは再び口を開く。

 

 

 

「それは、私にもよく分かりませんの。気づいた頃には、こんな景色を気に入っていました」

 

「その感覚はなんとなく、分かる気がするよ」

 

 

 

 ダイヤさんの言葉に共感を覚え、思わず頭を数回頷かせた。

 

 人にはそれぞれ、そういうものが存在する。理由は分からないのに、何故か気に入ってしまうもの。誰かが口を揃えて嫌いだ、と言うのに自分だけは好きになってしまうもの。

 

 

 

「では夕陽さんは、どんなものが好きなのですか?」

 

「月並みだけど、僕も夕日は好きだよ」

 

「? ………………あ、あぁ。そういう事ですか」

 

 

 

 僕の答えにダイヤさんは間を置いてから反応してくれた。何となく分かる。彼女は今、僕が自分の事を好きだと言ったのだと勘違いしていた。ちょっと酷い。別にいいけどさ。

 

 

 

「その理由は、言わなくても分かるでしょ?」

 

「はい。あなたは、夕日を好きになるために生まれてきたような名前をしていますからね」

 

 

 

 口に手を当てて、クスクスと上品に笑いながらそう言ってくるダイヤさん。何だか名前を小馬鹿にされた気がした。悪い気はしないけど、ちょっとだけ不服だ。

 

 ダイヤさんにそう言われたのなら、僕も言い返せる。僕と同じ、この世界に存在する何かの固有名詞が名前に付く彼女になら、言い返す事が出来た。

 

 

 

「じゃあ、ダイヤさんはダイヤモンドが好きなの?」

 

「む。それは、どういう意味でしょうか」

 

「だって、ダイヤさんはダイヤモンドを好きになるために生まれてきた、みたいな名前をしてるからね」

 

 

 

 と、先ほど言われた事の内容だけを変えて言い返す。ダイヤさんは頬を少し膨らませて、目を細めながら僕の事を睨んでいた。でも、凄く怒ってる訳じゃなさそうなので安心する。

 

 

 

「ふん。私は別に、ダイヤモンドが好きな訳ではありませんわ」

 

「ふふ、そうなんだ。僕とは違うんだね」

 

()()のダイヤなど、私は持っていませんので」

 

「あ……」

 

 

 

 ダイヤさんはそっぽを向きながらそう言う。でも、その言葉には少しだけ違和感があった。僕がそれに気づいたとほぼ同時に、ダイヤさんもハッとした表情になったのを目は見逃さなかった。

 

 

 

「い、いえ。なんでもありませんわ。今のは、忘れてください」

 

 

 

 ダイヤさんは訂正するようにそう言う。でも、彼女の言葉を聞いてしまった僕の思考回路は、そのお願いを簡単に受け入れてくれなかった。

 

 ダイヤさんは、本物のダイヤは持っていない。なら、逆説的に言えば偽物のダイヤは持っているという事になる。

 

()()()()()()。それが何なのか、今は知っている。けど、言葉には出さない。理由はひとつ。僕は、あの日の事を忘れると決めたから。 ダイヤさんが、僕が持っているものと同じ玩具の宝石(ダイヤ)を持っている事は口にはしない。その意味が分かる時が来るまで、何も知らなかったように日々を過ごして行く。それが出来なければ、僕らは以前と同じようには関わる事が出来くなってしまう。

 

 夏祭りの夜。廃墟のマンションの屋上で口にした事以外は、互いに何も語らなかった。そう、言ってみれば僕らは真実を知る事から〝逃げた“のだ。

 

 それを知ってしまえば、僕達は確実に今までとは違う関係になる。どんな関係性になってしまうのかは想像もしたくない。

 

 もしかしたら近づくのかもしれないし、もしかしたらもう二度と口を利かなくなってしまうかもしれない。

 

 そうならない為に、僕とダイヤさんは逃げた。それが正しいのか間違っているのかは、分からないけれど。

 

 つまり、今の僕らの関係性は、本物ではない。玩具の宝石のように簡単に作れてしまう、どうしようもない────偽物なんだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 波打ち際に、沈黙が落ちる。その静寂(しじま)に流れるのは、秋を近くに感じた汀が奏でる素朴な音。それと、近くの県道を車が通り抜けていく音。本当に、それくらい。

 

 いつまでもこうしていたら、夜になってしまう。それはいけない。花丸も心配するだろうし、早く帰らなくちゃ。

 

 

 

「夕陽さ」

 

「近くまで送るよ。暗くなっちゃうから、早く帰ろう」

 

「…………」

 

 

 

 ダイヤさんは何かを言おうとしたけど、それをわざと遮って言った。これ以上、()()()に関する話題は語りたくない。ダイヤさんがどう思っているのかは知らないけれど、とにかく僕は嫌なんだ。

 

 他の誰かなら、きっともっと早い段階で話をしていたかもしれない。お互いが感じている違和感や知っている事、どうして記憶の中に過去の黒澤ダイヤという女の子が居るのか。何故、幼い頃の夢の中に彼女が出てくるのか。

 

 本当は話さなくてはならない事なのかもしれない。でも、僕は話さない。話したくない。

 

 僕らの間に何が起こってるのかは知らない。確実に何かが起こってるのは、痛いほど自覚してる。ただ、それを話してしまえば、僕らは恐らく()()に近づく。そうなれば今までの関係性が崩れる。いや、違う。

 

 僕は、ダイヤさんが好き。この事実だけはどんな事が起きようとも変わらない。たとえあと一時間でこの世が終わったとしても、僕は彼女を好きで居続けるだろう。

 

 僕は今、ダイヤさんに対してそれくらい大きな恋をしている。だからこそ、正しい段階を踏んで彼女にこの想いを伝えたい。余計な事は考えたくないんだ。

 

 

 

 ────純粋に、()()()()()()()()()黒澤ダイヤという生徒会長の事が好きだから、この感情を彼女に伝えるまでは何も知りたくなかった。

 

 

 

()()()に関する話をしたくない理由は、それだけ。

 

 

 

 

 

「ゆうひ…………」

 

「え?」

 

 

 

 突然、名前を呼ばれた。でも、ダイヤさんは僕の事を見ていない。海の向こうに沈もうとしている橙色の球体の方を向いている。それに、僕の名前を呼ぶ時のイントネーションとは少しだけ異なっていた。

 

 ダイヤさんは口を閉ざしたまま、夕日を見つめている。彼女がどういう気持ちでそれを眺めているのか。何を思って、何を感じているのか。

 

 もし、それが分かったら、ダイヤさんの事をどう思ってしまうんだろう。そんな事は当然、分からない。けど、思う事はある。

 

 彼女の全てを知ってしまったら、僕は本当の意味でダイヤさんの事を愛せるのかな、と。

 

 

 

「夕日を見ていると、思い出してしまうのです」

 

 

 

 ダイヤさんは夕陽()ではなく、夕日に向かってそう言った。主語がない、センテンスとしては大きな欠落を抱えた言葉。けれど、そこに含まれる何かがあるのはよく伝わってきた。多分、主語が入っていた場合の言葉よりも、強く。

 

 ここで僕が彼女に投げるべき言葉は『何を?』という疑問。それを訊ねれば、ダイヤさんはきっと答えを教えてくれる筈だ。

 

 でも、僕はそうしない。そうする事を選ばない。何故か? 答えは簡単だ。

 

 

 

「…………そっか」

 

 

 

 僕は、誰よりも臆病者だから。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ダイヤさんは僕の言葉を聞いて、一瞬驚いたような表情を浮かべてこちらに目を向けてくる。だがそれも、すぐ不機嫌そうな顔に変わった。

 

 それは何となく『どうして訊いてくれないのです』と言いたげな表情にも見えた。

 

 

 

「本当に、貴方は変わっています」

 

「そうかな」

 

「十七年の中で出会った男性の中で、一番変わっているのが貴方ですわ」

 

「それは言いすぎじゃないかな?」

 

 

 

 いくらなんでもそれは大袈裟だろう。……冗談だよね? 本当だったら自分を嫌いになっちゃうよ? 

 

 ダイヤさんはため息を吐いて、僕の方へと近づいてくる。近くに押し寄せる穏やかな波が、ダイヤさんのため息を受けとめて何処かへと連れて行ってくれた。

 

 

 

「いつもいつも。私の事を戸惑らせ、困らせる」

 

「…………」

 

「それに、建前ばかりを言って本音をなかなか言わない……罪な人」

 

 

 

 ダイヤさんは呆れたような顔でそう言いながら、砂の上を歩いてくる。

 

 彼女が何を言いたいのか分からず、首を傾げる。

 

 それからダイヤさんは僕の前に立ち、ほとんど変わらない目線の高さで目を見つめて来た。距離として一メートルもない。この潮騒がなければ、高鳴る心音がダイヤさんに届いてしまいそうなくらいの距離。

 

 緊張で息が詰まり、何かを言うために口を開こうとした。でも、ダイヤさんは僕の唇の前に人差し指を立てて、言葉を言わせてくれなかった。

 

 

 

 その代わりに、微笑みながら。

 

 

 

「本当に────ぶっぶー、ですわ」

 

 

 

 そんな言葉を、囁くように言った。

 

 





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