生徒会長は砕けない   作:雨魂

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だいぶいい感じ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 お寺の門の前にある石段に腰掛けながら、胸の中に蟠った感情を言葉にして隣に座る果南さんへ悩みを伝える。

 

 際どい言葉はやんわりと流し、エッジの効いた話題は分かりやすいように角を削ってから口にした。自分でも分かるほどの拙い説明だけれど、果南さんは終始真剣な顔をして僕の言葉を聞いてくれた。

 

 

 

「なるほどね。それで、夕陽くんは悩んでたんだ」

 

 

 

 一通り話し終えると果南さんは両手を石段について、頭上に広がる青空を仰ぎながらそう言った。僕も倣うように天を見上げる。夏の名残を感じさせる入道雲が悠然と浮かぶ南の空。この憂いが雲と一緒に流れて何処かの街で雨を降らせればいい、と在る筈もない事を想像した。

 

 目を閉じて、息を吸い込む。澄んだ朝の空気と爽やかな海のような甘い香り。それが隣に座る果南さんの匂いだと分かった時、少しだけドキッとしてしまった。

 

 

 

「うん。やらなきゃいけない事は分かってるんだけど、どうにも勇気が出なくてさ」

 

 

 

 足元に視線を下げ、情けない事を口にする。石段の上で一匹の蟻が彷徨っていた。それはまるで、何処に行けばいいのか分かってるのに進めない、何処かの誰かさんように。

 

 

 

「でも、夕陽くんはダイヤが好きなんでしょ?」

 

「…………そう、だけど」

 

 

 

 ド直球な質問が隣から飛んでくる。北の大地で活躍する有名なプロ野球選手並みのストレート。あまりに速すぎるボールに対応できず、僕はバットを振る事すら出来なかった。何の話だ。

 

 

 

「なら、大丈夫じゃない?」

 

「ごめん。何を持ってそんな自信が出てくるのか全然分かんないんだけど」

 

 

 

 果南さんは平然な顔をしてそんな事を言い出した。一体どのへんが大丈夫なのだろうか。

 

 隣に座る青い髪の女の子は口元に手を当てながらんー、と何かを考えるような声を出す。それからすぐに僕の方へと顔を向けてきた。

 

 

 

「なんとなく、かな。えへへ」

 

「僕を馬鹿にしてるのかな?」

 

 

 

 舌を出して笑う果南さん。そんな事を言ってしまう自分を、今は許してあげたい。だって、どう考えてもそうとしか思えなかった。そしてそれはあながち間違いじゃないだろう。これ以上いじわるすると、もう信吾のお宝写真(女装)をあげないからね。

 

 

 

「ごめんごめん。そういうつもりじゃなくてさ」

 

「じゃあどういうつもりだったの?」

 

 

 

 抑えようと思ったけど、無理だった。まぁ、彼女にも思惑はあるのだろうし、一応聞いておく事にした次第である。これでまた投げやりな理由だったら怒ってやろう。それから明日、学校で信吾に泣きついてやる。

 

 散歩しているおばあさんが、亀のようなスピードでお寺の前を歩いていく。笑顔で挨拶をされたので、僕らは揃って会釈を返した。それからおばあさんは幸せそうな表情を浮かべて、東の方へと変わらずにゆったりとした足取りで歩いて行った。今日も内浦は平和。この穏やかさは癖になる。

 

 

 

「だって、ダイヤも夕陽くんの事、気になってるみたいだし」

 

「え゛……?」

 

 

 

 果南さんが零した言葉に、自分でもイマイチ何処から出したか分からない変な声が出てきた。急に何を言い出すんだろう、この子は。

 

 

 

「だから大丈夫かなー、って何となく思ったの」

 

「ちょ、ちょっと待って。冗談は止めてよ」

 

「うん? 冗談じゃないよ?」

 

 

 

 そう言うと、果南さんは目を丸くして首を傾げながら返してくる。『なんで分からないのかなん?』とでも言いたげな顔をしていた。分かるわけないでしょ。いい加減にして。

 

 

 

「ダイヤさんが、気になってる……?」

 

「そうだよ。夕陽くんと話をしてる時のダイヤはいつも嬉しそうだから。あんなダイヤ、今まで見た事ないもん」

 

「………………」

 

「だからきっと、ダイヤも夕陽くんの事が気になってるんだよ。自分でも意識してなさそうだけどね、あの子は」

 

 

 

 なんて、爽やかな微笑に可愛らしい声を乗せて果南さんは言い切った。その話が嘘ではない、と彼女の目は強く訴えかけてくる。

 

 けれど、僕の臆病な心は彼女の言葉が真実であると思ってくれなかった。どうしても否定してしまう。事実を自動的に拒絶してしまう。どれだけ頑張っていても、嫌いな人の事は絶対に認められない、あの最悪な反応のように。

 

 

 

「そんな事───」

 

「無い、って言いたいんでしょ? 夕陽くんは」

 

「っ」

 

「ふふ。そうだ、って顔してるね。どうして男の子って分かりやすいんだろう」

 

 

 

 否定しようとしたのに、果南さんはその言葉を待っていた、というように僕の声に言葉を重ねてきた。

 

 果南さんはさっきの言葉を僕が否定する事を読んでいた。つまり、彼女に心を見透かされていたのか。というか、そんなに分かりやすいのか、僕。その辺は自分じゃ全然わからない。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 黙って何を言うべきか考える。でも、浮かんでくるものはどれも果南さんの言葉を否定しようとするだけの、弱気な台詞。

 

 もしここで自信を持ってそうか、と彼女の言葉を前向きに受け入れる事が出来たのなら、それはどれだけ簡単な話だっただろう。

 

 僕が僕自身に自信を持てる人だったのなら、こんな風に思い悩んで友達に話を聞いてもらったりする事もなかったに違いない。

 

 如何せん、ここに居る夕陽という人間は、そんな自信などひとつとして持つ事が出来ない弱い男。何をしても、何を聞いても、()()を信じる事がどうしても出来ない、ただの弱虫。

 

 ダイヤさんと恋人同士になりたいのに、前に足を踏み出す事すら出来ない。あの子の事をよく知っている友達に背中を押されても、結局は『まだ無理だ』と勝手に結末を決めつけて、元居た場所に戻ろうとする。

 

 どうしてだろう。どうして、僕はここまで自分自身に自信を持つ事が出来ないんだろう。

 

 どうして、自分を否定してばかりなのだろう。そんな事をしても、前に進めないのに。進むどころか、後退してしまう一方なのに。

 

 それも全部、分かってるのに。

 

 

 

「あ、そうだ。夕陽くん」

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと運動する格好になって来てよ。私はここで待ってるからさ」

 

「? 運動?」

 

 

 

 果南さんは良い事を思いついたというように、突然そんな事を言い出す。当然意味が分からず、首を傾げて訝しみの視線を彼女に向けた。

 

 

 

「そうそう。良いからとりあえず着替えてきてよ。特別に、私が良い事教えてあげるから」

 

「……まぁ、良いけど」

 

「やった。じゃあ待ってるね」

 

 

 

 そう言って、嬉しそうに微笑む果南さん。どうしてそんな事をしなければならないのか理解出来ないけれど、黙っていても仕方ないので彼女の言う通りにする。

 

 良い事、とは一体何の事なんだろう。

 

 なんて事を想像しながら、僕は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 それから果南さんの言葉に従い、急いで運動をする格好に着替えてお寺の門へと向かった。

 

 果南さんのように運動をする習慣などない為、普段はこんな格好をする事は滅多にない。どうしてこんな格好に着替えるよう果南さんは言ってきたのか。着替えながらそれを考えてみたけれど、思い当たる節はひとつとしてない。

 

 だがその答えは、門の前に戻ったらすぐに分かった。というより、強制的に理解させられた。

 

 真意のほどは、未だに分からないままだけれど。

 

 

 

「─────ほら夕陽くん、また遅れてるよっ。もう少しだから頑張って?」

 

「はぁ、っ……はぁっ。もう、ダメ……」

 

「諦めちゃダメだよーっ。男の子でしょ? もっとしっかりするっ」

 

「そ、そんな事……言われたって」

 

 

 

 燦燦と日光を内浦に注ぐ太陽の下。アスファルトを蹴りながら海岸通りの県道を東へと進む。

 

 全身は頭のてっぺんから足の爪先まで汗だくで、荒くなった呼吸は一向に治まる事を知らない。心臓はとんでもない早さで拍動を繰り返し、肺はこれでもかというほど酸素を求めて空気を吸おうと躍起になっている。口の中は鉄の味の飴を舐めているような感じがして、さっきから脇腹に酷い鈍痛を感じている。

 

 なんでこんな事になっているのか。数十分、この状態のままでいるのにイマイチ理解出来ていないのが現状だ。

 

 先を行く青い髪の女の子は、後ろをついて行く僕の方を振り返って呆れ顔を浮かべ、ため息を吐いている。

 

 どうしてこんな事をしなくちゃいけないんだよ、と心の中で嘆きを零す。文句を言おうにも、苦しくて言葉を吐く事が出来なかった。もうやだ。いっそこのまま海に落ちてしまいたい。

 

 

 

「止まっちゃダメーっ! こんなんじゃダイヤに嫌われちゃうよ!?」

 

「はぁっ、ちょ、ちょっとだけ……休ませて」

 

「さっきもそう言って休んだでしょっ。我慢してればすぐにきつくなくなるから大丈夫!」

 

「ああああぁ……」

 

 

 

 果南さんに手首を掴まれ、引きずられるように前に進む。我慢してれば大丈夫って、それは一体どういう理屈なんだろう。人間の身体の仕組み的にそうなっているんだろうか。それともただの根性論なのか。疲弊したこの頭では、そんな事すら考えられない。

 

 

 

 僕らは今、海岸沿いの歩道を()()()()()。何故かは知らないけど、とにかく僕は果南さんに無理やり引っ張られながら、両足を交互に前へと出し続けていた。いわば惰性というやつだ。なんでこんな事になってるんだろう。

 

 

 

 果南さんに運動出来る格好に着替えるように言われ、その通りにしてお寺の門の前に戻った。そこまではよかった。

 

 だが、彼女は何を思ったのか突然何処かへ向けて走り出し、僕も強制的にその後をついて行かされ、今に至っている。

 

 

 

「夕陽くんの根性、私に見せてよっ。ほら、自分の足で走る!」

 

「無理なものは……無理です……」

 

 

 

 運動など体育の授業でしかしない僕が、長い距離など走れる訳がない。数百メートル進んだ時点で今のように、果南さんは走りながら色んな前向きな言葉を僕にかけてくれるようになった。

 

 しかし、どんなにそんな言葉を言われても、身体が気持ちに追いついて来ない。出来る事なら果南さんのように息ひとつ切らさず走ってみたいけど、出来ないものは出来ないのが世界の理。

 

 手札にないカードを出せない事と同じだな、と果南さんに手を引かれながら思った。むしろ走れる人の心を知りたい。それを知るのは多分、来世以降になると思うけど。

 

 

 

「頑張ったら良い事あるよ! 夕陽くんなら出来るってっ! 自分を信じるんだよ、自分を!!」

 

「………………っ」

 

 

 

 果南さんに声を掛けられ続けるが、段々それに対して返事を返せなくなってきた。視界に霧がかかり始め、意識が朦朧としてくる。あ、ヤバい無理。吐きそう。

 

 頼むから、誰か助けてくれ。

 

 

 

 

 

 ─────そうして、果南さんに腕を掴まれたまま引きずられるように走り続け、ようやく目的地であった場所へ到着する。

 

 しかし、僕にはそれを喜ぶ体力すら残されていなかった。情けなく地面の上に寝そべりながら、限界まで減った体力を取り戻していく。もはや自分が何をしているのかも分からなくなっていた。

 

 

 

「ふぅ、やっと着いた。お疲れさま、夕陽くん」

 

「………………」

 

 

 

 倒れている僕の前にしゃがみ込んで声をかけてくれる果南さん。しかし、言葉を返す事は出来なかった。出来たのは頭をなんとか頷かせる事だけ。

 

 一切息を切らすことなく、水色のリストバンドで額にかいた汗を拭う彼女の姿を見て、この子は自分とは違う生物なのではないか、と本気で思い始めた。どうして疲れてないの。イミワカンナイ。

 

 

 

「ごめんね、急に付き合わせちゃって。疲れちゃった?」

 

「……むしろこの状態を見て、疲れてないって思う方が変だと思うよ」

 

「あはは、そうかも。でも頑張ったね。やっぱり夕陽くんは根性があるよ。えらいえらい」

 

 

 

 そう言いながら、果南さんは倒れる僕の頭を優しく撫でてくる。いつも信吾がやってる事を真似してるんだろうか。

 

 いずれにせよ、悪い気分にはならないので手を振り払ったりはしない。というか疲れすぎてそんな事すら出来なかった。

 

 目を閉じて、体力が回復してくれるのを待つ事にする。海の方から吹いてきた穏やかな風が周りを囲む雑木林の枝を揺らし、さわさわと小さな音を立てていた。

 

 

 

 どうして果南さんは僕をランニングに付き合わせたのか。息を正しながら考えてみる。でも、上手い答えが浮かんでこない。あるのは走った事による疲労感と、ほんの少しの達成感。本当に、それくらい。

 

 果南さんは良い事を教えてあげるから、と走る前に言っていた。走り終わった今なら、彼女はそれを教えてくれるのだろうか。

 

 

 

「…………はぁ」

 

 

 

 瞼を開けて、空を見上げる。背の高い木々が立ち並んでおり、細い無数の木漏れ日が地面に寝そべる僕の事を照らしてくれていた。

 

 ここは、学校近くにある小さな神社。たしか、名前は弁天島、とか言っただろうか。果南さんはどうやらここを目指して走っていたらしい。

 

 赤い鳥居を潜り、細い階段を上った先にある小さな祠の前。そこに、僕と果南さんは居た。

 

 あるのは知っていたが、ここに来るのは初めてだった。なかなか神秘的な場所だな、と思いながら頭上から落ちてくる木漏れ日を見つめる。

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「うん。おかげさまでね」

 

 

 

 それからようやく呼吸と心拍数が元に戻り、上体を起こす事が出来るようになるまで回復した。それでも疲労感は抜けないし、身体中は汗まみれのまま。

 

 だけど何だか、走る前より頭の中がスッキリした感じがする。散らかっていた部屋を整理し終わった時のような。あまり感じた事がない、不思議な感覚だった。

 

 

 

「ねぇ、夕陽くん?」

 

「どうしたの、果南さん」

 

「さっき考えてた事、まだ悩んでる?」

 

 

 

 隣にしゃがみ込んだ果南さんに、そう問われる。ちょうど今、その事を考えていたから少し驚いた。同時に、またさっきのように考えている事を見透かされているんじゃないか、と思ってしまった。

 

 果南さんはやっぱり、僕が感じている事が分かるのだろうか。でも、それは何故? 訝しみながら頭を横に振った。

 

 

 

「いや、今は何も」

 

「何も?」

 

「自分でもよく分からないけど、考えが整理されてるっていうか。なんとなく、そんな感じがするんだ」

 

 

 

 今の感覚を拙いながらも言葉にしてみる。すると果南さんはその言葉を待っていた、というように嬉しそうに笑った。

 

 

 

「そっか。それならよかったよ」

 

「? よかったって?」

 

「私はそうなってほしいから、夕陽くんに走ってもらったんだ」

 

 

 

 そう言われるけど、まだよく理解出来ない。首を傾げていると果南さんは言葉を続けた。

 

 

 

「色々悩んでる時に汗をかくとね、なんでか分からないけど自然と考えがまとまるんだよ。ちょうど、今の夕陽くんみたいに」

 

「………………」

 

「悩んでる時とか考え事をする時には、走るのが一番だと私は思ってる。ジッとしてても気持ち悪いだけだからね」

 

 

 

 果南さんは微笑みながら、そう言ってくれた。彼女の頬を伝う汗の粒が、綺麗な顎先から地面へと音もなく落ちて行くのを黙って見つめた。

 

 悩んでいる時には走るのが一番。それは、言葉だけで言われても多分伝わらない。こうやって実際に走って、外の空気を吸って、汗をかいてみないと絶対に分からない感覚。

 

 今までそんな事は知らなかった。だって、そんな目的の為に走った事なんて生まれてから一度もない。

 

 走るなんて、疲れるし汗をかくし、ただ単純につらい事のようなイメージを持っていた。いや、走り終わった今でもそう思う。

 

 走る事はつらい事。得られるメリットなんて一切ない。果南さんのように毎日走る人の気持ちが全然分からない。そう思っていたのに。

 

 

 

「走ると、考えがまとまる……」

 

「そう。まとまるだけじゃなく、なんとなく前向きな気持ちにもなれるんだよ」

 

「それは、どうしてなの?」

 

「うーん。難しい事はよく分からないけど…………多分、走ってる最中は前を向いてるから、じゃないかな?」

 

 

 

 腕組みをしながら、そんな答えをくれる果南さん。いつも走ってるこの子でも分からないのか。なら、走るっていう行為にはどんな意味があるんだろう。それが知りたい、と少しだけ思ってしまう自分が居た。運動は大嫌いな筈なのに。

 

 

 

「そうなんだ」

 

「うん。だから、私は走るんだよ。あわしまマリンパークからこの弁天島、往復約七キロ。時間にするとだいたい四十分くらい。それを毎日休まず走るのが、私の日課」

 

「…………凄いね」

 

「全然凄くないよ。だって、走るとこんなに気持ちが良くなるんだよ? 良い事があっても嫌な事があっても、走ってる四十分間だけはそれを考えずに済むし、走り終わったら自然と気持ちが整理されてる。走るだけでこーんなに良い事が沢山ある。それを思えば、毎日走るなんて本当に簡単な事なんだよ」

 

 

 

 果南さんの鮮やかな青い髪が風に揺れる。数秒間、その色に目を奪われてしまった。

 

 彼女が走る意味。それは、考えをまとめるため。色んな気持ちを整理するためだと言った。

 

 僕はずっと、ただ単に走る事が好きだから、体力をつけたいから走ってるものだとばかり思っていた。

 

 

 

「ははっ」

 

 

 

 やっぱり、この子は凄い。思わず笑ってしまうくらい。

 

 あの信吾が果南さんに心底惚れてしまった理由がよく分かる。それは、彼女の見た目だけの話じゃない。性格も、見ている世界も、考え方も、習慣も素晴らしい。

 

 何も出来ない弱虫な僕とは比べ物にならないほど、果南さんは()()()だった。彼女なら、あの信吾と付き合っていて当然だ。文句など言える訳がない。

 

 果南さんが信吾を選んでくれてよかった。信吾が果南さんを選んでくれてよかった、と心の底から思った。

 

 

 

「悩んでる夕陽くんにもそうなってほしかったんだ。分かってくれた?」

 

「うん。よく分かったよ」

 

「じゃあ帰りも走って帰れるよね?」

 

「それは勘弁してほしいな…………」

 

 

 

 果南さんにそう言われるが、それとこれとは話が別だ。走る事の素晴らしさは理解出来たけれど、また走りたいとは誰も言ってない。

 

 

 

「えへへ、冗談だよ。これ以上夕陽くんをいじめたらダイヤに怒られちゃうからね」

 

「その言葉の意味はよく分からないけど、助かるよ」

 

「でも、本当にもう、大丈夫だよね?」

 

 

 

 果南さんは立ち上がりながら、そう訊いてくる。それはきっと、さっきみたいに考え過ぎて自己嫌悪に陥る事はないか、と果南さんは言っているのだろう。

 

 ああ。それは自信を持って言える。落ち着いたらまたダイヤさんの事を考えてしまうかもしれないけど、先ほどのように弱い自分自身を否定する事は出来ない。

 

 弱音を吐きながら、時には立ち止まりながらでも最後まで走り抜いた自分になら、ほんの少しだけ誇りを持つ事が出来るかもしれない。

 

 

 

「……うん。もう、大丈夫だよ」

 

 

 

 全てを受け入れる事は出来なくても、自分自身の弱さなら許せる気がした。

 

 そうして、前を向く。高い崖の上にある、美しい宝石に触れる為に。

 

 いつか、その宝石をこの手で砕く為に。

 

 

 

 





次話/文化祭の出し物=メイド喫茶の方程式は崩れない
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