◇
文化祭が終わり、数時間の片付けと準備を挟んだ後、後夜祭が始まった。
既に日は沈み、辺りは既に闇に包まれている。
頭上に目を向ける。日中は晴れ渡っていた空が、いつの間にか厚い雲に覆われていた。今朝は急いでいたから天気予報を見る暇がなかった。もしかしたらこれから雨が降るのかもしれない。
校庭の真ん中に組まれた大きなキャンプファイヤー。生徒達はその周りで、文化祭で残った余り物の食べ物や飲み物を口にしながら友達と話したり、流れる音楽に合わせて踊ったりしてる。ちなみに踊っているのは僕らのクラスの男子。正直恥ずかしいので早々に止めてほしい。そう願う限りだった。
こんな風に全校生徒が揃って夜の学校に居るなんて、普段の学校生活では経験できない特別な時間。みんな嬉しそうな顔をして、この後夜祭を楽しんでいる。
僕は、キャンプファイヤーから少し離れた所にある鉄棒に背中を預けながら、そんな光景を眺めていた。黄昏ている訳じゃない。騒がしいクラスメイト達の中に入りたくない訳じゃない。
ただ、今は何となく、一人になりたかっただけ。
「…………」
海の方から吹いてくる冷たい潮風が、近くにある針葉樹の葉と僕の前髪を揺らした。九月も中旬。これから吹く風はもっと冷たさを帯びてくる事だろう。
そんな事を考えながら、深呼吸をひとつ。
───第一回目となる浦の星学院の文化祭は、大盛況のまま幕を閉じた。
これが僕の高校生活の中で一番盛り上がった文化祭だったと、今なら確信できる。六月の体育祭も楽しかったけれど、今回は一味違った面白さがあった。
女子生徒がいる文化祭。男子校時代も一般参加として他校の女子生徒が来てくれたりしたけど、それとはまた異なる。
あの時は女の子達の目線を集めるのに精一杯で、自分達の楽しさを追及してなかった。あれはあれで今は良い思い出になっているけど。
クラスの出し物も、ステージの出し物も然り。共学生活に慣れた今では、そのどちらにも純粋な
女の子に見てもらいたいとか、そう言った邪な思いはなく、浦の星学院の一生徒として楽しむ事が出来た文化祭。
ダイヤさん達のスクールアイドルのライブも、本当に素晴らしいステージだった。三年間続けていたらもしかしたらラブライブにも出場する事ができたんじゃないか、と本気で思ってしまうほどに。スクールアイドルが好きな僕の目から見てもそう思ってしまうくらい、三人とも良いパフォーマンスをしていた。
でも結局、出し物の優勝はあの独特な世界観の演劇を見せた二年生のクラスに持って行かれた。それに関してはかなり不服だったけれど、盛り上がりでは確実に僕らのクラスの方が上だったので素直に結果を受け入れる事が出来ている。
本当に、良い文化祭だった。今日一日を思い返せば思い返すほど、そう思える。
その最後に残した一世一代の勝負を良い形で終えることが出来れば、もっと良い思い出として残ってくれるに違いない。
「……そろそろ、かな」
ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、現在の時刻を確認する。
約束した時間よりまだ少しばかり早い。けど、待たせるよりは待つ方がいい。
……それに、いつまでもここに居たら誰かが僕を気にしてしまうかもしれないし。
今からする事は、誰にも悟られないようにする。ずっと前からそう決めていた。
誰にも気づかれないように、校庭の端から校舎へと移動する。こうして夜の闇に紛れていれば、誰も気にならないだろう。
「夕陽」
そう思った矢先、誰かが僕の名前を呼んで来た。
「…………信吾?」
声の方に顔を向けると、そこには僕の親友が一人で立っていた。
顔は暗くてよく見えない。でも、いつものようにおちゃらけている感じではないのは、その雰囲気で理解した。恐らく彼は、真面目な顔をして僕の事を見つめている。
「どこに行くんだ?」
「ちょっと、野暮用に」
信吾の質問に曖昧な答えを返す。僕が今から何をしに行くか、彼は間違いなく理解してる。だから改めて言葉にする必要性なんてない。
大切な親友だとしても、今はそっとしていてほしかった。無責任な応援など要らない。勇気付けてくれるいつもの前向きな言葉も必要ない。
僕が欲しいのは、ただの無関心。それが意識しないものでも、意識的なものであったとしても、どちらでも構わない。
とにかく、僕の行動に気づかないフリをしてくれるのなら、それでよかった。
「……そうか」
信吾は小さく言葉を零す。僕の返しを聞いて、これ以上何も話す事はない事を感じ取ってくれたのか、それとも何か違う思惑があるのか。いずれにせよ、追及してこないならそれでいい。
「じゃあ、少し抜けるね」
そう言って、踵を返そうとした。
だけど、次に聞こえた親友の言葉の所為で、再び足の動きは停止する。
「夕陽には、最後まで話を聞かない癖がある」
「……え?」
半身になって信吾の方を向く。彼が言ったのは、応援でも勇気付けの言葉でもなかった。だから、妙に気になってしまった。
「お前は頭が良いから、他人が話してる途中でも内容を全部理解できちまう」
「…………」
「でもな、世の中には
信吾はそれだけ言って、クラスメイト達が居るキャンプファイヤーの方へと戻って行った。
僕はその場に立ち尽くしたまま、彼の背中が遠くなっていくのをただ見つめていた。
◇
下駄箱で靴を履き替え、恐ろしいほどの静けさが漂う校舎の中へと足を踏み入れる。
以前の僕であれば、夜の学校に入る事に恐怖心を抱いていたはず。でも、今はそこまで気にならない。それはきっと、お寺で過ごしたこの半年間でもっと深い静寂に慣れてしまったから。
電気のない真夜中の境内に入ったあの時と比べたら、こんなの昼間の学校と同じだ。それは少し言い過ぎかもしれないけど。
電気を点ける事無く、人気の無い階段を上り、三階にある三年一組の教室へと向かう。暗い階段には僕の足音だけが小さく響いていた。
そうしてすぐに三階に到着し、暗闇に包まれるリノリウムの廊下を歩いて行く。
まだ時間はあるから、多分あの子は教室に居ないだろう。出来るだけ早く着いて、心の準備をしながら待つ事にしよう。
「───ずら?」
「うわぁっ!?」
そんな事を考えながら廊下を歩いていると、空き教室から誰かが急に顔を出して来る。
完全に誰も居ないものだと思い込んでいたから、信じられないほどオーバーなリアクションを取ってしまった。
しかも聞き覚えのある口癖と声だった気がするんだけど、一体どういう事だろう。
「あれ、ユウくん。こんな所でどうしたずら?」
「…………は、花丸?」
情けなく床に尻餅をついた状態で、空き教室から出てきた人の影を見つめる。
暗くてよく見えないけど、おっとりとした声と小さな身体のシルエットは明らかに僕の従妹である花丸のものだった。
でも、なんでこの子がこんな場所に? 彼女の質問をそっくりそのまま返してあげたい。
廊下を歩いていたのが僕だとすぐに分かっていた事から、彼女からは僕の姿が見えているらしい。花丸はゆっくりこちらへと近づいてくる。その間に、埃を手で払いながら立ち上がった。
「大丈夫? 痛くなかった?」
「う、うん。大丈夫だよ……でも」
「ずら?」
ようやく暗闇に目が慣れてきて、目の前に居る花丸の表情が見えるようになる。彼女は不思議そうな顔をして僕の顔を見上げていた。恐らく、僕も同じような顔をしていると思う。
花丸の質問に答える前で悪いけど、こちらからも問いを投げる事にする。驚きすぎた心を落ち着かせるには、そうする方法しか思い浮かばなかった。
「花丸は、何をしていたの?」
僕が訊ねると、花丸は自分が出てきた空き教室の扉の方を一瞥する。
教室内には電気は点いておらず、そこで彼女が一人で何かをしていたとは思えない。
しかも、そこは使われていない部屋。主に男子生徒達が体育の時に着替えたりする時に使われるだけの、用途のない空き教室だった。
「マルは…………」
花丸はそこまで言って、また口を閉ざした。
闇に紛れて見えづらい彼女の表情。どうにか目を凝らして確認する。そして。
「……?」
彼女の顔を見て、僕は訝った。
何故かは知らない。でも花丸は、
真顔でもないし、無表情とも違う。やっぱり言葉で現すのならば、感情のない表情と形容する他ない。
そんな彼女を見て、ほんの少しだけ恐怖心を覚える。そこに居るのは、たしかに自分の従妹である女の子である筈なのに。
目の前に立つ花丸はいつもの花丸ではなく、全くの別人のようにこの目に映っていた。
「秘密ずら」
「どうして?」
「これを言っちゃうと、マルは本当の嘘つきになっちゃうから」
ごめんね、と花丸は謝って来る。そんな必要、彼女にはこれっぽっちもない。
だというのに、何故?
花丸の答えもよく分からなかった。答えを秘密にしたい気持ちは、何となく分かる。でも、その理由の意味が分からない。
『これを言っちゃうと、マルは本当の嘘つきになっちゃうから』
それは一体、どういう意味を含めた言葉なんだ?
「…………」
「ユウくんは、何をしに行くの?」
また花丸が問い掛けてくる。今度は、さっきの問いとは少しニュアンスが異なった質問。それに対しても違和感を覚える。
どうして、彼女は僕がこれから何かを
「えっと。ちょっと、教室に忘れ物をしちゃって」
そんなありきたりな言葉で誤魔化す。この子に本当の答えを教えるなんて、僕に出来る訳がなかった。彼女が僕に本当の答えを応えなかったのと同じように。
そう言うと、花丸は何故か悲しそうな顔をした。僕が嘘を吐いた事に気づいたのか? 違う。もしそれが分かったとしても、彼女なら笑って誤魔化してくれる筈だ。
なのに、どうしてそんな顔をするのか。考えて考えて、水面に浮かび上がってきた答えを掬い上げる。
「…………そうずらか」
───花丸は、これから僕が何をするのか理解している。
そんなあり得ない考えが、たしかに脳の中に浮かび上がってきた。
意味を確かめる為に、僕はまた花丸に訊ねようとした。
その瞬間、廊下の窓の外に
「───ッ」
咄嗟に顔を窓の方へ向ける。
でも、そこには何もない。ただ純粋な漆黒だけが、綺麗な窓ガラスに映り込んでいる。
なら、今見えたのはなんだったんだ? 僕には、人間のような形の
いや、あれは明らかに人だった。ここは三階だというのになぜ、そんなものが窓の外に立っていなくてはならない?
分からない。分からない事が多すぎる。あまりにも突飛な出来事がこの夜に包まれた校舎の中で起きていて、まるで自分が夢の中にでもいるような感覚に囚われていた。
全身に鳥肌が立つのを自覚する。無意識に手足が震え出した。
もし、さっき見えたものが幽霊だったのなら、僕はそれを信じなくてはいけないのか?
だって、そう考えるしか理由が付かない。三階の足場のない窓の外に、人は立っている事など出来ないのだから。
「ねぇ、ユウくん」
視線を前に向ける。そこにはやっぱり、悲し気な表情を浮かべた飴色の従妹が立っていた。
「何?」
「仏教には、こんな言葉があるずら」
花丸はそう言って、僕が見ていた窓ガラスの方へと顔を向ける。
闇に包まれる廊下。その途中に立つ少女の綺麗な横顔を、黙って見つめた。
「目で見えるもの、耳で聞いたものだけが真実ではない。本当の答えは、目では見えない時もある」
「…………」
「マルが言いたいのは、それだけずら」
そんな小さな言葉が、誰も居ない廊下の上に落とされる。
言葉の意味は理解出来ても、彼女がどんな気持ちで、何を僕に伝えようとしているのかまでは分からなかった。
花丸はそれだけを言い残し、僕の前から去って行く。
そんな彼女を引き留める事など、僕には出来る訳がなかった。
遠ざかって行く花丸の後ろ姿を見つめる。すると彼女は一度足を止めて、こちらを振り向かないまま、小さな声で言った。
「ユウくん」
「うん?」
「行ってらっしゃい」
次話/君が好き。