◇
僕は夕日が好きだ。自分の名前が夕陽だから、という理由もあるけど、単純に綺麗だから心が自然に惹かれてしまうだけ。
誰にだってそういうものがあると思う。深い理由はなくとも好きだと思ってしまうもの。例を挙げると、僕の親友は雨が大好きらしい。それはちょっと特殊かもしれないけど。
西の山に沈もうとしている橙色の球体を見つめながら、一人で校門へ続く学校の敷地内を歩く。
信吾は今日から部活が始まると言っていたので、しばらく帰りは一緒に帰れないらしい。そもそも学校が変わって僕が花丸の家に居候することになったから、バス通学の信吾とは学校近くのバス停までしか帰れないのだけど。
校舎敷地内に咲いている桜と、それを淡く照らし出す夕焼け。海の方から吹いてくる潮風が、僕の足元にあった薄紅色の葉をどこかへ運んで行く。それを見ながらこの憂鬱も一緒に飛んでいけばいいのに、と心の隅で思ってしまった。
「…………」
校庭の方から、部活動をしている女子生徒の声が聞こえてくる。それは何気ない日常的なことなのに、中高と男子校に通っていた僕からするとあまり聞き慣れない音声だった。
これから慣れていくのかな、と思ってみたりする。でもこの日常の音を聞くことができるのは、どれだけ長くてもあと一年。慣れた頃には、僕はこの学校からいなくなっていることだろう。
一年、か。それがどれだけ長いものなのか、今の状況にいるとわからなくなる。
学校というものに通い始めて今年で十二年。一年の長さがどれくらいなのか感覚的に知っているはずなのに、今はその当たり前の感覚を見失ってしまっていた。
楽しければ短く感じ、つらいものであれば長く感じてしまうのが人間の心理だと、どこかの学者が言っていたのを思い出す。
今がどちらかと誰かに問われれば、答えたくはないが僕は迷わず後者を選んでしまうだろう。
いつか、短いと思える時が来るのかどうかはわからない。でも、そうなるように努力したいという気持ちがあるのは間違いない。
充実した一年だった、と言えるように頑張らなくちゃ。不安になりそうな心に言い聞かせた。
足元に伸びる影を見つめる。そこにあるのは自分の影なのに、明らかに元気がないのがわかってしまった。しっかりしろ、僕の影。
「おーい、ユウくーん」
「?」
そんなことを考えているとき、名前を呼ばれる。
顔を上げて確認すると、校門の脇で誰かが僕の方に向かって手を振っているのが見えた。
見覚えのある茶色い髪と小さな身体。そして、その隣にはもう一人の影があった。
ゆっくりと校門へと近づいて行った。すると、徐々にもうひとつの姿が鮮明になってくる。
「あれ…………」
だが、そこにいた人の顔が見える距離まで近づいた時、その影は花丸の小さな背中に隠れてしまった。
明らかに僕を警戒したみたいな動き方だった。でも完全に隠れているというわけでもなく、花丸の肩越しからこちらをジッと見つめている。
制服に付いた黄色のリボンは一年生の証。ということは、身を隠してるあの赤いツインテールの子も新入生ってことなのかな。
「や、花丸。待っててくれたの?」
「うん。もうちょっとすればユウくんも来るかなーって、思って待ってたずら」
夕焼けみたいに温かい微笑みを浮かべながら、うれしいことを言ってくれる飴色の従妹。誰もいなかったら頭を撫でてしまっていたかもしれない。
しかし、今は人目がある。というより、その従妹の後ろにもう一人の女の子が隠れている。花丸が小さすぎて隠れきれてないけど。
「そっか、ありがとね。…………えっと、それで」
「ずら? ああ。さっきまで大丈夫って言ってたのに、怖くて隠れちゃったずら」
「………………っ」
あはは、と花丸は笑ってる。けど後ろにいる女の子は僕に全貌を見せてくれない。
自慢じゃないが、僕の容姿は誰かに恐れられるほど怖くないと自負している。むしろその逆だと思うんだけど、なんでこの子は警戒してるんだろう。花丸の細い肩の向こうに見える赤い髪を見つめながら、疑問に思う。
僕の方から挨拶してみればいいのかな、と思いつき、歩み寄ろうとしたとき花丸が口を開いた。
「ほら、ルビィちゃん。この人がマルの従兄のユウくんだよ?」
「………………ぅゅ」
「怖くないから大丈夫だよ。ユウくんはとってもやさしいから。それはマルが保証するずら」
花丸が諭すように言うと赤いツインテールがゆっくりと動き、新緑の目がこちらを見つめてきた。
小動物的な小さな女の子。身長は多分、花丸と同じくらい。ここまでの人見知りもめずらしいな、と思いながら僕はもう一歩彼女たちに近づいた。
「こんにちは」
「っ…………」
「僕は、国木田夕陽。花丸の従兄でこの学校の三年生だよ。君の名前は、なんて言うのかな」
できるだけやさしい口調と声音で自己紹介する。花丸の友達なら、僕も仲良くならなきゃいけない。
僕の声を聞いた赤い髪の女の子はまだ怖がっている感じだったけど、おずおずと花丸の後ろから姿を現してくれた。
緊張してるのが見ているだけでわかる。小さな体躯が縮こまってさらに小さくなってしまっていた。
その女の子は上目遣いで潤んだ瞳を向けてくる。茜色に染まる頬はそれ以上に真っ赤になっていた。
「こ、こんにちわ。く、くろ……」
「くろ?」
「黒澤、ルビィです」
赤い髪の女の子は消え入りそうな声で名前を教えてくれた。静かな春の校門じゃなかったら聞こえなかったかもしれない。でも、ちゃんと聞こえた。
その女の子は、素直にかわいい容姿をしていた。花丸と並んでいるとまるで絵に描いたような美少女二人組に見えてしまう。
けど、彼女───ルビィちゃんの顔が少しだけ誰かに似ているように見えたのは気のせいだろうか。
頭に真っ先に思い浮かんだのは、なぜかあの生徒会長。全然似てない。恐ろしいほど美しい日本人形のようなあの子と、縫いぐるみみたいにかわいいこの子はむしろ正反対だろう。
なのに、どこか面影があるような気がする。
「って、黒澤?」
僕が言葉に出すと、赤い髪の女の子が頷く。そういえば生徒会長の名字も黒澤だった。それに何より、この子は自分の名前をルビィと言った。
ルビィ、ダイヤ。連想されるのは当然宝石。そこまでわかって予想が外れるだなんてことはまず起きないだろう、と僕は思ってしまった。
その予感を形にするために訊ねる。
「もしかしなくても、生徒会長の妹さん?」
「は、はい」
なんと。あの生徒会長にこんな可愛い妹がいたなんて。明日男子たちに教えてやらなければ。
いや、でも少し待とう。こんなおいしい話をばら撒いたらあの生徒会長の弱みを握るためによからぬことを考える奴が出てきてもおかしくない。この一年生が僕らの男子に誘拐されるような事件が起こってしまったら、それこそ一貫の終わりだ。そこまで酷いことはしないだろうけどさ。
生徒会長の妹。それを踏まえてもう一度、目の前に立つ一年生のことを眺める。
僕より頭二つ分くらい低い身長に、真紅のツインテール。新緑の瞳はたしかにお姉さんと同じ色をしている。でもその小さな身体から放たれる空気は姉とは真逆。姉妹なのにここまで違うものなのか、と困惑してしまうレベルだった。
僕らが立っている校門付近に春のやわらかい風が吹き、ルビィちゃんのツインテールが揺れた。潤んだ目はまだ僕のことを警戒しているように見える。
僕の中では花丸の友達というよりも、生徒会長の妹という見方しか出来ず、下手なことをすればまた大変なことになってしまうという後ろ向きな考えしか浮かばなかった。でも大丈夫。いくら理不尽なあの生徒会長でも妹と友達になることくらいは許してくれる、だろう。そう信じたい。
「ルビィちゃんは中学校からの友達ずら」
「そうなんだ。よろしくね、ルビィちゃん」
「ぴぎっ……よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてくるルビィちゃん。礼儀正しくていい子だな、と思ってみたりする。やっぱり家でそういう厳しい躾を受けているのだろうか。
一度茜色の空を見上げてから、二人に言う。
「じゃあ、帰ろうか」
「ずら。行こ、ルビィちゃん」
「あ。待って花丸ちゃん」
そうして僕らは校門を出て、学校の前にある長い坂を下り始める。視線を遠くに向けると、夕焼けに照らされて橙色に色彩を変えた海。その向こう側には富士山のシルエットが見えた。
息を吸うと春の甘い匂いがした。潮の香りが混ざったやさしい春の匂い。これが僕は好きだった。
春は最も穏やかな季節。そう思ってしまうのは僕だけじゃないはず。出会いがあり、そこから始まる日々に希望を抱くのがこの季節。
けど、今年訪れた春は残念ながらいつものように穏やかではなかった。それを悔やむことはできるが、そうしているだけでは何も始まらない。
桜の木を見上げながらここ数日の出来事を思い返し、誰にも気づかれないようにため息を吐いた。
僕らの頭上を旋回する一羽の海鳥が『気にするな』と、声をかけてくれているようだった。
「今日はどうだった、花丸」
「ずら。今日はホームルームで委員会を決めたずら。ね、ルビィちゃん」
「う、うん。そうだったね」
こうして一日の出来事を話し合うのが僕らのお決まり。花丸は楽しいとか、新しい友達が出来たとか、いつも良い出来事の話をしてくれる。
しかし、僕から提供できるのは本当に些細な出来事しかない。親友が女子の下着を見て殴られたとか、落ちた消しゴムを拾おうとして生徒会長のパンツを見てしまいクラスメイト全員見てる中で罵倒されたとか、かわいい従妹には絶対に報告できない事案である。ついでにその隣にいる生徒会長の妹さんにも口が裂けても言えない。
花丸とルビィちゃんは仲良しそうに話をしている。その姿を見ているだけで僕は安心した。僕の高校生活は最悪だが、花丸が過ごす生活が楽しいならそれでいい。
「花丸はやっぱり図書委員になったのかな?」
「ずら。えへへ、ユウくんにはお見通しだね」
「もちろん。何年花丸の従兄をやってると思ってるの」
「十五年と一カ月ずら」
「正解。よく出来ました」
そんな会話をしながら坂道を下る。いつの間にか大きくなってしまった読書好きな従妹が、高校の制服を着て僕の隣を歩いている。
花丸は昔から本の虫だったから、そうなることは容易に想像が出来た。彼女は食べるのも好きだから三度の飯より本が好き、とまでは行かないけど、とにかく本を読むのが好きな女の子。
僕が花丸の家に預けられるときも、花丸が僕の家に預けられるときも、いつも二人で部屋の中で本を読んだ。僕もあまり外で遊ぶ子供ではなかったから、とにかく彼女とは気が合った。
マルちゃんとユウくんは手がかからないね、とお互いの親戚によく言われていた。僕らはそれでよかった。本があれば一日中でも退屈せずに過ごすことができたんだ。
花丸は日本文学を好んで読むけど、僕はどっちかというと海外文学の方が好き。いつの間にか好きなジャンルが別々になってしまっていたけど、今でも昔のような雰囲気で過ごせる自信はある。
僕の記憶にいる花丸はいつも本を読んでいる。だから、こうして同じ学校に通い、一緒に下校していることが少しだけ不思議だった。
「仲良し、なんだね」
「ずら?」
僕らのことを眺めながら赤い髪の女の子が、そう言ってくる。それがすぐに僕と花丸のことを言っていることに気づき、僕たちは笑った。
そう言われて嬉しくないわけがない。だって、それは事実だと思っているから。
坂道に春風が吹く。桜の花びらがひらり、と僕たちと逆方向に飛んで行った。
「ありがと、ルビィちゃん」
「ぴぎっ……い、いえ」
「ルビィちゃんはお姉さんとは仲良しなのかな?」
何気なく僕は彼女に訊いた。生徒会長が家ではどんな生活をしているのか、かなり興味があった。
でも、ルビィちゃんの答えは予想とは違った。
「……ルビィは、あんまり」
「? あまりお姉さんと話したりしないの?」
ルビィちゃんは頷く。それから小さな口を開いて、か細い声を零した。
「統合が決まってからお姉ちゃん、家でも無口になっちゃって。ルビィが話そうとしても、全然話を聞いてくれないんです」
「…………」
「前までは違いました。大好きなことでいろんな話をしてたのに、今は」
悲しそうな顔をしてルビィちゃんは口を閉ざす。
仲良さそうにしていた僕と花丸を見て彼女が何を思ったのか、少しだけわかってしまって申し訳ない気持ちになった。
そうしている時、あることを思い出す。誰に訊いていいかわからず、疑問のまま心に潜めていたもの。
あの子の妹である彼女なら、知ってるんじゃないかと思った。
だから、僕は訊ねる。
「ねぇ、ルビィちゃん」
「はい?」
「ダイヤさんが生徒会長のままだった理由って、知ってるかな」
「………………」
僕の質問に、少しだけ考えるような素振りを見せるルビィちゃん。
アスファルトに視線を落とし、何かを見つめている。彼女の目に映るものが何なのか、僕にはまだ想像することもできなかった。
僕らは坂を下り続ける。夕日が僕らの影をくっきりとした輪郭のまま、地面に伸ばしてくれていた。
「……そういう話はお姉ちゃん、何も話してくれませんでした」
「そっか」
「でも、噂は知ってます」
「噂?」
「ずら?」
ルビィちゃんの言葉に僕と花丸は反応する。ということは、花丸もルビィちゃんが言った噂とやらは知らないらしい。
僕らの問いかけに彼女は頷く。
「る、ルビィも聞いた話なので本当かどうかは、わからないですけど」
「それでもいいよ。知ってるなら、教えてほしい」
僕がそういうと、ルビィちゃんは数秒の間を空けてから口を開いた。
◇
「生徒会長─────ダイヤお姉ちゃんはこの浦の星が統合することに、最後まで反対していました。でも、結局それは失敗しました」
そこまでは僕も知ってる。さっき、果南さんと鞠莉さんが教えてくれた事と同じ内容だったから。
相槌を打たないまま、次の声を僕は待った。
「でも、諦められなかったお姉ちゃんは両校の学校長に条件を出したみたいなんです」
「条件?」
「はい。統合には納得する。だからせめて、ふたつの条件だけは呑んでくれませんかって」
その話は初耳だった。でも、答えを聞く前になんとなく薄っすらとイメージすることができた。
「ひとつは、
「…………
ルビィちゃんが答えを言う前に、僕は言った。
その通りだというように、赤い髪が頷く。
「それで、学校側はその条件を呑んでくれて、お姉ちゃんは生徒会長のままになったみたいなんです」
素朴な疑問の謎が解ける。かた結びの紐がゆっくりと解けるように、心の中で答えが形になった。
おかしいとは思っていた。二つの高校が統合するのであれば、どちらの学校にも生徒会長がいるのは当たり前のこと。必然的に僕らが通っていた男子校にも生徒会長がいたはずだ。誰だったのか全然覚えていないが。
それが統合し、浦の星女学院の生徒会長であったあの子がその任を引き継いだ。真意はわからない。でも、想像するのは簡単だった。
あの子は、生徒会長という立場を使って何かをしようとしている。
その何かとは恐らく、男子が不利になるようなこと。それ以上はわからない。でもそうなんじゃないか、と今のクラスの状況を鑑みてそう思った。
「そうだったんだ」
「はい。でも、その話が本当なのか嘘なのかはルビィもわかりません」
ルビィちゃんはそう言った。でも、僕はその話が正しいことだと思った。あの生徒会長が学校長に食ってかかるイメージが鮮明に思い描ける。
よくよく考えてみれば、校舎が浦の星であることもおかしい話だった。利便性を考えれば、ここよりも僕らが通っていた男子校の方が駅も近かったし、通学もしやすかった。なのに、統合した先の学び舎は内浦にある浦の星女学院の校舎が使われた。
生徒会長の意見にどれだけの影響力があったのかは知らない。でも、今ルビィちゃんが言った言葉は実際に現実になっている。
裏を返せば、それほど強くあの子がこの統合に反対したということになる。その条件を呑ませるほどの何かを、あの生徒会長はしたというのか。
そしてなぜ、そこまで統合に反対したのか。それが僕には解せない。どれだけイメージしても、その答えだけは思い描くことができなかった。
茜さす空を見上げる。渡り鳥の群れが美しいオレンジ色の夕日に向かって編隊を組んで飛んで行く。
先頭を飛ぶ鳥が行き先を決め、それに後ろの鳥達はついていく。それを眺めていると、まるでどこかにある光景を見つめている気分になった。
「─────ルビィ」
「え?」
坂を下り切った時、後ろから不意に誰かの声が聞こえてきた。
僕らはすぐに振り返る。そこには見覚えのある女子生徒の姿があった。
ちょうど今、話の中心にいたその子がこちらを見つめて立っている。
「お姉、ちゃん」
「………………」
左肩に学生鞄を掛けた生徒会長は、何も言わずに僕たちの方へと近づいてくる。
威圧感はクラスにいるときよりは和らいでいるが、その凛とした佇まいから何も感じ取れないわけではない。
僕という男子生徒の存在を認識して、その敵意を向けているのがよくわかった。
「何をしていましたの?」
「……あ、えっと、その」
生徒会長の質問に言葉を出せないルビィちゃん。怒られていると思っているのかどうかはわからない。でも、たしかにその雰囲気で今の言葉を訊かれたら怒っているように見えても仕方ないと思った。
その雰囲気を感じ取ったのか、花丸がルビィちゃんを庇うように間に立った。生徒会長は自分の妹の前に現れた彼女のことを見つめて首を傾げる。
「ルビィちゃんは、マルたちと帰っていただけです」
「? あなたは、たしか」
「ルビィちゃんの友達の、国木田花丸です」
面識があったような口ぶりで二人は話す。花丸はルビィちゃんを怒ろうとしていた生徒会長をジッと睨みつけていた。
だが、生徒会長はそんな視線をものともしないというように静かな目で見つめ返している。
汀がすぐそばにある。穏やかな潮騒が、静かな春の通学路に流れている。
海鳥の鳴き声が聞こえた。それとほぼ同時に、沈黙を破るハッキリとした声が耳に届く。
「そう。あなたが国木田さんですのね。話はいつも、ルビィから聞いていましたわ」
「…………」
「妹と大変仲良くしてくださっているようで、感謝いたしますわ。ありがとうございます」
「ずら?」
「え?」
突然やわらかくなる生徒会長の口調と空気。それに花丸と僕は同じような反応を見せてしまう。
笑ってはいないが纏う雰囲気が緩んでいるのがわかる。それを見て、驚かずにはいられなかった。
あの硬い生徒会長がこんな風に喋ることができたのか、と。
「あまり賢くない妹ですが、これからも仲良くしてくださいね」
「ずら。あ、じゃなかった……はい」
「では御機嫌よう。ルビィ、行きますわよ」
「え。う、うん」
そう言って、生徒会長はルビィちゃんを連れて歩いていこうとする。
それはまるで、クラスメイトである僕のことに気づいていないような立ち去り方だった。
ルビィちゃんは僕の方に頭を下げて、先を歩いて行った姉の背中を追いかけていく。
それを何もせずに見送るのは簡単だった。でも、今の僕にはその容易なことができなかった。
声をかけずには、いられなかったんだ。
「待って」
自分に似合わない少し大きめの声を出す。それに気づいたのか、生徒会長の足は止まった。
背後から吹いてきた海風に、目線の先にある美しい黒髪が揺れる。僕は口を閉ざして、足を止めた相手の背中を見つめ続けた。
「なんですの」
ぶっきらぼうな声音。先ほど花丸にかけた声色とは違う。明らかに僕という男に対して送る
でも関係ない。僕としては完全に無視をされてもおかしくないと思っていた。それでも、生徒会長は立ち止まってくれた。
このチャンスを、無駄にすることはできない。
「…………君にはやっぱり、僕らと打ち解け合う気はないの?」
「………………」
返事はない。けど、聞こえてないわけがない。間違いなく彼女は僕の言葉を聞いている。
僕は続ける。訊かなくてはいけないことが山ほどある。知らなくてはいけないことが数え切れないほどあるから。
あの息苦しさを作り出す生徒会長を、どうにかして見返さなくてはならない。そのために、ここで僕が訊かなくてはならないと思った。
「僕たちは、この一年間を無駄にしたくないと思ってる。だから、どうにかして女の子たちと普通に話せる関係性を作らなくちゃいけない」
こんな拙い言葉で伝わるかどうかはわからない。でも、言わなくちゃいけない。
「君個人がその考えに否定するのはかまわない。だけど、そうしようと頑張ってる僕らの邪魔をしないでほしい」
「私は邪魔などしていませんが」
「してるよ。もしかしたら君は無自覚かもしれない。でも、間違いなくしてることだけはわかる」
初めての反論に、少し踏み込んだことを言ってしまう。けれどこれは間違いじゃない。
本当のことを言わずに、誰かの心に思いを伝えることなどできるわけがない。
「……あなたがそう思うのなら、そうなのでしょう」
「なら」
「ですが、私は認めません。あなた方がそれを嫌がるというのなら、今の私が自分の行動を改めることは絶対にしませんわ」
だけど、返ってきた言葉はそんな哀しいものだった。僕の思いを真っ向から否定する言葉。そして、それを絶対に曲げないという意思が含まれた視線。
半身になって生徒会長は僕の顔を見つめてくる。綺麗すぎる両眼と圧倒的な攻撃力を持つ威圧感。
気を抜けば、それにやられて心が折れてしまいそうだった。それでも僕は足を踏ん張って、その恐怖を覚えてしまうほどに美しい瞳を見つめ返した。
「それは、どうして?」
「あなたに言う筋合いはありません」
「あるよ。そうやって逃げないでほしい」
僕の挑発的な言葉に、生徒会長の威圧感と視線がさらに強くなる。目を逸らしたくなる。だけど僕はその両眼に目を向け続けた。
「ユウ、くん」
「お姉ちゃん」
僕らの会話を傍から見つめている花丸とルビィちゃんの心配そうな声音が聞こえる。
心配をかけてしまって申し訳ないと思う。でも、ここで引き下がったら男が廃る。僕だって男なんだ。いくら男らしくないと言われても、そのプライドを投げ捨ててはいけない場面がある。
それが、今なんだ。
「…………あなたに、私の何がわかるというのですか」
「え…………?」
「何も知らない人間が、私の生き方を踏みにじらないでください」
生徒会長はそこまで言って、僕に背を向ける。
僕には、その言葉の意味がわからなかった。
彼女が何を思って、今のセリフを言ったのか。何の為に、そんな意味が曖昧な言葉を放ったのか。
そして一番解せなかったのは、生徒会長の表情だった。
振り返る直前に見せたあの悲し気な顔は、いったい何を物語っていたのだろう。
「あなた方が何を思おうが、私には関係ありません。女子生徒たちと仲良くなりたいのならば、好きにすればいいですわ」
「……………………」
「それでも、私は認めません。私たちの世界に入り込んできたあなた方を、
静かな声が潮騒に交じって耳まで届いた。
その微妙なニュアンスの言葉で、彼女は僕に何を伝えようとしている。
考えてもわからない。そこまで頭がよくない僕には、その真意を見つけ出すことができなかった。
「どうして」
かろうじて口から出てきたのは、そんな四文字。
なぜ彼女がそんな言葉を吐かなくてはいけないのか。どうして一人の生徒である女の子が、そこまでの憎しみを持たなくてはならない。
昼休みにあの二人の女子生徒から聞いた言葉を踏まえて考えてみる。
この学校を最後まで守ろうとした。
それでも守ることができなかった。
その先頭にいた生徒会長。もし、誰かが彼女を恨むとしたら。
その時に、彼女が背負わなくてはいけない罪と罰は、なんだ?
「許せないからです」
「…………何を?」
やさしい夕日が、僕らの影をアスファルトに落とす。乗客を何人かを乗せた市民バスが、僕らを後ろから追い抜いて行った。
船の汽笛が海の方から聞こえる。そんな、何でもないありきたりな小春日和の夕暮れのこと。
生徒会長が歩きはじめる。今度はもう、僕はその背中を止めることはしなかった。
否、止められなかった。何も知らない僕に、彼女を引き留める権利など最初から在りはしなかった。
代わりにポケットに入った玩具の宝石を握り締めた。
そんなことをしても、何もわかりやしないというのに。
「─────
そんな言葉だけが、茜色に染まる通学路に残された。
それ以上、僕が知りたい答えはどこにも見つけられなかった。
一枚の桜の花びらが宙を舞う。それは、ちょうど僕の目の前に。
けれど手を伸ばしても、それを掴むことはできなかった。
風に吹かれて桜はどこかに運ばれていく。
行き先は、誰にもわからなかった。
次話/林間学校