生徒会長は砕けない   作:雨魂

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そして、黒澤ダイヤは奪われた

 

 

 

 

 

 弁天島の伝説/

 

 

 

 

 

 

 むかしむかし。内浦の港の近くに、仲の良い二人の男の子と女の子が住んでいました。

 

 その二人はいつも一緒に居て、海や山で日が暮れるまで遊んでいました。

 

 月日が流れるにつれて二人は大きくなり、ある時、お互いの事を好きだという事に気がつきます。

 

 そうして間もなく、二人は恋人同士になりました。

 

 ですがある時、(はな)と呼ばれる女の子は見てはいけないところを偶然、目にしてしまいます。

 

 それは、恋人の喜助(きすけ)が知らない女の子と一緒に遊んでいる姿でした。

 

 最初は見て見ぬフリをしていた花ですが、徐々に喜助は花と遊ぶよりも長い時間、知らない女の子と遊ぶようになってしまいました。

 

 当然、そんな姿を見せられる花は喜助とその知らない女の子に嫉妬の念を抱いてしまいます。

 

 

 

 時は流れ、遂に花は沼津の街で、喜助とその女の子が手を繋いで歩いているところを見てしまいます。

 

 花は勇気を出して喜助本人に問い詰めますが、喜助は上手く話をはぐらかしてしまい、花は途方に暮れてしまいます。

 

 

 そんな時、花は弁天島の麓に住む祖母からある言い伝えを聞きました。

 

 

 その言い伝えとは、弁天島の頂上にある祠の中には一本の神楽鈴が祀られており、その鈴を握って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という奇妙な話でした。

 

 

 浮気をする喜助に痺れを切らした花は、なんでもいいから喜助に自分以外の女に手を出した事を後悔してほしいと思い、軽い気持ちで弁天島の祠に訪れました。

 

 普段は鍵で施錠されている祠は何故かその日だけは開いていて、不思議に思いながらも、花は祠の中に入ります。

 

 祠の中には花の祖母が言った通り、一本の美しい神楽鈴が置かれていました。

 

 言い伝えを話半分に聞いていた花ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思い、喜助の事を思いながら鈴を鳴らしてしまいます。

 

 リンリン、リンリン。

 

 ですが、何も起こりません。やっぱり祖母の話は冗談だったんだ、と花はため息を吐いてから、鈴を置いて祠を後にしました。

 

 

 その翌日、花は喜助の元に訪れました。

 

 そこには既にあの知らない女の子が居て、喜助と仲良さそうに遊んでいました。

 

 我慢の限界に達した花はとうとう二人の前に現れ、喜助とその女の子に詰め寄ります。

 

 こうすれば喜助も後悔する、と花は信じていました。

 

 

 そこで、花は喜助の様子がおかしい事に気づきます。

 

 喜助は突然現れた花の事を、明らかに知らない人を見る目で見ていました。

 

 花から喜助を奪った女の子が、喜助にこの子は誰かと訊ねても、彼は()()()()()()()()()と首を横に振るだけ。

 

 冗談は止めて、と花は言いますが喜助は本当に花の事を覚えていませんでした。

 

 あんなに仲が良かった恋人の事を、喜助は一夜にして忘れてしまっていたのです。

 

 そこでようやく花は昨日、弁天島の祠で鈴を鳴らした事を思い出します。

 

 

 ─────そう。

 

 

 祖母の話は冗談ではなく、本当に起きる言い伝えだったのです。

 

 花の事を忘れてしまった喜助はもう彼女に気を遣う事もなく、すぐに知らないあの女の子と恋人になり、内浦から違う街へと出て行ってしまいました。

 

 そして、自分の所為で喜助に忘れられてしまった悲しみに溺れた花は、涙を流しながらもう一度、弁天島の祠へと向かいます。

 

 祠の中にある鈴を握り締め、今度は自分が喜助を忘れるように願い、花は鈴を振りました。

 

 リンリン、リンリン。

 

 すると、どうでしょう。その鈴の音を聞いた花は、やはり綺麗さっぱり喜助の事を忘れているではありませんか。

 

 そうして、仲が良かった二人はお互いの事を忘れ、別々の人生を歩んで行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから十年が経ったある日。二人は突然、自分に大切な人が居たという事を思い出します。

 

 二人は既に大人になり、この街ではない別々の村で暮らしていました。

 

 内浦に住んでいた子供の頃、二人には確かに大切な人が居ました。

 

 それを大人になってから花と喜助は思い出してしまったのです。

 

 名前も、顔も、声もちゃんと覚えてる。なのに、どうして忘れていたのか分からない。

 

 二人は途方に暮れます。

 

 何故、あんなに大切だった人の事を忘れてしまっていたのだろう、と。

 

 それから二人は住んでいた村を出てお互いの事を探し始めます。

 

 子供の頃住んでいた内浦に訪れて、花と喜助は幼い頃の記憶を頼りに大切だったお互いを長い間探し続けました。

 

 そして、最後に二人は弁天島で十年振りに再会しました。

 

 

 それから記憶を取り戻した花と喜助は、二人で幸せに暮らしましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 ───めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 曇天の下。学校の坂の下にある停留所でバスを降り、人気の無い静かな海岸通りを歩いた。

 

 目的地は、海の側にある小さな山。この内浦でもパワースポットとして有名な場所。

 

 その祠の中に置かれているという()()()に触れる為、僕は一週間ぶりに内浦へ訪れていた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 お見舞いに来てくれた花丸が帰った後、少しの時間を置いてから一人で家を出てバスに乗り、今に至る。

 

 内浦に来れば地元に住んでいるクラスメイトに出くわす可能性もあったけれど、ここに来るまで誰とも顔を合わせる事はなかった。自分のそういったどうでもいい運の良さに感謝をしたい。

 

 まだ雨は降っていないが、頭上に広がる空は鉛色。天気予報によると午後からは雨が降るらしい。

 

 家を出る時、傘は持たなかった。何故か持つ気になれなかった。

 

 だから雨が降る前に、目的を果たして帰ろう。

 

 津波避難場所と書かれた緑色のプレートが壁に貼ってある民家と数隻の小型船舶が停留している海縁の間を通り抜け、小さな山の方へと向かう。相変わらず、周囲に人は居ない。朝はこの辺りに釣り人が沢山いる光景をよく見るけれど、午後にさしかかる時間帯の今はその姿も見えなかった。

 

 けど、それでよかった。もし誰かに見つかったら、目的を達成する事は出来なかっただろうから。

 

 

 土が剥き出しになった舗装されていない細い道をさらに進むと、赤い鳥居と傾斜が急で段の幅が妙に狭い階段が見えてくる。

 

 僕は鳥居の前で足を止め、上に続く階段の先を見つめた。

 

 

 

「弁天島の、鈴」

 

 

 

 この小さな山の頂上に、その鈴がある。飴色の従妹はそう教えてくれた。

 

 

 

 誰かの事を思って鈴を振れば、誰かは自分の事を忘れる。そして誰かを忘れたいと願い、鈴を振ればその誰かの事を忘れる事が出来る。

 

 そんな力を持つ鈴が、この弁天島に祀られているという。

 

 

 

 普通に考えれば信じられない話だった。昔から内浦に語り継がれる、ただの悲しい伝説。花丸が話してくれたのは、それだけの物語の筈だった。

 

 でも、彼女は真剣に語ってくれた。()()が、実際に起こるものだと僕に伝えるように。語り継がれるだけのおとぎ話では無いというように。

 

 その物語に出てくる鈴を振れば、僕は()()()の事を忘れる事が出来る。僕が願えば、()()()にも僕の事を忘れさせる事が出来る。

 

 なんて都合の良い話だろう。そんな鈴を振るだけでつらい出来事の全て忘れる事が出来るのなら、もっと早く知りたかった。そうすればここまで悩む事もなかった。

 

 もう神頼みでも伝説でも何でもいい。()()()の事を忘れて、このつらい日々を抜け出せるのならばそれでよかった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 一度息を吐き、鳥居を潜って階段を上り始める。頭上を覆い隠す背の高い雑木林の所為で日の光が届かないのか、階段には所々に小さな水たまりがあり湿っていた。

 

 階段の両脇には数え切れないほどの彼岸花が咲いている。ちょうど今がこの花の見頃なのだろう。緑色の茎の背が伸び、朱色の細い花びらが美しく咲き乱れていた。

 

 綺麗な赤い花達に見送られながら、弁天島の階段を上る。厚い雲に太陽が隠れているからか、段を上るにつれて辺りは徐々に暗くなっていく感じがした。

 

 

 

 階段の途中。僕の腰丈ほどの大きさの祠があった。庇の下に“鷲小”と黒文字で書かれたシールが貼ってある祠。花丸は頂上にある祠だと言っていたから、恐らく鈴が置かれているのはここではない。

 

 僕は足を止めてその祠を見つめた。正確に言うと、小さな祠の横に咲いている白い彼岸花を眺めていた。

 

 

 

 辺りに咲いているのは全て朱色。その中に在った一輪の白い彼岸花。

 

 

 

 赤という本来の色を忘れたかのような穢れのない白色の花に、何故か心を惹かれた。

 

 今から大切な誰かの事を忘れてようとしている自分自身とその白い花を、重ねて見てしまったのかもしれない。

 

 

 

「それで、幸せ?」

 

 

 

 白い彼岸花は答えない。花は何も言わず、赤色の花達から少し離れた場所で寂しげに咲いているだけだった。

 

 答えは貰えなかったので、その答えを得る為にまた階段を上り始めた。

 

 

 

 ゆっくりとした足取りで階段を上り進め、すぐに頂上へ辿り着く。

 

 前々から話には聞いていたけれど、実際に訪れた事はなかった場所。もう少し広い所を想像していたが実際はそこまで広くはない。むしろその空間を狭いと感じてしまった。

 

 階段の終わりから続く平たい石板を歩き、その先にある祠へと近づいて足を止めた。

 

 祠自体も大きくはない。恐らく屋根を含めても三メートルには届かないくらいの高さに、横幅はおよそ二メートルほど。

 

 庇には()()()とそこに等間隔でぶら下げられた四枚の紙垂。その下には真新しい賽銭箱。祠の外観がかなり古いので、やけに色艶の良い賽銭箱だけは浮いて見えた。

 

 賽銭箱の両脇には二本の柱があり、左側の柱の後ろには何故か太鼓がぶら下げられている。何かのタイミングで叩く為なのか、太鼓の下には一本の鉢もあった。

 

 

 

「…………ここに」

 

 

 

 花丸が言っていた、誰かの事を忘れさせる力を持つ鈴が置かれている。内浦に語り継がれる、伝説の鈴が。

 

 しばらく祠の前で立ち尽くし、目線の先にある扉を見つめた。

 

 あの向こうに、一本の鈴が祀られている。誰かの事を思い、それを振れば自分は誰かの事を忘れる事が出来る。

 

 ああ、分かってる。花丸の話が、現実では絶対にあり得ないおとぎ話である可能性が高い事も十分理解してる。いや、むしろあり得る可能性の方が低いだろう。

 

 でも、僕はあの子の話を信じたい。壊れてしまった今の精神状態では、そんな神頼みに頼る事くらいしか、この現状を打破する方法が見つからなかったんだ。

 

 だから僕はここに来た。無意味なら無意味でも構わない。このつらい日々を終わらせられる可能性が一パーセントでもあるのなら、今はそれを信じたい。

 

 あのつらい記憶を忘れられるのならもう、自分がどうなったってよかった。

 

 

 

「鍵、かかってるのかな」

 

 

 

 周囲に誰も居ない事を確認して、祠の扉へと近づく。取手のところには錆びて茶色に変色した南京錠が掛かっていた。だが、どう見ても耐久性はないように見える。無理やり引っ張ってしまえば、すぐにでも壊せるだろう。

 

 普段臆病でそんな事は絶対にしない自分自身が、何の罪悪感もなくそう考えている事に気づき、ほんの少しだけ驚いた。でも、それを気にしている場合じゃない。後で誰かに怒られるのならそれでいい。今はもっと大事な事があるのだから。

 

 そう思い、南京錠が掛けられた扉に手をかける。そして力を込めて横に引こうとした時、カチリと何かが外れる音がした。

 

 

 

「?」

 

 

 

 聞こえた音に訝しみ、南京錠に触れる。すると掛かっていた筈の扉の鍵はいとも容易く外れた。まるで、最初から掛かっていなかったみたいに。

 

 どうしてこんなに簡単に鍵が外れたのか疑問に思ってしまったけれど、いずれにせよ扉が開くのならばそれでいい。

 

 鍵が外れた建てつけの悪い扉を横にスライドさせ、祠の中へと足を踏み入れる。

 

 

 

「……どこだろう」

 

 

 

 光が届かない内部は暗く、当然照明なんかある訳ない。盲目的に探していては時間がかかり過ぎる。誰かに見つかる前に鈴を見つけて、それを早く振らなきゃ。

 

 仕方なく携帯のライトで中を照らす。一通り中に光を当ててみると、奥の方にそれらしき長方形の箱を見つけた。

 

 携帯のライトを光らせたまま、僕はその箱に近づく。

 

 

 

「これ、かな」

 

 

 

 他にそれらしいものがないので、開けて確かめる事にする。

 

 左手に携帯を持ち、箱の蓋に右手を伸ばす。木製の古い箱。蓋には緑色のカビや埃が被っていた。

 

 如何にも禍々しい雰囲気を放っているが、怯んでいる場合じゃない。勇気を出して開けてみればいい。そして、中に入っているという鈴を振ればいい。

 

 そうすれば、僕は()()()の事を忘れる事が出来るのだから。

 

 

 

「…………ぁ」

 

 

 

 おそるおそる箱の蓋を開け、中にライトを照らしてみる。

 

 箱の中には、紫色の布が敷かれていた。それは多分、ここに入るものを劣化から守る為だろう。

 

 だけど、それ以外には何もない。箱の中には、僕が求めていた鈴は入っていなかった。

 

 

 

 大体予想はしていたけれど実際に無いのが分かった途端、気分が沈んでしまった。深いため息を吐き、もう一度蓋を閉めた。

 

 やっぱり、花丸の話は誰かの作り話だったんだ。そんなの、考えなくても分かる。誰かの事を願って振るだけでその誰かを忘れられる鈴なんて、この世にある訳がない。

 

 僕は一体何をやってるんだろう。そんな作り話を信じてしまった自分がより哀れに思えた。花丸は悪くない。悪いのは信じてしまった僕の方だ。

 

 箱の蓋を閉め、また息を吐いてから祠を出ようとした。その時、左手に持っていたスマートフォンが突然振動する。

 

 

 

 迷信を信じてしまった自分に苛立っていたからか、その電話に対して少々腹を立ててしまった。

 

 誰かは知らないけど、こんな時に電話を寄越さないでほしかった。

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 苛立ちながら、僕はディスプレイを見る。

 

 だが、そこにはあり得ない人の名前が表示されていた。

 

 電話をかけて来る筈ない人。言ってみればこの世界で一番、僕の携帯へ電話をかけて来ない人とも言える。

 

 なのに、スマートフォンは着信を知らせる為に振動し、ディスプレイには五文字の人の名前が表示されていた。何度瞬きをしても、その文字は変わらない。早く取れと言わんばかりに携帯は僕の手の中で振動し続けている。

 

 

 

『黒澤ダイヤ』

 

 

 

 画面には、そんな名前が映し出されている。僕にはその意味が何ひとつ分からない。

 

 なぜ今更、あの子が僕に電話をかけてこなければならないのか。僕をあんな風に拒絶したあの子が、何を話したいと思うのか。

 

 

 

「なんだ」

 

 

 

 嫌な予感がする。これは間違いなく良い知らせではない。なぜか、そんな予感があった。

 

 電話を取るべきか否か。暗い祠の中で自問自答する。ここで電話に出れば、その理由が分かる。彼女が僕に電話をして来た意味を知る事が出来る。

 

 でも、身体が感じている嫌な予感の所為で電話に出る事が出来ない。あの子と話がしたくない訳じゃない。それ以外の理由で、電話を取る事が出来なかった。

 

 無視してしまおう。そうすれば、何も無かった事になる。もし何かが起こっているのだとしても、この電話を取らなければ僕自身がそれを知る事はないのだから。

 

 そう思い、震える携帯をポケットの中に入れようとした。

 

 

 

 ────電話に出て────

 

 

 

「────」

 

 

 

 その瞬間、何処からともなく声が聞こえてくる。周囲に人は居る筈もないのに。

 

 

 

 この声を僕は聞いた事がある。それは、あの夏まつりの日。誘拐されている男の子とその犯人を見つけた時、この幼い男の子の声をたしかに聞いた。

 

 まさかと思い、ポケットに入れていた玩具の宝石を取り出す。

 

 

 

「やっぱり」

 

 

 

 玩具の宝石は、あの時と同じように淡い光を放っていた。光る筈のないモノが、何かを伝えるように白い光を灯している。

 

 この宝石の反応が何を示すのかは知らない。けど、夏祭りの時は誘拐されている男の子を助ける為に手助けをしてくれた。

 

 なら今回も、この玩具の宝石は僕に何かを教えてくれようとしているのか? 

 

 電話に出ろ、と誰かは言った。何が起こっているのか何一つわからないけれど、今は誰かの言う通りにする。それが一番正しい、と心は叫んでいた。

 

 

 

「……もしもし?」

 

 

 

 携帯を耳に付け、小さな声でそう言う。だが、何も聞こえてこない。通話はたしかにタッチした。なのに、聞こえるものはない。静寂だけが、電話の向こう側には存在している。

 

 あの子がいたずら電話などする訳がない。だからこそ、さっきから感じていた嫌な予感がさらに強くなる気がした。

 

 

 

「ねぇ」

 

 

 

 反応はない。僕の声が聞こえているのかいないのかも分からない。わざと無視をしているのか、それとも違う何かがあるのか。

 

 ここで電話を切ってはいけない。心ではなく、右手にある玩具の宝石がそう訴えてくる。僕はそれに従い、弁天島の祠の中であの子の声を待ち続けた。

 

 それから数十秒の沈黙が流れる。電話の向こうからも、僕の周囲にも音は無い。でも、たしかにまだ、電話は繋がっている。

 

 そうだ。ならば、名前を呼ぶべきだ。そうすれば、あの子は僕の声に言葉を返してくれるかもしれない。

 

 やってみよう。名前を呼ぶ事に抵抗を覚えてしまうのは、仕方ない反応だと受け入れる。口にしたくなくても、今はあの子の名前を呼ばなくてはならない。

 

 大きく息を吸う。祠の中に溜まっている、埃の匂いがした。

 

 そして腹を括り、僕はその名前を口にする。

 

 

 

「ダイヤさ──」

 

 

 

『触らないでッ!!!』

 

 

 

 筈、だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「………………っ、?」

 

 

 

 名前を呼ぼうとした瞬間、電話の向こうから誰かのヒステリックな叫びが聞こえてきた。

 

 今のは、あの子の声だ。間違いない。それを僕が分からない筈がない。電話をかけてきているのはあの子なのだから当然だ。

 

 解せないのは、その声が少し遠くから聞こえてきた事。携帯を耳に付けているのならもっと近くに聞こえた筈。でも今の声は違った。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに、叫びの内容も奇妙だった。

 

 

 

 触らないで。

 

 

 

 どうして、あの子がそんな言葉を叫ばなくてはならない。

 

 電話を取る前から感じていた嫌な予感が、徐々に確信へと変わっていく感じがする。まだ正確に何が起こっているのかは分からないけれど、何かが起こっている事だけは分かった。

 

 

 

「ダイヤさんっ!? どうしたのっ?」

 

 

 

 出来るだけ大きな声で彼女の名前を呼ぶ。彼女が電話口から離れているのなら、これくらいの声じゃないと聞こえないと判断したから。

 

 返事はない。だけど何かが動くような音は聞こえてくる。さらに耳を澄ますと、誰かの息遣いと微かな笑い声が聞こえた。

 

 それがやけに不気味で、肌に鳥肌が立つのを自覚した。でも、電話を切る訳にはいかない。あの子に何かが起こっているのなら、電波が繋がっているこの電話だけは絶対に切ってはならない。

 

 聞こえてないのなら何度だって呼べばいい。そう思い、また彼女の名前を口にしようとした。

 

 

 

 

 

『───夕陽くん、かい?』

 

 

 

 

 

 その直前、知らない男の声が耳に入って来る。声音は低く、穏やかな口調。聞いている誰かを安心させるような、芯のあるハッキリとした声だった。

 

 その声は今、僕の名前を呼んだ。僕は、こんな声の男を知らない。なのになぜ、ダイヤさんの携帯から来た電話から男の声が聞こえてこなければならない。

 

 恐怖を感じ、僕は右手にある玩具の宝石を強く握り締めた。それから、勇気を出して口を開く。

 

 

 

「だ、誰……ですか?」

 

 

 

 怖くて声が震える。神経を研ぎ澄ませていなければ持っている携帯すらも地面に落としてしまいそうだった。

 

 そんな僕の恐怖を電話口の男は感じ取ったのか、男は小さな声で笑った。それは心底愉快そうな、低い笑い声だった。

 

 

 

『おっと、失礼。久しぶりに君の声を聞いて、少しばかり嬉しくなってしまってね』

 

「………………」

 

『先日会った時は話が出来なかったからね。いやしかし、あの小さかった夕陽くんが今では立派な青年になっていたのを見て、私も驚いたよ』

 

 

 

 男は淡々と訳の分からない事を語る。それは、僕の事を昔から知っているかのような話し方だった。

 

 この声の主を記憶の中から探す。声の感じからして四十代から五十代くらいの男だ。そんな男と知り合いになった覚えはないし、そんな男と会った記憶もない。

 

 だが、男の言葉のある部分に引っ掛かりを覚えた。

 

 

 

「……先日、会った時?」

 

 

 

 その言葉を聞いて、僕はあの光景を思い出した。

 

 廃墟になったマンションの屋上。誘拐された子供がくれた一枚の紙切れ。そこに書いてあった、奇妙な言葉。

 

 

 

『そう。ちょうど十年振りだったね。まさかあんなタイミングで私の事を見つけるだなんて、君は随分と運が良いらしい。いや、むしろ私達の運命がそうさせたと言った方が正しいかもしれないね』

 

「何を言って」

 

『それに、君はダイヤちゃんとも再会していた。それが一番の驚きだったよ。まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いやはや、運命の巡り合わせとはどうにも皮肉なものだ』

 

 

 

 男は僕の疑問に答えず、ただ言葉を並べ続ける。

 

 

 

『だけどね、夕陽くん。非常に残念だよ。同じ人間を二度()()()()事は私のポリシーには反するけれど、見られてしまったからには仕方ない。私も分かりやすい見た目をしているし、警察に捕まるのは怖いからね。

 

 

 

 君達にはまた───お互いの事を忘れてもらうよ』

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今の言葉を聞いた瞬間、生まれたから一度も感じた事のない頭痛が僕を襲った。

 

 

 

「───ぐ、ッ!?」

 

 

 

 なんとか携帯を耳に付けたまま、その場にしゃがみ込む。何故、こんな頭痛が現れるのかは分からない。そんな原因など、一つもない筈なのに。

 

 男の言葉を聞いた直後だった。まるでその言葉がトリガーになっていたかのようなタイミングだった。

 

 

 

 ()()

 

 

 

 このワードが、僕にこの頭痛を与えている。どうして、そんな意味の分からない言葉を聞いただけで酷い頭痛に襲われなくてはならない。

 

 分からない。でも何故か、僕はあの夢の映像を鮮明に思い出していた。

 

 

 

 ───暗い部屋の中。

 

 ───黒髪の女の子が隣に居る。

 

 ───手には玩具の宝石。

 

 ───男達の下衆な笑い声。

 

 ───突きつけられた包丁。

 

 ───顔に傷のある男。

 

 ───リン、という美しい鈴の音を。

 

 

 

「…………まさか」

 

『おや? どうやらその様子だと、君はあの伝説の事を知っているみたいだね』

 

 

 

 男の興味深そうな声が痛みの向こう側から聞こえてくる。僕は頭を抑えながら、その声を聞いた。

 

 

 

『なら、続きは直接会って話そうか。君はもう分かっているかもしれないが、私は今、ダイヤちゃんと一緒に居るんだよ』

 

「───ッ」

 

『真実が気になるだろう? だったら私の言う事を聞きなさい。そうしてくれたら、君が気になっている事の全てを教えてあげよう』

 

 

 

 男は尚も語る。頭痛は治まらない。今生きている場所が現実なのか夢なのか分からなくなってくる。

 

 

 

 でも、この痛みはたしかに本物だった。

 

 

 

『今すぐあの場所に来るんだ、夕陽くん。もちろん、君一人で。警察なんかに連絡したら問答無用で私は、ダイヤちゃんに鈴を振らせる。

 

 

 

 そうしたらまた、君達はお互いの事を───忘れてしまう事になるよ』

 

 

 

 

 

 低い笑い声。その時、男の声の向こう側から、もうひとつの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

『夕陽さんッ!? 夕陽さんと電話をしているのですか!?』

 

「ダイヤ、さん」

 

『来てはいけませんッ! お願い───お願いですっ。あの人だけは関わらせないでッ!!!』

 

 

 

 その声が聞こえた途端、唐突に電話は切れた。短い不通音が流れ、通話は完全に終了した。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 意味不明な電話が切れても、頭痛は治まらない。時間が経つにつれて、それは痛みを増していく感じがした。

 

 どうなってる? 分からない。何をすればいい? それも分からない。

 

 たった数分のやり取りが終わっただけで、僕の全身を取り巻く感覚が全て変化している。数分前まで抱えていた悩みも、苦しみも、今は全てどうでもよくなっていた。

 

 認識出来るのは、ダイヤさんが危ない目に遭っている事。そして、僕自身にも何かが起き始めている事。その二つだけ。

 

 暗い祠の中にしゃがみ込み、右手に握る玩具の宝石を見つめる。()()はまだ、淡い光を放っていた。

 

 立ち止まっている僕に早く動け、と命令してくるような気がした。

 

 

 

「ダイヤ、さん」

 

 

 

 宝石(ダイヤ)に向かって、あの子の名前をささやいた。返事はない。玩具の宝石は何も言わず、ただ白い光を放つだけ。

 

 酷い頭痛に耐えながら時が徒に過ぎて行く中、左手に持った携帯が祠の暗闇で光り、もう一度震え出した。

 

 ディスプレイを確認する。そこにはまた見覚えのある名前が表示されていた。

 

 

 

 今度は悩む間もなく通話ボタンをタッチし、徐に携帯を左耳へと持ってくる。

 

 

 

「……信吾?」

 

『夕陽っ! 今どこにいる!?』

 

 

 

 明らかに取り乱した親友の声。それは頭の中に響き、頭痛を助長させた。

 

 僕は顔をしかめながら口を開く。こんな時に何の用だって言うんだ。

 

 

 

「内浦に居るよ。何かあったの?」

 

『何かあったの、じゃねぇよ! とにかく一大事だからお前も協力してくれっ!』

 

「? だから、何があったの?」

 

 

 

 主語を述べる前に自分勝手に騒ぐ信吾。冷静な信吾がここまで我を忘れているのはめずらしい。

 

 落ち着いた声で訊ねると信吾は近くに居るであろう誰かに何かを言ってから、もう一度僕に向かって声をくれた。

 

 

 

『…………今、果南と鞠莉と協力してクラスメイト全員に手伝ってもらうように連絡してる。だから、お前も協力しろ。いいな?』

 

 

 

 信吾は自分が焦っている事を気づいたのか、大きな深呼吸をしてからそう言ってくる。だけど相変わらず僕の言葉を無視した言葉。多分彼の耳には僕の言葉がハッキリ届いていない。

 

 信吾の言っている事は分からない。けれど、何か良くない事が起こっているのなら手伝わない訳にはいかない。

 

 断る事を許さないという意思を込めた彼の声に、僕は頷いた。

 

 

 

「分かった」

 

『ならよく聞け。俺もさっき聞いた事だから、詳しい事は知らねぇ。でも、間違いはないらしい』

 

 

 

 信吾は声のトーンを落として、深刻そうにその内容を口にする。

 

 

 

 僕は弁天島の祠の中で、その声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『生徒会長が───誘拐された』

 

 

 

 

 

 





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