生徒会長は砕けない   作:雨魂

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国木田夕陽は思い出す

 

 

 

 ◇

 

 

 灰色の空からは小雨が降り落ちてくる。周囲の人々に目を向けると、傘をさして歩く人もいればそうでない人もいる。とりわけ僕は後者だった。

 

 粒にならない雨滴が、沼津駅前の大通りを駆ける僕の顔に弱々しく体当たりをしてくる。走っている所為で全身には汗もかいているおり、雨の影響はあまり気にならない。

 

 濡れたアスファルトの上を蹴り、前へと足を進ませる。呼吸は荒く、既に肩で息を繰り返していた。もともと体力が無い事に、何度目か分からない恨みを少しだけ覚える。

 

 先日、果南さんは言っていた。走れば考えがまとまる、と。だから私は毎日走るのだ、と。

 

 

 

「……分からないな」

 

 

 

 疎らにいる人を避けて走りながら、そう呟く。誰にも聞こえないその声は、小雨が降りしきる駅前大通りの湿った空気と混ざり合って、すぐに消えた。

 

 あの時はほんの少しだけ果南さんの言葉が分かった気がした。でも、やっぱり僕には分からない。

 

 走っていても、答えは見つからない。本当に見つけたいものはどれだけ汗をかいても、目から水を零しても、見つかる事はなかった。

 

 だけど、彼女の話が嘘ではないと信じる。走り続けていればいつか欲しい答えが見つかり、欲しいものが手に入ると。

 

 だから、今は走り続ける。見つけ出すべき、()()()の姿を探しながら。

 

 

 

「──────ぐ、っ」

 

 

 

 数十分前。弁天島の祠の中で突如として発症した原因不明の頭痛は、未だ治まらない。むしろ時間が経つにつれて痛みは強さを増し、前に進もうとする僕の足を止めようとしてくる。

 

 痛みを堪えながら両足を交互に踏み出す。苦しい、止まりたい、つらい。様々なネガティブな感情が痛む頭の中を駆け巡る。

 

 それでも足を止める事はない。止められない理由が僕にはあるから。()()()()()()が、弱い僕をほんの少しだけタフにしてくれている。

 

 

 

 僕は内浦からバスでこの沼津駅前まで戻り、ある場所を目指して走っている。

 

 弁天島の祠の中で取った()()()からの電話。だが、話す相手は違っていた。電話の相手は、名前も知らない男だった。

 

 男は言った。僕一人であの場所に来い、と。まるで僕が最初からそこが何処であるかを理解しているかのように。

 

 事実、僕はその場所を特定している。電話で話をしている最中に、男が何処に居るのかを無意識のうちに第六感で感じ取った。

 

 

 

 右手に握るこの玩具の宝石が、()()()だと僕に訴えてきたんだ。

 

 

 

 

 

 ──────

 ─────

 ────

 ───

 ──

 ─

 

 

 

 

 

「…………誘、拐?」

 

『ああ。さっき花丸ちゃんから急に電話がかかってきた。十千万旅館の前にある浜辺にいた生徒会長が知らない男達に話し掛けられて、それから車に無理やり乗せられてた、って』

 

 

 

 電話口の信吾が深刻な声で状況を説明してくれる。彼はたまに冗談は言うけれど、こんな真剣な声で嘘を吐けるほど嘘が上手くないし、そんなに暇な男でもない。だから、この話は真実だと自分に言い聞かせた。信吾は話を続ける。

 

 

 

『生徒会長も必死に逃げようとしてたから、遠目からでもすぐにヤバいって思ったらしい。助けようとしたけど、周りには誰も居なかったから無理だったって花丸ちゃんは言ってた」

 

 

 

 喋りながら苛立つような声を出す信吾。彼は正義感が強いから、何も出来ないこの状況に少なからず苛立ちを感じてしまっているのかもしれない。

 

 弁天島の祠の中で信吾と電話をしながら、僕は話の内容に若干の違和感を覚えた。

 

 

 

「花丸が?」

 

 

 

 数時間前まで僕の実家に居た飴色の従妹。あの子だけが、その現場を見ていたというのか。ダイヤさんが何者かに連れ去られる光景を花丸()()が見て、それを信吾へ伝えた? 従兄である、僕に伝えずに。

 

 ならどうして、あの子は僕に連絡をしてこないんだ。自惚れる訳じゃない。自意識過剰な訳でもない。ただ普通に考えて、そんな現場を目にした花丸が一番最初に連絡してくるべきなのは、紛れもない僕である筈。だというのに、彼女は信吾へと電話をした。

 

 

 

 その意味は、なんだ? 

 

 

 

『そうだよ。あと、生徒会長を連れて行ったシルバーの車は沼津方面に向かったらしい。それと、さっきから何回も生徒会長に電話してんのに全然出ねぇ。分かるのはそれだけ。だから暇してるクラスメイト達に手当たり次第に電話して、生徒会長を探すのに協力してもらってんだよ』

 

「…………警察には、もう言ったの?」

 

 

 

 僕が問うと、信吾は一瞬の間を置いて返事を返してくれる。

 

 

 

『いや、まだだ。鞠莉に相談したら少し待てって言われた』

 

「どうして」

 

『……あんまり言いたくねぇけど、現場を見たのは花丸ちゃんだけで、他に目撃者は居ない。そんな薄い情報、ぶっちゃけ()かもしんない話を鵜呑みにして話だけをデカくするのはナンセンスだって、鞠莉は判断したんだとよ』

 

 

 

 花丸ちゃんが嘘を吐く訳ねぇけどな、と信吾は言った。僕の言葉に、彼は言いづらそうに答えてくれた。

 

 信吾の言っている事も、鞠莉さんが言った言葉も理解出来る。あの花丸がそんな突飛な嘘を吐く筈はない。

 

 けど、一歩間違えればすぐに公になってしまうような話をたった一人の証言だけで頭ごなしに真実だと決めつけるのにも無理がある。だから、花丸の言葉を疑った鞠莉さんの気持ちもよく分かった。

 

 

 

「そうだったんだ」

 

『もしそれが見間違いだったら、生徒会長にも学校にも迷惑がかかるだろ。そういう事を考えて、警察に通報するのはまだ保留にしてる。……でも』

 

「……でも?」

 

 

 

 信吾は数秒の間を空けて、僕の言葉に答えを返す。

 

 

 

『今日の夕方までに生徒会長が見つからなかったら、すぐ警察に電話するんだと。警察だけじゃなく、浦の星を裏で取り仕切ってる鞠莉の親父にも連絡入れて、捜査を手伝ってもらうらしい』

 

「………………」

 

『そうなりゃ、しばらく学校は休みになる。そんで、誘拐が本当であれ嘘であれ、鞠莉はイタリアに戻って事件の経緯を説明しなきゃ行けなくなるんだとよ。……ああ、もうめんどくせぇなっ。なんでこんな訳分かんねぇ事になってんだよ畜生っ」

 

 

 

 電話の向こう側で信吾が苛立ちを露わにする。無理もない。話の内容を聞いていれば、彼が僕に電話をかけてくるまでにどれくらい複雑な話をされたのか、想像するのは容易かった。

 

 

 

 状況は理解した。ダイヤさんが何者かに連れ去られた現場を花丸が目撃し、彼女はそれをまず信吾に伝えた。

 

 その情報を又聞きした鞠莉さんは花丸の言葉に疑いを持ち、警察に連絡するのはまだ早いと判断。クラスメイト達に協力を仰ぎ、ダイヤさんを見つける為に奔走してもらっている。

 

 もし、夕方までにダイヤさんと連絡を取れず、且つ彼女を見つける事が出来なければ即座に警察へと通報し、同時にイタリアに居る鞠莉さんのお父さんにも電話を入れる。

 

 そうなれば、話は嫌でも公に流れる事になる。この事件が真実であっても虚実であっても学校は休みになり、鞠莉さんは事件の内容を説明する為に一時的にイタリアへ帰らなくてはならなくなるらしい。

 

 

 

 ダイヤさんが何者かに連れ去られた現場を花丸が見たのは、今からどれくらい前の事なのか。それを知る由はない。だけど、誰かがそんなプランを立てられるくらいの時間は経っているみたいだ。

 

 

 

 ……多分、現段階で答えの一番近くに居るのは僕。信吾の話しぶりからして、犯人から直接電話がかかって来たのは僕だけ。

 

 だから、あの子を助けるか助けないかはほとんど僕の手にかかっている。様々な事が短時間で起こり過ぎて、頭がついて行かない。分からない事だらけだ。でも。

 

 僕がこの件に協力しなければ、最悪の事態になってしまう事だけは分かった。

 

 

 

「…………分かった。僕も協力する」

 

『今の夕陽に頼むのは気が引けたけど、そんな事を言ってる場合でもねぇんだわ。頼む。協力してくれ』

 

 

 

 相槌を打ち、電話を切った。犯人から直接電話がかかってきた事は、最後まで話さなかった。

 

 この事件は僕が終わらせなくてはならない。さっきからずっと、手に握った玩具の宝石がそう言い聞かせて来る気がした。

 

 

 

 

 

 ─

 ──

 ───

 ────

 ─────

 

 

 

 

 

「はぁ、っ」

 

 駅前通りを西に走る。目的地は決まっているから、迷いはない。あの電話を受けた時点で、ダイヤさんが何処に居るのかは分かっていた。

 

 だけど、僕は敢えて誰にもその情報を流していない。それが、犯人であろう男との約束だったから。そうしなければ、真実を知る事が出来ないから。

 

 これからたった一人で危険な場所に飛び込んで行く事になるのは重々承知している。だけど、今はその恐怖を受け入れなければならない。

 

 誘拐されたダイヤさんを救うには、未知のものに立ち向かわなくてはならない。怖くても、進むしかないんだ。

 

 

 

 小雨の中を走りながら玩具の宝石を握り締める。()()はまだ、淡い光を放ち続けている。

 

 これが何なのかも僕は知らない。どうしてダイヤさんが同じものを持っていたのかも、なぜ彼女が大事に持ち続けていたのかも。

 

 分からない事ばかりだ、本当に。けれど、今からあの場所に行けば真相を知る事が出来る。それはさっきから直感で感じ取っていた。

 

 

 

 全ての謎が明らかになる。あの夢の事も、弁天島の鈴も、玩具の宝石の事も、全部。

 

 

 

 ───リン。───リン。───リン。

 

 

 

 何処からともなく、鈴の音が聞こえてくる。それは鳴り止まない耳鳴りのみたいに鳴り続けている。

 

 だけど、周囲の人には聞こえていない。どういう訳かは知らないが、この音は僕だけが聞いている。

 

 それはなぜか“大切な事を思い出せ”、と必死に訴えかけてくるような音にも聞こえた。

 

 

 でも、何を? 僕は何を思い出せばいい? 

 

 何も忘れている事なんてない。分からない事は沢山あっても、特定の何かを忘れている事はない。

 

 そうだ。僕は忘れてなんかいない。だから、花丸が言った伝説は信じない。

 

 

 

「…………けど」

 

 

 

 もし。もし、あの話が真実だったのなら。

 

 僕は、本当に大切な何かを──忘れてしまっているのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、僕は目的の場所の前に到着した。先ほど携帯に電話を寄越した男が提示した場所。明確には示されなかったが、身体の中にある第六感は()()()と強く言い聞かせてきた。

 

 立ち止まり、荒くなった呼吸をゆっくりと鎮めて行く。降り続ける弱い雨と流れる汗が混ざり合い、服の中は濡れ、不快な感覚が全身を取り巻いていた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 高いマンションを見上げる。既に廃墟になり、住人は一人も居ない高層住宅。沼津に住む学生によくお化けマンションと呼ばれる、この場所。

 

 ここにはよく子供の霊が出るという噂がある。その話は、オカルト系統の話に全く興味を持たない僕の耳にも届いていた。それくらい有名な話だった。

 

 およそ二か月前。ダイヤさんと一緒に来た花火大会で誘拐されている男の子を見つけ、僕はこのマンションの屋上に上った。

 

 そして、誘拐された男の子が犯人に渡されたというメモを見た瞬間、不可思議な白昼夢を見た。

 

 昔。このマンションの屋上で、()()()よく似た黒髪の女の子と花火を見た事。その女の子の事を、僕は『ダイヤ』と呼んでいた事。

 

 僕の中にはそんな記憶は一切ない。だから、あれは幻なのだと思っていた。そう信じて、今日まで生きていた。その認識は今も、そしてこれからも変わらない筈だった。

 

 けれど、その認識が変わりそうになる()()が、僕の知らない場所で蠢いている。それはたしかに、僕とダイヤさんを一本の糸で繋げていた。

 

 果たしてそれが何なのか。このマンションの屋上へ行けば、知る事が出来るかもしれない。

 

 

 

 一度深呼吸をして、意識を()に向ける。これから起こる事は、全て現実。それを受け入れなくてはならない。

 

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 

 いつか、飴色の従妹が教えてくれたおまじないを心の中で唱える。怖くなった時には心の中で大丈夫を五回唱える事。そうすれば、仏様が僕の事を守ってくれるという。

 

 普通に考えてみれば、根拠のない迷信だった。だけど、今は花丸の言葉を信じる。お寺に生まれたあの子の言葉は正しい。きっと、僕の事を守ってくれる。

 

 

 

「行こう」

 

 

 

 自分に言い聞かせるように、そう呟く。周囲に車通りがない事を確認して、僕はその廃れたマンションの中へと足を踏み入れた。

 

 閉まっている自動ドアを自分の手で横にスライドさせ、明かりの無いエントランスへと入る。花火大会の時と同じで内部は埃っぽく、不気味な雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

「まだ、動いてるか」

 

 

 

 この間もそうだった。マンション自体に人は住んでいないのに、エレベーターだけは普通に生きている。何故なのかは知らない。けど、今は都合が良い。二十階以上あるこのマンションの屋上へ階段で歩いて向かうのは、かなり気が引けた。

 

 この瞬間も、ダイヤさんは知らない男達に捕まっている。そいつらに何かをされている、という事は考えなかった。それをほんの少しでも考えてしまえば、心はまた壊れてしまいそうだったから。

 

 冷静に、落ち着いて。ただ言われた通りにすればいい。そうすれば僕はダイヤさんを救い出す事が出来る。約束通り、彼女を守る事が出来る。

 

 

 

 上矢印のボタンを押し、最上階に止まっていたエレベーターが一階のエントランスに向かって降りてくる。

 

 階数を示す光がひとつずつ下がってくるのを黙って眺める。ジッと見つめていると、降りてくるまでの時間がやけに長く感じた。

 

 例えば電子レンジで何かを温める時もそう。普段意識しないものに意識を向けると、たったの数十秒が果てしなく長い時間に感じる事がある。多分、あれと同じ。

 

 チン、という音が鳴りエレベーターの扉が開く。僕は左足からその中へと入り、最上階のボタンを押した。

 

 

 

「────」

 

 

 

 すぐに扉が閉まり、僕を乗せた箱は最上階へと向かっていく。内臓が少し浮くような、あの独特な浮遊感。痛み続ける頭にとっては、そんなちょっとした刺激ですら痛みに変わった。

 

 

 

 その痛みを感じる度に、僕はあの夢の映像を思い出していた。

 

 

 

 

 

 エレベーターが一階上がる。───夢の中で、幼い僕は花火大会に来ていた。

 

 エレベーターが一階上がる。───花火大会の途中。一緒に来ていた従妹を見失った。

 

 エレベーターが一階上がる。───従妹を探している途中。同い年くらいの女の子に出会った。

 

 エレベーターが一階上がる。───女の子は迷子になった妹を探していると言った。

 

 エレベーターが一階上がる。───二人で一緒に探している時、ひとつの露店を見つけた。

 

 エレベーターが一階上がる。───宝石すくいの露店。僕らはそこで玩具の宝石を掬った。

 

 エレベーターが一階上がる。───女の子は言った。わたくしの名前も■■■ですの。

 

 エレベーターが一階上がる。───また女の子は言った。花火の時間が迫っている、と。

 

 エレベーターが一階上がる。───僕らはマンションの屋上で花火を見上げた。

 

 エレベーターが一階上がる。───その最中。顔に傷のある一人の男が現れた。

 

 エレベーターが一階上がる。───男は言った。()()()()()()()()、と。

 

 エレベーターが一階上がる。───気づくと僕らは、狭い部屋の中に閉じ込められていた。

 

 

 

 

 

「………………ぁ」

 

 

 

 

 

 エレベーターが最上階に着いた。───リン、という鈴の音を聞いた。

 

 

 

 エレベーターの扉が開く。

 

 

 

 僕は、大切な何かを忘れたような気がした。

 

 

 

 




次話/真実

-8
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