◇
「夕陽を離せおらぁあああああああああッ!!!」
「ぐは、ッ!?」
「─────ッ!?」
突然、誰かの声がマンションの屋上に響きわたり、羽交い絞めにされていた身体が自由になる。
振り返ると、僕の身体を捕まえていた体格の良い男が屋上の地面に頭を押さえながら倒れていた。
そして、そのすぐ傍には見覚えのある男子数人が鼻息を荒くして立っていた。
「助けに来たぜっ、夕陽、生徒会長っ!」
「俺達が来たからにはもう大丈夫だっ。ここに居る奴ら全員、ぎったんぎったんにしてやるからよ」
「来たのは俺らだけじゃねぇぞ。ほら」
私服姿のレスリング部の男子が扉の方を指差す。その方向を見つめると、そこには。
「………………どうして」
「どうして、じゃねぇよ。お前らがピンチの時に俺達が助けに来ない訳ねぇだろ」
「オフコースッ! シンゴの言う通りデースッ」
「や、やっぱり誘拐されてたんだ、ダイヤ。でも、無事みたいだね。……はぁ、良かった」
扉の前には、僕らのクラスメイト達が全員立っていた。
男子も女子も、一人残らずそこには並んでいる。その先頭には、僕の親友が笑顔を浮かべて立っていた。彼の両隣には鞠莉さんと果南さんが居る。
みんな、ダイヤさんのために集まってくれたのか。今日は日曜日だっていうのに、全員彼女を探していてくれたのか。誰一人として欠けている人は居ない。本当にクラスメイト全員がそこに居た。
「みんな」
「よく言った、夕陽。詳しい事はよく分かんねぇけど、お前が言った通りだ」
「イエス。私達のダイヤは絶対に砕けません」
「誰よりも硬い生徒会長だからね、あの子は」
みんなの視線がダイヤさんの方へ向く。男達に囲まれた一人の生徒会長は驚いた表情で彼らの事を見ていた。
ダイヤさんの周りに立つ男達も意味が分からないというような顔をしている。僕の近くに立つ黒いスーツ姿の男も、顔を驚愕の色に染めていた。
「バカなッ、このマンションには他にも私の仲間が大勢居た筈だ!」
「ん? ああ、なんかやけに威勢だけ良い男達なら全員ぶっ飛ばして来たぞ」
「誘拐犯ってくらいだから、もっと強い奴らを想像してたんだけどな。蓋開けてみりゃ全員雑魚だった」
「どうせ自分達より弱い女や子供しか攫ってねぇんだろ。んな奴らに毎日死ぬほど鍛えてる俺らが負ける筈ねぇだろ」
屈強な男達の言葉に、顔に傷のある男の顔色が青ざめていくのが目で見てわかった。
この男が心を操られるのは最大でも二人。だが、ここにはもっと多くの人間が居る。いくら超能力が使えても、その絶対数には敵わない。
起死回生。そんな言葉がこの状況には似合う。
これでようやく、あの子を救い出せる。
「…………嘘だ」
「嘘じゃないよ。これは、ダイヤさんが積み重ねた信頼の証明。それを見誤った、あなたの誤算だ」
「うるさいっ! 子供が大人に向かって好き勝手に物事を語るなっ!!」
「────ッ」
「夕陽さんッ!」
顔に傷のある男は、先ほど持っていた小さなナイフを僕に向かって振りかざしてくる。顔は本気だ。こいつは間違いなく、僕の事を刺そうとしている。
だけど、大丈夫。僕はもう、刃先が尖っているものに怯む事はない。
「夕陽に触んじゃねぇッ!!!」
「───ぐほ、ッ!?」
僕に襲い掛かって来る男にレスリング部の男子が全力のタックルをかまし、男は簡単に数メートル吹き飛んだ。しかしそれだけで終わる筈もなく、男子達は男に追撃を食らわせていた。
必然的に男が握っていたナイフは屋上の端へと転がり、彼らが刺される危険性も無くなった。頬を切られ、散々苦しまされたお礼だ。少しくらい痛い目に遭ってもらわなくては僕の心も収まりがつかないのでちょうどいい。
「…………ぐ、っ」
「あなたの言う通りだ。僕はまだ子供。一人では何もできない、弱虫だ。でもね」
レスリング部の男子達にやられ、屋上のコンクリートの上に情けなく腹ばいになっている男。
僕は彼の前に歩いて行き、そう語る。男は鼻血に染まった顔を悔しそうに歪めていた。
「さっき、あなたはこう言った。僕は孤独だって」
「…………っ」
「残念だけど、それは違う。僕は弱虫で何も出来なくても、一人じゃない。僕には仲間が居る。苦しみに耐えて、死に物狂いで作り上げた───新しい仲間達が居る」
僕の後ろに立つ、三十六人のクラスメイト。
たしかに始まりは上手く分かり合えず、つらい思いもした。それでも、僕らは分かり合えた。あの教室で長い時間を過ごし、様々な困難や喜びを越えて、作られる筈がなかった信頼を築いた。かけがえのない、新しい絆を作り上げたんだ。
その答えがここにある。これが僕が探し求めていた、青春の答えだ。
「残念だったな、犯人さんよ」
「ッ」
「でもまだ警察には連絡してねぇ。選ぶなら今の内だ。一度しか訊かねぇからちゃんと聞いとけ」
信吾が倒れている男に歩み寄っていく。顔はいつも通りだけど、雰囲気が全然違った。
長い付き合いだから分かる。信吾は、本気で怒っている。こんな彼の姿は一度も見た事がなかった。それくらい、信吾はダイヤさんを攫ったあの男達に怒りを覚えているようだった。
「どうする? ここで諦めてお巡りさんの御用になるか、それとも俺達とやり合ってこっから逃げるか。
────好きに選べよ、クソ野郎」
男の前にしゃがみ込み、その髪を掴んで顔を引き上げて信吾はそう言った。そのあまりの迫力に、思わず鳥肌が立つ。でも大丈夫かな。格好いいけど、果南さんがちょっと不安げな表情で信吾の事見てるよ? やり過ぎて嫌われたりしないでね。
「わ、私はっ、まだ捕まる訳にはいかないっ! お前らのような社会を知らない子供達に、好きにされてたまるかっ」
「…………そうか。なら、仕方ねぇよなッ!」
────耳を塞ぎたくなる音がマンションの屋上に響き渡る。近くに居たから尚更それがよく聞こえてしまった。
見ると鞠莉さんが後ろから果南さんの両目を隠していた。ナイス、鞠莉さん。
今のは完全に見ちゃいけない光景だった。僕も目を逸らしていればよかった、と少しだけ後悔する。人の歯ってあんな簡単に折れるものなんだ。
「行くぞお前らッ! こいつら全員締めあげて警察に突き出してやれ!」
「「「「「うぉおおおおおおッ!!!!!」」」」
信吾の一撃が合図になるように、ダイヤさんを取り囲んでいた男達と僕らの男子生徒達が同時に走り出し、殴り合いを開始する。しかし、数が圧倒的に僕らのクラスメイトの方が多いので勝敗は見なくても分かった。レスリング部の男子が言っていたように、相手は子供を誘拐するのだけが取り柄の男達。たとえ一対一でも負ける事はまずないだろう。
屋上の中心で殴り合い(クラスの男子達が明らかに一方的)が行われており、ダイヤさんの近くには誰も居なくなる。僕はこの時を待ち続けていた。
「ユーヒッ!」
「夕陽くんッ!」
扉の方で戦いを見守っている女子達から名前を呼ばれる。彼女達が何を言わんとしているのか、それだけで理解した。
僕は頷き、駆け出す。殴り合いのフィールドの中をすり抜け、一人自由を奪われ続けている生徒会長のもとへと走った。
彼女はまだこの状況を受け入れ切れてないのか、近づいている僕の事を茫然と眺めている。だが、そんな事どうでもいい。とにかくダイヤさんをこの場所から救う事が出来れば、僕の仕事は終わりだ。
「ダイヤさんッ」
「夕陽、さん……」
「待ってて、すぐに解いてあげるから」
背中に回された両手首には細いロープが巻かれていた。それは見かけによらず案外簡単に解け、ようやく彼女の両手は自由になった。
そしてやはり、ダイヤさんはその手に赤い巾着袋を握り締めていた。それを見て少しだけ嬉しくなり、僕は笑った。
「走れる?」
その問いにダイヤさんはこくりと頷く。それを確認して、彼女の右手を握り締めた。
「じゃあ、行こう。下までついて行ってあげるから」
そう言って、僕は駆け出す。ダイヤさんはすぐ後ろをついて来ていた。
とにかく、このマンションから抜け出せば僕らは自由になれる。今はそれだけを考えろ。
「頼んだよ、信吾」
「ああ、任せとけ。俺と果南の日曜日を潰した恨みをこいつらにぶつけてやる」
すれ違いざまに信吾へ声を掛けるとそんな言葉が返ってきた。なるほど。彼が異常に怒っていたのにはそう言った理由もあるらしい。ダイヤさんを探す事になった所為で果南さんとの一日が無くなってしまったのか。残念だ。文字通り、やり過ぎない程度にここに居る誘拐犯達を懲らしめてほしい。
ここは信吾に任せておけば大丈夫。信吾なら全て上手くやってくれるだろう。ダイヤさんを安全な場所まで連れて行った後、すぐに戻って来よう。
「ダイヤッ! 大丈夫!?」
殴り合っている男達をすり抜けて、扉の所までダイヤさんを連れてくる。
そこに立っていた女子達は心配そうにダイヤさんの事を見つめている。だけど彼女は平気だというように一度頷いてみせた。真意のほどは分からないけれど、とりあえずは大丈夫そうだった。
ダイヤさんの反応を見て女子達はみんな安心したような息を吐く。それは心配もするだろう。女の子一人があんな男達に攫われたら何をされるのか分からないのだから。
「ユーヒ」
「……鞠莉さん」
名前を呼ばれて顔を向けると、鞠莉さんが近くにいた。昨日の件もあり、本当は少し気まずい。
けれど、彼女は何も気にしていないような表情を浮かべている。いつも通りの鞠莉さんがそこには立っていた。そんな彼女を見て、気にしているのはもしかしたら僕だけなのかもしれないと思った。
だから、僕もいつも通りで居る事を自分に言い聞かせた。そして、大切な人の手と玩具の宝石を同時に握り締めた。
「ダイヤの事、よろしくね」
そう言って、鞠莉さんは笑ってくれる。その言葉の意味がどんなものだったのかは知り得ない。それは、二つの意味を持っていたから。
けれど、僕は迷わず頷いた。彼女の言葉がどちらかの意味を含んだものであったのだとしてもきっと、そうしていただろう。
「ここは私達に任せて、夕陽くん」
「果南さん」
「だから、また明後日から学校に来るんだよ? 絶対だからね」
鞠莉さんの隣に立つ果南さんが心配そうな顔をしてそう言ってくれる。そう言えば、果南さんとは実家に来てくれた時に無理やり追い返した後から、一度も連絡を取っていなかった。申し訳ない。
だからせめて、彼女のお願いにだけは頷いておこうと思った。それが嘘にならない事を祈りながら、希望を込めて僕は頷いた。
「……うん、分かったよ。それと、あの時はごめん」
「ううん、もう気にしてないよ。ダイヤのために頑張ってくれたから、許してあげる」
果南さんも笑顔をくれた。そんな彼女達の温かい優しさを感じて、目の奥から込み上げてくるものがあった。
それでも、今は泣かない。これ以上、女の子に泣かされてたまるか。僕は男なんだから、こんな時くらい男らしくしていないと。
「ありがとう。じゃあ、行くね」
そう言ってから、僕はダイヤさんの手を引いて屋上を後にする。女子達からは様々な言葉をもらった。
その思いを今は受け入れて、次に学校に行った時にはちゃんとその感謝をしなきゃ。
そう思いながら、僕は屋上につながる重い扉を閉めた。
◇
「ここまで来れば、大丈夫だね」
「………………」
それから僕らは廃墟のマンションを出て、駅の方へと向かって走った。人通りが多いこの場所まで来れば、たとえ追手が来ても大丈夫だろう。
手はずっとつないだまま。すぐに話してもよかったのだけれど、なんとなく今は離したくなかった。
ダイヤさんはさっきから何も言わない。ずっと黙ったままでいる。彼女がどんな表情をしているのかすら、確認しなかった。気になりはしたが、見る気にはなれなかった。
近くにバス停を見つけ、そこにある時刻表を確認する。あと数分で内浦まで向かうバスが来る。それに彼女を乗せれば、全ては終わる。
そうしたらすぐにあのマンションへ戻らなければ。みんなの手伝いをしなくてはならない。僕だけが逃げる訳にはいかないから。
バスを待ちながら、頭上を仰ぐ。空はまだ灰色。でも、さっきよりは色を薄めている。きっともう、雨は降らないだろう。今は、それでよかった。
「…………」
「…………」
手を握り締めたまま、僕らはバス停で立ち尽くす。そこに会話はなく、ただ目の前の道路を通り過ぎて行く車の音だけが聞こえている。
どうしても気になって、横目でダイヤさんの事を一瞥する。すると予想通り、彼女は顔を俯けてその表情を隠していた。どんな顔をしているのかは想像できない。でも少なくとも、明るい表情をしていない事だけは分かる。当たり前だ。あんな事があって、すぐに笑える方がおかしいのだから。
────それから数分後。バス停に一台のバスが停まった。音が鳴り、乗車口が開く。そこに彼女が乗ってくれれば、全部終わる。
「バス、来たよダイヤさん」
「………………」
「これに乗れば内浦まで帰れるから。ここからなら、一人でも大丈夫だよね?」
握り締めていた手を離して、彼女にそう言う。でも、ダイヤさんは俯いたまま動かない。動き方を忘れたロボットのようにジッと立ち尽くしている。
でも、ここでいつまでもこうしていてはいられない。僕らはまだ、そこまでの関係性を取り戻していないから。
だから僕に出来るのはここまで。これから彼女がどうするのかはもう、彼女自身に任せる他ない。
「じゃあ、僕はまたあそこに戻るから。何かあったらすぐに連絡して」
そう言って、僕はバス停から去ろうとした。ダイヤさんの前から居なくなろうとした。
それを彼女は許してくれる。
そう、思っていたのに。
「…………待って」
「…………え?」
走り出そうとした僕の服を、誰かが掴んだ。
振り返ると、ダイヤさんが俯いたまま僕の服を握り締めていた。そこからはどこにも行かせない、と言わんばかりの強さで。
「一人に、しないでください」
「…………っ」
「お願いだから、私の傍に居てください」
か細い声で、彼女はそう言った。予想もしない言葉に僕はどうする事も出来ず、困惑したままその場に立ち尽くした。
バスはまだ停まっている。無理矢理にでも彼女をそこに乗せるべきか否か。自問自答した結果、そうする事は出来ないと判断した。
僕はまだ内浦には帰れない。それでもダイヤさんは傍に居てほしいと言ってくる。
なら、この沼津でどうにかするしかない。僕が帰れる場所は、この街にひとつだけある。
今の彼女をそこに連れて行くのは気が引けるけれど、そうするしかダイヤさんのお願いに応える事は出来ない。
だから、頼りない勇気を振り絞って言った。
「……え、えっと、その。ダイヤ、さん?」
「…………」
「もしよかったら、なんだけどさ」
そこまで言って、心拍数が異常に上昇している事に気づいた。手には汗が滲み、背中にひやりとした何かが当てられた感じがした。
これは仕方のない事。選ぶものがそれしかないから選ぶだけ。他意はない、と思いたい。意味の分からない事を考えている自分を許してあげたい。
だって。
「僕の家に、来る?」
好きな女の子を実家に誘うだなんて、どんな状況であっても緊張するものだから。
僕の言葉に、彼女は何も言わずに一度頷いた。
停まっていたバスは音を鳴らして乗車口の扉を閉め、誰も乗せないまま走り去って行った。
次話/最終章・最終話
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