最終章・最終話/黄昏色の口づけ
掛け時計の秒針が刻まれる静かな音だけが、リビングに響いている。その他の音は無い。あるとすれば、その秒針が一秒を刻むスピードよりも早く鼓動する僕の心臓の音だけ。それ以外の音はどうやら、九月の夕暮れ時の淡い空気の中に沁み込んで行っているようだった。雨上がりの音は湿り気を帯びているからか、空気というスポンジの中に沁み込みやすいのかもしれない。
なんて、訳の分からない妄想を絶えずしていないと、この状況には到底耐える事が出来なかった。とんでもない速度で変わって行く展開に、心がついて行けていなかった。今の時間と自分の置かれた現在地。そこより数マイルほど後方に、僕の意識と心は置いてけぼりにされている。
つまり、この状況は僕が想像していたものではなかったという事。正直な感想を言えば、死ぬほど嬉しい。けれど同時に、死ぬほど緊張もしていた。
あのダイヤさんが、僕の右手を握り締めながら隣に座っているのだから。
「………………」
「………………」
数十分前。駅前のバス停で別れる筈だった僕らはバスではなくタクシーに乗り込み、二人でこの家まで帰ってきた。帰ってきたなんて表現は少しおかしいかもしれない。ここは僕の家であるから、ダイヤさんからすれば訪れた、と形容する方が正しい。そんな話はどうでもよくて。
先ほどダイヤさんは一人にしないで、と言った。僕に向かって、傍に居てください、と。
ダイヤさんは多分、僕に言いたい事があるんだろう。何か話があるから、ああして僕を引き留めた。そう考える以外、僕には出来なかった。
でも、彼女はさっきから一切口を開かない。顔を俯けて、自分の足元だけを見つめている。
ついでに彼女は、この家に着いても僕の手を離してくれなかった。ぎゅっと強く握り締めたまま、黙って僕の方に身体を寄せていた。お茶でも淹れて持て成そうとしたけれど、無理にその手を離す訳もいかず、僕は仕方なくリビングのソファにダイヤさんと隣合って座る事を選択。そしてそのまま時は流れ、今に至っている。
「………………」
「………………っ」
ダイヤさんの手の感触。触れ合った肩と肩から伝わる体温。恐らく彼女のものであろう、ほんのりとした金木犀のような甘い香り。その全てが心臓を高鳴らせた。隣に寄り添う彼女の存在自体、僕の心を酷く緊張させていた。それは受け取り方次第ではもう、ほとんど罪深く思えるくらいに。
とにかくこの数十分間は、そうやって時が過ぎていくのをただ傍観していた。ダイヤさんは何も言わず、僕も黙ってその場に在り続けた。
「ねぇ、ダイヤさん」
ずっと黙り続けているわけにもいかず、僕は窓の方に顔を向けたまま、彼女の名前を呼んだ。同時に、両手の
ダイヤさんは何も答えない。その代わりに、右手が優しく握り返される。それが恥ずかしくて、嬉しくて。どうしようもない感情が心と頭の中で渦を巻いていたけれど、なんとか口を開く事が出来た。
「さっき、言ってくれた事なんだけど」
声が震えそうになる。今すぐ逃げ出してしまいたい衝動が全身に流れる。
ダイヤさんは口を閉ざしたまま、首を斜めに傾げる。その姿を横目で見て、僕はまた言葉を吐く。
「あ、あれが本当かどうか。聞き間違いじゃなかったかどうかまだ不安だから、訊くね?」
左手で握り締める玩具の宝石を強く握り締めて、覚悟を決める。
マンションの屋上で、僕があの男に操られる前にダイヤさんが言ってくれた言葉。あれが本当の言葉だったのか。それとも何か違う思惑があってそう言ったのか。
尻込みしてしまいそうになる弱い心に、一度喝を入れる。大丈夫。今なら言える。
誰も居ない教室で告白をして、雨に打たれながら情けなく家に帰ったあの時のようにはならない。
「僕の事、好きって言ってくれたよね」
「………………」
「あれは、嘘じゃない?」
それが今、一番知りたい事。
僕はそれさえ知る事が出来れば、他に何も要らない。僕らの過去も、あの誘拐の事も、弁天島の鈴も、何もかも、どうでもいいと思えてしまう。
再びリビングに静寂が訪れる。それはとても穏やかで、心地良い静けさ。
このまま時間が止まるのなら、僕はそれで構わなかった。このまま二人で
でも、それは叶わぬ事。どれだけ探しても、この世界には永遠は存在しない。どれだけ大切な時間も、呆気なく過ぎ去ってしまうのがこの世の理。
世界を一週間で創り上げた
もし永遠の幸せがあるのなら、空には太陽が燦燦と浮かび続け、夜には美しい月と星が瞬き続ける。
もし永遠の哀しみがあるのなら、冷たい雨は降り続け、灰色の世界は永久にその彩色を変えないままで居続けるだろう。
それではいけないんだ。絶対の幸福や不幸がこの世界に存在しないのと同じように、永遠に続く幸せや哀しみはこの世に在ってはならない。
だから、僕達はその全部を受け入れて生きて行く。喜びも悲しみも、つらい事や楽しい事だって、全ての人に必ず訪れるものだと受け入れて生きて行かなければならない。
永遠に続く幸せも、永遠に続く不幸せもこの世には存在しない。たとえ今、絶望の状況にあったのだとしても、いつか必ず報われる時が来る。
それが、どれだけ深い灰色の世界だとしても。
「………………」
ダイヤさんは僕の問いかけにこくりと頷いてくれた。少しだけ恥ずかしそうに、でもはっきりと。
彼女の反応を見て、傷ついた心が癒えて行くような感じがした。傷つけられた相手に傷を癒されるだなんて少し変な気もしたけれど、今は気にしない。
ただ、あのダイヤさんが僕の事を好きだと言ってくれた。今はそれだけでよかった。その事実さえあれば、他の物事なんて本当にどうでもよかった。
「…………ありがとう、ダイヤさん」
そう言ってから、僕は言葉を続ける。彼女のお陰で、言うべき事をようやく思い出す事が出来た。
僕は両手の
「十年前に僕らが出会っていた事はなんとなく、気づいてた。統合初日にダイヤさんを見た時から、ずっとそうなんじゃないかって思ってた」
長い間、夢だと信じていたあの記憶を頭に浮かべながら、僕は語る。
「十年前の僕も、出会ったばかりの君の事が好きだった。多分、あれは一目惚れだった。十年前の夏祭りの時、僕は迷子になった花丸を探して、ダイヤさんはルビィちゃんを探して。そんな時に、僕らは出会ったんだよね」
何度も見た夢の記憶を辿り、それを口にする。僕が知っているという事は、彼女も間違いなく覚えている。覚えていてくれている。
「二人で屋台をまわりながら、あの子達を探した。その最中に、僕らは宝石すくいの屋台でこの玩具の宝石を取ったんだ」
左手にあるプラスチックで出来た玩具の宝石を彼女に見せながら、そう言った。彼女も右手に握った赤い巾着袋を僕に見せてくる。
「それから、あの屋上のマンションに上がって花火を見た。その時に、僕らは誘拐された。あの、顔に傷のある男に心を操られて」
先ほど会った男の顔を思い出して、また殺意が沸いてくる。だけど、あの男はもう警察に捕まっているはずだ。僕らのクラスメイト達がそうしてくれていると信じている。
「そうして僕らは長い間、狭い部屋の中に幽閉された。具体的にどれくらいの期間だったかは、思い出せない。ダイヤさんは分かる?」
僕の問いかけに、ダイヤさんは首を横に振った。彼女も分からないという事なんだろう。それは仕方ない。悪いのは、僕らではないのだから。
「とにかく長い時間、僕らはあの狭い部屋の中に閉じ込められた。そして、あの男達に弄ばれた。それからあの男は弁天島の鈴を持ってきて、僕らにそれを振らせて、誘拐された記憶を失くさせた。───同時に、僕からダイヤさんの記憶を奪った。ダイヤさんは、僕の記憶を失くした」
言葉にしてみると本当に信じられない話だった。でも、今はそれを信じるしかない。確実に辻褄が合うのは、この考え方しかありえなかったから。
「僕らはお互いの事を忘れたまま十年が経って、今年の四月に再会した。それからまた、僕はダイヤさんの事を好きになった。今思うと、僕がダイヤさんに恋をするのは仕方ない事だったのかもね」
ダイヤさんは強く手を握り締めてきた。顔を見ると、少しだけ頬が赤く染まっている。そんな表情が愛おしくて、僕も彼女の手を握り返した。
「それが、今までの答えなんだね。色々あったけど、答えが分かってよかった」
ダイヤさんは何も言わない。だけど、僕は言いたい事を言おうと思う。彼女が何も言わないのなら、僕は伝えたい事を口にしたい。
それがダイヤさんの選び方だと、いつの日か教えてくれたから。
「僕らの出会いは必然だった。恋をするのも、仕方のない事だった。でもね、ダイヤさん」
「………………?」
ずっと伝えたかった事を僕は言う。一度は伝えたけれど、その言葉は届かなかった。
なら、僕は届くまで言い続けてみせる。たとえそれが受け入れられなくとも、伝え続けてやる。
だって、僕は。
「偶然とか、過去に何があったとかは関係ない。僕はやっぱり、ダイヤさんの事が好きだよ。誰にどう言われようとも、どんなに君に拒まれても」
それが、僕の全てだから。
◇
「───────っ」
「え…………」
何度目か分からない告白をした時、隣に座っていたダイヤさんが僕の首に両腕を回してきた。必然、触れ合う身体と身体。彼女の全身が僕の身体に押し付けられている。
突然の出来事過ぎて何が起こったのかが分からず、ぼんやりとした頭で今の状況を把握しようとした。でも、感じ取れるのはダイヤさんの柔らかい身体の感触と彼女の体温。そして、金木犀の良い香り。その匂いがダイヤさんの髪の香りだと気づいた瞬間、心臓がドクン、と大きく拍動した。
バランスを崩し、押し倒されたような状態になる。でも僕は左手をソファの上につき、上体を倒さないようにした。そこでようやく、自分が何をされているのかに気づく。
僕は、ダイヤさんに抱き締められていた。何故かは分からない。でも、たしかにダイヤさんは僕の首の後ろに腕を回し、顔を僕の肩の上に乗せている。
抱きしめる力は強く、突き放す事など出来る訳がない。今までダイヤさんの手を握り締めていた右手と今もなお玩具の宝石を握る左手は、ただソファの上に乗っているだけ。
数秒間、時が止まる。ダイヤさんの身体の感触とか、顔の近くにある綺麗な黒髪の良い匂いの所為で、意識が朦朧となりそうだった。
急にどうしたのか。それを訊ねようと口を開こうとした時、
「っ……ふ、っ……っ」
「ダイ、ヤさん……?」
ダイヤさんは、声を殺して泣いていた。僕の身体に抱きつきながら身体を細かく震わせて、静かに泣いている。
どうして彼女が泣いているのか分からず、抱き締められた状態で困惑してしまう。何をすればいいのか分からなくなってしまう。正しい答えを探すために思考回路をフル回転させようとしても、それは既に使い様が無くなってしまっていた。
あのダイヤさんが僕の前でこんな風に弱さを見せるのは、初めてだった。彼女は何度も鼻をすすり、身体を細かく震わせながら泣き続けている。泣き顔を見るのは申し訳なくて、僕には出来なかった。
そうやって、ダイヤさんに抱き締められた状態で時は過ぎて行く。何を言っていいかは全く持って分からず、途方に暮れたまま秒針は何度も時計の中を回転していた。
そろそろ本気でマズいと思い、ダイヤさんに声をかけようとした時、耳元から声が聞こえた。それは、涙が混じったあまり聞き慣れない声音だった。
「…………ごめん、なさいっ」
「…………ダイヤさん」
「私、は……あなたに、言ってはならない事を言いました。強がって、本当は大切なあなたを理不尽に傷つけてしまった。なのに」
ダイヤさんは泣きながらそんな言葉を僕に向かって言ってくる。その声を聞いていると、十年前のダイヤさんの姿を嫌でも思い出してしまった。
「なのに、あなたは私を好きだと言ってくれる。こんな私の事を、まだ…………愛してくれる」
「……うん」
「私だって、あなたの事が好きです、っ。誰よりも大好きなんですっ。都合の良い事を言っているのは、分かっています。だけど、この気持ちは
そう言って、ダイヤさんは僕を抱きしめる力をさらに強める。僕も左手にある宝石を握り締めた。プラスチックで出来た、
「分かってください、信じてください。あなたが信じてくれないのなら、私はなんだってします。ここであなたに服を脱げ、と言われるならそうします。私の身体に触れたいのなら、好きにすればいい。それで私の言葉が嘘ではないと分かってくれるなら、私はそれで構いません。……だから」
ダイヤさんはそこで言葉を切り、大きく深呼吸をする。そして、自身の願いを口にした。
僕に聞いてほしい、ただひとつの願いを。
「あなたを愛する気持ちを、信じてくださいっ」
そう言って、彼女は声を出して泣いた。僕の耳元で子どものように、声を隠さず泣いていた。
この子は、そんな事を気にしていたんだ。自惚れる訳じゃない。ただ、真実として僕は思う。
ダイヤさんは僕の事が好きだと言ってくれた。それでも一度はああやって、僕の告白を突き放した。でも、あれは強がりの所為だと彼女は言った。今まで積み上げてきたプライドが許さず、機械的に僕の事を罵ったのだ、と。
最後には受け入れるつもりだったのに、僕は彼女の鋭い言葉に耐えられず、最後の言葉を聞く前にその場から逃げ出した。そうして、僕らは今日まで会えないままで居た。
ダイヤさんはきっと、本当の気持ちを僕が受け入れてくれないものだと思っている。あんな風に突き放したのだから、そんな想いを僕が容易く信じないと思っている。
けど、それは彼女自身の単なる先入観。僕が彼女の強がりに気づけなかったように、彼女もまた僕という人間を勘違いしている。
「ダイヤさん」
「ぇ…………」
僕は、彼女の身体をそっと抱き返した。緊張はするけど、今はそれもあまり気にならなかった。
大好きな人に好きと言ってもらえて、伝えたい事を伝えることが出来て、空っぽだった心の泉はもう満たされてしまっていたんだ。
だから、僕も彼女が言った
「そんな事はしなくていいよ。言葉だけで、ちゃんと伝わってるから」
「…………」
「ダイヤさんがそう言ってくれるなら、僕は君の言葉を信じる。もし、それが信じられないなら、信じさせる何かをするよ」
ダイヤさんを優しく抱きしめて、そう言う。嘘ではない純朴な気持ちだけを言葉に乗せて。
信じる事を信じられない。そんな事は普通ならあり得ないのかもしれない。でも、僕には建前を言う癖がある。僕の事を知っている彼女なら、今の言葉を建前として受け取ってしまう可能性があった。
「…………建前、ではありませんか?」
「…………ふふ、っ」
「な、なぜ笑うのです? 私は真剣に訊いているというのに」
僕の思った通り過ぎて、こんな時だって言うのに思わず笑いが零れてしまった。こういう時、妙に分かりやすいところも僕は大好きだった。
「ごめんごめん。なんとなく、予想通りだったからさ」
「……ふん。なら、建前ではない事を証明してください」
「証明?」
「そうですわ。さっきあなたが言った通りです。あなたが私の言葉を信じている事を、信じさせてください」
謝るとダイヤさんは少し不機嫌そうな声で言ってくる。顔は見えないけれど、多分ちょっと拗ねているような表情をしているに違いない。
彼女がそれを望むのなら、僕は彼女の思いに答えてあげなくてはならない。僕の言葉が本音だという事をダイヤさんに証明するために、何かをしなければならない。
言葉だけではなんとでも言える。けど、実際に行動に移すのは難しい。だからこそ、言葉よりも行動の方が伝わりやすい。だったら今は安い言葉なんかじゃなく、行動を選択しよう。
好きという感情を伝える為に、最も簡単な行動。
それを、僕は知っている。
「分かった。じゃあ、後悔しないでね」
「? 分かりましたわ」
そんな確認作業を経て、僕は行動に移す。ダイヤさんが後悔しないと約束してくれたのなら、その言葉を信じるしかない。どう考えても後悔させてしまう未来しか想像できないけど、彼女がそれを望んだのだから、僕はそれに従うのみ。
「なら、証明するね」
そう言って僕はまず、抱き締めていたダイヤさんの両肩に触れ、密着していた身体を離す。近すぎて見えなかった彼女の泣き顔が露わになり、ダイヤさんは居心地悪そうに目線を逸らした。不謹慎かもしれないけど、普段強くて硬いダイヤさんの泣き顔は、素直に可愛いと思った。ずっと泣いていればいいのに、と思ってしまうくらいに。
肩に両手を置いたまま、至近距離で彼女の顔を見つめる。泣いた所為で赤くなっている瞳。紅潮した頬と、その上に流れる涙の線。可愛らしい口元のホクロに、麗しい赤い唇。
近くで見れば見るほど、それは美しかった。本当に、本物の宝石みたいに思えた。
そして思った。その全てを自分のものにしたい。誰かのものではなく、自分だけのものにしたい。彼女の何もかも、この手で奪ってしまいたい、と。
これから僕は、彼女を好きだという事を証明する。そのために、まずは
「ダイヤさん」
「なんですの───ん、っ?」
目を逸らしているダイヤさんの名前を呼び、その目がこちらを向いた瞬間、僕は彼女の無防備な唇にそっとキスをした。
自分でも大胆な事をしているのは理解してる。この状況じゃなかったら、こんな事は絶対に出来ていなかった。でも仕方ない。
ダイヤさんがそうされる事を遠回しに望んだのだから、その気持ちに応えなければならなかった。
「…………っ」
「…………ん」
しばらくのあいだ、僕達は唇を重ね合う。ダイヤさんは突き放してくるかと思ったけれど、そんなことはしてこなかった。身体を動かさず、黙って僕の唇を受け入れてくれている。
ふと、初めてのキスは甘酸っぱい味がする、と何かの小説に書いてあったのを思い出した。
でも、あれは少しだけ嘘だ。キスの味は甘いけど酸っぱくはない。砂糖の塊を蜂蜜に付けて、その上にチョコレートをコーティングしたお菓子のように。一口食べただけでも胸やけがしてしまうくらい甘く、でも離しがたい、不思議な味だった。
そうして息が続かなくなり、僕は唇を離した。少しだけ息が上がっている。ダイヤさんもとろんとした目をして、荒い息を何度も繰り返していた。
「……ゆ、夕陽、さん? 今のは」
「……うん。だから、建前じゃない事の証明」
自分で言っていて、死ぬほど恥ずかしくなってしまった。顔が一気に赤くなるのを自覚する。今までの威勢はどこに行ったんだろう。自分でも見失ってしまうほど、数秒前の僕はおかしなテンションをしていた気がする。
やってしまった。でも後悔はない。こうする事でダイヤさんが僕の気持ちが本音だと分かってくれるのなら、それでよかった。
「これで、信じてくれる?」
僕は彼女に確認する。さっきの言葉が建前じゃない事をダイヤさんの言う通り、行動で証明してみせた。こうすれば彼女も分かってくれるだろう、と信じていたんだ。
でも、ダイヤさんは首を横に振った。そして、潤んだ瞳を僕の方へと向けてくる。その大きな深碧の両眼にはたしかに僕が映っていた。
─────窓の方から橙色の光が入って来る。灰色の空から顔を出した夕日が、このリビングの中を照らしてくれている。
ダイヤさんの赤くなった顔が夕日に染まっている。彼女の目にも、僕の顔が茜色に照らされているのが見えているのだろうか。
「…………わ、私は先ほど、知らない男達に傷つけられそうになりました」
「………………?」
「あの恐怖は、これくらいでは消えませんわ。だ、だから、その」
夕日に照らされたダイヤさんは言いづらそうに、小さな声でそう言ってくる。
そして数秒の沈黙を挟み、彼女は僕の目を見て、言った。
黄昏色に染まるその顔は、今まで見てきたどんなに美しいものよりも綺麗に見えた。
「もっと、してください。そうしなければ、伝わりません」
「…………」
「そ、それと、私のことを好きと言ってから、してください。あなたの声で……聞かせてください」
ダイヤさんはそう言って目を閉じ、艶めかしい唇を僕の方に差し出してくる。まるでそうされる事を、自分から望むように。
彼女がお願いしてくるのなら、僕が断る理由は無い。それでダイヤさんが信じてくれるのなら、僕はいくらでも伝え続ける。
いくらでも、奪い続ける。
「大好きだよ、ダイヤさん」
彼女のお望み通り、耳元でそう囁いてからもう一度キスをする。
今度は永く、深く。何度も何度も僕らは唇を離し、そして、触れ合わせる。このまま二人で温められたチョコレートのように溶けてしまっても、今なら許せる気がした。ダイヤさんと一緒になれるのならそれでもいい、と本気で思ってしまうくらい、あまりにも幸せすぎる時間だった。
「…………ふ、ぁ……」
ダイヤさんが何かを言おうとしても、僕はそれを許さない。深く呼吸をさせる事すら許さなかった。苦しくなってもお互いの口の中にある酸素を唇から共有し、口内の渇きは二人の唾液で潤した。
静かな黄昏が漂う部屋の中に、淫靡な小さな水音と二つの息遣いだけが響く。苦しそうな喘ぎ声が耳を通り抜ける度に、それは僕の色欲をいじらしく擽った。そうして煽動させられた僕の熱情は、飢えた獣のように彼女の柔らかな唇をさらに貪り続ける。
「……ゆう、ひ……さん……っ」
ダイヤさんはそんな僕を受け容れてくれる。それだけじゃない。彼女は時に僕をリードするように、両肩を掴みながら唇を強く押し付けてきた。
僕が彼女を愛している事を証明するためにキスをしているのに、これではどっちのためにしているのか分からなくなった。それでも、この感情が共有できているのなら、これでいいのかもしれない。
「……だい、すき……です」
窓の外から注ぐ橙色の光に照らされながら、僕らは互いを求め合うように熱い接吻を繰り返す。
その途中、僕とダイヤさんは互いの手を握った。その手の間には、同じ二つの玩具の宝石がある。
それを、二人で強く握り締めた。もう二度と離れないように、とそんな淡い願いを込めて。
それから一度、唇を離し、向かい合う。
そして、僕は言った。
「僕はもう、ダイヤさんを誰にも奪われたくない」
「…………はい」
「ずっと、守り続ける。この宝石みたいに、一時も離さず、大事に守り続けるよ。だから」
誰にも渡さない。この美しい
その為にはまず、僕自身がこの手に
この手の中で握り締め続ける為に。誰にも奪われないよう、守り続ける為に。
「これから僕は、君のすべてを奪う」
世界で一番硬くて美しい
黒澤ダイヤという女の子のすべてを、僕が奪う。
そうする事で、この先、どんな苦難や困難に見舞われる運命にあったとしても。
玩具ではない、
「はい…………構いませんわ、あなたになら」
◇
Last Monologue/
あなたは、この世で最も硬い宝石の壊し方を知っていますか?
それは、叩くことではありません。高い所から落とすことでもありません。足で踏みつけたりすることでも、ナイフで斬りつけることでもありません。
答えはこの物語で語られました。少し長くなってしまったけれど、○が描いたお話を最後まで聞いてくれたあなたに、心からの感謝を送ります。
その宝石は、どんなに強い力を込めても壊れる事はありません。必死になって殻をこじ開けようとしても、中にあるものには絶対に触れられない。
だからこそ、彼は守り続ける事を選んだのです。その人生を賭して守ると誓ったのです。
永遠に砕ける事がない不変のダイヤモンド。その中に隠れているものに触れられなくてもいい。それでも絶対に守り続ける。どんな事があってもそれだけは誰にも渡さないように、と。
力強く叩くのではなく、優しくそっと包み込み、一途に寄り添い続ける事。
それが、この世で最も硬い宝石を壊す唯一の方法だったのです。それが、この物語の答えです。
哀しくても、つらくても。何が起こっても、世界で一番美しい
「これは、たったそれだけの物語」
この世界に無限に存在するストーリーのひとつ。
誰かにとってはただのガラクタでしかない。それでも大切にしていてほしい、素朴な宝物。
無数に散らばった本物の宝石の中に隠された、玩具の宝石のように。
心の中で淡い輝きを放ち、永遠に姿形を変えずそこに在り続ける。
これは○、ではなく
「
ずら。えへへっ」
Last Monologue/END
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