状況がよろしくないことは重々わかっていた。少なくともそのつもりであった。
何しろ、相模湾沖に謎の新島が出現したと思ったならば、それによって空自の偵察機が撃墜されてしまい、三自衛隊が揃ってパニックになる中、今度は同盟国・敵対国を問わず世界中の主要都市が次々に襲撃を受け、炎上を開始したのである。
常識的に考えて、関連がないわけがなかった。いや、相模湾沖の新島に巣食う未確認武装勢力こそ、東京を既に摩天楼が大火災で融解しつつあるNYのような惨状に変える手先と考えて違いなかった。
それは、労働者、一般市民、富裕層、公務員、官憲、政治家、そして自衛隊が、この国にしては珍しく一致させた見解であった。政府は、いつも通りスムーズとは行かなかったものの、見てくれは不格好でも全力で対応に動いていた。相模湾沿岸の地方自治体は狂ったように避難指示を出し、平素を考えれば異常とも言えるレベルで協力的な警察の支援のもと、とにかく沿岸から逃れる人の動きが活発化していた。そして自衛隊は、神奈川・静岡両県から発された災害派遣要請を名目に、既に近隣の駐屯地から陸自部隊の出撃が始まっており、準備が整い次第、対艦ミサイル部隊などの派遣も続く予定であった。空自も、撃墜された偵察機の捜索救助作戦並びに第二次偵察、及び空爆作戦の立案にてんてこ舞いである。そして、海上自衛隊も。
彼、深町二等海佐率いる潜水艦<おうりゅう>が三浦半島沖合にて迷走していたのは、特に最後の点と関連があるのだった。
既に進水から10年選手と化していた彼女は、本日の深夜0時頃、すなわち異変が起きたと目される時間帯、ちょうど東京湾沖を航行中であり、すなわち異常現象を観測できるステルス艦――レーダー反応を低減させるという意味ではなく、単純に発見が困難な艦艇という意味においてのそれとしては、最もその海域に近かった。
午前五時ころ、異変の概況と、進路を当該新島にとれ、という程度だった命令は、偵察機撃墜事件の後、攻撃を警戒しつつ可能な限りの速度で、とアップデートされた。更に状況が変わったのは、眉をひそめた深町が潜行開始と決定した海域の直前である。自衛隊に、世界各地の主要都市炎上の報告が入ったのだった。
「パッシブソナー探知、未だ継続中です」水測長である南波海曹長が感嘆したように報告した。「こいつは凄いですぜ。大型艦クラスが6、護衛艦クラスが6。堂々たる大艦隊です」
「詳細な艦種はわからないか」
「はぁ、何せ音紋がデータベースにある既存艦艇と全く一致しません。何なら、機関がガスタービン推進でない可能性もある。とにかく、本来なら遠慮したい大型艦が混じっているという以上、確たることは何にも」
わかった、と深町が応じた。顔を不機嫌そうに歪めながらでなければ、字義通りに解釈してもらえる可能性はあったかもしれなかった。
「厄介ですね。そして危険です」速水三等海佐が、艦長に劣らずな声音で深々とため息を吐いた。「敵の戦力が全くわからない」
「本来なら、やってられるか馬鹿野郎、そんな任務なのは同意見だよ、副長」深町が応じた。
「だが、そうも言っていられん。こいつらが東京を、いやその他の沿岸、それこそ我が国以外を焼くことですら許容できんからな」
「完全なる無差別攻撃」
副長が、嫌悪感を隠さぬ声で読み上げた。深町の顔が更に歪む。すぐに潜航したため、それ以上の情報受信は行えなかったが、逆に言えばそれだけでも自身が受けた命令の正当性を確保するには十分なレベルであった。『進行する未確認艦隊を発見した場合、これを撃沈せよ』
「南波海曹長、くどいようだがもう一度聞く。民間船と誤認している可能性は」
「ありえません。護衛艦クラスの方は万が一がありえなくもないですが、大型艦クラスは速度など考えて間違いなく民間船ではありません。何せ連中、40ノットを超えていやがる」
深町が頷いた。タンカーとの比較は極端にすぎるとは言え、コンテナ船でも30ノットは無いか、有ってもごく稀という世界に、40ノット超えだ。いや、下手をすると軍艦ですら40ノットというのは滅多なことでは見ない数字である。そして、それらが船団行動を取っているとすれば、答えは一つだ。
「合戦準備」深町が命令を発した。「ハープーン発射用意」
「いささか近すぎのようにも感じますが」復唱し、命令を伝達したあと、速水が小声で尋ねた。
「やむを得まい。敵速力は40ノット超。こっちの魚雷はそれよりは早いが、そこまで差はつかない。万一の場合、避けられるぞ」
「まさか……」
「ありえない、と言えるか? 突如新島として出現し、お仲間は世界各地で民間人を焼いている代物だぞ? はっきり言えば、ハリウッドの侵略エイリアンのご同類だ」
「エイリアンが海に現れますかね」
「例えだ、例え。それに、そういう映画もあったさ」
「測敵よし、魚雷発射管注水はじめ」
深町が手を振り、下らない話を止めた。金属質の抑えられた音が、それでも十分な音を響かせて開き、内部が海水で満たされていく。
「航海、射撃後即座に深度潜行用意。ずらかるぞ」
「アイ、キャプテン」
「注水終わった」
「は――」
「海面に着水音っ!」
艦長の声が遮られた。南波の声だった。切羽詰まった続きが、しんと静まり返っていた<おうりゅう>の発令所に響き渡った。「スクリュー音及びアクティブソナー音2! 接近してくる!」
「攻撃中止! 急速潜航! 魚雷防御システム起動!」
「急速潜航! 手隙のものは前部魚雷魚雷室へ! 急げ!」
命じた瞬間、床が前傾し、慌ててバランスを取った。かたかた、と極力音を立てない、潜水艦乗り特有の走る音が聞こえてくる。
「クソ、気づかれたのか」深町が歯ぎしりした。艦と乗員に迂闊にも道化を演じさせてしまったことを悔いてから、すぐに気を切り替える。「水測、魚雷の推定速度は!?」
「…………」
「南波海曹長、どうした!」
「はっ」深町が目を丸くした。海曹長の声が震えていたのに気づいたのだった。「雷速、推定、100ノットです……触雷まで残り10秒」
発令所が静まり返った。カン、という音が急速に近づいてくる。潜水艦乗りならば間違えようのない音が、頭の悪い中学生が考えた冗談のような報告、その正気を保証していた。アクティブソナー誘導型の魚雷が、100ノット。
「馬鹿な」速水が呻いた。「その速度では、まともな誘導なんて」
「艦長より総員! 対衝撃姿勢、急げッ――」
10秒という時間は、それらすべてを行うには、あまりにも短い時間に過ぎた。
轟音とともに艦が大きく揺さぶられた。明滅する赤色灯を最後に、深町の意識は途切れていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ホワイトベースより要撃任務中の全機へ……、先行した米軍機は全機ロストした、繰り返す、全機ロストした……』
『ゴブリン接敵! 恐ろしく早い奴だ! 注意を――』
『ゴブリン1が食われた! 敵機の旋回性能が良すぎる! ミサイルが追随できない!』
無線機から流れ込んでくる情報の――それも、絶望的と言っていい情報の奔流に、安室二尉がF-15J改の操縦桿を固く握りしめた。無論、空自が史上初めて経験している実戦に緊張しているというのも有ったが、コールサイン<モビルス2>を与えられた彼が向かうその実戦とやらが、どうやら常軌を逸した状況に繋がりつつあるのもその理由であった。
深町率いる<おうりゅう>が交戦を開始したその頃。空自レーダーサイトは、小笠原方面から空路を進撃してくる未確認飛行物体多数――総数200機にも上るそれらを探知した。
レーダーの故障という線は、第一報から数分と立たずに顧みられすらしなくなった。未確認飛行物体の針路上を飛行していた民間機が、国籍・機体の大きさ・貨客の区別なく、次々に消息を絶っていったからであった。この時点ですでに推定行方不明者数は四桁の大台に上る一大事であり――何をどう考えても、炎上するNYや上海と言った諸都市と関連するとしか思われなかった。
この情報を把握した瞬間、最初に飛び立っていったのは米軍機であった。これは自衛隊や日本の対応云々の前に、本国ですでに100万単位の死者が発生しているという不愉快かつ確実な推定をしていた在日米軍の士気の高さに由来していたものだった。もちろん、すでに本国から非公式に戦争状態突入との通知を受けていたこともその要因であったが、少なくとも太平洋を横断してサンフランシスコを救援に向かう準備すら始めていた彼らにとって、すでに戦時の重要根拠地と化していた日本への攻撃は、同盟の信義云々以前の問題であった。
もちろん、空自がそれを指を咥えて眺めていたわけではない。日本型組織の限界を突破する勢いで、即時待機命令が出されていた要撃機が関東一円の各基地から次々と出撃していった。この数時間、可能性ではなく確実であると議論されてきた首都攻撃に対し、政府と自衛隊は期待以上の働きをしていたと言っていい。
そして、空自は、そのことで生じた数分間の猶予を、心の底から安堵することになる。
同盟国及び空自要撃部隊を管制するために飛び立ったAWACSがレーダー画面で見たものは、未確認飛行物体に絡まれ、次々にレーダー上の輝点を失っていく米軍機の光景であった。地上のレーダーサイトでのダブルチェックにより、それが機器の故障などという生易しい原因によらないと気づいたとき、作戦指揮所の反応ははっきり言えばパニックとしかいいようのないものであった。十分共同作戦を行えるはずが、蓋を開けてみればただ各個撃破の愚を犯したようなものだったからだ。最も、それは在日米空軍の茫然自失状態に比べれば、まだマシだったとも言えるが。
『ホワイトベースより要撃作戦中の全機!』無線がAWACSの声を伝えた。『作戦空域を東京湾上空へ変更する。高射部隊の支援を受けつつ迎撃作戦を実施せよ。繰り返す……』
「そううまくいく物か?」
『行かせるしかないぞ、モビルス2』
安室のつぶやきに、編隊長の立圃一尉が苦い声で言った。『我々が食い止められなければ、東京ないし日本のどこかが火の海になる』
安室が了解、と負けず劣らずの苦い声で応じる。だが、機体を翻しつつも疑念は収まるところを知らない。果たして、あの米軍機部隊――F-22を主装備とする要撃部隊をものの一瞬で全滅させた敵部隊に、地上部隊や海上部隊の対空ミサイル射撃が加わった程度でどうにかなるものなのか?
『注意しろ、横須賀の海自部隊が対空ミサイルを発射、敵に接近中――』
結論から言えば、安室の疑念は、あまりにも甘い想定に過ぎた。
『て、敵機急速に接近中! 前衛部隊全滅! 東京湾へ避退中の部隊、接敵まで1分を切った! 反転し迎撃せよ!』
『くそったれ!』モビルス1が悪態をついた。ガラではなかった。『モビウス2、再反転する! 目玉と射手で行く。お前さんが攻撃だ!』
「ラジャー!」
機体が再び敵機の方向へ向く。HUDの表示をレーダーに切り替えた安室は目を疑った。明らかに先程までの情報と速度が違う。瞬間的にマッハ10でも出ていたのではないか……。
『なるほど、戦闘と巡航速度は違うのか』モビルス1が言った。『落ち着けよ、モビルス2。敵の速度が落ちてる。戦闘中にあの速度は出ない』
安室が弾かれたようにミサイル発射手順を進めていった。囮役を引き受けつつも自分を落ち着かせようと努力している編隊長に、情けなさで一杯になるが、こういうものは戦働きで挽回するものだと古より相場は決まっている。
「モビルス2、FOX1!」
安室の宣言と同時に、ロケットモーターの腹の底から響くような燃焼音が聞こえてきた。セミアクティブ型の中距離誘導弾、AAM-4の発射音響だった。続いてもう一発。
『よし』モビルス1が、今日始めて満足そうに言った。『敵機がミサイルを撃ってくるぞ! お前さんもビーム機動の用意を』
『警告!』AWACSの悲鳴のような声が無線に響いたのはその瞬間だった。『敵機再び異常加速! モビルス! 君たちにまっすぐ突っ込んでくる! 各隊モビルスを援護せよ!』
『ブレイク!』編隊長の判断は早かった。『ブレイク! モビルス、ブレイク!』
安室が無我夢中で操縦桿を傾ける。未だレーダー表示のままであるHUD上で、敵機を示すドットがこれまでのどんな訓練よりも異常なスピードで彼らに近づいてきていた。
安室がGの影響に耐えつつ、顔をなんとか持ち上げた。風防越しに、本来では気持ちのよい青空が広がって――芥子粒のような黒点が、一瞬で飛行物体とわかるほどに近づき、彼らの直ぐ側を通り抜けていった。
安室が操縦桿を抑えた。必死にラダーを操作する。機体が大きく揺さぶられていたのだった。安室が座学で受けた知識によれば、後方乱気流に――いやただの乱気流に似た現象だった。確かに、それが今真横を通っていった敵機によってもたらされたと考えなければままある状況だった。
驚愕のまま、安室の視線が敵機を追う。そのまま、凍りついてしまった。
敵機は、おそらく減速しているらしい。おそらくと言うのは、どちらにせよ速度が異常に早く、周りを取り巻く空気の渦でしかそれが確認できなかったからだ。そして、それもすぐに不可能になる。減速とは別種の乱流が敵機を取り巻いていた。急旋回である。
未だにマッハ4は出ていそうな速度で敵機はぐいと急上昇を始めると、そのまま背面飛行に移り、またこちらに近づいてきた。早い話が反転してきたわけだが、安室にはわけがわからなかった。旋回半径が短すぎたのだった。あれではパイロットが――いや、パイロットどころか、機体すら持つわけがない。そのくらいの旋回だった。
『モビルス2! ボケッとするな! ケツに付かれたぞ! 振り切れ!』
モビルス1の怒鳴り声が聞こえてくる。安室が慌てて機体を滑らせた。が、すぐにその必要がなかったことに気づく。大声で警告した。
「違う! モビルス1! 貴方に2機がかりです!」
『ッ!?』
安室の警告が早かったのか、自分で気づいたのが早かったのか。モビルス1が航空力学の限界まで機体を揺れ動かす。敵機が光り輝く何かを、鞭を撓らせるように発射したのはその瞬間だった。
「機銃曳光弾!? チグハグな……」
安室が呻く。常識外の機体に搭載されているにしては、あまりにも旧態依然とした装備であり……であるにも関わらず、あまりにも効果的だった。
『モビルス2! 後退し、他部隊の援護を』
爆発音とともに、無線はそこまでで切れた。計8条の機銃線、その尽くがモビルス2に直撃したのがよく見えた。瞬時に機体が爆散していく。安室の決して豊富とはいえない飛行経験でも、あそこから脱出するのは不可能だとすぐに察しがついた。
「立圃さ――くっ!」
しかし、いくら世話になった編隊長が目の前で戦死――そう、戦死しようと、安室には大人しく感傷に浸っている暇がなかった。モビルス1を撃破し、モビルス2をフライオーバーした敵機は再度旋回を開始し、現実離れした機動性と速度でこちらに迫ってきていたのだから。
回避しきれない。操縦桿を傾けつつも、安室が絶望的な判断をした。こちらはすでに旋回等々で空戦エネルギー――運動エネルギーと位置エネルギーの総和を使いすぎていた。にも関わらず、敵は空戦エネルギーは無尽蔵そのものだった。
食われる。旋回しきった敵機が安室を向く。ヘッドオンのような体勢になった。せめてもの悪あがきとして、機銃の発射レバーに手が伸びる。だが、ターゲットを照準内に合わせるどころか、発射すらできそうにもない。何しろ、不格好な、それこそエイリアンと言われても驚かないような敵機の面構えがよく見えるのだ。安室の呼吸数が激しく乱れ――次の瞬間、敵機が視界から消えた。
警告音と心拍音、それから呼吸音がF-15Jのコックピットを支配する。慌ててHUDを見る。彼のレーダーではすでに補足できなくなっていた。
『ホワイトベースより全機』呆然としたAWACSの声が聞こえてきた。『新たなボギーが出現。総数約200機。こいつらが先に戦闘した敵機と交戦状態に入っている。繰り返す、新たなボギーが今までの敵機と交戦状態に入った』
『モビルス2、安室。生きてるか』
同じく、その報告を呆然と聞いていた安室が、聞き馴染みのある声に慌てて反応した。
「その声、甲斐か?」
『あぁ、今はキャノン2だ。もっとも、俺が編隊長になっちまったが』
防大同期の声だった。といっても、極端に親しかったわけでもなく、別基地に配属されてからはそれなりの付き合い、程度の男であった。
「こっちも似たようなもんだよ」
『そう落ち込みなさんな。今戦ってた連中は全員似たようなもんさ。お互い、大変な同期会になっちまったよな。それより』
「ああ」
安室が風防越しに遠くを見た。AWACSが混乱そのものと言った状況で警告を発し続けている方向だった。すなわち、200機同士の大空戦である。
『少なくとも、どっちかの機体は落ち続けてるよな』キャノン2がつぶやくように言った。
「ああ、相変わらず無茶苦茶な機動している」
『同士討ちってやつかな』キャノン2が本気の声音で言った。『敵機、見たろう? ありゃ絶対にエイリアンだぜ。で、あれがエイリアン同士の内紛』
「だと良いんだが」
『部隊を再編する』ホワイトベースがひっきりなしに無線を飛ばした。安室に呼びかける。『モビルス2、近くのキャノン2が僚機を失っている。エレメントを組み直し、君が編隊長だ』
「了解」
『チェッ、短い天下だったぜ』
『警告』安室が何か言い返そうとし、ホワイトベースが例の切羽詰った声を上げた。『敵とボギーの集団から複数機がそちらに向かってきている』
『ホワイトベース、そいつはどちらだ? 敵機か、それとも新たに現れたボギーか?』
『不明。レーダー上で判別できない。ともかくガンズフリーが出ている。また、米空軍の第二陣も接近中だ。ここで食い止める。迎撃せよ、繰り返す、迎撃せよ』
『ちきしょう! お前らの戦争ごっこにこっちを巻き込むなよ!』
「キャノン2、ぐだぐだ言う隙がないぞ! 着いて来てくれ!」
『くそったれめ! 了解!』
臨時編隊が敵機に向かい始めた。周囲やレーダーを見れば、他の編隊も同じく動き始めている。先程に比べれば状況が意味不明ながらも好転したように思えるだろうからか。モラルブレイクは起きていない。
再び、敵機の異常な加速が見えた。芥子粒が、また飛行物体に変わる。
「見えた!」安室が言った。「さっきの奴だ。それから――」
『なんだよ、ありゃあ』
無線が静まり返った。他機も絶句している。ホワイトベースだけが状況を問いただそうと遮二無二無線を繰り返しているが、応答する余力がなかった。
「プロペラ機だ」安室が呻くように言った。「プロペラ戦闘機が、さっきの敵機を追いかけてる……」
敵機とプロペラ戦闘機は、安室たちなど眼中にないと言わんばかりに空戦機動を繰り返した。無線を悲鳴が揺るがす。余波を受け、機体が揺さぶられたやつがいるらしい。
『ッ! どうやら、呆然としてる暇もないらしいぞ、モビルス2!』
「ブレイク! モビルス2、エンゲージ!」
安室が機体を駆って、プロペラ機に追尾されている敵機へなんとか齧りつこうと努力する。だが、彼我の距離は一向に狭まらない。
「連中、なんて速度だ」
『各機へ告ぐ。状況を正確に報告せよ。プロペラ機は音速を超えない。繰り返す、プロペラ機は――』
『超えてるんだよ! プロペラ機が! 音速を! 現実見やがれ!』
無線はいよいよ混沌とし始め、安室が意識を目に見える敵機とプロペラ機に向けた。そちらのほうが、少しは役に立つと思ってのことだったのだが、現実は厳しいものだった。プロペラ機から放たれた機銃弾により、敵機はものの見事に爆砕してしまったのである。プロペラ機に追随するという選択肢もとれなかった。旋回性能も、敵機と同じであったのだった。
『モビルス2!』キャノン2が叫んだ。『真横だ! 右真横を見ろ!』
反射的に言われたとおりにする。安室が目を見開いた。格闘戦の結果か、今度はプロペラ機が敵機に襲われているのであった。だが――速度も機動も、そこまで激しいものではない。故障だろうか、と安室が一瞬だけ考え、すぐに頭を振った。いますべきことはそれではない。そのことを思い出したのだった。
安室が機体を滑らせる。敵機の後ろをとった。訓練でも出したことのないような手際の良さでロックオンする。叫んだ。
「モビルス2! FOX2!」
赤外線誘導弾が2発、発射される。敵機は回避機動を取らない。意固地になってプロペラ機を撃墜しようとしている。が、故障しているにしては妙な機動でプロペラ機は回避を続け、敵機の機銃は当たらない。敵機が断念した頃には、すべてが遅かった。
爆発音がする。安室が慌てて目の前に生じた黒煙を凝視した。黒い敵機が黒煙の塊、その下部から突き出てきた。煙をたなびかせながら、それは下降を続け――ついには、海面へと墜落した。
『モビルス2、敵機撃墜! 繰り返す! 敵機を撃墜した!』
ホワイトベースが歓喜の報告をすると同時に、隊内無線が歓声に満ちた。疑う余地がない。全自衛隊で、いやひょっとすると全世界で、これが初めての戦果であった。あらゆる戦闘機乗りが、後方支援要員が雄叫びを上げる。これが反撃の狼煙――誰もがそう確信していた。ただ一人、安室を除いて。
安室がプロペラ機を凝視した。銀翼が太陽の光を反射する。更にまばゆいものが見えた。安室が呆けた顔でそれをみつめた。赤い丸――自衛隊機にも継承された、日本軍機を表す国籍表示だった。
呆然とする安室の前で、ミートボールが揺れた。プロペラ機が両翼を上げ下げ――バンクを振っていたのだった。そうして、意思表示は終わったとばかりに、プロペラ機は急旋回し、速度を勢い良く上げた。安室がすべてを理解した。故障などしていなかったのだった。
『よお、撃墜王』キャノン2が陽気な声で安室を呼んだ。『なんだ、こんな戦果じゃ不十分か』
「違うよ」安室がひどく冷静な声で言った。「共同撃墜だ。あの機体との」
『……何言ってやがる』
「撃たせたんだ、僕に。わざわざこの機体が追随できる程度の回避運動しかしないで」
『米軍機到着! 騎兵隊のお出ましだ! 勝てるぞ!』
AWACSの声に、更なる歓声が上がった。モニターに友軍機の情報が出た。ミサイルが複数発向かっていくのもわかる――プロペラ機に向かって。
「いけない」安室が呻いた。「あれは味方だ。撃っちゃいけない」
『証拠がないぜ』キャノン2が言った。『味方と断じるのは早計だろ。いや、敵じゃないという証拠すらない』
『米軍機に機影が多数接近! 援護せよ!』
言われる前に、安室は機体を最大加速させ米軍機の方へと向かっていた。キャノン2が慌ててそれに従う。
駆けつけてみれば、先程の自衛隊部隊の二の舞いが目の前に居た。長中距離ミサイルを発射している隙に距離を詰められ、格闘戦に持ち込まれている。すでに複数機が撃墜されていた。だが、先程までと少し違うのは――敵機はやはり、プロペラ機を最優先に攻撃していることだった。
米軍のF-22が、サイドワインダーと思しきミサイルをプロペラ機に発射する。敵機に翻弄され、若干速度と機動が鈍っている機体を目ざとく見つけたらしい。だが、プロペラ機はすぐに、あの超人的な機動で回避を断行する。標的を見失ったサイドワインダーが、虚しく迷走を始める。
だが、母機にそれを悔しがる余裕はなかった。先程までそのプロペラ機に追尾されていた敵機が、今度はそのF-22に着いたのだった。米軍最新鋭機が、大慌てで回避行動を行う。が、それで回避できれば先程の戦闘で米軍は勝利していた。
万事休すか。そう思われたとき、2条の機銃が敵機を撃ち抜いた。爆砕、とまでは行かなかったものの、速度を失った敵機がみるみるうちに墜落していく。全く別のプロペラ機が射撃を行ったのだった。援護射撃、そう呼ばざるをえない射撃を。
呆然とするラプターの鼻っ面に、急旋回したその機体がぴたと着ける。そして、バンクを振ってから、すぐに別の敵機へと向かっていった。
周りを見渡せば、いや、見渡す必要すらなかった。英語で、日本語で。無線が徐々に、謎のプロペラ機に援護されたという内容で埋まっていった。
「一体、何がどうなってるんだ……」
安室のつぶやきは決して大きなものではなく、無線を占めることはなかった。だが、その必要はない。何しろ、この戦闘に携わるありとあらゆる軍人が抱いた共通認識なのだから……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なぁ、副長」深町二佐が心ここにあらずと言った様子で呟いた。「俺は夢でも見ているのか?」
「いいえ、艦長」速水三佐が疲れたように言った。「付け加えれば、頭部負傷による幻覚でもありえません。もしそうならば集団幻覚ですから、自衛隊病院行きは硬いですよ」
頭に巻いた包帯へ血をにじませながら、深町がゆっくりとうなずき、再びセイルから目の前の光景を眺めた。まだ朝日と言って良い光の中、戦艦が三隻、悠々とその身を浮かべていたのであった。
あのあと、深町が目覚めたのは、浮上する<おうりゅう>の発令所であった。重傷者の移送と応急修理でてんてこ舞いで、失神しただけの深町にまで手が回らなかったらしい。
軽度の負傷で済んだために指揮権を発動していた速水三佐によれば、魚雷は<おうりゅう>の直上で爆発した。初めは過早爆発を疑った彼だったが、おそらく水中通話装置と思われる音響で、一分以内に浮上に転じない場合は撃沈するという警告が行われ、急速浮上を速水が判断。その途上で深町が起きたのだった。
速水から指揮権を受け取りつつも、他に手がないことを認めた深町は速水の判断を追認。そうして、海面上に到達後、何が出るやらと戦々恐々しながらセイルに出てきた深町らの目の前に現れたのが、問題の情景であった。
「何者なのでしょうか」速水が珍しく不安げな声で尋ねた。
「わからん。が、少なくとも会話はしようって相手だ」深町が応じた。「信頼するには早すぎるが、世界各地で無差別攻撃している輩とは根本的に何かが違うぞ、こいつは」
「艦長、目の前の戦艦ですが」一緒にセイルまで着いてきた渡瀬航海長が深町に耳打ちした。「どうも、アイオワ級に見えます」
「……つまり全ては米軍の陰謀か? 一部が喜びそうな話だな、おい」
「にしては明瞭な日本語でしたが」と速水。
「いえ」渡瀬が困惑しきりに言った。「目の前の戦艦はアイオワ級に見えるんです。ですが――遠くの二隻は、その、なんと申し上げますか」
「はっきり言え。こんな状態だ。よっぽどのことじゃない限り信じるぞ」
「大和型に見えます」
深町が押し黙った。速水が、よっぽどのことだったみたいですネ、とため息を付いた。
「大和は三連装砲だった。だが、あれは連装砲塔だぞ」深町が呻いた。
「ですが、艦型が、その、差異はあるのですが、大和に酷似しています」
「つまり、大和ではないかもしれないということですか」
「いえ、そう言うにはあまりにも全体が似過ぎとりまして」
「結論を急ぐのはやめとこう」深町が反論しそうだった速水を抑えた。「どうせ、これからたっぷりと時間があるだろうさ」
「艦長!」
艦内への入り口が開いた。通信担当士官が困惑した表情で駆け上がってきた。
「どうした。幽霊でも出たような顔をして」
「目の前の艦隊から通信が入りました。入ったのですが」通信士官が、苦労して口を開いた。「日本語で、横須賀鎮守府所属、第一艦隊旗艦<大和>と名乗っています」
深町が唖然としたま無線機を受け取った。顔をしかめる速水と、信じられないようなものを見る渡瀬が居た。
「ご苦労だった」慇懃な顔を作った深町が通信士官の肩をたたいた。「実に正直な顔だった。戻ってよろしい」
「は? はっ」
「確かに、結論を急ぐ必要はありませんでしたね」
「いささか想定外過ぎますがね、副長」
目の前の、些か現実逃避気味な部下のことは努めて考えないようにして、深町がヘッドフォンをし、無線を口元に当てた。すぅ、と息を吸う。声を発した。
「こちら日本国海上自衛隊、横須賀地方隊所属の潜水艦<おうりゅう>、艦長の深町二佐だ」
『横須賀鎮守府所属、第一艦隊旗艦<大和>です』
女性の声が聞こえてきて、深町が目をむいた。てっきり厳しい男の声が聞こえるとばかり信じていたからだ。それは傍らの部下二人も変わりない。固定概念の敗北だった。
「艦名は了解した」慌てたように声を作り直した深町が応じた。奇襲で気圧されるのは避けるべきことだった。「貴官の官姓名をお聞きしたい。我が国に鎮守府はもう存在しない」
『官姓名』凛としているが、どこか幼さが感じ取れる声がオウム返しにした。柔らかな笑い声さえ含まれていた。『お答えできません』
「人様の軍艦に攻撃を加えておいて、所属は明らかにできないと」深町が強気の声を出した。艦長、と諌める速水に頷く。ブラフだ。「どこに出しても恥ずかしくない、明確な背信行為ですな」
『威嚇射撃です。貴艦が魚雷発射管に注水した音はこちらでも探知しました。先に戦闘行為を仕掛けようとしたのはそちらでは?』
「ここは我が国の領海内だ。先に領海侵犯したのはそちらではないか」深町が切り返した。やはり最初から探知されていたか、と相手の能力を上方修正する。
『国際法によれば、あらゆる船舶は無害通航権を認められているはずですが』
「通常時は、仰るとおりだ」深町が同意した。だが、と続ける。「我が国を攻撃することが明確な存在に対しては話が別だ」
無線先の声が押し黙った。速水と渡瀬が息を呑んで会話の成り行きを見守っている。気まずい沈黙がセイル上を支配した。
『やはり、不幸な行き違いがあったようです』無線越しの声が言った。演技か否か、深い憂慮の色が滲んでいた。
「行き違い。ニューヨークが炎上したことは、貴官らの集団内では行き違いと呼称するのか」深町が探るように非難した。
『その通りです』女性が同意した。なぜならば、と続ける。『ニューヨークを炎上させた勢力と我々は、敵対関係にありますから』
今度は深町が押し黙る番だった。可能性は高い、と思っていたが、まだ確証には至っていない。だが、これは間違いなく<おうりゅう>と彼の命を危険にさらしても続けるべき情報収集であった。
「貴官の官姓名を明らかにされたい」深町が強い調子で尋ねた。「所属が不明では貴官の発言を信じる信じない以前の状況だ」
『お答えできません』女性が申し訳なさそうに告げ、深町が反駁する前に、続きを言った。『答えたくないのではなく、答えられないのです。官姓名はありませんから』
「どういうことだ。いくら旧軍の艦船名を自称しているとは言え、まさか幽霊というわけではないだろう」
『いえ、その通りなのです』女性の声が心なしか明るくなり、深町が呆然と黙りこくった。まさか、肯定されるとは思わなかったのだった。
『こちらは戦艦<大和>、その艦娘――別の言い方でいえば、船霊、というのが近い存在でしょうか』対深海棲艦緊急派遣艦隊旗艦<大和>が我が意を得たりとばかりに言った。『深町艦長。私たちはあなた方の友軍ですし――今からそれを証明しに向かうところなのです。差し支えなければ、ご同行いただけませんでしょうか?』
空戦中の無線、現実にはここまでやかましくないとは思うけど、これだと話が進みやすい。
エスコン方式ってやっぱり偉大だわ