この日、東京都に属する離島、八丈島は控えめに言ってパニック状態にあった。
異変が起きたのは朝の八時過ぎだから、今からちょうど2時間くらいは前になるだろうか。上空を、雲霞の如く多数の飛行物体が北上していくのが、島のあちらこちらで確認されたのである。
異音を轟かせ、存在を誇示しながらの飛行であったから、見間違いでは済まされなかった。あまりにもくっきりと、総計7000人を超える島民たちと総数不明の観光客たちが、ある者は散歩の途中、ある者は通勤通学の途上で、ある者は異音に驚いて家の窓を開けて眺めたものだから、『未確認』飛行物体とは到底呼べない代物である。尤も、かと言って何かと断定できるものも居なかったから、八丈島警察署には原義を失ったユーフォーの目撃情報が多数寄せられ、この時点でちょっとしたパニックに陥ることとなる。ごく一部、先の戦争中の空襲を直接的間接的問わず覚えていた連中が(総じてジジババだった)これは米軍の空襲であると騒いだが、当然のことながら顧みられることはなかった。
状況が悪い方に進展するのは、それから30分は経とうとするころ。混乱の中、普段ならば八丈島空港に着陸するはずの航空機が未だ到着していないことに、空港職員やその出迎え客、観光業者が気づいたのだった。尤も、それは八丈島空港の離着陸を管制する東京FSCや、小笠原空域の管制も担当する東京航空交通管制部に言わせればあまりにも呑気な感想であった。この時間、後に東京湾沖で米軍及び空自機を壊滅させる未確認飛行機隊は進路上のあらゆる飛行機を遮二無二撃ち落としており――その中には羽田発八丈島行きの全日空1891便も含まれていたのであった。
狭くはないが、さりとて広くもない島の中を、戦慄が駆け抜けていった。謎の未確認飛行物体、飛行機の遅延に加え、テレビでやっている――いややっていた、炎上する海外諸都市の映像と相模湾沖の新島のニュース。これらを結びつけるなと言う方が出来ない相談であった。テレビとラジオの情報が過去形に変わったこと――つまり、突如として電波を受信できなくなったことも、これを助長していた。固定のインターネット回線だけは未だに踏ん張っていたが、良いニュースなどどこにもなかったために、あまり有意義な存在には成れなかった。
かくして、八丈島を本物のパニックが襲った。浮世離れした死の予感に、誰も彼もが浮足立ったのだった。なんとしてでもこの恐怖から逃れなければ。それが全員の一致した見解であった。
だが、問題はどうやって逃れるか、というところにあった。航空機は、そもそも往復便の往路で失われた以上ないものねだりであったし、仮にあったとしても上空を例の未確認飛行物体が闊歩している以上、有効な手段かは甚だ怪しかった。漁船もロジックとしては航空機と同じく怪しげなものだったが、こちらは数があったことから一定数の人間がすがり――港から少し沖合に行ったところで、するすると降りてきた例のUFOに沈められて、不備を自ら証明していた。以降、船どころか港や海岸線にすら、誰も近づいていない。
こうなると島内のパニックはますますひどくなった。未だに島自体に攻撃がないことだけが奇跡なだけで、単純に時間の問題であると誰もが確信した。が、逃げ場がない。数少ない地下室持ちの建物は次々に埋まっていったが、数が足りなすぎたし、そもそも地下室程度で耐えられるかもわからなかった。悪くすれば伝えられたニューヨーク地下鉄のように人間の蒸し焼きの完成だ。
テンパった高齢者たちが、旧軍の防空壕に逃げるんだとわめき始めた時、周りの人間は初めそれを馬鹿にしようとし、一瞬立ち止まって考え込み、次の瞬間には言い出しっぺを引っ掴んで防空壕へと走り出した。
島内に多数存在する戦時中の防空壕は、戦争遺跡としての最低限の整備もされていないものも多く、大半は朽ちていくのに任されていた。であるから、正直言って頼りになるかはわからなかったし、そもそも環境が悪すぎた。にもかかわらず、多くの人間がそこへと逃れたのは、コンクリや岩をくり抜き重ねて作られたそれが、旧態然とした力強さを有していたせいでもあり――そして単純に、その名前のせいだったのかもしれない。何しろそれらは『戦時中の防空壕』なのだ。逃げ惑う人々は、今やまさにそれを欲していた。
「何か見えたか?」
巡査の階級章を付けた彼が、藪の中から太平洋を見つめている最中に声をかけられたのは、そうした混乱のもたらした一つの帰結であった。
巡査が声の方に振り返る。警察帽から木の葉がはらはらと振り落とされた。日射病を予防しつつ、目立つ青色を気休め程度でも隠蔽するための悪あがきであったが、正直効果があるのか本人にもわからなかった。
「なんにもですよ。時折、例のUFOが見えるくらいで」巡査が肩を竦めた。
「ほんとか? 何か撃退されたとか聞いたが」
「どこ情報っすか。それ?」
「警察署で頑張ってる連中から全体無線でな」巡査長の階級章を揺らしながら、彼が巡査の横にどっさりと腰を下ろした。「インターネット回線自体はまだ通じてる。相当重たいらしいが」
「無線、未だに島内だけでは通じるんですよね。島外とは全くなのに」
「わからん。距離の問題なんだろうとは思うがな。ネットにもその辺何にも。というか、無線がちょっとでもおかしくなるなんて情報出てないらしいぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。じゃあ、うちらが島に閉じ込められてるのって」
「メールは送り、町のHPにも窮状は乗っけたよ。お偉いさん方が――警視総監どのとか、国家公安委員会どのとかが気づいてくれて、かつ対処してくれる事を祈るよ」
巡査長が偉く投げやりな声でいった「じゃなきゃ、分散した島のあちらこちらで餓死だ。当面は持つはずだが、誰かが全食料品を配給じみた方法で配らないと、そのうち干上がる」
残念ながら、巡査長の現状認識は正鵠を射ていた。
島中あちこちに分散した地下施設、防空壕への避難は、当然のことながら行政が主導した行動ではない。おまけに、平常の避難場所はむしろ危険ということで顧みられても居なかった。結果何が起こったかと言えば、避難民の極度の分散である。
そのことにやっと気づいた町役場は、最近立て続いた災害への対策として各自治会に配られていた、災害時用トランシーバーなど用いて連絡を取り合い、最低限の体勢を構築しつつはあったのだが、全島民・観光客の避難場所を確認できたかと言われればそうではない。むしろ、電波の入りづらい防空壕などに入り込まれた以上、取りこぼしのほうが多いはずだった。また、そもそも避難自体していない人間も、これまでの経験上多数に上るはずだった。
座り込んだ巡査長の額に汗が見え隠れしていたのはそういう理由であった。警察・消防・役所で手分けして逃げおくれや妙な場所に避難している人間が捜索しているのである。なお、成果がないわけではなかったが、確認作業に終わりが見えないのも事実であった。
「ドローンとか、突破できないっすかね?」悪い未来予想図を振り払うように巡査が言った。「あれだけ小さけりゃ、手紙持たせて近くの島まで」
「船と同じだったらしいぞ」巡査長が答え、ぎょっとしている巡査に対して続けた。「どっかの観光業者が思いついて試したらしいが、撃ち落とされたと。まぁ、仮に大丈夫だったとしても航続距離の問題も有るし、小笠原はどこもうちと同じだろうしなぁ」
どこか達観したような巡査長のボヤキに、巡査が大きくため息を吐いた。しみじみと呟く。
「餓死は嫌だなぁ……」
「俺だって嫌さ。だが、痛い思いして死ぬのはもっと嫌だ」巡査長が巡査をぽんぽんと叩いた。「だから見張りを頼むぞ。後で差し入れ持ってくっから」
「了解。まぁ、俺が見つけたからって何になるかって話っすけど」
「それは言わないお約束だよ」
巡査長が立ち上がった。巡査が持たされた双眼鏡で太平洋を覗いた。爆音が微かに聞き取れたのはその瞬間だった。
「おい……」
なにか聞こえないか、と巡査長が巡査を見て、同じことを聞こうとしていたらしい巡査と目があった。巡査長が慌てて倒れ込んだ。
「これ、これ使ってくださいっ」巡査が近くにあった木の葉の山を手繰り寄せた。「さっき暇つぶしにむしっといた奴」
「気休めをありがとうよ」言いながらも、巡査長が必死に木の葉を掴み、頭からかぶった。「見えるか?」
「空っすよね。なんにも」
「こっちもだ。だが、音はするんだよな」
巡査が双眼鏡のままそらのあちらこちらを見回す。が、何も発見できなかったらしい。そちらはどうか、と聞こうとして、双眼鏡を目から離す。水平線上に違和感を感じ、慌てて双眼鏡を再び顔へと押し付けた。違和感が形になり、目があらん限りに押し広げられた。
「おい、あっちは本土だぞ」どうやらまだ上を見回していたらしい巡査長が震える声でいった。「何だこれ。プロペラ音か? 本土の方から近づいてる」
おい、と巡査長が巡査を揺すった。だが、巡査の声はしない。おい、としびれを切らしたように巡査に向いた巡査長が、怪訝そうに固まった。それから、食い入るように巡査が見ている方向へと視線を持っていき、目を凝らす。視力には自身がある巡査長の目が、巡査と同じ違和感を感じ取った。
「何が見えるんだ」乾いた声で巡査長が言った。
「戦艦、っぽいっす」巡査が呻いた。「デカイのからちまいのまで。なんかワラワラって……先輩、なんか音がデカくなってないですか?」
「ああ、近づいてきてるらしいんだが、木が邪魔で見えな――」
そこまで言った瞬間、急に爆音がクリアになったように、巡査長には思われた。呆然と真上を見上げる。山のような点々が、急速に彼らの上を通り過ぎていった。
「あ、戦艦から何か出ました!」巡査が興奮しきって叫んだ。「小さいからよく見えないっすけど、UFOっぽい気が――こっち向かってきてます!」
「いや、向かってるのはここにじゃない」巡査長がうめき、ようやく自分たちの立場と仕事を思い出したように、巡査に言った。「署に緊急連絡入れろ。多分、これからUFOが大挙して出てくるだろうから、移動は極力避けろって。俺も署まで伝令しに戻る」
「了解」巡査が無線機を取り出しながら愚痴った。「畜生、ついに燃やしにくるつもりっすか」
「いや、違うな」巡査長がつぶやいた。「多分、連中の目的は――」
最後まで口にする必要はなかった。
飛行機雲を作りながら急上昇した黒点――UFOが、プロペラ機に撃ち落とされる瞬間を、巡査ともどもきっちりと目撃したのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『敵艦隊上空、航空優勢を確保。現時点キルレシオは3:1で我が方有利』
『敵戦闘機は味方制空隊が抑えた。現在、艦爆部隊の攻撃終了。艦攻隊が突入中。なお、現時点での戦果、乙巡2、駆逐2撃沈。大巡1、空母1中破相当。戦艦2、大巡1小破』
「こちら伊勢。CAPに引っかかる部隊は極めて小。艦隊防空は現時点で問題なし。上は任せてもらっていいよ」
『了解。大和より全艦隊。突入序列を維持。艦攻隊の攻撃終了と共に突入開始を――』
「凄いものですな」
心からの言葉として、深町が深い溜め息と共に絞り出した。視界の先には、<大和>以下、<武蔵><アイオワ>、それから随伴艦隊が見えている。ちょうど水平線のあたり、その上空にぽつぽつと黒煙が見て取れた。
「これからもっと凄くなりますよ」
ニヤリと笑いながら伊勢が言う。乗り込んでからせいぜい一時間経つか経たないかの付き合いだが、深町としては軍艦とはこんなに人当たりが良いのかと驚くばかりである。心の底ではまだ信じきれては居ないのだが、裏を返せば油断すると信じたくなるほどであった。
それほどまでに、伊勢を始め、無線から聞こえてくる声は冷静で、場馴れしたものであった。もちろん、都合いい時だけ無線の電源が入っている、といことも有るのだろうが、それにしても大したものであった。正直言って、実戦経験、という四文字で言えば、自衛官である深町としては脱帽する他ない。やっつけたように取り付けられた、艦橋の多目的モニターに映し出された戦場の光景を見ればなおさらであった。
「今、艦攻隊が攻撃に入りました」伊勢が敵艦隊の映像を指さしながら解説した。瑞雲、という機体(偵察機だと深町は理解していた)が送ってきているリアルタイム映像とのことだ。プロペラ機の飛び交う下に、燃える敵艦隊が存在していた。「艦爆で中破にした艦は問題なく沈められそうです。戦艦は少し怪しいですから――全力の砲撃戦になります」
深町が食い入るようにモニターを見た。
<大和>たち同様、第二次大戦をもしたと思われる艦艇たちが狂ったように対空砲火をあげている。思われる、というのは、場合によっては上部構造物が見当たらなかったり、逆に明らかに先進的な――イージス艦の構造体のような外観まで見受けられるからだ。駆逐艦や軽巡洋艦とみられる小型艦に至っては、軍艦どころか、まるでエイリアンそのもののような外見である。正直な話、この映像がCGで、伊勢を始めとする全員が映像に合わせて寸分無く芝居をしていると考えたほうがまだ気が楽であった。
「お手並み拝見、というわけですか」深町がどちらの、と指定せずに感慨深くため息を吐いた。
「まぁ、見せるのは私じゃありませんけどね」
伊勢の言葉に、深町が頷いた。少し残念、と思っては居るが、<おうりゅう>での戦闘からこの方、悪い冗談のようなスペックを見せつけられてきた身としては、そのぐらいが返ってちょうどいい、と冷静に判断していた。
『<妙高>以下、第二艦隊突撃準備完了』周りの艦の様子を注意深く見つめ、深町がこれからの展開を見定めていると、几帳面そうな声で無線が告げた。『何時でも命令をどうぞ』
『<大和>了解。飛鷹さん?』
『艦攻隊、攻撃終了。現在彩雲隊が戦果判定中』
航空母艦に乗っているらしい女性の言葉が一瞬途切れ、すぐに続けられた。
『最終戦果、撃沈は空母2、大巡1、軽巡2、駆逐艦2。大破相当は戦艦1。他は無傷』
『十二分です』大和が朗らかな声を出した。『航空部隊撤収。雪風さん、時雨さんは手はず通り航空戦隊の援護を』
了解、とまるで子供のような女性の声が重なる。深町が艦隊後部を見やった。なるほど、駆逐艦が二隻、その後方に陣取っている空母二隻に向かっている。
『全艦隊、これより突撃へ』大和が、力強く言った。『この世界に来て初めての砲撃戦です。勝ちきりますよ!』
『応!』
士気が上々であることを雄弁に語る応答の後、深町の視線の中で、艦隊の速度が目に見えてあがった。いや、それは他人事ではない。<伊勢>もあからさまに増速しそうだったからだ。速力通信機がひとりでに甲高い音を立てるやいなや、深町が手すりを握りしめた。
深町が想像通り襲ってきた加速度を凌ぐ一方で、前に見える艨艟たちが取り舵を掛けているのが見える。宣言通り、一気に距離を詰めてしまうらしい。<大和>を筆頭に、戦艦が、そして重巡以下の艦艇群が。敵艦隊への方へ向かっていく。深町が身震いした。確かに、あの中にいては、命がいくつあっても足りそうになかった。
「主砲、照準開始」
深町が慌てて視界を動かした。伊勢がボソリと呟くの聞き逃さなかったからだ。見れば、飛行甲板の前、艦首に聳える二基の主砲が、緩やかに左に旋回し始める。深町が息を呑んだ。自分でもこんな反応になるのが驚きであった。だが、何しろ、事前の説明が正しければ、あれは――。
「測敵良し。砲戦距離50000メートル。目標、敵先頭艦。弾着観測準備よし。弾種徹甲弾。斉発で」
伊勢の言葉が一つ、また一つと加えられるごとに、主砲の動きが追加されていった。砲塔基部の回転が止まった代わりに、主砲一本一本に仰角が付けられていく。一分経たないうちに、全てが完了したようである。鋼鉄の暴力機構は、もはや微動だにしていない。
「<伊勢>射撃準備完了。何時でも打てます」伊勢が報告した。
『了解』大和が応じた。『こちらも予定のポイントを通過しました! 撃ち方初めてください!』
「了解。撃ち方初め」伊勢が敵艦隊の方を見つめた。「戦闘航空母艦<伊勢>、第一斉発。撃ぇっ!」
ブザー音がほんの数秒だけ流れた一瞬後、大音響が艦橋に響き渡った。
耳が高鳴りする。確かに身構えてはいたが、どうやらあまりにも過小評価しすぎていたようだ、と深町が苦笑いする。だが、現実が想像を上回っても、深町に負の感情はなかった。それ以上の興奮に満たされていたからだ。何しろ深町は、自衛隊創設以来初めて発射された18インチ砲をこの目で眺める栄誉を賜ったのだから。
「これが46cm砲」深町がつぶやき、すぐに身をすくめた。次なる衝撃が襲いかかってきたからだった。深町が慌てて己の腕時計、そのストップウォッチを見やる。第一射から10秒程度しか経っていない。
「正確には、その改造型です」伊勢が解説した。「一分間に5.6発射撃可能な自動装填装置が――」
轟音。伊勢の言葉尻が聞き取れない。弾着を見ようとモニターに固定していたはずの視線が揺れに揺れる。が、気にした様子もなく、伊勢が話し続けた。
「で、大和ちゃんたちが51サンチ積むことになって、私が代わりにって形で。正直取り回しは厳しいんですが、でもこんな風に超長距離砲戦――」
また轟音。深町が慌てて口を開いた。
「申し訳ない。ヘッドセットか何かありませんか? 砲撃音で言葉がかき消されてしまう」
伊勢がきょとんと深町を見た。あっ、と口が開く。轟音がした。振動が収まる頃には、伊勢が備品が乱雑に突っ込まれているらしい――モニタの出処もそこだった――箱を大慌てで漁っていた。
「あ、あった」轟音が3回ほど轟いてから、伊勢が投げるように深町へヘッドセットを渡した。「すいません、人間の方、聴覚が繊細なのをうっかり……」
深町が苦笑いしながらヘッドセットを受け取った。伊勢が自分も装着しながら申し訳なさそうにしている。そろそろ、伊勢たちが人間ではないという確信が持て始めた。
「あなた方の提督は実際には乗らんのですか」深町が訊ねた。
「提督も人間ですから。戦艦には多分乗ったこと無いんじゃないかなぁ。ブッキ……<吹雪>という駆逐艦に乗ったことはあるそうなんですが」
当たり障りのないうめき声で伊勢に答えながら、深町が後方の空母の方へ視線をやった。護衛に急行していた駆逐艦が、速度はそのままに急回頭しているのがよく見えた。それは本当に人間なのか、と深町が訝しんだ。
「敵戦艦轟沈。庇われたんで二番艦でしたけど」駆逐艦の機動を気分悪そうに見ていた深町を尻目に、伊勢がヘッドセットを抑えながら言った。「第八斉発……脆いな。やっぱり初期型か」
「敵は戦艦級や空母級が居るとは聞いていましたが、その中でも分かれるんですか?」
「えぇ。艦種によりますが、複数種類に割れます。艦型から違うもの、同じ型の能力向上型。一口では説明しきれませんが」
伊勢がすらすらと答えた。なるほど、と頷きながら、深町が今の情報を脳裏に刻印していく。少なくとも、深海棲艦とやらの情報に関しては情報共有にグレーゾーンは無いか、よほど致命的なところにしか掛かっていないらしい。
『敵艦隊発砲』大和の声が伝えた。『伊勢さんに向かってます!』
「<伊勢>、回避運動開始」伊勢が叫んだ。「深町中佐。ちょっと揺れますよ」
深町がこくりと頷いた瞬間、強烈な横Gが掛かった。思わずうめき声をあげながら、深町が必死に手すりに縋る。これでちょっとか?と深町が目をむいたが、衝撃は収まらない。何しろ、爆音と振動までそれに加わり始めたのだから。恐る恐る外を見ると、巨大な水柱が上がっていた。敵の砲撃だ。
「このまま、回避しつつ敵との距離を詰めます」そんな横揺れと衝撃に微動だにせず、伊勢が説明した。どうやら人間ではないらしい、という確信が深まる。
「正直、ここまで乗ってくれるとは思わなかったんですけどね」
「パターンB、でしたか」深町が気力で答えた。「する、と」
「ええ」伊勢がにぃっと笑った。「おめでとうございます。特等席で観戦できますよ?」
深町が苦笑いしながらうなずき返している間にも、後に公式呼称第一次小笠原沖海戦、あるいはマスメディアから東京沖海戦と少し無理のある名前で呼ばれることになる海戦は、そうにしてはあまりにも高速に進み続けた。
運動目的を攻撃から回避に切り替えた<伊勢>が、深町を揺さぶりつつ敵弾を避け続けている間、猛進していた主力戦艦部隊は、ついに<伊勢>からギリギリ水平線上に確認できる程度まで一旦離れた。伊勢が解説してくれるところによれば、どうやらちょうど<伊勢>と敵艦隊の中間地点くらいらしい。
深町が、縦一列に並び、水平線と平行に突き進む戦艦たちを眺めた。未だ東の上空に見える太陽が影をつくり、特徴的な姿かたちが黒く塗りつぶされてわかりやすい。気を利かせて例の備品入れから取り出してくれた双眼鏡を受け取る頃には、<伊勢>への攻撃は一旦取りやめとなっていたようである。当たり前だ。それ以上に優先すべきものを発見したのだから。
深町が構えた双眼鏡の視界の中。戦艦部隊の雄姿が突然水柱によってかき消された。阻止砲撃ということらしい。深町が水柱の中に黒煙と赤色を見つけた。どうやら被弾したようだ。煙突以外から煙がたなびいて――。
次の瞬間、今度は双眼鏡が明るい赤色で満たされた。51cm連装砲と46cm三連装砲、3隻合わせて計10基24門の一斉射であった。壮観。図らずして観戦武官のような立場になってしまった現実さえ無ければ、手放しで称賛していいくらいの情景であった。具体的な脅威度の算出のため以外に、深町はこの光景に拙い自分の語彙を駆使する必要を見いだせなかった。映像の中で、敵艦に突き刺さる水しぶきと火炎を見せつけられてはなおさらだ。
「敵艦隊に命中4発。大破艦艇1隻。やっぱり最悪の想定より脆いな……」伊勢がつぶやいてから、深町の視線に気づいた。「あぁ、攻撃は順調です。51サンチは再装填に15秒ほどかかりますが、直に敵艦隊は撃退できます」
「最悪の想定、というのは」深町が単刀直入に聞いた。
「えぇ。深海棲艦、てっきり先程お話した能力向上型を繰り出してくると思ったんですが、どうやら初期型しか居ないようで」伊勢が答えた。
「それはそんなに妙なことなので?」
「最近は初期型のみで構成された敵艦隊は妙でしたから。すると、やはり」
「やはり?」
オウム返しに聞き返した深町に、伊勢がにっこりと笑った。先程までの笑みに比べると、どこか余所行きの面影を深町は感じた。
「いえ、この戦争、勝ち目が見えてきたかな、と」
『大和第十斉発終了』
無線が、その意図は無かったにせよ割り込むように伝えてきた。『累計戦果、戦艦2を撃沈。残りは戦艦2隻と駆逐艦1隻――』
『緊急。敵イ級、こちらへ突っ込んでくる』先程<妙高>を名乗った声が大和にかぶせるように伝えた。
『第二艦隊で迎撃お願いします。破れかぶれです』大和が間髪入れずに命じた。妙高の復唱が続く中、続ける。『伊勢さん、今どのあたりですか?』
「そっちの10km後ろだよ。何なら、支援攻撃第二陣しようか?」
『いえ、大丈夫です。予定通り、私たちを盾にする形で5km後方を維持してください』
「了解。伊勢、遊覧船モードに入りまーす」
『……もうっ』
拗ねたような大和の声とともに通信が終わる。深町の双眼鏡では、大和たちの向こう側で黒煙が上がるのが見えた。第二艦隊と戦闘が始まったらしい。
と、戦艦たちの隙間から、何やら黒っぽい船の影が見えた。深町が手すりを強く握りしめた。流線型のような形状。正面についた目玉のような構造。下部に広がる口のような形状。おおよそ軍艦とは思えないような物体が突進してきたのを目の当たりにしたからだった。
「ご安心ください」深町の行動を勘違いしたらしい伊勢が慌てて口を開いた。「駆逐イ級の一隻や二隻、妙高ちゃ――<妙高>以下第二艦隊が見逃すわけがありませんから」
伊勢の言葉は正しかった。
戦艦よりはいくらか小さな艦艇――もっとも、海自保有艦艇と比較すれば十二分に大型艦だったが――を筆頭に、戦艦たちの前へと陣取っていた艦隊が一斉に火を噴いた。それなり以上の口径と思われる主砲が西側速射砲並の速度で次々と放たれていき――異形の駆逐艦を水柱で包み込んだ。水柱が消える頃には速射が終わる。深町の視線と駆逐艦の目のような部分が刹那の間だけ絡み合い、そのことに気づいても居ないだろう敵駆逐艦は一瞬で海中へと消え去っていく。
その後ろに、大きな艦影が2つ見えた。遠近法に基づいているはずなのに、イ級とか言う艦艇とは比べ物にならないほど大きい。間違いなく、先程からモニターで確認していた戦艦クラスだった。
「鎮守府呼称、戦艦ル級
「多勢に無勢が過ぎますな。敵――あぁ、深海棲艦ですか。連中は、撤退を考えないのですか?」
「残念ながら、無謀な突撃を繰り返してくるほど楽じゃありませんよ」伊勢がどこか自嘲したように答えた。ただ、と続ける。「今回は、逃れられないのがわかっているはずですから」
『妙高さん?』
『第二艦隊各艦、目標敵大破した戦艦。弾種、徹甲。各個に撃ち方始めっ』
思わず背筋を震わせたくなるような殺意の声に呼応するかのように、攻撃命令が無線を駆け抜け、恐らく<妙高>らしい大型艦がまっさきに射撃を行う。プチ戦艦、と言っても納得が得られそうな彼女のはなった射撃が、煙を上げる敵戦艦に突き刺さり、直後大爆発を生じせしめた。小型艦も一瞬遅れて射撃に加わったが、もはや大勢に影響はないだろう。
『戦艦部隊、目標敵先頭艦』
その間に照準を完了していたらしい。大和の凛とした声が無線に響き渡った。それと同時に、敵ル級が爆発によらない火炎を放った。最後の悪あがきらしい。
<大和>に射撃が集中する。深町があ、と口を開きかけた。砲戦距離が近づいていたこともあり、複数発が大和に直撃したのである。だが、爆炎はさほど上がらない。つまり。
「弾いた……」
『射撃同調装置オールグリーン! ヤマト、何時でも行けるわ!』
『了解。大和、第十一斉発、撃てっ!』
水柱が完全に落ち着く前の号令に、戦艦3隻はよく応じたようであった。人間には知覚できない程度の誤差しか発生させず、最低でも18インチを超える巨弾が一斉に射出された。戦列艦時代から、一部の例外を除いて軍艦最大のキルゾーンである舷側から発射されたそれらは、ほぼ一瞬と言って良い刹那の時間で未だ発砲を続ける敵戦艦に殺到していく。そして、双眼鏡がに閃光が発生した。
深町が反射的に双眼鏡から目を離し、敵艦隊を見やる。閃光はすでに収束し、火球が上昇しつつ巨大な煙になっていた。敵艦が居たと思われる海域には何もなく、ただただ上空の火球、いやすでに完全に煙の塊と化したそれから続く尾のような煙が伸びているだけである。キノコ雲。典型的な爆沈だ。
『敵艦隊全滅』大和が告げた。『状況終了。艦隊を第二警戒序列に組み換え。妙高さんは水偵の発艦を用意してください』
それから、粛々と動き出す艦隊を見守るように一旦間を置いて、優しく言った。
『お疲れ様でした。ひとまずは我々の勝利です』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ひとまずは我々の敗北です。それは間違いありません」
「言ってくれるな、黒木よ」
苦笑いしつつも、どこか面白がるように応接用のソファに座り込む一等陸佐の階級章をつけた男に、当然とばかりに冷静な顔を崩さず黒木特佐、もとい陸将補が続けた。
「首都圏防空網は未だ復旧の目処が立たず、同盟国は現時点での敗退が確定。台湾空軍は空自・米軍・中国空軍の二の舞いとなり混乱中。経済的に見ても、関東一円から地方に向けて避難民が殺到し道路交通・鉄道交通ともに完全な麻痺状態。空路は無期限封鎖。海路も関東圏と南西諸島にかけて規制。おまけに例の件だってあります。1945年とまでは言いませんが、1944年の暮れレベルにまで悪化しつつある。これで負けでなければ何だというのですか」
畳み掛けるような事実の羅列に一佐が違いない、と頷いた。全力稼働を始めた官庁街はともかくとして、関東、特に沿岸部の混乱は酷いものがあった。曲がりなりにも敵の撃退に成功したという事実もそこまで役に立っていない。稼ぎ出された猶予で逃げるべきだと考える人間が一定数発生したからだ。そして、3000万人都市圏における一定数とはあまりにも膨大な数であった。
「名付けるなら6時間戦争ってとこだな。核戦争よりも早く蹴りがつきそうだ」一佐が茶化すように言った。
「いえ、そうはなりませんよ」黒木が頭を振った。「何しろ降伏を伝える手段がない。戦争終結が敵の一存であり、海外諸都市がどうなっているかを考えれば、我々がどうなるかは自明です」
一佐が肩をすくめた。机の上のお茶を一瞬眺めてから、一気に飲み干す。で、と煙草を取り出しながら聞いた。
「で、俺はその絶望的な状況で、特殊戦略作戦室さんで何をすればいいんですかね? 陸将補閣下」
「情報収集です」
「こいつは面白い。スパイの真似事ってわけか」
「否定しません」
一佐がついに口笛を吹いた。どうやら、肯定されるとは思っていなかったらしい。
「例の、新島から出現した艦隊に同乗した海自隊員が居た、という噂は聞いていますか?」
「あぁ、詳細は知らんが。何か動きが?」
「先程、横須賀に帰ってきました。私も話を聞きました」
「――一応聞いといてやるが、どういう命令系統を根拠としてだ?」
「私の仕事は敵に勝つか負けるかであって、細かな規則をあらゆる場面で遵守することではありません」
「上出来だ」一佐が大笑いした。「で?」
「上は箝口令を敷いていますが、彼が乗艦したのは戦艦大和を含む旧軍の艦艇だそうで、再三に渡り我々と共闘したいという意思表明を受けたとのことです」
一佐が絶句した。顎に手を当て、そこを揉みほぐしている。徐に口を開いた。
「その報告者は確かな人間なのか?」
「私の正気は疑われないのですね」
「お前さん冗談が下手だからな」
「報告者は深町二佐。<おうりゅう>艦長です。貴方と気が合うと思いますよ。何しろ独断専行でその『旧軍艦』に上がり込んだ強者ですから」
「見込みがありそうな野郎だ、とは言っておく」
「海自の海江田くんに確認したところ、同じ見解でした。自分の同期だと。猪突猛進な行動に似合わず、情報分析能力は正確な男だそうです」
「あのいけ好かねえ野郎が言うんなら間違いなさそうだな」一佐が笑みを浮かべた。「つまり、あれか。子孫の危機に英霊が馳せ参じたとかそういう奴か。感動的で参っちまうね」
「ところがそうでもないらしいのです。そこで、一佐の出番というわけでして」
「ほう?」
一佐が煙草を灰皿に押し付けた。そのまま半分以上残っていた煙草を惜しげもなく捨ててしまうと、手を組んで黒木を見つめる。
「まず第一に、彼らが純粋な旧軍艦艇ではありえないという点。少なくとも、敵艦隊――新島の『友軍』が呼ぶところに従えば深海棲艦というらしい存在と対等か、圧倒するほどの性能を誇っているそうです。この点は深町二佐だけではなく、<おうりゅう>乗組員からも同意を得ています」
「面白そうだな。どんなびっくりドッキリメカが仕込まれてることやら」
「完全無線で自律的に潜水艦を発見してホーミングする航空『爆雷』とか、10秒で100ノット超えまで加速するのにソナーマンが探知に苦労する排水量四万トン超の軍艦だそうです」
黒木の言葉が終わるに連れ、一佐が真顔になった。話を変えよう、と決心している。黒木にしては珍しく少し投げやりな声を聞くに、話の本筋とは関係ないらしいし、どうも頭痛の種の予感がひしひしと感じられた。
「で、第二点は」
「彼らが我々の指揮下に入ることではなく、あくまでも共闘を望んでいる点です」
一佐の顔が真剣なものに変わった。組んだ手を鼻っ面に当てたせいで、野趣を感じさせるそこが歪む。
「旧軍なのであれば、ぜひ大人しく我々に吸収されて欲しいものだがね」
「問題がそこで。彼らの代表者と海戦後に話した深町二佐によれば、その代表者とやらと新島に居住している民間人は旧軍とは全く無関係だそうなのです」
「……わからん話ですな。船は旧日本海軍の軍艦なんだろう?」
「えぇ。ですが彼らの方は、流れついてきた軍艦たちと共闘し指揮する存在だったと。故に、未だ組織としてそれが残っている以上、一概に我々や日本政府の指揮下に入るのではなく、あくまで独立国としての立場を要求しているそうです」
「もったいぶるな。結局その彼らってのは何なんだ」
「大ニホン国軍人」
「はぁ?」
「大二本国という、我が国の平行世界的存在から突如として我々の世界へ飛ばされた異世界人を自称しています」
一佐が笑い飛ばそうとし、黒木の真顔を見て失敗した。こほん、と咳払いする。あまりに荒唐無稽な話に、もはや正気かどうか確認する気も失せていた。
「先回りして言っておきますが、この際彼らの主張はどうでも宜しい」黒木が続けた。「彼らが異世界人だろうと、極端な話この混乱に乗じて我が国からの独立を画策する何らかの集団であろうと大した違いはないのです。彼らが、我々が手も足も出なかった存在を撃退できるだけの武力を有している以上」
一佐がやっと居住まいを正した。黒木の言わんとする事を理解したのだった。
「首都圏の防衛能力が著しく低下し、挙句その余波で経済的・政治的な混乱が予想される中、首都近郊での二正面作戦はどうあがいても不可能、というわけか」
「最良で同盟。最低でも相互不可侵条約。我々は敵に勝つか負けるかが仕事です。が、誰が敵であるかを選ぶ余地があるのであれば、それを最大限活かすべきです」
「わからんな。なら、なおさら俺の絡む話じゃなさそうだが。むしろ外務省マターだろうが」
「無論彼らは彼らで動いています。内閣も、矢口さんからの情報ですが、総理がようやく重い腰を上げるそうです」
黒木が内閣副官房長官の名前を上げた。はみ出し者同士で馬が合ったらしく、友人づきあいをしていると一佐は聞いたことが合った。
「重い腰?」
「新島に使節団を出します。表向きはすっかり忘れられつつある例の偵察機撃墜『事故』、そのパイロットの返還協議になりますが」
「事故。事件じゃなく事故ね。覚えるのが大変そうだ」
「えぇ、ぜひとも覚えてもらいます。本質は同盟に向けた予備交渉です。同盟の実働は相当先でしょうが、少なくとも足並みを合わせるくらいはできる」
「で? ますます俺の専門から離れそうですが」
「やってもらいたいのは2つ。1つは彼らの真意。今は無意味とは言え、異世界人ということを本気で言っているのか確認したい」黒木が言った。「この情報だけは信頼する人物に確認してもらわないと今後に触る。随員としてねじ込みますから、是非探ってきて頂きたい。権藤一佐、貴方にしか頼めないんです」
「お前さんが目が覚める美女だったらなと今ほど思ったことはないよ」権藤一佐が笑った。「頼まれよう。で、もう一つは?」
「こちらはまだ決まったわけじゃないのですが」
黒木が書類束を引っ張り出すと、権藤に渡した。表紙を眺めてから、興味深そうにパラパラとめくる。
「こいつは面白いですな。例の件か。財前さんか矢島さん、それか藤堂のご兄弟には?」
「まだです。ですが、通します」
「心強いね、全く」権藤が笑った。「こいつを頭に叩き込んで、異世界人とやらを納得させるのが俺の役目ってわけか」
「ええ、我々は一度負けましたので」黒木が顔つきも声音も全く変えず、しかしとてつもなく力強く言った。権藤は黒木のこういう青臭さを買っているのだ。「二度目はありません」
権藤が書類を整えた。何しろこれからこいつをよく読まなければならないのだ。『小笠原諸島からの住民脱出作戦における同盟国活用についての少考』と表紙に刻まれた書類束が、権藤のカバンへと滑り落ちた。
権藤一佐、統幕長どころか総理大臣だの国賓だの相手でもこの口調を貫きそうで困る……