僕は実際、家族ってものがそこまで嫌いじゃなかったりする。夕飯を食べ終えて皿洗いを手伝いながら、僕は1ヶ月ほど前まで確かに存在していた「家族」と「幸せ」に思いを馳せていた。
父は優秀な外科医で、母も医者。医者を目指す頭のいい弟と、可愛くて素直な妹がいた。円満な家庭。幸せが姿をそのまま現したかのような場所。
食べるものにも着るものにも困らなくて、ゆっくりぐっすり寝れる家。海軍は僕たちを護ってくれる味方だったっけ。
けれど僕が生まれた時にはとっくにそこは白い町で、珀鉛は溢れていて、悲劇は始まっていた。
幸せな人生の経験は14年で終了して、知っているのは「貪り食う側」と「貪り食われる側」という人間がいることだけになった。僕は確実に貪り食う側になるためにドフラミンゴのもとへ弟とたどり着き、世界への復讐を胸に誓う。言うなれば復讐の申し子となるために。
人権を失って、家族も仲間も失って、愛を忘れた。あるのは政府への恨みと、幸せへの妬みと、ドフラミンゴへの崇拝だけ。それだけを持って生きていくことに決めた。愛はもうなくていい。どうせ僕はもう、誰にだって愛されないのだから。
薄皮一枚だってのに、この肌を見ただけで人は逃げていく。実に滑稽で笑いたいのに、僕は口をへの字に曲げることしかできない。漏れ出しそうななにかを防ぐために。でも代わりにドフラミンゴが笑ってすべて燃やしてくれるから、僕はここで笑っていられる。
「……あっ」
鋭い音がした。咄嗟に手を引いたけれど、貫くような痛みに声が漏れる。
床に食器を落としてしまった。拾おうとした手には細い線が一本走り、艶やかなカーマインレッドが伝い落ちている。
ほぼ本能的に、「ジョーラが来る前に片付けないと」と思ってしまった。僕はどんだけだ。ねちっこいな。そう思うけどやっぱり、どうしても苦手。
廊下の奥からぱたぱたという足音が聞こえてきて、その軽さにほっと息を吐く。
「ちょっと、大丈夫? すごい音したわよ!」
ベビー5。とても従順でドフラミンゴからも評価の高い、強くお願いすれば断れない、言ってしまえば都合のいい女。…ドフラミンゴにとって都合のいい女、ということでは僕も劣ってないだろうけどさ。
「ベビー5…別に平気」
「手、切れてるじゃない! みせて」
「やだ。…それよりジョーラは?」
「デリンジャーのお世話! …もう!」
絆創膏くらい貼らせなさいよ、とぷりぷり怒ってくるベビー5は、僕がジョーラに苦手意識を持っていることを知っている。だからご飯作りを手伝うときはベビー5も一緒に来るし、クソガキクソガキと思ってはいても、可愛い妹みたいな感覚だ。愛してはないけど。
ちりとりと雑巾を持ってきて、手慣れた様子で割れた食器を片付けてくれるベビー5には、あとでお菓子をあげようかな。僕はチョロイ。
「…ジョーラのこと、まだ怒ってるの?」
「べつに、…怒ってなんかないけど」
「じゃあその態度はなに? ローといいクレイオといい」
その質問に、一瞬口ごもる。片付けを手伝おうとしていた手がピタリと止まった。
これに答えることは、僕の弱味の吐露に繋がるんじゃないか? 一抹の恐怖。でも理由なく、なんて思われたらファミリーへの敬意がどーちゃらっつって串刺しにされかねない。それはいや。
「…一度拒否された相手にさ、…もう一度近付けっての?」
「!」
「……情けない話だけど、僕には怖くて無理だよ」
そこで、なるべく哀しそうに見えるように笑う。演技はうまい方だという自負があった。案の定ベビー5はハッとして口ごもり、僕の胸にはちくりとした何かが残る。
頭の中の国語辞典で久しぶりに調べたところ、これはどうやら罪悪感だとかいうらしくて、あーぁ、笑えない。そんな言葉、載っているページごと破り捨てたい気分だけど、それは多大なる時間をかけなければ不可能であることを、悔しいかな、僕はよく知っていた。
このファミリーは人への精神的ダメージだとかトラウマだとかコンプレックスだとか、過去を重視して集められた、まさに「世界に恨みをもつものたち」で構成されていて、だからベビー5にも過去があって、そのせいか人の辛い過去には敏感だ。
だから自分の辛い過去をちらりと覗かせてやれば、コロリと黙る。そういう意味では、僕よりチョロイ。僕は人の過去にそこまで興味はないから。
「…なんか、ごめんね」
そっと、沈んだ声でベビー5が呟いた。それは確かに、人の心を傷つけたことへの真摯な謝罪。
…なぜ? 鼓動が速くなる。答えを探す。
「…なんで? ベビー5は悪くないでしょ」
僕は最低なやつだ。数刻前と全く同じことを思う。作成通りの言葉でベビー5を黙らせて、謝らせて、そして自分は聖人であるかのように振る舞って。すべてが計画通りに進んだ、と今回ばかりは手放しで喜べなかった。
最低なやつになったということは、ドフラミンゴファミリーにいることが許されるほどの性格になれたってことなのかも知れない。
けどそれでも、僕はこの性格を素直に喜ぶことは不可能だった。