“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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一話

 その日、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアはいつになく気を張っていた。

 生まれついて動かぬ足の代わりとなる車椅子を操る手も、普段以上に力が篭る。

 それも無理のないことだろう。

 これから、彼女が行うのは、自身の、そして一族の未来を決する一大決戦――――聖杯大戦だ。

 六十年前に冬木で行われたオリジナルの聖杯戦争は、七騎のサーヴァントと彼らを使役するマスターが最後の一人になるまで殺しあうものだった。しかし、此度の聖杯大戦は、魔術協会からの妨害もあって、聊かそのあり方が変容してしまっている。

 集結するのは、かつての二倍、十四騎のサーヴァント。

 ユグドミレニアと魔術協会。各々が、七騎のサーヴァントを使役し、相対する七騎のサーヴァントを滅する。

 古今東西に名を馳せた無双の英雄達が一同に会し、かつてない規模で行われる『戦争』。それが、聖杯大戦だ。

 フィオレ達ユグドミレニア一族は、この戦いに未来のすべてを託している。

 敗れれば、滅亡する。

 後戻りは許されない。

 ユグドミレニアが、魔術協会から離反した以上は、この戦争に勝利する以外に生き残る術はない。

 フィオレは、その手に宿った令呪をしげしげと眺めた。胎動する魔力が、三つの印を形作っている。傍から見れば刺青のようにも見えるそれは、フィオレにとっての切り札であり、命綱であり、戦争へのパスポートである。

 マスターの手に宿る令呪は、三回限りの強制命令権。魔術師とはいえ一介の人間に過ぎないフィオレが、サーヴァント――――すなわち、英霊を統べるための唯一の手段なのだ。

 それがあるということは、フィオレは聖杯に認められたマスターの一人ということで間違いない。無論、ユグドミレニアの中で序列第二位に位置する彼女は、次期当主でもあり、そして、数だけは多い(・・・・・・)ユグドミレニアの中にあって数少ない一級品の魔術師である。選ばれない道理はなく、この話を当主であるダーニック・プレストーン・ユグドミレニアより聞かされたときから、自身の参戦はほぼ内定していたといってよい。

 そのため、フィオレは生き残るため、そして一族の命運を背負った責任を果たすため、方々に手を尽くして最高の英霊を迎える準備を整えた。

 膝に乗せた包みの中には、世界最高のアーチャーを呼び出すための触媒がある。

 神代より残る青黒い血のついた古い鏃。

 この鏃から召喚される可能性のある英霊は二人だけ。

 一人はこの矢を放った張本人。ギリシャ最強最大の英雄ヘラクレス。そして、もう一人はこの矢で射られた大賢者ケイローン。ともに、神話に名を残す最高の弓兵だ。どちらが呼ばれるにせよ、アーチャーのクラスで間違いはなく、そして、アーチャーに据えるのであれば考え得る限り最高の英霊だ。

 人の手の届かぬ高みにある彼らを、現世に呼び寄せ使役することに対して、恐ろしさや不安がないわけではない。

 先に召喚を済ませた当主たるダーニックのランサー。そして“黒”のマスター最年少の天才ゴーレム使いロシェ・フレイン・ユグドミレニアのキャスターは、ともに邂逅そのものが奇跡と呼べる偉人である。キャスターは、一般には知名度が低いと言わざるを得ないが、魔術師であるフィオレにとっては無視できない存在であり、ランサーに関しては、ここルーマニアの大英雄ヴラド三世だ。世界的に有名な上、この国においては知名度補正が最大値にまで膨れ上がる。

 ランサーのステータスは、ほぼ最大。サーヴァントとして、最高水準にある。

 彼の姿を見たときの衝撃は忘れようがない。これまで経験したことのない圧倒的な威圧感。それはまさに王者の風であり、人を超えた存在のみに許される、他の追随を許さない確固とした自我に他ならない。

 意志一つで人を跪かせる力の持ち主。それが、彼女達の当主が王と仰ぐ、“黒”の陣営の旗頭なのであった。

 

 

 儀式場にはすでに複雑精緻な魔法陣が、溶けた黄金と銀の混合物で描かれている。

 召喚者はフィオレをいれて四人。

 “黒”の陣営には残り五つの召喚枠がある。この日、その召喚枠のうち四つを一斉召喚によって埋めてしまおうとしているのだ。

 一人は、極東の島国で召喚を行うために、この場にいない。つまり、その一騎が合流しなければ、どうあっても数的不利な状況なのである。だからこそ、魔術協会が陣営を整える前に、こちらの駒をそろえなければならない。ただでさえ、地力では向こうが上なのだから、迎え撃つ準備に抜かりがあってはならない。

 これから、フィオレもまたサーヴァントを召喚する。

 狙うはアーチャーのクラスただ一つ。

 ざわめきが消え、見計らったように当主が立ち上がる。玉座にはランサー。高みから儀式を俯瞰している。

「それでは、各自が集めた触媒を祭壇に配置せよ」

 ダーニックの指示に、マスター達が頷いた。

 一人、また一人と触媒を祭壇に配置していく。

 俄かに緊張が高まり、心臓が飛び跳ねる。

 フィオレは慣れた手つきで触媒を操って、祭壇に配置し、決められた場所に戻った。

 胸が張り裂けそうになる。魔力は全身を循環し、魔術回路が備わる両足を責め苛む。

 

「告げる」

 

 この一瞬、四人の召喚者達は、ランサーの重圧すらも忘れてただ極大の神秘に触れる感動を味わった。

 

 

 

 □

 

 

 

 フィオレが引き当てたのは狙い通りアーチャーのサーヴァントだった。その時点で、彼女の身体からはそれなりの魔力が抜け落ちていたし、目の前の存在がこの世のものではないということは、降霊科に在籍していた彼女の目から見て明らかだった。よって、フィオレは滞りなく召喚が成功したと思ってほっと一息つき、安堵した。

 しかし、彼女の高揚感もこのときまでだった。

 召喚された四騎のサーヴァントの一角、ライダーのサーヴァント・アストルフォが各サーヴァントに真名を尋ねて回ったとき、フィオレのサーヴァントは如何にも重苦しそうな声で、それでいて気負うことなく言ったのだ。

『すまないが、君に私の名を教えることはできない。理由は分からないが、どうにも、記憶が混乱しているようでね。正直に言って、私は自分の名を思い出すことができないのだ』

 と。

 

 

 自室に戻ったフィオレは、不機嫌そうな顔で自身のサーヴァントを睨みつけていた。

 理由は明白、彼がフィオレの望んだサーヴァントではなかったからだ。

 ヘラクレスでもなければケイローンでもない。どこに不手際があったのか分からないものの、まったく別の英霊をサーヴァントとして呼んでしまったらしい。

 おまけに、自分の名が分からないという。ステータスも、七騎では優秀とされる三騎士クラスにありながら平凡の域を出ていない。

 サーヴァントのステータスはマスターの魔術師としての実力と、知名度に左右される。たとえ記憶喪失であったとしても、一流のマスターに召喚されていて、かつ歴史に名を残した偉人であれば高いスペックは維持されるはずだ。

 つまり、フィオレに召喚されていながら低スペックというこのアーチャーは、はっきりいって英霊としても低い位置にあると推測できてしまうわけだ。

「もう一度聞きます、アーチャー。先ほど、あなたがあの場所で言ったことは真実なのですね?」

 静かな口調に、虚言は許さないという意志が宿っている。

 問いを投げかけられた男は、特に表情を変えることなく、ああ、と答えた。

「はあ、本当に、どうしてこうなってしまったのでしょう……」

 アーチャーの答えに、フィオレはため息をついて項垂れた。

 勝たなければならないならない戦いのはずだった。勝つために最善を尽くしたはずだった。しかし、結果として召喚は失敗した。フィオレだけだ、狙いのサーヴァントを引けなかったのは。才能に劣る弟ですら、望みのサーヴァントを呼び出したというのに。

 おまけに召喚したサーヴァントは記憶喪失だと言い張ってその正体は不明のままだ。

 今、フィオレの胸中にあるのは、失望、絶望、焦燥、羞恥、それらが綯い交ぜになった複雑な苛立ちだ。

 一族の次期当主としても、それ相応の結果が求められたというのにこの体たらく。

 見事、セイバーを召喚したゴルドが向けてきた視線など、さすがに温厚な性格のフィオレをしても不快感を隠しきれないほど不愉快だった。

 フィオレは、壁にもたれて腕を組んでいるサーヴァントを改めて観察する。

 背の高い、白髪の男性だ。身体つきは筋肉質でありながらも、無駄がなく、それでいて無骨。基本的に研究者肌の者が多い時計塔にはいないタイプの人種だ。その鋭い目は鷹を思わせる。さすがに、アーチャーといったところか。彼の装備品――――赤い外套にボディアーマーという出で立ちは、騎士と呼んでいいのかわからないものの、外套自体がそれなりの概念武装であることは分かった。

 いずれにせよ、済んでしまったことはどうしようもない。

 低いステータスのサーヴァントでも、戦術とマスターの腕があれば厳しい戦局でも乗り切ることができるものだと思っているし、なによりもこの戦いはチーム戦だ。アーチャーが単騎で戦い抜かねばならないわけではない。

 いろいろと考えながら、自己正当化しようと躍起になっていたところで、アーチャーが声をかけてきた。

「察するに、君は私の召喚がお気に召さないらしいな」

 今さらながらの確認だった。

 フィオレは、当然です、と感情任せに言いそうになるのを堪える。

「確かに、あなたはわたしが呼び出そうとしたサーヴァントではありません」

 努めて冷静な口振りで、フィオレは認めた。

 過ぎたことを気にしてもしかたがない。どれほど文句を言ったところで、このアーチャーがフィオレのサーヴァントだという事実は変えようがなく、現状を正しく認識した上で、戦略を組み立てねばならない。

 そう思いながらも、フィオレは険のある表情でアーチャーに向けて言葉を紡ぐ。

「想定していたステータスよりも、あなたが劣っているという事実もあります。なにより、あなた自身が、自らの出生を語らないという点に関しても、不満があります」

 語ってから、フィオレは今さらながらに口を噤んだ。

 冷静であろうとしていながらも、ついつい胸のうちの蟠りを吐き出してしまったのだ。

 もう少し、言葉を選んだほうがよかったのかもしれない。

 いや、それ以前にアーチャーのステータスが低いということを真正面から指摘してしまった。オマエは期待はずれで、弱いのだ、と思い切り言ってしまったようなものだった。これでは、信頼関係など結びようがない。

 サーヴァントは、使い魔でありながらも自我を持つ。

 自らを一方的に非難する相手と手を組みたくはないだろう。

 戦いが始まる前からアーチャーとの関係が悪化したとなれば、ただでさえ悪い現状が、さらに悪くなってしまう。

 フィオレは、内心の焦りを押し隠しつつ、アーチャーの様子を窺った。

「フッ……」

 フィオレの不安を他所に、アーチャーは口元を小さく歪めて笑った。

 まるで、フィオレの未熟さを笑っているようで彼女は不愉快な気持ちになった。

「何がおかしいのですか?」

「いや、すまない。君があまりにも正直に胸中を吐露してくれたことが意外だったのだ。魔術師という人種は、あまり本心を口にしたがらないものだと思っていたのでね」

「ッ……」

 フィオレが『やってしまった』と思っていた部分を的確に突く指摘に、言葉を失った。

 どうやら、このアーチャーにはフィオレの内心の焦燥感など筒抜けになっているようだ。だからこそ、あのように泰然としつつもこちらを観察するようにしているのだろう。

 対等に見られていない。

 これでは、まるで子ども扱いだ。

 確かに、人生経験は向こうが上だ。魔術師とはいえ、アーチャーにとってフィオレは、ただの小娘でしかない。

 フィオレがいかに言葉を飾ったところで、意味がないのだ。そう、思わされてしまった。

「とはいえ、君のようについつい本心を口に出してしまう魔術師というのも面白い。そういった意味でも、君のそのあり方には好印象を受ける」

 次にアーチャーの口から飛び出した予想外の高評価に、フィオレは言葉に窮した。

 アーチャーの言葉は、単にフィオレの未熟を論っているように聞こえなくもなかったが、正面から好印象を受けると言われて嬉しくないわけがない。

 それを表に出さないようにしながら、フィオレは微笑する。

「一先ずは、誉め言葉と受け取っておきますね」

 多少の皮肉を織り込んで、フィオレはそう言った。そして、

「ですが――――」

 と、フィオレはそこで一旦言葉を切ってアーチャーを視線を交わす。

 息を吸って、吐く。

「これは聖杯大戦。先ほど申し上げたとおり、あなたのステータスは総じて低い。幸いなことに、通常の聖杯戦争のように、味方がいないという状況ではなく、おじ様たちが召喚したサーヴァントも優秀です。しかし――――」

 グッと、フィオレは膝の上で組んでいた両手に力を込めた。

「わたしには、ユグドミレニアの次代を継ぐ者としての責務があります。この戦いを、座して見守るわけにはいかないのです」

 フィオレは、ただ真っ直ぐにアーチャーを見つめ、己の覚悟を語って聞かせた。

 言葉は短いながらも、そこには聖杯大戦にかける、フィオレなりの切実さが込められていた。皮肉げな笑みを浮かべていたアーチャーも、フィオレの真剣な表情に顔を引き締め、そしてその告白を笑うことなく受け止めた。

 そして、しばしの沈黙の後、アーチャーが口を開いた。

「要するに君は、私がどの程度戦闘で使えるのか、という点に興味があるのだな?」

「ええ、そう受け取っていただいて構いません」

 フィオレが持つアーチャーの情報は、マスターに与えられた透視力――――視認したサーヴァントのステータスを把握する力によって得られる能力値と、弓使いという二点だけである。通常のサーヴァントならば、伝承なり神話なりを参考にすることもできるのだが、このアーチャーは出生から来歴まで謎に包まれている。戦略や戦術を組み上げるにしても、アーチャーの実力が分からなければ何もできない。

 果たして、このアーチャーがスペック以上の実力を持っているのか否か。それこそが、フィオレの未来を左右する最重要事項なのである。

 アーチャーは壁に背を預け、腕を組む。

 部屋の主を前にして、実に不遜な態度である。

 そして、アーチャーは呆れ混じりに嘆息し、

「それならば、問題はあるまい」

「え?」

「問題はない、と言ったのだ」

 アーチャーは壁から背を離し、ゆっくりと歩き出した。

 重々しいブーツの音が部屋に響く。

「もとよりこの身はサーヴァント。戦うことに否やはない。第一、私は敵を屠るために呼び出されたはずだが?」

「それは、確かにその通りですが……」

「君の言うとおり、私のステータスは他のサーヴァントに比べれば見るべきところはないかもしれない。しかし、それはあくまでもステータスでの話だ。そのようなものは戦い方次第でどうとでもなる。力任せに戦うことだけが、私たちの戦いではないからな」

 アーチャーの言葉にフィオレが言い返すことはできなかった。

 フィオレも、同じようなことを考えていたこともあり、反論する必要はどこにもなかった。それに、ステータスの問題も、一見すればサーヴァントとして低いというだけで、それが弓兵としての実力がないということにはならない。

 セイバーやランサーのような接近戦を主体とするサーヴァントであれば、それは致命的だろうが、彼はアーチャーだ。近接戦闘は行わないので、筋力や耐久といったステータスは低くとも問題はない。戦術さえ組み立てれば、如何様にでもなる。それが、アーチャーというクラスなのだ。

「でしたら、あなたは勝てるのですね。ほかのサーヴァントと戦っても、問題は一切無いと?」

 なおもフィオレは問う。

 その問いに、アーチャーは無論だと答える。

「なに、簡単なことだ」

 訝しげなフィオレの視線に、アーチャーは困惑するでもなく苦笑を以て接する。ついに、彼は、フィオレの正面にまで歩を進めた。車椅子生活を送っている上に、もともと小柄なフィオレは、自然と彼を見上げる形になる。

「君が召喚したサーヴァントが、最強でないはずがないだろう?」

 傲岸不遜とはこのことか。

 フィオレには、その自信がいったいどこからやってくるのか皆目見当もつかなかったものの、不思議と疑おうという気にはならなかった。

 彼自身も、あのランサーやセイバーを見ているのに、それでもなお最強を豪語する。

 しかし、滑稽とは思わない。数値とは別の次元で、彼の強さを垣間見たような気がしたからだ。

 そんなことはありえないと思いながらも、信じようとしてしまう自分がいる。それが、また可笑しくて、フィオレは破顔した。

「それが大言壮語でないことを祈りますよ、アーチャー」

 微笑を湛えてアーチャーに告げる。

 それは、フィオレがアーチャーに向ける、初めての笑みだった。


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