“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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十四話

 アーチャーに撤退の旨を具申されたフィオレは、その場で撤退を承諾した。

 この時、フィオレの戦いは膠着状態に陥っていた。

 “赤”のセイバーのマスターである獅子劫界離は名うてのハンターだ。基本的に研究者であるフィオレに比べれば潜り抜けた修羅場の数が違う。

 総合的な魔術師としての腕はほぼ互角と言えるだろう。加えて、魔術のセンスはフィオレの方が上なのは間違いない。だが、それは戦闘という極限の場面で活かせるものではない。勝敗は魔術だけで決まるものではない。自分の魔術を上手く使いつつ、地形であったり、その他道具を駆使したりして敵を倒すのが戦闘だ。そこに必要なのは、魔術を目的とする研究とは異なる次元の魔術行使である。

 フィオレはそれを分かっているつもりでいたが、やはり戦術家としては獅子劫の方が一枚上手だった。

 カウレスが介入しなければ、今頃はフィオレの頭はショットガンで撃ち抜かれていたことだろう。

 失態というほどでもないが、それでも“赤”の魔術師は皆ダーニックに比する実力を持った魔術師であるか、そういった相手を仕留めてきた一流の狩人だ。獅子劫は、特に魔術師が忌み嫌う現代火器すらも礼装として扱っているようだし、魔術の研鑽を目的に魔術を学んできたフィオレとは対極に位置している。

 敵がまだ切り札を切っていない可能性も捨てきれない。向こうが、こちらの礼装の欠点を知ってしまった以上は深入りすべきではなかった。カウレスも戦力には数えられない。彼のはったりが効いているうちに退くのが無難だ。

「それでは、獅子劫様。わたしはこれにて失礼します」

「逃げるのか?」

 挑発的な獅子劫の言葉。しかし、フィオレは取り合わなかった。

「次はトゥリファス――――我等が城砦にて、お待ちしております」

 そう言い残してフィオレは去って行った。

 追撃するか――――否。

 獅子劫は即座に欲目を打ち捨てた。

 カウレスという不確定要素が存在するからには、深追いは危険だ。

 最低でも、サーヴァントと合流してから追撃すべきだし、その頃にはもう敵は追いつけないところまで撤退していることだろう。

 セイバーがアーチャーを倒してくれれば、万々歳なのだが、先ほど空に撃ちあがった宝具からセイバーが宝具を解禁したことが分かる。それでいて、彼女が意気揚々と帰ってこないところを見ると、仕損じたと考えるほうがいい。

 無論、セイバーが倒されたということはありえない。そうであれば、令呪を通してそうと分かるからだ。

 サーヴァント同士の戦いも、引き分けに終わったらしい。あるいは、向こうの方が先に手打ちとなり、その結果としてフィオレが撤退したのかもしれない。

 いずれにしても、今日はここまでだ。

 獅子劫はその場にどっかと座り込み、タバコを咥えた。ライターで火をつけて、肺に煙を溜める。分かっていたことだが、やはりまずい。高級なだけで好みに合わないタバコは、なんとも言い難い無常感を獅子劫に与えるのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「“赤”のセイバーの正体はモードレッド。……それは真かね、アーチャー」

 ミレニア城砦に帰還したフィオレとアーチャーは、今回のアサシンとのコンタクトを命じたダーニックに報告に上がった。

 そして、“黒”のアサシンと“赤”のセイバーの戦闘とその後の“赤”のセイバー及び獅子劫界離との戦いに関しても報告を行った。

「確かだ、ランサー」

 玉座に座るランサーからの問いに、アーチャーは頷いて肯定した。

「“赤”のセイバーは宝具を用いて、私の矢を迎撃した。その際に、例の認識阻害の効力が失われたようだな。今でもはっきりと剣の意匠を想起できる。もっとも、宝具を使われた段階で正体は知れているのだから、剣を解析するまでもないのだがな」

「なるほど。それで、宝具のランクは?」

「A+。対軍宝具だ。こちらのセイバーと同等だな」

「ほう……。だが、そうと分かれば対応も可能だ。実に有益な情報だった。ご苦労、アーチャー」

「恐縮だ。ランサー」

 アーチャーは慇懃に頭を下げる。

 アーチャーが手に入れた情報の価値は高い。

 A+ランクは、宝具としては最上位と言っても過言ではない。通常のサーヴァントが持つ宝具は平均してBランク。Aランクを超えるとなると神話級の英霊の中でも高位の英霊に絞られることになる。

 反逆の騎士として悪名を轟かせているモードレッドだが、セイバーとしての性能は非常に高い。幸運以外がBランクを超えているという数値上の事実に加えて、それを裏付ける伝説内での活躍もある。

 ガウェイン卿を討ち、アーサー王に致命傷を与えたという実績。そして、魔女モルガンがアーサー王から製作したホムンクルスであるという血統の裏づけ。

 そして、アーサー王に「剣の中の王」と評された宝剣を奪い、アーサー王と戦った。セイバーとして召喚されれば、強大な敵となって立ちはだかるのは当然と言えるだろう。

 “赤”の陣営で明確に真名が分かっているのはセイバーとライダーの二騎。真名までは分からないものの、ランサーは“黒”のセイバーと互角に打ち合える猛者であり、アーチャーは女性の英霊ということまでは分かっている。バーサーカーは捕獲してこちらのキャスターがマスター代理となっている。“赤”の陣営で姿を見せていないのは、アサシンとキャスターの二騎だ。

 だが、それは当然のことで、この二騎は前線に出てくるクラスではない。敵の本拠地で、悠然と事に構えているのか、こちらの隙を窺っているのか分からないが、共に背中を狙ってくるクラスだけに、動きが見えないのが不気味なのだ。

 フィオレとアーチャーが退出した後、ランサーの横で話を聞いていたダーニックは、脳裏に戦略図を描いた。

 サーヴァントの質では確かに向こうが上だ。それは認めざるを得ない。しかし、こちらのサーヴァントも負けているわけではない。ランサー(ヴラド三世)セイバー(ジークフリート)は共に誰もが認める英雄であり、アーチャーもジョーカーとして機能しうる。敵のバーサーカーも手中に収めた今、数的優位に立っているのは明確だ。

 現状、こちらに大聖杯があるからには敵はミレニア城砦に攻め込んでくるしかない。

 こちらから外に出なくても、向こうからやってきてくれる上に、準備には半世紀を費やした。城砦には強力な魔術が施してあり、宝具を使用されてもある程度は耐えることができる。もちろん、アサシンと雖も易々と進入することはできない。それだけの結界を敷き詰めてある。だからこそ、こちらには落ち着いて迎え撃つだけの余裕がある。

 サーヴァントの数、地形、魔力供給量ではこちらが上なのは間違いない。そして、それらは聖杯戦争を勝利するために必要な要素である。サーヴァントの質で僅かに劣るといっても、現状では有利に事を運んでいる。

 そう、恐れる必要などない。

 その時、ダーニックの身体に淡い電流のような刺激が流れた。

「ダーニック」

「はい、領主(ロード)。どうやら、来たようです」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 シロウは目を閉じて、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと肺腑の空気を吐き出した。

 静かな気持ちで耳を澄ますと、虫の声や風の音がはっきりと捉えられる。生まれた土地とはまったく異なる異国の地。視界に映る景色もまた馴染みのなかったものだ。しかし、こうして目を閉じると、それらが些細な違いでしかないと思える。

 たとえ目に映る景色が変わろうとも、世界が自分の知らないものになったわけではない。この世は未だに苦痛と怨嗟の循環の中にあるが、それでも確かに(アガペー)はある。

 ならば、なぜこの世には救われない者が多いのか。

 神の両手は、世界中の人間を拾い上げるほどに広大なはずなのに。

 シロウはゆっくりと目を開けた。

 開けた視界には、満天の星空が広がっている。

 田舎町だからだろうか。小さな瞬きは、くすむことなく明瞭に輝いている。

「さて、瞑想は済んだかの、我がマスター」

「アサシン。いつからそこに?」

「小一時間ほど前か。いつ気付くかと思っておったのだがな」

 クックとアサシンは何が楽しいのか喉を鳴らして笑った。

「意地が悪いですね、アサシン。まったく気が付きませんでしたよ」

「何、我はアサシン故な」

 アサシンの『気配遮断』スキルはサーヴァントの知覚力すらも欺くことができる。攻撃態勢に移らない限りは、あらゆる敵に忍び寄ることができる。いくらシロウが聖堂教会に属する者だとはいっても、彼女が本気で隠れた場合、気付くことは不可能だ。

「気を付けよマスター。我が敵のアサシンであったなら、今頃マスターの首は落ちておるぞ」

「そうですね。ありがとうございます」

 シロウは、アサシンの脅し文句に臆することなく悠然と微笑んだ。

「それに、そのことはあまり気にする必要もないでしょう。“黒”のアサシンは、“黒”の意思とは無関係に行動していると言いますし」

 “赤”のセイバーが“黒”のアサシンと“黒”のアーチャーと交戦したということは報告されていた。その際、アサシンをアーチャーが攻撃したということ、さらに魂食いの犯人がアサシンであるということからも、アサシンは独自行動を取っていることが分かる。

「“黒”の連中は飼い犬に手を噛まれたか」

「どうやら、そのようですね」

 あるいは、そもそも別人がマスターになってしまったのか。可能性としてはそちらの方が高そうだ。

「そのアサシンが侵入してくるやもしれぬが?」

「その時は仕方がありません。あなたに助けてもらう他ないですね」

「……」

 アサシンは口篭った。

 シロウは彼女のマスターだ。故に、シロウの身に危険が生じた場合、アサシンが助けなければならないのは当たり前のことだ。

 それでも世界最古の毒殺者である自身をこうも真正面から信頼しているように言われてしまうと、聊か毒気を抜かれてしまう。

 正直に言えば、やりにくい。

 アサシンにとって、男とは唾棄すべき醜悪な存在である。女を前面に押し出せば容易に手の平の上で転がる程度の獣でしかない。ところが、この少年にはそういった我欲が一切ない。ただただ一心に、信念を守り、目的のために邁進している。その目的すらも我欲とは呼べないモノだ。

「つまらんのう、マスター。聖杯は目の前にあるというのに、権力にも金にも女にも興味がないとは」

「こういう人間なもので。それに、そんなものに執着するマスターであれば、真っ先にあなたに殺されていたのではないですか?」

「クク、よく分かっているではないか」

 アサシンは、愉快げに笑う。

 彼は、アサシンの知らないカテゴリーにある人間だ。少なくとも、アサシンの定義する「男」とは異なる立ち位置、精神性の持ち主である。

 そのためか、不思議と男性でありながら不快感がない。

「ところでアサシン。あなたが、ここにいるということは……」

「準備はすでに整っておる。いつでもいけるぞ」

 アサシンは艶美な表情で自慢げに微笑んだ。

 

 

 玉座の間に到着すると、そこにはすでに二騎のサーヴァントがいた。ただし、待っていたというほど殊勝な表現は使えない。

 自由気侭に自堕落に、各々が適当に活動した結果ここに行き着いたというだけであろう。

 アーチャーは自分で仕留めた動物の肉を串に刺して焼いて食べているし、ライダーは寝転んで天井を見上げている。

 シロウは特に何も苦言を呈することなく、ランサーとキャスターの所在を尋ねた。

「あー、ランサーはなんかボケッと外を眺めてたぜ。キャスターは工房だ」

「ありがとうございます」

 シロウは礼を言って、残る二騎を呼びに行こうとした。

「まあ、待て。マスターよ。わざわざ呼びに行くまでもなかろう。我が念話で呼び出せば済む話だ」

 アサシンは暗殺者ではあるが、同時に高位の魔術師だ。彼女の固有スキル『二重召喚(ダブルサモン)』は、二つのクラス別スキルを併せ持つことができるという破格のスキルだ。このスキルのために、アサシンでありながらキャスターの能力も保有しているのである。彼女は伝説上に於いても強力な魔術師として描かれる。キャスターとして召喚されてもおかしくない英霊である。

 まず、アサシンの念話を受けてやってきたのはランサーであった。

 背の高い、黄金の鎧を纏った精悍な顔つきの若々しい男である。ただ、寡黙で表情の変化が乏しいために、趣味嗜好が分かりにくい。無駄口を叩かず、ひたすら黙然と任を全うする気質の人物である。

「呼び立ててしまって、すみませんね」

「構わない。何かあったのか?」

「それは、もう一人が来たらお話しします」

 それから、たっぷり五分。時間に遅れても堂々と、悪びれる様子なくキャスターは玉座の間に入ってきた。

「ハハハ、申し訳ない。ついインスピレーションが湧き上がってしまいましてな」

「執筆作業は順調ですか?」

「ええ、マスター。この聖杯大戦。実に刺激的です。『まったく想像力でいっぱいなのだ。狂人と、詩人と、恋をしている者は』」

 実に楽しそうに、キャスター――――ウィリアム・シェイクスピアは語る。

 おそらくは、今回の聖杯大戦で召喚されたサーヴァントの中でも随一の知名度を誇るサーヴァントであろう。中世ヨーロッパを席巻した偉大なる劇作家。知らぬ者のいない偉人である。

「ところで、マスター。この時代には確かキーを打つと一文字打てる機械が発明されているそうですね」

「パソコンのことですか?」

「そう、それです。できれば都合していただけないでしょうか?」

「分かりました。明後日までには都合をつけましょう」

 この答えにキャスターは満足そうに頷いた。

「キャスター。お主、聖杯大戦を忘れるでないぞ」

 執筆意欲に溢れるキャスターをアサシンがため息交じりに嗜める。

「当然ですとも。アッシリアの女帝殿。我輩、これでもサーヴァントたるの役目を忘れたわけではありませんぞ」

「ならばよいがな」

「ともあれ、我輩。魔術だの戦闘だのは門外漢でして、皆様の激闘を記録することが我輩の役目と心得ております」

「お前、キャスターだろう」

 ライダーが堪りかねて呟いた。

 キャスター以前に、サーヴァントとして論外の心構えである。彼は当事者でありながら他のサーヴァントたちとは異なる立ち位置に身を置いている。戦えないサーヴァント。世界中で名を知られており、その知名度補正は最高でありながら、戦闘に関する能力を一切持たない彼は、文字通り最弱のサーヴァントである。そもそも、魔術に関する逸話を持たないキャスターというのが前代未聞である。

「まあ『しかし神々は我々を人間にするために、適当な欠点を与えてくるものです』。それが我輩にとっての魔術だったり、戦闘力だったりするわけです」

「こともあろうに、最も必要なモノではないか」

 アサシンは頭痛がするとでもいうように額に手をやった。

 男は総じて愚か。その意見を覆すつもりはないが、それでもこのキャスターに比べればまだマシに思えてくる。あるいはこれほどに飛び抜けていたからこそ、歴史に名を残したのか。サーヴァントには、一癖も二癖もあるのが常だが、このキャスターもその点に関しては例に漏れないらしい。

 いつまでもキャスターの相手をしているわけにもいかない。アサシンは他のサーヴァントたちに向き直った。

「まあ、あれはあれでよい。とにもかくにもまずは開戦よ。我等の準備は整った。敵は城砦から出てくることはなかろう。小競り合いに耽るのも飽いた頃合であろうし、そろそろ、こちらから攻め込むとしようではないか」

 アサシンの言葉に、ライダーとアーチャーが目の色を変える。英雄らしい英雄であるライダーも狩人として名高いアーチャーも、小競り合い程度の戦いで満足するような英霊ではない。己の技量を余すことなく注ぎ込んで、敵を討ち果たして初めて満足するのである。それほどの強敵が、目の前にいる。特にライダーは自分の身体に傷を付けることのできる“黒”のアーチャーを打倒すべき敵と見定めている。攻め込むという言葉に否やはない。

「ああ、やっとですな。我輩、この時を待ちに待っておりましたとも! 『期待はあらゆる苦悩のもと』。我輩、この数日、期待という名の苦悩に苛まれておりました! 血湧き肉踊る英雄豪傑たちのドラマが待ちきれぬと!」

 キャスターが歓喜の声を上げる。

 ライダーとアーチャー、そしてランサーもまた来るべき戦いの気配を感じて顔付きを険しくした。

「ところで、女帝殿。攻めるといっても、敵もまた城砦に篭ったまま。はてさて、如何にして攻めるおつもりですかな? 『まず計画はよく行き届いた適切なものであることが第一。これが確認できたら断固として実行する』。実行するのは大いに結構ですが、計画としてはどのように?」

「キャスターも、偶にはまともなことを言うんだな」

 ライダーは意外なものを見るかのようにキャスターを見つつ、アサシンに尋ねる。

「それで、どうなんだアサシン。見た感じ、こっちも向こうに負けず劣らず亀みたいに立て篭もっているように見えるが?」

 “赤”の陣営は、アサシンが用意した巨大な城を本拠地としている。これが、アサシンの宝具なのは当然に知っているが、具体的な能力までは分からない。

 唯一、この城の正体を知っているキャスターだけが、目を輝かせて、やはり、としきりに頷いている。

 アサシンは、にやりと笑った。

「立て篭もる? それは違うぞライダー。我のこの宝具はそもそも、攻め込むためのモノなのだ」

 アサシンの言葉を理解できなかったのか、ライダーは首を捻る。

 彼の常識としては動く建造物は『トロイの木馬』程度しかない。それも、ライダーの死後の話である。具体的に、これほど巨大な建造物が移動する様子をイメージできないのだ。

「アサシン。そうもったいぶらずに、私たちにも体感させてください」

「応。マスター。お主も心が湧き立っておるの」

「これでも男ですからね」

 アサシンは苦笑しつつ、玉座の肘掛に埋め込まれた宝石に手を翳した。

 途端、大地が大きく振動した。激しい地震は十秒ほど続き、それから不意に収まった。

「そら、外を見てくるといい」

 アサシン以外の全員が、玉座の間を飛び出していく。

 アサシンが引き起こした地震の正体はすぐに知れた。

「な――――」

 外を見て、さしものライダーも絶句した。

 そこには何もなかった。

 眼下にはだだっ広い空間が広がっており、雲が異様に近い。つまり、浮遊しているのだ。

「『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』。我が宝具は見ての通りの空中要塞なのだよ」

 アサシンの宝具『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』は世界七不思議にも数えられる伝説の空中庭園である。史実に於けるそれは、現在の紀元前六〇〇年頃に新バビロニアの王ネブカドネザル二世がバビロンに建造した屋上庭園であるとされる。

 よって、本来のアサシンの宝具ではない。

 だが、二千年以上の長きに渡って語り継がれた伝説は、サーヴァントとして召喚された彼女に、この宝具を与えるに至った。人々の想念で編まれる英霊は、それによって能力にも影響を受けるからだ。

 その名に「虚栄」と付くのは、そういう意味もあってのこと。しかし、虚栄であろうとも、彼女がこの世界で現実に宝具を作り上げた今、それは実体を伴ってこの世に現れている。

 女を慰めるために建造された空中庭園は、アサシンの手によって凶悪な空中要塞へと姿を変えた。

 今まで、“赤”の陣営に大きな動きがなかったのも、すべてはこの宝具を生み出すための時間が必要だったからだ。

 サーヴァントが個人で所有するにはあまりに巨大な宝具は、場合によってはこの世で一から作り出す必要がある。

 彼女の場合は、特定の地域の木や土や石や水を集め、組み上げて長い儀式を経る必要があったのだ。

 一度起動してしまえば、もはや止めることはできない。対城宝具ですら、この宝具を前にどこまで通じるか。

 それほどの威容を振り撒いて、空中要塞はゆっくりと空を進んでいく。

「それでは、皆さん戦の準備を。この速度なら、ミレニア城砦に到着するのは一時間後と言ったところでしょう」

 シロウの言葉に、浮き立っていた空気が沈み込む。沈黙の中に、隠しきれぬ熱意があった。具体的な数字を聞いて、心が戦場に向かったのだ。

 これまでの戦いは、アサシンが言ったとおり小競り合いに過ぎない。互いに手の内を隠しつつ、探り合いながらの戦いだった。

 だが、この先に控えている戦いは規模が違う。

 正真正銘の大戦だ。

 新旧の英雄たちが入り乱れて戦う、壮絶な殺し合いなのである。

 臆するものはこの場にはいない。おそらく敵もまたそうだろう。英雄ならば、戦いに尻込みするはずがない。

 じわりとした熱気が、物言わぬサーヴァントたちの間を流れていった。

 


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